エデンは遠くなりにけり 11
マーサさんは、ハンカチーフを出してくださったけれど、慌てて引っ込めた。
「……さきほどメダカを置いたハンカチーフで涙を拭いていただくわけにはまいりませんね。……御子さまをお産みになって育て始められましたら……少しは気が紛れるかもしれませんが……それは、問題を数年先送りにするだけのことかもしれませんね。……でも、奥様。どうか焦らないでくださいまし。私は、いつまでもこちらにいますから。……おつらくなったら、いつでも遊びにいらしてください。」
「いつでも……」
「ええ、いつでも。……また、お話いたしましょうね。……キトリさん?」
にこっとマーサさんが微笑んでくださった。
私は、涙を指で拭いてから言った。
「フィズです。ただの、フィズと呼んでください。」
勝手に誰かが決めて押し付けられた名前は、やっぱり私の名前じゃない。
マーサさんは、ゆっくりと頷いた。
「わかりました。フィズ。とても可愛いお名前ですね。……どうか無理をなさらないでくださいね。」
「はい。……ありがとう。」
マーサさんは優しいほほえみと甘い香りを残して、帰って行かれた。
私はしばらく、静かに……泣いた……。
わけのわからないまま、泣いた。
どうして泣いているのか、自分でもよくわからなかったけれど……時間がたつにつれて……だんだんわかってきた。
ここは、私の居場所ではない。
……私は……キトリではない。
フィズだ。
自分を取り戻そう。
***
ジョージオさまは、お部屋から出てこようとしなかった。
時間を持て余した私は、図書館で片っ端から広報誌や官報を読み漁った。
自分に何ができるのかなんて、わからない。
でも、次にお義父さまにお会いした時に、お側でお手伝いさせていただきたいと自信を持って申し上げることができるように、世の中を知るべきだと思った。
……もしかしたら、それでも、私は……ジョージオさまに寄り添うべきだったのかもしれない。
たとえ、また、ジョージオさまを追いつめることになったとしても……おそばで真摯にお仕えすれば……もう一度あの優しいほほえみと強い愛情を取り戻せたのかもしれない。
でも私は……私は……
***
ジョージオさまにお目にかかれない日々が続いた。
いつの間にか、小さな小さなお魚たちは孵化して泳ぎ回っていた。
クリスタルグラスでは手狭かもしれない……と、小さな手桶に移した。
親たちほどに色のバリエーションはまだないけれど、既に個性は明確で、見ていてとてもおもしろかった。
……そう。
ジョージオさまのことは心配だったけれど……それだけだった。




