覚醒
――鳥の国を生きることが真の幸せか。
「……ちゃん!」
透き通った可愛らしい声がする。
(……誰?)
「……ちゃん、まりちゃん!」
その声に私は意識が戻ってきた。まだ、瞼の裏側が乾いていてうまく眼が開かない。
「まりちゃん、まりちゃん!」
「うるさいなぁ…… もう少し……」
いつも布団の中で数度目の眠りに落ちるときのようにうわ言を呟く。
「まりちゃん、起きて! まりちゃん!」
可愛らしい声もまた繰り返される。
瞼の裏にある暗がりに切り込みを入れて、上下に少しずつ押し広げていく。三日月に開けた外に薄黄色い巨大な塊が見える。まだそれが何なのか認識できない。
「起きてよ! まりちゃん、ねぇまりちゃん!」
聞いたことのない弾んだよく通る若い女性の声。
(誰……? 知らない声)
(私はこの声の主を知っている。それもとてもとても私に近い存在)
三日月が半月程になり少しずつ視野がひらけてくる。薄黄色がかった白っぽいような塊はどうもホワホワとした物で包まれている。大きな大きなお饅頭のようだ。
(お饅頭食べたい。あとでコンビニに買いに行こうかな。大量のお饅頭に囲まれたいな)
「まりちゃん!」
開きにくい瞼を無理に押し開け、やや時間をかけて巨大なものに焦点を合わせる。少しずつ覚醒し始める意識とは異なり、その巨大なものは何であるのか認識できない。
(なんだこれ?)
大きな丸い拳大の黒光りしたガラス玉のような物に気づく。それがなんなのか? と思う間も無く、今自分が無理にこじ開けた物と同じ物がそれにも付いていたのだと気づく。
(眼……?)
大きい。
少なくとも、自分の顔についた眼の玉よりも。自分の眼はビー玉大ほどだろう。それについた眼は先週に郷里の父から送ってもらった桃大の大きさもある。
(あの桃、味が濃くて美味しかったな)
ガチゴチの先が鋭い鰹節のような物で肩を小突かれる。いつものように。
「まりちゃん!」
自分の顔のすぐ前に自分と同じくらいの大きさの顔がある。それは人の顔ではない。鳥の顔だ。
全身が三メートル大もある鳥だった。
その大きさを持ってしても愛くるしさに溢れている。CCレモンを頭から浴びせたような透き通った黄色い顏をしている。薄毛のまつ毛が上にかかったグリグリの眼の玉があり、頭の上にはいつにも増して立派で厳かなトサカが立っている。そして顔のパーツで最も目を惹くのはその名前の由来ともなる、チャーミングなオレンジがかった朱色の丸い頬紅である。
顔に連なる黄色い首から羽にかけて見渡すと、胴体は光沢のある艶やかな美しい白色で羽の縁あたりにかけてはやや薄黄色がっている。
薄桃色をした脚は小型の恐竜かあるいは険しい岩かとも思うようなゴツゴツとした皮膚をしている。日本刀のようにシンと歪みなく真っ直ぐに伸びた尾羽の、先端までにも行き届いている凛々しさ。
「チョコボ! 大きくなったの!?」
「まりちゃん! 起きたんだね!」
毎日見ている顔だからすぐにわかる。チョコボはうちで飼っているペットの雌のオカメインコだ。お迎えをしてから半年。生後三ヶ月の時点で我が家に来た。人間でゆうとお年頃の女子高生といったところ。
「チョコちゃん! 大きくなっても可愛いね!」
「ありがとう! まりちゃんが私のこと、いつもお世話してくれているからずっとお礼がしたかったんだ」
その時、いつもの布団とはまた違う心地よい感触を体の下に感じとり、自分は広い青々とした草原っぱの中に横たわっていてチョコボが横に寄り添ってくれていると気付いた。遠い視界の先に市民公園で見かけるようなフサフサとした立派な木々がいくつか見える他は何も見えない。
「ここは鳥の国なんだ! まりちゃんのこと、私が招待して連れて来たの。ここでまりちゃんにいっぱい恩返しがしたいんだ」
「そうだったんだねチョコちゃん! 嬉しい!」
ホワホワの自分よりも大きな体に抱きつく。チョコボは目を細めて自分の顔を見つめている。チョコボの顔はいつもと何も変わらない凛とした美しさで溢れていた。
恐らく鳥の世界でも国を挙げてのアイドルにもなりうる美貌を持つほどの整った顔立ちだろう。その横顔を視界にすこし入れつつ目を瞑った。足の深い絨毯の上で寝転ぶよりも肌心地が良く気持ちが満たされた。
そこは人間が住む世界とは違う鳥の国だった。
ここには俗世の人間は一人もいない。恐れる物も直面する必要のある現実もない。生き辛さを感じる必要のない、幸せな世界だった。