絵師の視る世界
先日 ちはや れいめい さまの作品にレビューを書きました。
レビューの題名は「絵師の視る、世界」
題名は8文字以上という決まりで「、」を加えましたけれど。
この言い回しが自分で気に入ったので、このお題で一文を捏ねました。
文中の巨匠は「絵師」でなく「画家」と呼ぶべきですが、そこはご容赦を。
ピカソの作品に「ゲルニカ」という絵があります。
言わずと知れた巨匠の大作。
色々な意味で大作で、横幅は7m 77 cm だそうです。
この絵、長い間アメリカ合衆国にありました。
ずいぶん前のことですけれど。
異国の大都会をひとりで彷徨うこと3日目、私は美術館へ足を運びました。
「きょうは時間がたっぷりあるからの」
隅々を見て回り、見つけた階段をてくてく昇っていくと、正面の壁に。
ど〜〜〜ん!
とあったのです。ゲルニカが。
そこは「階段の踊り場?」と言いたくなるような狭いスペースで。
周囲には誰もおらず、仕切りのロープも作品名の表示もなく、突然に。
チョット待テ。
コレでいいのかニューヨーク近代美術館?
ともあれ、私はゲルニカとサシで対面する機会を得ました。
しばらくあっけにとられてポカンとしていたと思います。
再起動を果たした後、じっくり観賞させていただくことにしました。
すると。
もう、絵の周りだけ違うのです。空気が。
暗く重く粘っこく、手で触れそうなほどです。
そして天からは一筋の光。
数歩近づいて至近距離から眺めます。
泣き叫ぶ母親、ゆがんだ顔、ちぎれた腕に折れた剣。
描かれた題材の凄まじさはもちろんですけれど。
透けて見えるのです。
塗りつぶされた無数の下描きの線が。
それまでは天才は迷いなく線を引くというイメージでしたが、違うのですね。
1本の線を求めて、何度も何度も描き直した跡がはっきりと見えました。
圧倒されました、執念に。
ピカソには視えていたのだと思います。
映画のように、ではなく、まさにこの絵のように。
スペイン内戦で廃墟となった地方都市ゲルニカ。
そこで理不尽な暴力によって蹂躙される無辜の魂が。
まぁね。これは極端な例ですけれど。
私は書店の隅で手描きイラストのついたPOPを見つけたときも思います。
絵を描く方々は、たぶん、視ている世界が違うのだろうな、と。