私のエピローグ 前編
シンシアさまの出産からおよそ1ヶ月経ちました。
城の中に用意してもらった部屋で、私とルシーダさまは様々な事を取りまとめる執務をしています。
送り先にあった時候の挨拶をしたためた手紙の確認。
異国からの来客の訪問日程の確認、もてなしの手配。
特使からの招待状と出席有無の確認。
周辺国の流行りと異国が興味をもつ我が国の流行りの調査報告を確認、など。
私に任されているのはもてなしだけですが、これも満足してもらうための大切な下準備です。
「シンシアさまがいらっしゃらなかったら、どうなっていたかしらね」
ルシーダさまは、ため息をついてこちらをみて笑いました。
シンシアさまは、産後間もないために今は子とゆっくりと過ごしています。
それで、私がルシーダさまの領分、殿下の身の回りの一部を引き受ける代わりに、ルシーダさまはシンシアさまの領分、貴族令嬢や夫人達との交流に励んでいます。
ルシーダさまは社交が苦手というわけではないのですが、シンシアさまがまとめられた、貴族婦人たちの気質や好み、婦人同士の関係やその婦人らの家の状況などの情報は、代わりを務めるルシーダさまの大きな助けになっているようです。
「本当にそう思います。私も、助けられていますわ」
そういう私も、国内向けの夜会を開くに当たって、シンシアさまの情報を元にもてなしの内容を決めたり、私達のドレスの手配をしています。
ああ、ドレスと言えば。
「ルシーダさま。祝賀式典のドレスの意匠図案がたくさん寄せられておりますよ。ルシーダさまの宮へ届けさせますね」
「……まだ、早いのではないのかしら」
「図案ですから。まずはルシーダさまのお好みを知りたいのでしょう。それこそ時間はございますから、ゆっくりと検討して下さいませ」
私は別に分けて置いていた書類の束に視線を向けます。
これらは、近く王太子妃となるルシーダさまを祝う式典や、それによって変わる私たち側妃の役割に関するものです。
ルシーダさまも、私の視線に合わせてそれを見やり、私に問うてきました。
「セシリアさまは、安寧宮に移られたと聞きましたわ。それにしても、安寧宮とは………」
「ええ。今回の事があって名付けられたそうですが、なんとも、皮肉ですわね」
セシリアさまは、元々ご自分に懐妊の兆しがないことに悩んでおられたそうです。
ルシーダさまシンシアさまと続いた側妃の懐妊と、近日の殿下の関心が私リリアーナにあった事で、更に心を痛められました。
そして、思い詰めたあまりに媚薬香を持ち込まれてしまったのです。
媚薬の持ち込みは王太子殿下の命に関わる事。無論、公にして裁かれる事になるのですが、それほどまでに追い詰められて心が病んだ王太子妃に同情する部分があること、王女が生誕されたばかりの時期であること、ラグゼンダール公爵家から王太子妃の辞位の申し出があったこともあって、密やかに事態の収拾を図られました。
そして病床のセシリアさまに、王妃さまが病状が安定するまでは後宮で養生する事を許し、そのための「安寧宮」まで設けられたのです。
これが、公にされたセシリアさまの事情です。
ラグゼンダール家の養子縁組解除や王族系図に残らないよう廃妃手続きの動きがあるようですが、あくまでもそれは噂ということです。
そして、新たに設けられた「安寧宮」。
言葉の通り、安寧に時を過ごしてもらうための宮です。
ただし、この宮は正式名こそありませんでしたが、密かに呼ばれている名はありました。
それは「冷宮」。ニホリ周辺国に実際にあったその名がささやかれていました。
内部に詳しい為に外に出すわけにはいかない、失態したり、不興を買ったりした女性が集められた後宮の暗部です。
宮は高く硬い壁に囲まれ、一旦入れば二度と出ることはありません。衣食住は整えられていますが、それも最低限ですし、病にかかっても手厚い処方はされません。
ですから、誰かが重い病気や移りやすい病気になった時の状況は、簡単に想像ができるでしょう。
そのための高く硬い壁でもあり、そんな所に面会を望む者が訪れる事はありません。一旦、宮に入ってしまえば、生涯その中だけが世界となるのです。
「安寧宮」と名付けられたとしても、その役割は変わらないでしょう。
セシリアさまの未来は決まったのと同然。彼女に言った通り、二度とお会いする事はありません。
全ては、王妃さまが整えられました。
最初から、全てです。
当初は、アメリさまと同じように追放と考えていたようですが、私から聞いたセシリアさまの秘密に危うさを覚え、手元に置くと決められたようです。
「彼女の結果は、彼女の選択によるものですわ」
「それはそうなのですけれど、ね」
なんだか後味が悪いと表情に出すルシーダさまを、優しい方だと改めて思っておりますと、午前終了の鐘が鳴る音が聞こえて来ました。
「こんな時間でしたのね。ルシーダさま、どうぞご自分の宮のお戻りになって」
ルシーダさまは、ご王子と昼食から昼寝までの間を共に過ごされます。
王子は言葉を少しずつ話すようになり、元気に走り回っりしているようです。言葉の意味がわからなくて戸惑ったり、走り回るのに付き合って疲れてしまう事もあるようですが、王子と共にいるルシーダさまはとても幸せそうでした。そんな風景を想像し、私も優しい気持ちになってきます。
「では、また後程」
微笑んでしまう私に、ルシーダさまも笑顔で退室されて行きました。
私は侍女に軽食を持ってきてもらいました。
大きな事が終わったので、少し気が抜けてしまったのでしょうか。最近、たくさん食べてしまいました。
急激な食事量の変化は体調を崩しますから、少し調整しなくてはなりません。
昼食を済ませ、お茶を飲みながら、先日届いたマルセル殿の手紙を読み返しました。
時候の挨拶に始まり、王女誕生へのお祝いと共に、自分にも子が出来た事の報告。そして、またの再会を約束して終わります。
以前に頂いた牛の玩具をルシーダさまと王子に差し上げたのを伝えたためか、その手紙には同じ牛の玩具が添えられていました。
最初の玩具は赤色でしたが、今回は黄色です。念のため検査し、問題がなければシンシアさまと王女の元へ送る事にしましょう。
そうそう。マルセル殿の奥さまに贈り物を用意しなければ。我が国にも何か子供に良い縁起物があれば良いのですけれど。
ルシーダさまが戻られるまでにまだ時間はありました。
別に置いておいた書類に手を伸ばします。ルシーダさまが王太子妃になられるまでの日程表。式典への招待客の名簿、使用品の目録などとは種類の違った書類があります。
まず、セシリアさまの「お友達」になった人達の名簿。これらは、ルシーダさま、シンシアさまの交流関係も駆使して集められた方々です。
王妃さまの言をお借りするならば、陛下を煩わせる膿を持つ家の中から、セシリアさまがお友達にしたいと思われるような男性の方々ですわね。エドゥアルド・リンデンブルグの名の上には線が引かれています。
そして、王太子妃宮で昏睡状態で発見された侍女エリカの状況報告書です。
城務めから退職させて、治療に専念させておりましたが、無事に回復し、シンシアさまの縁ある家に正妻として迎えられたそうです。
彼女には、セシリアさまの動向報告と誘導という重要な役割を担わせ、しかも身体を害させてしまいましたから、心配していました。ぜひとも幸せになって欲しいものです。
更に、私がこれまで手掛けて来た異国の方々をもてなしに際して作成した走り書きの数々。一段落したことですし、一度まとめてしまおうと思ってかき集めてきました。後々他の方が見て参考にでもなればと考えての事ですが、まだこれには手をつけられませんね。
私は、いたずらにかき回して崩した書類の束をそのままに、再びお茶を楽しみます。
王妃さまに命じられた、私たちの役割も一旦は終了。
ルシーダさまは新しい王太子妃になり、王子は次期王太子になるでしょう。
シンシアさまは側妃のまま位は上がる予定で、王女にはラグゼンダール家次期当主の嫡子との婚約の話がすでに上がっています。アメリさまの甥ですわね。
そして、私はー。
「リリアーナさま。王太子殿下がいらっしゃいました」
パチリ、と夢から覚めたような感覚になりました。思っていたより、考えこんでいたようです。
「どうぞ、入っていただいて」
私は立ち上がり、身を整えて王太子殿下をお迎えします。書類が広げられたままですが、執務中ですし隠すものもありませんから、構いませんでしょう。
「リリアーナ」
姿を現した殿下に礼をする間もなく、名を呼ばれ二の腕を捕まれました。顔をあげれば、殿下は険しい表情を浮かべています。
「ー君はこれでいいのか?」
私の腕を掴んだ手と反対の手を私に近づけます。一枚の書類を握り締めていて、それに私の名が書かれている事だけはわかりました。