ウシ
北海道に、ソロツーリングに行ったことがある。
ソロツーリングとは、一人でバイクで走ることだ。
こう書くと、根っからのバイカーのように思われるかもしれないが、実際は真逆だ。
バイクに乗ったこともなければ、旅行した記憶もほとんどなく、一人で店に入ったことすら無い。
そんな私がノリと勢いで、バイクの免許を取り、バイクを買って、連休が取れない職種の会社を退職し、北海道まで走ってきた、まったくもって無謀な旅行だった。
一応、女性ということで、毎晩の宿だけはちゃんとしたところを予約した。
方向音痴のくせにキチンとした地図さえ持っておらず、迷ったら人に聞けばいい! と旅立ったが、案の定、一日に一回は迷子になった。
海岸線沿いを走るのだから、迷うことはないと単純に考えていた私の頭は役に立たないほど単純なつくりでしかなかったと、たくさん後悔した。
道はまっすぐではない。
ぐにゃぐにゃ曲がり、自分が今どの方向に走っているのかが、わからなくなる。
ガラケーだった私の携帯は、ナビができるわけでもなく、頼みの方位磁石が壊れた時が、一番絶望した。
その上、店に入る→出る→自分がどっちから来たか、覚えていないのだ。
なんとお粗末な頭の中身だ。
店があるうちはいい。
2時間走ってコンビニが一件も見当たらないことなどザラにある。
街は、国道を脇道にそれた場所にあるので、店も脇道に入らないと無いと教えてくれたのは、旅の終盤で会った人だった。
北海道の人は、優しかった。
人を見つけるたびに道を聞き、人間の温かさに目が潤んだ時もあった。
旅の恥はかきすて。
自分は思っていたより、図太い人間だった。
そして必要に迫られれば、なんでもできるものだと思った。
北海道の国道は、幅が広くて、まっすぐで、信号が無い。
時速60キロで走っていたら、一時間で60キロの距離をかせいでしまう。
一日300キロほどの予定で組んでいたから、早い時は午前中で目的地についてしまう。
チェックインの時間まで、その辺をうろうろしていた。
旅行の経験が無いので、時間をつぶすことに慣れていなかった。
初めは身の置き場に困り、不安げに当たりを見回していた。
どこに行けばいいのかもわからない。何があるのかもわからない。なまじ遠くに行って迷子になっても困る。
一番の心配は、不審者だと思われて、通報されたらどうしようというものだった。
小心者の私は、コンビニを「避難小屋」と呼び、そこで心と体を落ち着けることがたびたびあった。
慣れてくると、駐車場の縁石に腰かけて、晴天に映える自分のバイクを見ながら、そこで買ったパンをもぐもぐできるようになった。
すれ違うスーツ姿の男性が、私を見て笑いをこらえるようにしていたが、あれはどういう意味だったのか、いまだにわからない。
悪意は全く感じなかったから、単純に縁石に腰かけてパンをかじる人間が珍しかったのだろう。
天気が良くて気温が高い時は最高だった。
これぞ北海道! という、言葉に言い表せないほど、一面すがすがしい風景だった。
むしろ、すがすがしくないところが無かった。
視界に入りきらないほど続く、緑の牧場、巨大な干し草ロールと、牛、牛、牛。
風は涼しく、太陽はあたたかい。
バイカーが、これを求めて北海道にやってくると言われて、納得せざるを得ない、素晴らしい風景だった。
語呂が少なくて、申し訳ない限りだ。興味のある方は、ぜひ夏の北海道を訪れていただきたい。
気温が10度をきる雨の日は、体感温度がマイナスになった。
バイクは風を受けるので、とても寒い。
仕方がないので、大声で歌を歌いながら走る。
歌うと、すこしだけ体温が上がる。
メットの中で、自分の声と雨音が響くのを楽しむしかない。
持ち歌が尽きると、適当に歌う。
シンガーソングライターだ。
一日に5曲は作った。
国道沿いには、海か林か牧場しかない。
牧場には牛がいる。
馬好きの私は期待していたが、行けども行けども牛しかいない。
そして、臭い。
牛糞の匂いが、鼻につく。
空も地面もこんなに広いのに、あんなに匂いがこもるのは、なぜだろうか。
ものすごく強烈で、だからこの匂いを嗅ぐと、この夏の旅行を思い出す。
話は変わるが、私は牛タンが好きだ。
肉の中で一番好きだ。
このあいだ、5年ぶりぐらいに焼き肉屋の食べ放題に行った。
食べ放題にもランクがあり、それによって値段が変わる。
だいたいどこも、牛タンが入るランクは高い。
豚タンなら安いのに。
豚タンを食べたことのない私は牛タン一択だ。
5年ぶりなのだから、何百円の差で、罰は当たらないだろう。
牛タンと言えば、ネギ塩牛タンが有名だが、私には味が濃すぎる。
「牛タン」を頼み、その瞬間の気分によって、塩、あらびき黒こしょう、レモン汁、サンチュに巻いて、タレにつけて、と味変をしたいからだ。
すぐ焼けるのも嬉しい。
せっかちで飽き性な性格に、牛タンはぴったりなのだ。
そんな私が、唯一続いているのが、文章をつづることだ。
心の底から、いや、魂の底から、話を作り上げるのが好きだ。
寝る直前まで空想にひたり、夢でも冒険し、話を考えながら目が覚める。
空想を文章に直す作業が、苦しいようで楽しい。
できあがった瞬間の高揚感は、何物にも代えがたい。
せっかちな私は、自分の遅筆さに閉口しながら、言葉をつむいで文にする。
牛のようにのろのろと、今日も私は、文章を書いて、生きている。