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妃殿下の菓子職人 前編

 私のうちは、貧しかった。

 代々小作農の家だから、貧しいのはどこも一緒だ。でも、うちの場合、早くに父さんが死んでしまって、母さんの働きだけではあたし達は食べていけなかった。

 だから、姉さんも私も十歳になると下働きとして働きに出た。

 最初に勤めたのは司祭さまのおうちで、ここではお給料はない。でも、ごはんを食べさせてもらえたから、貧しい家だと口減らしになる。

 で、ここにはそういう子供が常に2、3人いて、掃除や洗濯やそういった仕事の要領を覚える。2年くらいで仕事と行儀作法を覚えたらちょっと裕福な家にお勤めする。

 司祭さまのおうちは、いわば、使用人の学校みたいなものだ。


 運が向いて来たきっかけは、15歳の時。

 私より三年先に勤めに出た姉さんが、ご領主様の別邸の下働きになったことだった。姉さんはそこでお城の警備の兵士と知り合い、結婚した。姉さんの旦那の縁で、私はお城に勤めることになった。

 一番下っ端の台所の小間使いだったけど、お屋敷のお給料はそれまでに比べればだんぜん良かった。家に仕送りすることもできたし、そのおかげで弟を町の学校にやれた。


 台所の下働きは朝早くから夜遅くまでキツイ仕事だったけど、その分いいこともある。

 その一つが、食事。

 ご領主様やそのご家族の食べた残り物は、高級使用人が食べることになっているから私達のところには回ってこない。でも、お出しした後に残ったものについては担当の料理人の裁量に任されていて、焼き物番のイーダさんは、よくそれを私たち下働きにも分けてくれた。

 仕事はきつかったけど、みんないい人だった。


 中でもあたしに良くしてくれたのは、お菓子番のロッドさんだ。


 ロッドさんは、味見と称して焼きあがったばかりのお菓子をくれたりした。

 あたしは、初めてお菓子を食べた時の感動をいまでも忘れない。


 焼きたてのお菓子……そのきつね色の焼き菓子は、口の中でほろほろととけて、バターの香りとハチミツの甘さにうっとりした。口の中で何がおこってるのかわからなくて、びっくりした。

 それから、世の中にこんなにおいしいものがあったのかと溜息がこぼれ、母さんや妹にいつか食べさせてやりたいと思った。

 

 そのお菓子が二番目に運が向くきっかけとなった。

 お城の使用人に休暇というものはほとんどない。代わりに、二年に一度……場合によっては年に一度、里帰りを許される。

 里帰りの時は、皆、お土産をたくさんもっていく。街でないと手に入らないような洒落た服地やリネン、綺麗な色のリボン、それから、貧しい家ではなかなか買えないお砂糖や塩漬けハム等々。お給金をやりくりしてたくさんのお土産を持っていくのは、見栄もあったけど、いつも心配してくれている家族に自分は大丈夫、ちゃんとうまくやってるよ、と教える意味もあった。


 あたしは、あのお菓子を食べさせてやりたかった……あの時は名前も知らなかったフィナンシェというお菓子。

 だから、それを作ったロッドさんに頼み込んだのだ。材料は買ってくるから作り方を教えて欲しいと……。

 お菓子を作りつづけて五十年というロッドさんは、あたしには無理だと言った。あんまりにもがっかりするあたしに、ロッドさんは苦笑して言ってくれた。

「仕方ねえな。じゃあ、俺が作ってやるから俺の仕事手伝えよ」と。

 あたしはうなづいた。

 ロッドさんの言うように手伝いながら、お菓子を作るのにはものすごく手間がいることをはじめて知った。

 母さんや弟妹達が、私が持って帰ったフィナンシェを食べて笑ったのを見て、あたしは幸せな気分になった。


 それから、あたしはロッドさんの言いつける仕事をほとんど一手に引き受ける下働きになった。年をとったロッドさんには面倒な事もいっぱいあったから。

 ジャムを作る時の下準備はいつだってあたしの仕事だったし、煮詰めるのもあたしの仕事だった。

 あたしが役に立つようになると、ロッドさんはあたしにいろいろなことを教えてくれるようになった。

 オーブンの使い方や、焼き加減を見ること……果物のジャムを作るのに適切な砂糖の量……砂糖はずーっと南の国から運ばれてくる貴重品だけど、昔は今よりももっともっと高価だったことや、砂糖をケチると長持ちしないことも教えてくれた。


 いつの間にか、厨房の人たちは、あたしをロッドさんの弟子と呼ぶようになっていた。





 お屋敷に来て8年後、ロッドさんが風邪をこじらせて亡くなった。


 あたしは、ロッドさんの跡をついで、お菓子の担当になった。

ご領主さまのお城には、五人の男のお子様がいて、毎日のようにたくさんのお菓子を作った。

 凝ったものではなく、プレーンなスコーンとか大きなビスケットとか、そういうものばかり。たまに凝ったものや贅沢な材料を許されるのは、パーティがある時だった。

 お菓子を焼かない時は、ロッドさんがそうしていたように毎日ジャムやシロップ漬けなんかを作ったり、ハーブを乾燥させたものを仕分けしたりしていた。


 結婚を申し込まれたこともあったけど、あたしは仕事が好きだった。村に戻って、ただの農夫の女房におさまって、毎日スープを作るだけの生活はイヤだった。

 あたしは結婚を断り、髪を短く切った。男みたいに。

 最初はいろいろ言われたけれど、そのうち誰も何も言わなくなった。

あたしは言い訳をする気はなかったし、何も言わなかった。

 時々、奥様のお茶会の為の特別なお菓子を焼いたり、限られた中で工夫を凝らすのも楽しかった。



 嬉しかったのは、王宮にお嫁に行ってしまっているこのお城のたった一人のお姫様がお帰りになった時だ。


 ご領主さまがわざわざ厨房に来て、菓子を山ほど焼くように言いつけなさった。何をどれだけ使ってもいいし、足りなければ何を取り寄せても構わないと言われて、あたしはシロップ漬けの果物を贅沢に使ったプディングをつくったり、パイを焼いたりした。

 お姫様は驚くほど小食な方だったけれど、お菓子はお気に召してくださったらしい。ご領主様からはわざわざお褒めの言葉をいただいた。


 だから、お姫様が湖に落ちたと聞いたときは心配したし、目が覚めたと聞いた時は、どれが気に入るかと迷ってしまって結局たくさんの種類のフィナンシェやマドレーヌを焼いたりもした。

 お姫様には若い侍女がたくさんついているので、毎日、お菓子を楽しみなさっていると聞き、いろいろなお菓子が焼けて張り合いがあった。


 その後の、お姫様の朝食に毒が入ってて、お姫さまの侍女が亡くなった時の騒ぎは恐ろしいものだった。

 厨房で働いていた人間は全員がえらい騎士さん達に何度も問い詰められ、細かいこともいろいろと聞かれた。お菓子用の小さな台所で仕事をしているあたしには関係がなかったけれど、それでも何度も騎士さん達が話を聞きにきた。

 すぐに、犯人がスープ番のジョンだったと噂が流れた。

 死んでしまったお姫さまの侍女と一緒にいたところを何人もの人間に見られていたのだと聞いた。

 ちょっといい加減な男だったけど、信じられなかった。

 だって、厨房で働く人間は、みんな、自分達が人の口に入るものを作ってることをよくわかっている。

 食べる物を作るということ……それが命に関わる事である事をあたし達はイヤってほどよく知っているし、そのことに誇りを持っている。


 料理長は安く作ることしか頭にない人で、食費を削減するために執事さんが選んだ人だけど、それでも、ちゃんとそれだけはわきまえている。

 ダメになった材料を捨てる時はぶつぶつと一日中文句を言いつづけてるけど。

 ……でも、噂で聞くように、よそのお屋敷のようにダメになりかけた材料を使ったりはしない。





 執事さんに呼ばれたのは、事件の余韻がまだ醒めていない時だった。


「エルダ、おまえには、王宮にあがってもらうことになるかもしれない」

「は?」


 あたしは、何を言われたのかわからなかった。

 あたしにとっては、村からご領主様のお城のあるこのラーティヴまでが世界のすべてだった。

 それでも、あたしの世界は広い方だ。村の人間には、村から出ないで一生終わる人間だってたくさんいる。

 そんなあたしには、王都なんて異国と一緒だったし、王宮なんて夢の世界だった。


「おまえの菓子を妃殿下がたいそうお気に召したようでな」


 執事さんは、私達使用人にとって王様みたいな人だった。使用人に関するほとんどすべてのことは執事さんの職務範囲だったし、実際、あたしたちのお給料のことや仕事のことで最終的に権限を持っているのは執事さんだった。

 あたし達のような使用人は、ご領主さまやそのご家族と近しく接する機会はほとんどと言って良いほどなかった。


「ひでんか……」

「公爵さまの末の姫君の称号だ。姫君は王太子殿下のお妃であらせられる」


 このお城の末のお姫様がまだ一歳にならない時に一番上の王子様とご結婚なさっていることは、国中の誰でも知っている話だった。

 あたしは、お姫様がお城に行かれてすぐにこのお城にお勤めしたから、当時の話はあんまり知らない。


「現在、事情があって妃殿下のおそばにはエルゼヴェルトから付いているものが一人もいない。それを公爵さまは大層案じておられる」


 事情とやらは知らないけど、ご領主様のお妃だった……姫様を産んだ王女様が最後の願いで王都に帰りたいと言ったことなら知ってる。

 このお城にお嫁に来て、毎日泣き暮らし、たった17歳で亡くなったらしい。

 だから今の王様は、ご領主様からお姫様をとりあげる為にご自分の一番上の王子様のお妃にしたんだってのが、下働き達の間で話題になったことがある。王様は、うちのご領主様とは不仲なのだ。


「はあ」


 あたしはそう返事をするしかなかった。

 ご領主様が何を心配しているのかはよくわからなかったし、自分がどうすればいいのかもわからなかった。


「何、そう案ずる事もない。王宮に上がるといっても、おまえは、妃殿下のお気に召す菓子を作ればよいだけだ」


 執事さんの言葉にあたしはほっとした。

 それだったら、あたしの仕事だ。


「その為に、宮には新しく厨房を建設する。既に公爵様がその申請をなさっている」

「新しい厨房……」

「そうだ。材料はセイリズに言いつけるといい。何でも手に入れさせる」


 セイリズの名前はあたしも知ってる。

 有名な食品卸の店で、五大国のすべてに店を出している。

 オレンジを南から持ち込み、巨大な温室で育てて売り出したのもセイリズだし、北の方でしか作られないアルコール度数の強い『マジェラ』というリキュールを売っているのもセイリズだけ。

 でも、セイリズの一番のもうけの種は砂糖だって死んだロッドさんが言っていた。南大陸から安い砂糖を大量に仕入れるだけじゃなくて、アノーラ地方に砂糖を作る大規模な農園も作ったんだって。

 そのおかげで、値段もだいぶ安くなって、街のちょっとした家なら常に家に砂糖があるし、村でもジャムを作る時に砂糖を使えるようになった。


「あの……ここで作ったジャムとか、シロップ漬けやジャムの一部は王都に持って行ってもいいですか?」

「かまわない。必要なものは何を持って行ってもいい」


 良かった。漬け込んだ味っていうのはすぐにできるものじゃないし、ジャムだってこれだけの種類を作るのにはものすごく時間がかかる。


「わかりました。私の荷物はすぐに用意できますが、食品庫の整理があるので三日下さい」

「うむ」


 この執事さんが急いでいると言うことはよほど急いでいるんだろうと思った。

 本当は一度実家に帰りたかったけど、手紙を書いてすませることにした。

 あたしの村は、ここから馬車で二日くらいのところにある。靴磨きの子に1シュク硬貨を渡して言付ければ郵便を出しておいてくれるだろう。


「王都についたら、必要なもののリストを作っておきなさい」

「……鍋とかもですよね?」

「そうだ」


 お姫様が気に入ったお菓子の為に新しく厨房を作って、器具も全部いれて……どれだけのお金がかかるんだろうと思ったら眩暈がした。

 だって、あたしが普段ジャムに使ってる銅の鍋一つを買うのだって、あたしの一か月分のお給金では買えないのだ。


「王宮にあがるのは、あたし、一人ですか?」

「下働きを二人つける。心当たりがあるなら言うがいい」

「……もし可能なら、あたしの一番下の妹を」

「どこにいる?」

「ラーティヴのご城下のクロイツ卿のお屋敷で住み込みの小間使いをしています」


 末の妹のアリッサは、とても内気な子であたしや姉さんはいつも心配だった。年が離れてるってこともあるけど、まわりが大人だったせいでみんなが先回りしてしまうから、自分の意見をあまり口にしないおとなしい子になった。

 でも、言いたいことも言えない子はお屋敷勤めはかなり辛い。同じ城下にいる姉さんからの便りでは、それでもがんばっているらしいけれど、せめて一緒の職場で働ければあの子も少しは楽になるんじゃないだろうか。


「わかった。手配しよう」

「ありがとうございます!」


 ダメ元のつもりだったので、執事さんがすぐに手配してくれそうだったのが嬉しかった。


(つまり、それだけ大事な仕事ってことだ)


「以後、おまえは妃殿下の菓子職人だ。それを忘れずに仕事に励め」

「はい」


 あたしはうなづいた。

 難しい事情はわからなかったけど、いつも王様みたいな執事さんがあたしなんかの希望を叶えてくれるだけの大事な仕事なのだということはわかった。


 ……でも、結局のところ、あたしにできるのはおいしいお菓子を作ることだけだった。

 仲の良い小間使いと下働き達が、お別れのティーパーティを開いてくれて、ご領主さまのことや、王様のことや、お姫様と王子様のこと……いろんな噂を聞かされたけど、あたしの頭にはまったく残らなかった。


 ただ、執事さんの言葉がずっと頭の中でリフレインしていた。


(妃殿下の菓子職人……)


 あたしは かつてそう思ったように一人前の菓子職人になれたのだろうか。

 その答えはきっと王都で見つけられるに違いなかった。





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