ホピの旅
ホピは白い毛皮を持つ村に生まれた。白い毛皮とはかつての村の英雄キャニオンによって狩られた白い熊の毛皮だ。村人たちはキャニオンの毛皮を村の平和の象徴として祀っていた。豊穣祭の夜には一族の勇が毛皮を纏い、大地の恵みへ祈りの舞踏を捧げた。ホピは幼い頃からそれらを見て育った。母なる大地を慈しむ事、あふれる獣たちは血を分けた兄妹であり友である事を学んだ。その中でも熊は特別だった。熊は数少ない森の中に住む王であり、成人への通過儀礼である初狩に置いて最上の獲物とされた。初狩とは成人を迎える少年たちが、わずかな食料と水を携え、成人になるための初めての狩りの旅に出る習わしの事だ。最初に狩った獲物が生涯その者を守る精霊となり、また獲物によっては生涯祟られるという重要な儀礼だった。そしてホピも初狩を迎える年齢へと達していた。
初狩に出る朝、母はホピに言った。
「お前、愛しい子よ、熊だけは狙うんじゃないよ。熊を狙って飢え、鼠の祟りに苦しむ男が何人もいる。鹿を狙いなさい。そうすれば一生は食うには困らないのだから」
しかしホピは最初から熊の事だけしか考えていなかった。
ホピは母に答えた。
「お母さま、私は鹿では幸せにはなれないでしょう。しかし王に成りたいわけでもありません。私は大地を学び、世界の真理を知りたいのです。熊を狩ることでしかそれらは叶わないでしょう」
決心を告げるとホピは母を労いながら旅を共にする馬に語りかけた。
「この旅で私はお前を殺さねばならない。だがお前とは悠久に友であり、それは永遠に変わらないと誓おう」
そうしてホピは初狩の旅に出た。
荒涼たる乾いた大地を進みながらホピは考えていた。ホピはまだ生きた熊を見たことがなかった。命とは何だろう。熊とは何だろう。なぜ王なんだろうか。なぜこの世界には人間がいて多くの獣がいるのか。友人とされる獣とは何者なのか。幼い頃からの疑問を繰り返しながら、熊が住むという東の森を目指した。その森は水と食物にあふれ何者も飢えることのない楽園とされた。キャニオンが狩った熊は王の中でも特別な王であった。キャニオンは勇猛さと賢さを兼ね備えた英雄だった。しかしホピはどの子供よりも聡明ではあったが貧弱でもあった。そんな体でどれほどの力を持つかもわからない熊を狩れるだろうか。ホピは妹から贈られた短刀と弓矢しか持っていなかった。それでも変わらぬ決心を胸に東の森を目指した。
数週間たった頃だろうか。水も食料も尽き欠けた時、東の果てに広大な森が現れた。森は昇る朝日の逆光を浴び神々しく輝いていた。ホピは馬を降り鳥の声があふえる森をしばらく眺めた。この森に王がいる。王の中の王がいる。狩らねばならない。生命の頂点に立つ生命を狩り、生命の謎を解き明かしたい。ホピは熊を狩る際、作戦を決めていた。それは泥にまみれて臭いを消し油断した所を襲うと言うものだった。ホピは泉を見つけると丹念に髪の毛の先からつま先まで洗った。そして泥を体中に塗りたくり臭いを消すと、弓と短刀を持ち森へ分け入った。しかし熊を狩るといっても森の中は想像以上の広さだった。突然、ホピの前にどうやら飛べないらしい鳥が現れた。飢えている今、鳥を狩り焼いて食べたらさぞかし美味い事だろう。だがそれでは初狩の獲物が鳥になってしまう。空腹をこらえながらホピは森の奥へ進んだ。
様々な獣に出会いながらホピは熊の王を探した。そして鹿の中の王であろう白い鹿と出会った。ホピは無言でこちらを見つめる鹿の王に語りかけた。
「鹿の王よ。私は獣だ。熊の王に話がある。案内してくれないか」
白い鹿はしばらくホピを眺めたあと答えた。
「王を見た者はいない。王に食われた者もいない。あきらめるがいい」
それを聞くとホピは食い下がる様に答えた。
「鹿の王がいるのなら熊の王もいるはずだろう。どうか教えてくれ」
鹿の王はしずかに答えた。
「熊の王は病に伏せている。誰とも会わない。あきらめるがいい」
驚きながらそれでもホピは語りかけた。
「それでもかまわない。私は熊の王に会わねばならない」
少し瞳を閉じて鹿の王は答えた。
「会いたいならば赤い泉へ行くがいい。だが人の子よ。人は王にはなれない」
そう言い残すと白い鹿は森の中へと消えていった。
鹿の王と別れた後、人は王にはなれないという言葉の意味を考えながら、ホピは赤い泉を探した。生命の頂点に人があるなら当然、王になれるはずだ。又、獣たちが友であるなら人もまた生命の家族であり王にもなれるはずだ。自問自答を繰り返しながらホピは神聖さを増していく森の奥へと進んでいった。そうしてホピはついに赤い泉へと辿り着いた。だがそこはホピが想像していた場所ではなかった。赤い泉には骨や肉がむき出しとなった獣の死骸が散乱し、その血が泉を赤く染めていた。そしてその泉の中心には小さな島があり、金色のやせ細った小さな熊が横たわっていた。熊の王だった。ホピは驚きを隠せずしばらく立ち尽くした。偉大なる熊の王。神聖なる森の王。ホピが想像していた姿とはあまりにかけ離れていた。
ホピは叫んだ。
「熊よ。そなたが熊の王か。金色の熊よ」
熊の王は眠るようにみじろぎもせず答えなかった。
ホピは繰り返した。
「熊よ。金色の熊よ。そなたが熊の王か」
ホピは赤い泉に入り島へと進んでいった。もう作戦もなにもなかった。ホピは語りかけた。
「金色の熊よ。わたしはそなたを狩らねばならない。いま行くぞ」
熊の王は少し身を起こしホピを見た。そして答えた。
「いかにも私が熊の王である。森の王だ。人の子よ」
ホピは獣の死骸の中を進みながら語りかけた。
「ならば私に狩られるがいい。わたしは真理を明かさねばならない」
それを聞いて熊の王は狂ったように答えた。
「この森はもうすぐ滅ぶだろう。王が滅べば森も滅びる。私が獣たちを狩り、飢えを癒しても森は枯れるだろう。人の子よ。殺すなら殺すがいい!」
血まみれになりながら島に登るとホピは金色の熊を見下ろした。ホピが手を下さずとも王の寿命は尽きているようだった。あばらは浮き出し立ち上がることもままならないようだった。ただ金色の毛並みだけが美しかった。
「金色の熊の王よ。真理をいただく!」
そう叫ぶとホピは短刀を熊の王の眉間に突き刺した。
その瞬間、ホピはすべを悟った。だが真理はあまりに膨大で言葉にできるものでもなかった。ホピは絶命した熊の王の肉を食べた。そうするとまたホピに真理が流れ込んだ。だがそれもまた言葉にできるものではなかった。ホピは金色の皮を剥ぎ取るとそれを纏い、赤い泉を眺めた。血の泉は命とは尊い犠牲の上に成り立っていることを諭すかのようだった。そして馬の肉で飢えをしのぎながら村への帰路についた。
村へ帰るとホピは英雄となった。盛大な宴が開かれ、白い毛皮と金色の毛皮を纏い、村人たは大地へ感謝の舞踏を捧げた。宴の席でホピはなにも口にせず、目を閉じ何か考えているようだった。翌朝、宴の夜が終わるとホピの姿は村から消えていた。その後、何年もホピの姿を見た者はなかった。それから数十年がたった頃、村にひとりの老人が現れた。やせ細った老人は美しい金色の毛皮を纏っていた。そして白色の鼠を村人に渡すと、その肉で宴を開くようにと伝えた。そう言い残すと老人は微笑み立ち去って行った。村人たちは変わり果てた英雄の姿に涙した。英雄に言われた通り、宴を開き、鼠も熊も村の宝として大切に守ったのだった。
ホピは東の森にいた。ホピは金色の毛皮を愛おしそうに撫でながら、森の命に語り掛けた。
「花よ。お前はどうして咲くのか。花の命は短いというのに。悲しくはないかね」
花は答えた。
「あら。花を美しいというのは人間だけですわ。悲しい生き物だこと」
それを聞くとホピは花を口に含んだ。
「狼よ。そなたは賢い。だが狡猾に獣を狩っては卑怯ではないかね」
狼は答えた。
「食べるために祈るのは人間だけだ。悲しい生き物だな」
それを聞くとホピは祈った。
「猪よ。そなたは勇敢だ。だが肉が美味しいあまり狩りつくされる。辛くはないかね」
猪は答えた。
「美味しさを求めるのは人間だけだ。無慈悲だと思わないかね」
それを聞くとホピは土を味わった。
「鼠よ。そなたは弱い。そして汚いと嫌われる。悲しくはないかね」
鼠は答えた。
「私を汚いというのは人間だけだ。私は美しい」
それを聞くとホピは目をつぶった。
「木よ。そなたには口がない。語れないのは悲しくはないかね」
木は答えなかった。
ホピはただ流れる風の音を聞いた。
ホピは自らに問いかけた。
「私は王になったはずだ。だがこの悲しみはなんだろう」
ホピは思った。赤い泉と金色の熊の事を。
「人間は身勝手だ。王になどなれようか。なんて小さな生き物だろう」
ホピは立ち上がると泣くことにした。
「命は美しい。分け隔てなく、雄大で、か弱く、あるようにある」
ホピは太陽となり雲となり雨となった。
「私は恥ずかしい。だがまだ生きている。その日が来るまで」
そうしてホピは大地となった。