最良の日
見直ししてたら、ものすごく長くなりました。
なので、2話に分けました。
予告のタイトルは次話になります。
本日中にもう一話あげます。
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私は足早に向かう。
目的の場所へ近づくにつれて、強くなるいい匂い。
「シリウス!」
いい匂いの発生源。我が家の厨房に躊躇わずに飛び込めば、紺色の髪の青年が手を小麦粉で白く染めたまま振り返った。
「やあ、お帰り。ジェシカ。もう、お世話は終わったのかい?」
シリウス・トリントは、我がレプシウス男爵領の隣にある、トリント子爵家の三男で幼馴染だ。
「うん。みんな、元気で気持ち良さそうだったよ!」
「……お嬢さま……。良いお年になったのですから、馬の世話などお任せしてはいかがですか。それに、こちらに参られる前に身を綺麗になさっておいででしょうね」
シリウスの隣で、指導をしている我が家の料理長ルイスが、やれやれと言った表情を見せる。
生まれる前からこの家の厨房を任されている彼は、身内同然だったから無礼とは思わない。
「もう、何度も同じ言わないで。馬の世話は好きでやっといるのだし、ここに来る前には着替えて来ているわ。」
そう言いながら、彼らの前に並べられた料理の皿から、小さな焼き菓子をつまむ。
「そうしないと、シリウスの料理が楽しめないじゃないの」
そのまま、ぽいっと口の放り込む。
ザクザクとしたライ麦の焼き菓子は私の大好物。それに今日は特別にはちみつも入っていて更に美味しい。
「お嬢様っ!」
「うん。今日も美味しい!シリウスはやっぱり料理が上手よね」
「いつも、そう言ってくれてありがとう。ジェシカ」
「…シリウスさま。あまりお嬢様に甘くしてはいけませんよ。例えお嬢様が貴族令嬢でなくと
も、よろしくない振る舞いなのですから」
「まあ、そう言わないで。そんな事を言ったら、私だって改めなければならないのだから」
顔をしかめる料理長を余所に、シリウスは困ったような笑顔を浮かべた。
私の父は元々平民で、武勲によって男爵家の令嬢を妻に迎え、その位を得た。
代々騎士を勤めているトリント子爵家とは、当代が父に自分の息子達を鍛えて欲しいと言って来た時からの付き合いになる。
トリント子爵家は上から、長男、長女、次男、三男、次女の4人。
レプシウス家は、兄と私と妹の3人。
みんな仲がいいけれど、中でもシリウスと私は『変わり者』と言われていた。
トリント家の上二人は騎士になっているし、実兄は後継者として剣技を磨いている。
けれど、私は食べる事が大好きで、令嬢らしくはないし、シリウスは何かを料理が大好きで、騎士の家と言われるトリント家に似つかわしくない。
平民上がりの男爵家では許容されてた私はともかく、トリント家では厳しい目が向けられたシリウスは、家を誇りに思うが故に悩んでいたようなのだけど、それに気づいた父が、トリント子爵に申し出たのだった。
『趣味の範囲でなら問題ないでしょう。よろしければ、それは我が屋敷でされては如何でしょうか。私の家には客もなく、家族のみではありますが、シリウス殿の料理ならば、子供たちはむしろ喜んで味見をしたいと申すでしょう』
無理に抑え込むよりも、ある程度認めてやれば、他の事も前向きに励むようになるのではないか、という父の言葉に、一理あると見たトリント子爵はこれを許し、シリウスは我が家に料理を作りに訪れるようになったのだった。
自分の父ながら、その提案は素晴らしいと思った。
実際にシリウスは、ルイスの手解きを受けてめきめきと上達し、こんなに美味しい料理を作れるようになったのだから。
「そうよ、ルイス。シリウスの料理はこんなに美味しいのに、止めなさいといいたいの?」
「シリウスさまの才と、お嬢様の振る舞いは一緒ではございませんでしょう。」
ルイスはため息をついて、もうひとつと手を伸ばした私に冷たい視線を向けた。
「これ以上はダメですよ、お嬢様。今日は喜ばしい日なのですから」
「あっ、そうね。……サンドラの為の味見はこれで終わりにするわ」
「サンドラお嬢様が理由ではなかったでしょうに…」
ルイスの小言を、私は笑って誤魔化した。
そんな私にシリウスは問いかける。
「サンドラももう15になるのか……。ジェシカ、そんな日に、本当に私の料理を出しても良いのかい?」
「何を言ってるの?サンドラだって、シリウスの料理は大好きなのよ。誕生日は好物を用意する事がお祝いのひとつだし、あの子の希望でもあるのだから気にする事なんて何もないわよ」
「そうか」
私の言葉に、シリウスはやっと優しい笑顔を浮かべた。
妹のサンドラは、小さい頃から体が弱く、ほとんどベッドの上で日々を過ごしている。
とても長くは生きていられないだろうと言われたサンドラは、今日15歳の誕生日を迎えた。
15歳ともなれば、成人の年ではないけれど、本格的に将来に向けての道が示される年だ。
だから、サンドラがそんな年になったことを家族の誰もがとても嬉しく、今日の祝いの席は去年までより豪華にと思っていた。
シリウスは我が家で料理を振る舞い、サンドラとも仲良くしてくれた。
私とシリウスとサンドラの3人で料理の試食をしたり、ただ話をしたり。
後継者としてやるべき事が多く家にあまりいない実兄よりも、サンドラの話を聞いてくれるシリウスはずっと優しい兄だったのだとおもう。
そんなシリウスの料理は、確実にサンドラを喜ばせるだろう。
改めて、並べられた料理を見渡してふむふむとうなずいていると、シリアスは小さく吹き出した。
その際に拳を口に当てたので、あっという間に口周りが真っ白になってしまった。
私もルイスもそれを見てまた笑う。
そこへ。
「失礼します、ジェシカお嬢様、花屋が参りました」
家族それぞれが祝いの席を彩るために、色々と手配をしていて、花は私の担当だった。
「もう、そんな時間なの?じゃあ、行かなくちゃ」
「シリウスさまも、ご用意下さいませ。後の仕上げはお任せ下さい」
「ありがとう。そうさせてもらうよ。……こら、ジェシカ。いつまでも笑わないで」
「仕方がないじゃない。早く洗った方が良いわよ」
そう言いながら、厨房を出たところで、私は花屋の元へ、シリウスは着替える為に別れた。
歩いている内に、知らず知らず鼻唄を歌っていた。
思っていたより、ずっと楽しい。
今日は最良の日になるはずだわ