リリアーナと王太子殿下の夜
すみません。
めちゃくちゃ長くなりました。
「リリアーナさま、本当によろしいのですか?」
「ええ。これで良いのです」
退室前に侍女のルーサが念をおして来ましたが、私は頷いて答えます。
困ったような、不服そうな表情を見せる彼女に、思わずくすりと笑ってしまいました。
今夜は、初めて王太子殿下が第一側妃である私の宮へお越しになります。
ルーサはその先触れが来て大変喜び、その感情を露にしながら1日かけて私を磨きあげました。
それなのに。
今の私の姿は、殿下のお越しを待つ妻の装いではありません。
ルーサら侍女によって磨きあげられた体の上に夜着を纏っていますが、勧められた女性らしいものではなくいつもの質素なもの。
しかも、その上に部屋着を重ね着しているのです。
殿下の訪れを歓迎していない証、ともとれるでしょう。
「ルーサ。私と殿下は二人でお話したことも、まだそれほどないのです。まずは、その時間をとらなくてはね?」
「…畏まりました」
傍らに置かれた酒肴に目を向け言い含めると、ルーサは表情を改めて一礼をして退室しました。
ルーサは、私が側妃になってから一番近くに仕える侍女でした。
それぞれの宮に仕える侍女たちは、その宮の主に殿下の関心が寄せられるかにかかっています。
それは侍女自身の評価にもなりますが、ルーサは何故か私自身に好意を寄せてくれていたようでした。
王太子殿下の、王太子妃セシリアさまへの溺愛は誰もが知るところでありましたし、これまで、私が殿下の寵愛に関心を持たなかった事を知っていたでしょう。
そこへ、今まで見向きもしなかった名ばかりの側妃への殿下の訪れ。
主に合わせて、ルーサもその姿勢でいてくれたのでしょうが、流石に感情を隠せなかったようです。
生き生きとして私を磨き上げる様も、その成果を隠す私の振るまいにもったいないとすねる様も可愛らしく感じます。
そんな彼女には申し訳ない気持ちもありますが、私はこれで良いと思っていますから、許してもらいましょう。
ふふふ、とそう思って笑っておりますと、殿下がお越しになりました。
「リリアーナ・エルトリト、か」
「はい。殿下」
殿下の妃になるのですから、エルトリトの姓はなくなります。ですが、ここであえて仰るのは、殿下と私の距離の証でしょう。
ここに来ても側妃を迎え入れる心が決まっていない自分に気づいたのか、殿下は気まずそうな顔をなさいましたが、私は否定せず笑って受け入れたので驚いたようでした。
こちらは殿下の気持ちを最初から承知していますので、気にはなりません。
「殿下。少しお話をしませんこと?」
ルーサに調えてもらった、寝台の側の小さな酒席に視線を向けると、殿下に警戒の表情が浮かびます。
私は気にせず席に近づき、微笑みました。
「お気持ちはわかりますわ。でも、私も殿下の事をよく知りませんのよ。ですから、お時間を頂きたいのです」
どうぞ、と席を指す私の手が震えているのに気づいて、殿下は警戒を解き席につきました。
私も席について、思わず安堵の息をついた所をじっと見つめています。
その視線に気づかぬ振りをしながら、二つの杯に酒を注ぎます。
「リリアーナ。君は……私が怖いのか」
あまりに素直な問いに、思わず呆気にとられて殿下を見てしまいます。
そのお顔は真剣で、冗談を仰っているのではないとわかると、なんだか可笑しくなりました。
ふふふ、と笑ってしまい、体の力が抜けてしまいました。
「それにお答えする前に、こちらをどうぞ。…ああ、念のためにお味を確認した方がよろしいでしょうか」
「いや、構わない」
毒見をしようとした私を止めて、殿下は杯の一つを手に取ります。ならばと、私達は軽く乾杯をしました。
こくん、と一口。
お酒の酒精がじわりと体をめぐります。
さあ、殿下と向き合う力をちょうだい。
「…殿下。先程のご質問ですが、正直に申せば怖いですわ」
「何故?」
「王太子殿下でいらっしゃるし……。そもそも、身内以外で異性の方とこれ程近くでお話する事がありませんでしたもの」
「君は、デビュタントを終えているはずだ。夜会には出ていなかったのか?」
「夜会はあまり好きではありませんでしたの。ですから、必要最低限だけ。直ぐにお暇させて頂きましたわ」
「ほう。夜会は人との繋がりを持つ場でもあるのに、珍しいな。エルトリト候は何も言わなかったのか?一応、侯爵令嬢だろう?」
「私にとっては幸いな事に、父は無理をしてまで出る必要はないと言ってくれましたわ」
娘を愛しているから、というよりは私の気性をよく知るがゆえ、といったところでしょうか。
遠くから見ているのならともかく、そもそも堅苦しい催し物自体が好きではない為、直ぐに疲れてしまうのです。
参加する度に疲れた様子を見せる私に、お父さまは諦めてしまったようです。
「なるほど……それは羨ましくもあるな」
お父様を思い出していると、ぽつりと殿下が言葉を漏らしました。
「殿下?」
「あ、いや。……私はそうはいかぬゆえ、な」
「…そうですわね。そういえば、デビュタントでは殿下と一曲踊らせて頂きましたわ」
「私と?」
「殿下は覚えていらっしゃるしゃらなくて当然ですわ。何人もいたのですもの。でも確かに、あれは私のように直ぐに退室する事が出来ない催しですわね」
デビュタントは社交界での御披露目の場。
この時ばかりは、王族と一曲踊る事が出来るのです。
ですが、王太子殿下からすれば初めて社交界に出た令嬢らと踊り続けなければなりません。第二王子や他の王族と交代しながらでも、大変な事でしょう。
「あの時、私は緊張していて、早く殿下と踊って、早く帰りたいとばかり思っていましたわ。でも、殿下はそれよりも大変な思いをされていましたのね」
「早く帰りたい……。ははっ、それは酷いな…」
私も殿下も、お酒の力によって少し心が解けてきたようです。
向き合う姿も、交わす言葉も程よく力が抜けています。話の中に無礼があるのに、私は大丈夫であろうと思って話しますし、殿下も小さく笑って許して下さいます。
「殿下、お聞きしてもよろしいですか?私は疲れてしまった時などは、本を読んだりして過ごすのですけれど、殿下はどんな事なさいます?」
「私か?そうだな……」
私と殿下は言葉を交わし合います。
お互いを知る為というよりは、二人でいることに慣れるためといった感じで、他愛ない事を話合います。
夜の雰囲気にふさわしく、静かにゆったりと。
そんな中で、私は殿下のお姿を初めてじっくりと見ることができました。
王族直系の証である色の髪と瞳をもち、ほとんどの女性が見とれるくらいの美貌。
体つきもがっしりとしていて、杯を握る手も男性らしいのに、仕草にどことなく色気を感じます。
アメリさまと婚約をされていた方。
セシリア嬢と結ばれた方。
その方が目の前にいる事が、奇妙に感じます。
私にとっては、昔から遠い存在でありましたし、アメリさまを傷つけた酷い方ですし、そして夫になる方なのです。
考えれば考える程、今の状況を奇妙に感じてしまいます。
私は一体、何をしてるのでしょうー。
「リリアーナ?…疲れたのか?」
はっと気づくと、殿下が私の表情を窺っていました。
そして、置いた杯の側にあった私の手を包む、ぬくもり。殿下が私の手をとっていました。
思わず、身を震わせその手を凝視してしまいますと、殿下は苦笑しました。
「まだ怖いか」
そう言うと、殿下は手を離そうとしましたので、咄嗟にその手を逆に掴んで引き留めます。
そうでした。
私は、王太子の側妃としてここにいるのでしたわ。
「リリアーナ?」
「…今は、ここまでなら大丈夫のようですわ。少し、殿下に慣れたようです」
「慣れたとは…。ははっ、リリアーナは面白いな」
殿下はそう言うと、握る私の手を反対側の手で触れようとして一瞬躊躇し、気遣うように上から軽く数回置きました。
「今宵は、ここへ来てリリアーナと話して過ごした時間は楽しかったと思う。だから、無理をせずともよい」
「ですが、私は側妃としての務めを果たさなくては」
「リリアーナ」
遮るように殿下は私の名を呼びました。
「怖がる女を無理に抱く気はない。そもそも最初は、ここへ来る事すら止めようと思っていたのだ。だが、思いもよらず良い時を過ごす事ができた。だから構わない」
殿下の言葉に、正直安堵致しました。私の心はまだ、覚悟ができていません。
殿下の言葉を受けて、手を離そうとしました。
しかし、その瞬間、王妃さまの顔が浮かびました。
『王太子も側妃を受け入れる事を決めたようです。しっかり務めなさい』
「リリアーナ?」
離しかけた手にまた力が入ったのに気づいた殿下は、私の名を呼びます。
「……あら、殿下のお言葉に甘えようと思いましたが駄目ですわ。殿下が部屋へお戻りになったら、私が務めを果たさなかったとわかってしまいます」
「どういう……、ああ、なるほど、そういうことか」
殿下は私から視線を外して、空を見上げ、何かに思い当たったようで眉をしかめています。
恐らく殿下も陛下か王妃さまから、世継ぎの話をされているのでしょう。
私達、側妃を受け入れた理由の一つでもあります。
「私を理由にしても構わないが……。こちらも色々口を出して来る者がいるのだった」
恐らく殿下も陛下か王妃さまから、世継ぎの話をされているのでしょう。
それは、私たち側妃を受け入れた理由の一つでもあります。
先程の何かを思い出したような仕草をしたのは、それなのかもしれません。
そして、殿下はふうと大きくため息をついて、背もたれに寄りかかりました。
私と話をするまでは見せまいとしていたのでしょうが、実は随分とお疲れのようです。
どうしましょうか。
やはり、殿下と一夜を過ごすしかないでしょうか。
それに、先ほど殿下は無理強いはしないと仰っていました。
それを信じてみましょう。
「………殿下。今日はこのままお体を休めて下さい。私どもは殿下のお子を産むのも役目ですが、一番大切なのは殿下のお体です。私の事は気になさらず、この機会を使ってくださいませ」
殿下は目を瞬かせました。
私が前言を翻したような事を言い出したからでしょう。戸惑いを隠せない表情を見せます。
「……流石に今夜は第一側妃の部屋に留まると誰もが思っているだろう。自分の部屋に戻る訳にはいかない」
これはやはり、私と殿下のこの一夜は見守られているということはなのでしょう。
それを意識すると恥ずかしく思いますが、致し方ありません。
「ええ。ですから、この部屋をお使い下さい。僭越ながら私もご一緒しますが、余程の事がない限り私達の時間を誰も邪魔はしないでしょう。少々の寝坊も許されるとは思いませんか?」
敢えて悪戯を誘うよう戯けて見せました。
私の精一杯です。
「リリアーナ、本気か?」
「殿下は、私が今宵お役目を務めなくてもよいと仰って下さいました。ならば、私はそれを信じ、その上で出来る事を申し上げたまでですわ」
「…大丈夫なのか?」
「はい。慣れたと申しました」
「ほら大丈夫でしょう?」と繋がる手を揺らしますと、殿下は唖然とした表情から、くっくっくっと笑いだしました。
「君は本当に面白いな……。わかった、その案に乗ろう」
そうと決まれば、早く体を休めようと私達は立ち上がりました。
手を繋いだまま寝台に近寄った殿下は、するりと外して、寝台の掛布を取りました。
そうして、私の前で大きく広げます。
「殿下?」
「その部屋着は脱ぐのだろう?私の前ではまだ抵抗があるだろうから、これで体を包め」
確かにと思う私を、殿下が早くと催促します。
促されるまま、殿下に背を向けて部屋着を脱ぎ夜着姿になると、後ろから大きな掛布に包まれました。
ぐるぐると巻かれる様に、私何かの荷物にでもなったかのようで、思わず笑いがこぼれてしまいます。
「どうした?」
「いえ。随分と丁寧な包装で……ありがとうございます」
くすくすと笑って振り返って視線を上げれば、薄着姿の殿下と掛布のない寝台が見えました。
待ってちょうだい。
私はこれで充分に暖かいけれど、このままでは殿下はお体に障るではありませんの。
「で、殿下。侍女を呼びますわ。掛布をもう一枚用意させます。ですから、一旦解いて下さいませ」
焦る私に、殿下は何か考えるようにじっと見つめてきます。
「今から呼べは、余計な憶測をされよう。……リリアーナ、少し試しても良いか?」
「殿下?」
「許せ」
そう言うと、殿下は後ろから壊れものに触れるように私を抱き締めてきました。
更に暖かいものに包まれ、逞しい男性の腕を感じ、耳元で殿下の息が感じられて、鼓動が急激に激しくなっていきます。
どういう事なの?
殿下は約束を破るつもりなのかしら?
でも本来は当然の事ですし。
ここで騒いでは、侍女らがやって来てしまう。
「これ以上は何もしない。どうだろう。大丈夫か」
宥めるように、殿下は耳元で囁きます。
ですが、思考がぐるぐると回ってしまいます。
「………ひゃあ……」
驚いているけれど、騒いではいけない。
そんな気持ちから、なんとも情けない声が出てしまいました。
すると、耳元で息を飲む気配がし、殿下がまた声を殺して笑い始めました。
「大丈夫。大丈夫だ。本当に何もしない。……ただ、流石に冷える恐れがあるから、リリアーナが大丈夫なようなら、こうしてそれを防がせてくれ」
耳元で笑い続ける殿下の様子に、少し落ちついてきました。
まだ不安も残りますが、殿下の言うこともわかります。私は頷きました。
すると、突然体が浮きました。
私は殿下に抱き上げられていて、そのままそっと寝台の上に横たえられました。
掛布に包まれた私が、殿下の様子を視線で追うと、彼は私から離れて夜着姿になり灯りを消したのです。
一瞬にして暗闇になり、窓からもれる月明かりのみの部屋になりました。
急激な変化に目が慣れぬ内に、寝台が揺れて私の橫に気配が迫ります。そうして再び、私は殿下の腕に囲われたのでした。
「まさか、このような夜を過ごすとはな……」
ほうと息をつき、殿下は呟きます。
「誰かと添い寝だけをするなど、初めてだ」
「…子供の頃にもありませんでしたの?」
「ないな。……リリアーナは?」
「怖い夢を見た時など、母が付き添ってくれました」
「…そうか」
殿下は黙りこみました。
王族は、家族のあり方が、私のような貴族とは違うのでしょう。
背中側から抱き込まれておりますので、殿下の表情を窺う事ができません。
「初めてと仰るなら、貴重な体験ですわね。こんな姿で申し訳ありません。何でしたら、どうぞ懐を暖めるための道具とでも思って下さいまし」
耳元の殿下が笑いで揺れる気配がします。
「確かに暖かい。だか、道具にしてはおしゃべりだし、どちらかと言えば小さな動物を抱いているようだな」
「…その仰りようは、色々思うところもございますが、ご不快でなければよろしかったですわ」
横たわったことで、お酒のせいもあり眠気が込み上げてきます。はしたなくとも欠伸が出そうになって堪えましたが、くふっと小さく漏れた息に、殿下は気づかれたようです。
「そうか、疲れたな。……リリアーナ、もう休め」
「……はい……殿下もお休みなさいませ」
囁かれる殿下の声を耳にしながら、私は眠りに落ちていきます。その途中、大きな手が優しく頭を撫でていたような気がしたのですが、それは夢だったかもしれません。
こうして、私は王太子殿下と初めての夜を過ごしたのでした。
アメリの友人としての自分。
臣下としての貴族の自分
夫を支える妻としての自分。
リリアーナの中には、こんなのが混じりあっています。
だからこそ、ムカつく相手であるはずの殿下との距離を図りかねていたりするのですが、上手く表現出来なくてスミマセン。
次は「王太子と第二王子」です
幕間はそこまで。続きは2幕となる予定です。