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妃殿下の菓子職人 中編

王都は、人が多いところだった。

 馬車の中から見る街並みに目を見張ったが、ラーティヴに初めて足を踏み入れた時ほどではなかった。

 後で聞いたところによれば、ラーティヴの街並みの美しさは大陸有数であると吟遊詩人たちが口々に歌うほどなのだという。

 王都は立派できらきらとした建物がたくさんあるけれど、あたしはラーティヴのどこか上品な感じのする落ち着いたたたずまいが好きだ。

 きらきらはしていないけれど、あちらこちらにいろんな意匠が凝らされていて綺麗だと思う。

 『美』のエルゼヴェルトの本拠地だからね、と、教えてくれた人は言っていたが、あたしには難しいことはよくわからない。


 ただ、単純に料理の材料ということになると海が近くないラーティヴよりも、王都の方がいろいろな材料が手に入れやすかったし、珍しいものもたくさんあった。

 砂糖一つ、蜂蜜一つとったとしても、味わいの違うものが何種類もあったし、あたしが名前も知らないような国から運ばれてきているというものもあった。

 それから、生活の便利さで比べても、王都のほうがずっと上だった。

 ラーティヴのお城には水道室が下の方の階に何箇所かあるだけだったけれど、王都のお屋敷はどこのフロアにも水道室があった。

 しかも、厨房では入り口に近い一角に水場があって水道が据え付けられている。いつでも水道をひねれば水が使えるのだ。王都では井戸水を汲む必要がないことに、あたしはすごく感心した。

 あたしの助手になったアリッサは大喜びだった。

 何といっても、水汲みが一番の重労働なのだ。

 キッチンメイドにとって、水汲みは一番辛い仕事だといってもいい。あたしも真冬に水汲みをしながら、手のあかぎれが割れて涙をこぼしたことがある。

 アリッサの手がそんなことにならないことが嬉しかった。

 

「姉さん、ローベリーのヘタとり終わりました」

「ありがとう」


 ローベリーは冬に雪の中でとれるべりー類の一種だ。実の一つ一つが小さいが、ぶどうのように房でなる。白い雪の中にローベリーの赤い実が見えるのはとても美しく、冬にあたしがよく作るクリームチーズケーキはその様子を模しているものだ。


「こっちは粒が大きめだから、これは甘さ控えめでフォンダ酒をちょっときかせたコンフィチュールにするよ。白晶砂糖をもってきて。一等のだよ」

「はい」


 白晶砂糖は、白いザラメ砂糖だ。白ければ白いほど等級があがり、値段もあがる。一等が一番白く、特等となるとまるで水晶の欠片のような透明感があるものになる。等級の違いは見た目だけではない。甘みも濃く雑味がないものになるから、より素材の味をいかしたものを作ることが出来る。

 コンフィチュールやジャムに使うのは、三等か四等くらいのものでいいのだが、王都に来てから作るものはすべて一等のものを使っている。

 一等の白晶砂糖を使うと、ジャムもコンフィチュールも仕上がりが違う。果物が色鮮やかにつやつやしていて、透明度が高いものができる。まるで宝石のようにさえ見えるのだ。

 費用のことさえ考えなければもちろん一等で作ったほうがいいに決まっているのだが、何といっても一等の白晶砂糖は値が張る。

 その値段の高価さに比べれば、多少の仕上がりくらいは目を瞑るのが現状だ。

 けれど、あたしが王宮にあがる時にもっていくものは王太子妃であるお姫さまの口に入るものなので、最高級の材料を使うように言いつけられていた。


(王太子殿下のお妃様……)


 まだ十歳をいくつか越えただけのお姫様が、すでに二十代後半の王太子殿下の妻であるということに違和感を持つのは、たぶん、あたしが貴族じゃないからだろう。


 代々、エルゼヴェルトのお姫様は結婚が早いと言われている。

 五歳までに婚約、十五前後で婚姻というのが普通だとラーティヴにいた頃に誰かが言っていた。筆頭公爵家のご息女だからなのだと誰かが自慢げに言っていたのも覚えている。

 でもそれを聞いた時、あたしは、何だかまるで攫われていくようだと思ったのだ。


 あたしがお仕えすることになるお姫様なんて、その見本みたいなものだと思う。だって、お姫様は一歳にならぬうちに……というよりは、王都までの旅に耐えられるようになるとすぐに王都へと行かれ、一歳になる前に王太子殿下とご結婚なされた。

 一歳にもならない赤ん坊が親元から離されるなんて、理由が何であれおかしいことだし、更にそれが結婚だなんて、王様のなさったことでなければ頭がおかしくなったんじゃないかと疑うところだ。


 ただ、お姫様の……というか、お姫様の母君である亡くなられた王女殿下と御領主様の事情は誰もが知っていたから言えることなんかなかったし、特にあたし達のようなエルゼヴェルト領の人間はその話題になるととたんに口をつぐむしかなくなる。だって、言えることがあるはずがない。

 ご領主様は良いご領主様だったし、あたしは尊敬もしているけれど、王女様のことはとても褒められた振るまいだったとは言えないからだ。


(お姫様は、どう思っておられるのだろう)


 ラーティヴにはそれほど長い滞在ではなかったし、事件もいろいろあったから、お姫様は城の人間の前にも姿を現すことがほとんどなかった。

 たぶん、御領主様も罪悪感があるのだと思う。だから、自分の娘だってのに、王太子妃であるお姫様に対してかなりよそよそしい。お姫様も居心地があまりよくなかったに違いない。

 あたしは何となく心情的にお姫様の味方だった。

 お姫様が、初めておいしいと言ったのがあたしのお菓子なのだとお姫様の侍女達から聞いた日から。


「こっちの選り分けた方のヘタもとって」

「はい」


 選り分けてはねたほうのべりーの籠を目線で示す。

 ちょっと傷があったり粒が小さくとも、傷のところをのぞいてジャムにしてしまえば気にならない。ジャムはお菓子にもつかえるし、お茶にいれてもいい。それに、パンに柔らかなチーズとジャムを塗っただけのものは奥方さま……公爵夫人が一番好む軽食だ。

 貴族とはいえそれほど大身でない家の生まれである奥方様が好むのは素朴な味のものが多いのだ。

 お姫様はどんなお菓子もおいしいと食べてくださったけれど、特にお気に召したのは焼き菓子だったように思う。特にあたしが力をいれた野菜を使ったものは、いつもよりたくさん召し上がってくれたと聞いた。


(王太子殿下にもお菓子をさしあげることはあるんだろうか?)


 王太子殿下がお菓子をお好きだとは聞いたことがなかったけれど、まだ幼いお姫様と一緒にお茶を飲んだりすることはあるのかもしれない。

 

(そういえば、お姫さまと王太子殿下との夫婦仲についてって、全然聞かないな)


 ラーティヴのお屋敷に居た頃ならば話はわかるが、王都のこのお屋敷でも聞かないのは不思議だった。

 王族の方の噂話はいろいろと耳に入るし、王太子殿下だけの噂ならばそれなりにいろいろと聞く。幼いことを理由にほとんど行事にも参加されていないせいもあるが、お姫様の噂はあまりない。

 王太子宮の奥深くで殿下に守られていらっしゃるのだ、という程度だ。

 お二人に関してということになると、皆無だった。十五歳も離れていれば夫婦仲も何もあったものではないのかもしれないが、ほんとに全然聞こえてこなかった。


 あたしは別にそれほど噂に詳しいほどではないのだけれど、厨房と言うのは噂の宝庫なのだ。特にお菓子を専門で作っているから接する人間は圧倒的に女性使用人が多く、女性の使用人と言うのは何でもなかったとしてもそういった噂には大変詳しいものだった。

 その彼女達の口にさえのらないのだから、よほど厳重に守られているのだろう。


「お姫様っていいね、毎日、こういうものが食べられるんだね」


 アリッサが羨ましげに呟く。


「おいしいものが食べれても、お姫様は大変なんだよ」

「綺麗な服だって着れる。宝石だっていっぱいもってるんだよ、少しくらい大変でもすっごく羨ましい」

「その代わり、まだ小さな時からたくさん勉強もする。お姫様の礼儀作法がどれだけ厳しいかわかるかい?お辞儀をする角度だって、スカートをつまむ角度だってちゃんと決まってるんだよ」

「えーっ」

「それにお会いする相手によって、お辞儀の仕方もちがうし、初めて会う外国からのお客様とも仲良く接しなければいけないんだよ」


 人見知りなところのあるアリッサは、それはいやかもしれないという表情をする。


「それに、物心ついた時から、母親も父親も兄弟も誰もいないところで暮らさなきゃいけなかったんだよ」


 どんなに裕福で、どんなに不自由ないように育ったとしても、家族がいないというのは、あたしには不幸に思える。

 お姫様の幸福も不幸のあたしにはわからないけれど。


「お姫様は、綺麗な格好をして笑っていればなれるってもんじゃないからね」

「でも、うちのお姫様は、王太子殿下のお妃さまだわ。王太子殿下ってすっごく格好良いんですって!この間、メイドのセシリアがスクラップカード見せてくれたの」


 すっごく素敵だった!とアリッサが両手をくんでうっとりとした表情を浮かべる。


「今度、半日のお休みがもらえたら、わたしも買いに行くんだ」

「……王宮にあがらなければね」

「え、王宮にあがったら、お休みないの?」

「そういうわけじゃないけど、外出はかなり制限されるみたいだね」


 王宮にあがる時は一生奉公の覚悟で、といわれたのは昔の話だが、今だって充分にそれに近いようなことはあるのだ。そして、私達が行くのは王宮で最も手続きが厳重で、出入りが厳しいといわれる西宮だ。エルゼヴェルトからあがる私たちは、かなり気をつけなければいけないに違いない。


(でも、未だに、いつ王宮にあがれるのかわからないんだよね)


 出発もその旅程もかなり急がされたのにも関わらず、あたしはすぐに王宮にあがることはできなかった。

 台所が建設中だからというだけでなく、隣の国の王様が代わったからだ。

 前の王様はこの国と仲が良かったらしいけれど、新しい王様はこの国と戦をしようとしているのだと聞いた。

 エルゼヴェルトの人間は、戦といわれてもピンとこない。というのは、エルゼヴェルトの御領地はダーディニアの奥座敷と言われるような位置にあるせいで、直接的な戦火にさらされたことがほとんどないからだ。

 これまでに二度ほどあったという内乱の時でさえ、ラーティヴを巻き込むことはなかった。


 ただ、兵士になった幼馴染のジョーはリーフィッドで戦争になった時に戦死した。

 戻ってきたのは、一房の髪と聖堂でいただいた祝福のメダイユだけだった。

 同僚だったという兵士が届けてくれたものだった。

 兵士でさえなければ、それほど関係がないと思っていたけれど、王都では皆がまだおこっていない戦の心配をしていた。

 王都に住んでいる人間は、王宮関係の仕事をしている者が多く、兵士の数も多いから、身内に必ず一人や二人兵士がいる。誰もが不安そうで、戦とは無関係ではいられないようだった。


「こっちのヘタ取りも終わりました」

「うん。ありがとう」


 ベリーはとても丁寧に下処理してあった。

 力任せにではなく、ベリーを潰さぬようにヘタの芯までちゃんととってある。


(案外、向いてるかもしれないね)


 お菓子には細かい作業が苦にならない人間が向いているとあたしは思う。

 もしくは食い意地がはっていて、おいしく食べるためならどんな苦労も厭わない人間だ。

 アリッサは前者で、あたしはたぶん後者。


「姉さん、お姫様はこのジャム、喜んでくれるかしら」


 べりーと砂糖を弱火でことこと煮詰めてゆく。蜂蜜を加えるのはまだだ。

 色がかわらないように檸檬を使うのはお約束で、この時期はあたしは青檸檬を使う。青檸檬の香りとローベリーの香りはすごく合うのだ。ローベリーの甘さがひきたつ気がする。


「どうだろうね。お姫様のお好みはまだわからないからね」


 ラーティヴ滞在中に、あたしのお菓子を随分と気に入ってくださったのはわかったけれど、何が好きかとか、どんな味がお好みかとかはまだ知らない。

 

(あたしはお姫様の菓子職人になったのだから)


 お姫様のお好みのものを作るのがあたしの仕事だ。

 王宮にあがったら、少しずつお好みを探っていかなければならないだろうなんて、あたしはぼんやりと考えていた。


「喜んでくれるといいな」


 ジャムをつくるのには手間がかかる。

 他のお屋敷ではどうしているか知らないけど、あたしはジャムをつくるときに水を加えない。

 場合によってはラザル酒とかデラーナ酒とかワインを加えることもあるけれど、基本は果物と砂糖だけで作る。

 果物と砂糖だけだとすごく焦げやすいから、火は弱めにして、焦げないようにかきまぜていなきゃいけない。もちろん、こまめにアクをとりのぞく必要もある。

 でも、丁寧に丁寧に作業をしていると、ちゃんと綺麗で美味しいジャムができる。


「そうだね」


 あたしは、お姫さまの菓子職人であるという意味がまだよくわかっていなかった。

 ただ、お姫様がおいしいと思ってくれるようなお菓子を作りたいと思った。

 幼いお姫様を笑顔にするようなお菓子を。






「あなたがエルゼヴェルトからの菓子職人?」

「はい。エルダと申します。ラナ」


 目の前の若い女性が、ラナ・ハートレー……お姫さまの女官長であることは、ここに来る前に三番目の若君に教えられた。

 まだ二十を越えたか越えないかという年齢にしか見えないのに、お姫さまの女官長という高い職位にある人らしく、とてもてきぱきしている。

 年齢はたぶん、お屋敷の執事や侍女長達の半分以下だと思われるのに頼りなげな感じはまったくしない。


「アリッサと申します」


 か細い声でアリッサが名を口にする。


「下働きがもう一人くると聞いておりましたが?」

「その予定だったのですが、エルダの目がねにかなわず、当面はこの二人だけということになりました」


 今は王都の近衛に勤めている若君は、片膝をついたまま申し述べる。

 あたしとアリッサも顔をあげてはいるが、膝はついたままだ。


「そうですか。わかりました」


 手にした書類に目を走らせながらラナがうなづく。

 それから、ふと何かを聞きとめたのか、書類から顔をあげた。


「頭を下げなさい」


 そういって、ご自身も立ち位置をかえ、頭をさげる。

 一緒に居た侍女達も同じ様にして、素早く頭を下げた。

 扉の開く音がして、誰かが入室してくる。


「……それが新しい料理人か?」

「はい。殿下」


 サラリと衣ずれの音がする。

 この宮で殿下と呼ばれる男性がいたら、それは王太子殿下に違いなかった。


「面をあげよ」


 顔をあげたあたし達が見たのは、王太子殿下がその腕の中から、それはそれは大切そうに幼げな少女をおろしたところだった。

 まばゆいばかりの金の髪……あたしを見たその瞳は、御領主様と同じ不思議な青い色をしていた。


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