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騎士の誇り




 その子供に初めて会った時、そのあまりの線の細さと繊細さに、この子が王族として生きることは相当に辛いことだろうと思った。






「……今日の講義は以上になります。何か質問はございますか?妃殿下」


 ひょんなことから、王太子妃の家庭教師を兼ねることになったのはつい最近のこと。

 当の生徒になりたいというご本人が自分で依頼に来たのにも驚いたが、そのご本人が以前とはまるで比べ物にならない快活なお人柄になっていたことにも驚いた。

 なるほど近頃、西宮が活気づいているのはそういうことか、とも納得した。


「アルセイ=ネイという人は、経歴がなぞの人なのですね」

「はい。ネイの前身は不明です。ネイがエレディウス3世の求めに応じてこのダーディニアの王宮建築家になった時、彼は既に老境にさしかかっていました。大陸各地でいくつかの建物を建築していたことがこれまでの研究でわかっておりますが、彼がどこで生まれ、どこで学んだのかはわかっておりません」


 王太子宮は常に恐ろしいほどの静寂を保つことが求められているので、我々近衛の間では『沈黙の宮』と呼ばれ恐れられている。あそこの家令はその眼差しだけで人を沈黙させる。

 これまでは妃殿下の宮も同様……いや、それ以上に静まりかえっていた。妃殿下本人が『人形姫』などと呼ばれ、存在しているかいないのかわからないほどだったからだ。

 エルゼヴェルドが毎週のように献上を繰り返すのは、実は、妃殿下が生存していることを確かめる為だとまことしやかな噂が流れていたほどだった。


「明日から行っていただく北のほうには、ネイが建築した聖堂があるんですよね?」

「はい。ネイが最後に建てたと言われているネーヴェの聖堂は、現在の聖堂建築の元となったと言われいる建物です」

「小さな窓に大きなステンドグラス……鏡とガラスを効果的に使った装飾が特徴、でしたね」

「そうです。もっとも、ガラスやステンドグラスというのはネイの再現した『失われた技術』の一つで、やっと近年再現できるようになったものです」


 先日の我らの失態が原因で記憶喪失になってしまった妃殿下は、一つ一つの記憶を確認するように口に出す。そうやって記憶を呼び覚ましているのだろう。

 申し訳ないようにも思うのだが、記憶喪失後の妃殿下の変化が周囲に良い影響を与えているせいで、記憶喪失というのも一概に悪いものではないのかもしれない、とも思う。


「それと、ネイの建築物一般に言える特徴ですが、必ずからくりと呼べるようなものが備わっています」

「からくり?」

「たとえば、壁につくりつけの燭台を軽くひねって押すと壁がくるりと回転するとかですね」

「……本宮にもあるのですか?」

「はい。幾つかはとても有名です……先ほどの回転する壁は法務省の長官の執務室と国王陛下の衣裳部屋に存在していることがわかっています。後は、蝋燭に火をつけるとスライドする扉とかですね。他にも、まだまだ解明されていないからくりはたくさんあるようですが……」


 正直、家庭教師にと乞われた時には躊躇したのだが、妃殿下は驚くほど聡明で努力家な子供だった。

 たった12歳とは思えぬほどのその豊かな知識は、彼女が努力して身に着けたものだ。

 知識というのはただ漠然と身につくものではない。語学などはセンスが物を言う部分もあるが、基本は反復による習得だ。

 つまるところ、当人に学ぶという意思がなければ、それは知識として身にはつかないのだ。

 そして、子供が知識だけを増やせば頭でっかちになりがちだが、彼女は不思議なくらいバランスが良かった。

 この年齢の子供に言うのも何だが、思慮深いのだ。

 それは、類いまれな美質であると思われる。

 王太子妃でなければ……いや、エルゼヴェルトの推定相続人でさえないのだったら、私は、彼女が大学に通うことを進言しただろう。


(それは決して叶わないが……)


 残念ながら、大学で妃殿下の安全を確保するにはかなりの困難が伴う。妃殿下の御身を万が一の危険に晒すことは決してできない。


 だが、妃殿下の家庭教師というのは私にとってなかなかに楽しい役割となった。

 妃殿下の宮で供されるお茶やお茶菓子が魅力的なのもさることながら、家庭教師というレッテルを手に入れたことで、私が妃殿下と一緒にいてもまるで不自然ではなく、かつてと比べると格段に護衛しやすくもなったからだ。


「私も見てみたいです。ネーヴェの聖堂は難しいとは思うんですけど……」

「そうですね」


 しかし、おそらくそれは叶わないだろうということを私は知っている。

 元来、女性王族の遠距離の外出はかなり煩雑な手続きが必要だ。しかも、妃殿下は特別な身の上である。

 更に、先日の事件以来、現在はこの厳重な王太子妃宮の外から出ることすらほぼ全面禁止状態と言ってもいい。本人に自覚はないかもしれないが、ほとんど軟禁状態である。


「……せめて写真があればいいのに」


 小声でつぶやきをもらす。


「写真は、まだ研究中の技術ですから……妃殿下は、どちらかで写真をご覧に?」


 ふと、疑問に思った。

 『写真』という技術はそれほど世に出回っているものでもない。だが、妃殿下の夫がナディル殿下であることを考えれば、特に不思議なことではなかった。

 多くの人間が知ることではないが、あの方もまた特殊な立場にあられる。


「いえ…………その……話に聞いたものですから」


 少しだけ困ったような表情が微笑ましい。


「……とても熱心な研究者がおりますので、十数年もすれば世に広がっていることでしょう」

「ご存知なのですか?」

「ほんのわずかですが、大学で教鞭をとっていたことがりまして……その時の教え子の一人がとても熱心に研究しておりました」


 写真に特別な情熱を燃やしていた教え子を思い出しかけて止めた。あの特別な情熱は、私には理解できないものだった。


「そうなのですか。楽しみですね」


 にこっと笑みを浮かべる。

 近頃の妃殿下は『人形姫』と呼ばれていたことが嘘のように表情豊かだ。もっとも、これは寛いでいられるこの宮内だけのことに限られる。

 公式の場では常にかつてと同じ無表情を装っている。

 その方が安全だという女官の言葉に私も同意した。彼女が変化することを望まない者も多い。

 

「今度、殿下にお願いしてみます。……ネーヴェの聖堂は無理でも本宮くらいは良いと思うんです。先日の王妃殿下のお茶会の時は、結局、噴水も見られませんでしたし……」

「…………王太子殿下に?」

「はい」


 妃殿下は笑顔のままでこくりとうなづいた。

 あの王太子殿下に対し、ここまで無邪気にふるまえるのはある種の才能に違いない。


「もちろん、もう少しお暇になったら、ですけど」


 声のトーンがやや下がる。


「そうですね」


 翳った表情……心の底から案じているのが容易に伺える。


(良かった……)


 この様子からすると、妃殿下と王太子殿下の仲は良好と言って良いのだろう。

 それは、我ら仕える者からすれば喜ぶべき事だ。

 何しろ妃殿下は、本人が望む、望まないにかかわらず、未来の国母となることが決定している。殿下との仲が良好であるにこしたことはない。

 こんな風に真剣な表情をすると、妃殿下は驚くほど大人びて見える。


(……エフィニア姫……)


 その横顔が、遠い面影に重なる。そして、同時に何かほのかに甘いものが身体のうちを満たす。




 元々、妃殿下は生母たる故エフィニア王女に生き写しといって良いほどによく似た容姿をしているのだが、これまではまったく印象が違っていたせいでその相似を感じることがあまりなかった。

 だが、近頃は、まるで時が巻き戻ったかのように錯覚する瞬間がある。


「伯爵?」

「すみません。少々、昔を思い出しておりました」

「……母のことを、ですか?」

「ええ、……誰か別の者にも言われましたか?」

「いえ。ナディ……ナディア姫の持っているカードで母の肖像を見て、あまりにも自分が似ていて驚いたものですから……」


 双子のようによく似てますよね、と屈託なく笑う。


「陛下や殿下が、私を見るたびに思い出すのもよくわかります」


 ドキリとした。

 陛下のアルティリエ妃殿下に対する強い執着の源は、当然ながらエフィニア姫に由来する。


「殿下も、ですか?」

「はい。……殿下は、私の母が初恋だったかもしれない、とおっしゃっていました」


 くすくすと妃殿下は笑う。


「……殿下がそのようなことを?」


 私はひどく驚いた。


「はい」


 私の驚きように、妃殿下は軽く首をかしげる。


「あ、いえ、殿下がそれを妃殿下におっしゃられるとは思わなかったものですから」


 秘めた想い、というものがあるとするならば、ナディル殿下のエフィニア姫に対する想いこそが、まさにそれであっただろう。

 



 生母は違えど……そして、年齢が異なれど、陛下とエフィニア姫はとても仲の良い兄妹であった。

 エフィニア姫は、音楽に特に深い関心を寄せており、その点が年齢の離れた兄妹を結び付けていたのだ。

 当時はまだ王子であった陛下の宮には音楽家も数多く滞在し、日常的にサロンコンサートなどが開かれていたから、エフィニア王女はしばしば兄王子の宮に滞在することがあった。

 そんな中、エフィニア姫とナディル殿下は、幼馴染のように、あるいは、姉弟のように育った。

 そして、やや内向的な気質の有る少年が、快活な年上の美しい少女に魅かれるのはある意味当然の事であり、性格が穏やかで芯が強く聡明な少年に、自分がそれほど知的でないというコンプレックスを持っていた少女が魅かれるのもまた当然のことだった。

 それは決して一方通行のものでなかった。

 ……『恋』であったかどうかは私は知らない。

 ただ、彼らの間に、互いを想う、密やかで優しい感情が確かにあったことを私は知っていた。

 国王の末王女といずれ王族公爵となるであろう公子……エフィニア姫がエルゼヴェルドと婚約していなければ、いずれそれは婚姻という話が持ち出されてもおかしくない組み合わせだった。

 だが、姫の婚約が動かせないものである以上、それは決して口に出せる類のものではなかった。

 やがてエフィニア姫は嫁ぎ……そして、目の前の少女を遺して逝った。

 



「伯爵は当時のことにお詳しいのですか?」

「……ええ、まあ」


 私はあいまいにうなづく。

 妃殿下は柔らかな表情のままで私をまっすぐと見つめていた。その瞳に促されるかのように、私は口を開いた。


「当時、私はまだ公子であったナディル殿下の家庭教師を務めておりました」

「そうでしたか」


 解任された身なので、私はそれをほとんど口にしたことがなかった。殿下もまたそれをほとんど口にされることがなかったから、そのことは大概の人間の記憶の中で風化しているに違いない。


「皆も知っての事情で私は母を知りません。そのうえ、陛下がひどく過敏に反応されるせいか、私は母の話を誰かから聞くこともほとんどありません。それは、とても淋しいことだと思うと言ったら、殿下が少しだけお話してくれました」


 あの殿下ですから、話が弾んだというわけではないのですけれど、とアルティリエ妃殿下は笑みを重ねる。


「それで、初恋だと?」

「かもしれない、です。殿下ご自身にもわからない、と。それでも、殿下が母を大切に想ってくれていたことは充分にわかりました。だからこそ、母のことは殿下の心の中で、ずっと傷になっていたと思うのです」

「傷、ですか?」

「はい」


 妃殿下はこくりとうなづく。


「殿下はわりと理性の強い方ですけれど、エルゼヴェルド公爵に対する時だけ、感情的になります。……たぶん、ずっと公爵のことを許せなく思っているのでしょう」


 妃殿下は実父であるエルゼヴェルド公爵を、意識して口にしない限り『父』とは呼ばない。

 そこに特に感情的なものがあるわけでなく、ただごく自然に呼ばない。

 その事実が、妃殿下の生い立ちというものを何よりも明確に示しているように私は思う。


「……でも、それは同時に、自分を許せないことでもあるのだと、私は思うのです」


(……ああ)


 その言葉を聴いた瞬間、私の中に、泣きたいような、笑いたいような……どう言っていいかわからない感情が生まれた。

 それは、何がどうと明確にわかるようなものではない。

 けれど、確かなことが一つある。

 この少女がいれば、彼はきっと幸せになれるだろう。そのことが、私には嬉しかった。


「で、今は私にそのことをお話してくれるくらい、傷は癒えてきたのだと思うのです」


 良い傾向なんだと思います、と妃殿下は柔らかに微笑む。


「本当につらいことは誰にも話せませんから……」

「そうですね」


 私は同意し、心のそこからの笑みを返した。

 自身がこの少女を守る為に剣を捧げたのは、何もこの少女を守りたいと思っただけではない。

 この少女を守ることが、彼を守ることにもつながると思った為だった。

 それが決して間違いではなかったのだと確信する。


「……妃殿下」

「はい?」

「今度、殿下が幼かった頃の話をしましょうか」


 不意に、これまで誰にも話したことのない話を彼女に聞いて欲しいと思った。


「それは素敵ですね!」


 その表情がきらきらと輝き、私は目を細める。


「伯爵が北からお帰りになったら、お茶会をしましょう」


 お好きなお酒をうんときかせたケーキを焼きますね!と小さな拳を握り締める。


「はい」


 私は笑顔で席を立った。


「私の留守中に何かあれば、表向きのことは誰に頼んでもよろしいですが、内々のことはユーリッドに。……妃殿下の思し召しの通りに動くよう申し付けてあります」

「わかりました。ありがとう。……私的な調査に使って申し訳なく思います」

「いえ。剣の主のお役にたてることが、我ら騎士の喜びでありますから」


 誰もが目をそむけてきたこと。隠されてきたもの。忘れようとしてきたこと……妃殿下が明らかにしようとしていることはそういったことで、そして、私にも決して無縁のことではないという予感がある。


 ……だから、もし、終わりが来るのなら、これまで取り繕うようにして美しく整えられてきたものが崩れさるというのなら、彼女にこそ、その決着をつけて欲しいと思うのだ。


(殿下もまた、そのお気持ちなのだろう……)


 彼もまた同じなのだと、なぜだか私は確信していた。

 もしかしたら、まだ自身ではずっと彼の師のつもりでいるのかもしれないと気づき、少しだけおかしく思う。

 私が、彼を教え導いていたのは彼が目の前の妃殿下と同じ年頃のことだったというのに。 


「気をつけて行ってきてください。帰ってきてお話を聞かせて下さるのを楽しみにしています」

「妃殿下も、重ねて御身お気をつけ下さい」

「はい。充分注意します」


 妃殿下は柔らかに微笑む。

 何を知ったとしても、その笑顔が彼女から失われることはないだろう。

 その強さが、今の妃殿下にはある。


(人は、変わる……)


 それを体現しているのがナディル殿下であり、そして、アルティリエ妃殿下だった。

 ナディル殿下に過去の面影はなく、そして、今の目の前の妃殿下から、かつての無表情な姫君を思い出すことは難しかった。

 私には、それが未来であり、希望であるように思えるのだ。




「隊長」


 妃殿下の前を辞すと、廊下で待ち構えていたらしい人影から声がかかる。


「ユーリッド?」


 ここで待っていたということは急ぎ耳に入れるべきことがあるということだ。


「……一報が入りました。おそらく、隊長の留守中に派兵があります」

「気にするなとは言わないが、それは我らの戦ではないな」


 派兵……つまりは、戦だ。

 エサルカルの政変が我が国に戦をもたらす。それくらいは少し目端が利く人間なら誰もわかることだった。

 そして、それは、おそらくは今回限りの事ではない。


「承知しております」


 だが、我らが敵とするのは、妃殿下を狙う者であり、宮中の闇に潜む輩である。

 単に剣を振り回してどうこうできる相手でもなければ、意気揚々と自慢できる類の戦功があるようなものでもない。


「これを機会に王太子殿下は膿を出してしまう所存のようで」

「……協力するのはかまわない。だが、エルゼヴェルドの城でのこともある。向こうの言い分は言い分として、独自に策は練っておけ」


 二度の失敗はない。


「わかりました」


 さる大貴族の庶子という生まれのせいか、無口がちであまり人目をひかないこの青年は、私の従騎士だったこともあり、多くを言わなくとも理解する。


「妃殿下をお守りする。我らはそれだけでいいのだ」


 名誉も、手柄も必要ない。

 ただ、あの笑顔が曇ることがないようお守りできればそれで良い。

 それこそが、我らの誇りであり、剣を捧げたものの存在意義である。


「はい」


 ユーリッドが小さな笑みを浮かべてうなづいたことに、私は満足した。




 あの線の細く、繊細だった子供はもうどこにもいない。

 だが、私の剣は今も、あの存在を守る為にある。







 騎士の誇り END

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