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スクラップブックカードをめぐる三つの情景 その3


「兄上、プレゼントですよ」


 王太子宮にギッティス大司教たる元第三王子がいることは珍しくない。

 ギッティス大司教に就任以来、聖堂よりも王宮にいることの方が多いのではないかと密かに噂されているくらいで、当人も周囲もそれに特に違和感を覚えていないのが呆れてしまいたくなる現在の状況だった。


「………シオン?」

「妃殿下にお会いできなくてイラついていると、フィル=リンから聞きましたので……」


 プレゼントをお持ちしたんですと恭しく差し出す。

 ナディルはわずかに不思議そうな表情で差し出された封筒を開く。

 二つ折りカードの片側に、美しい彩色の細密画がはめ込まれていた。


「……ルティア?」


 美貌の少女だった。好みとは違ったとしても、誰もがその美貌を褒め称えるだろう幼い少女。

 光をはじく黄金の髪は緩やかに波うち、透き通るような肌はわずかな薔薇色を帯びている。鮮やかな碧の瞳は夢見るように細められ、口元にはわずかに笑みを浮かべていた。


 王太子妃アルティリエ……そこに描かれているのはまだ幼い彼の妻だった。

 画家の腕は相当に良いのだろう。その筆致は、柔らかな肌の質感や、ガウンの繊細なレースを見事に描き出している。


「城下で評判の土産物屋の特装カードです。私の一番お薦めの画家の作品です。よく似ているでしょう」


 確かにそれはとてもよく特徴を映していた。


(本物にはだいぶ劣るが……)


 だが、夫である彼が、本人を思い出すよすがには充分なるだろうと思えるほどによく似ている。


「土産物……?これが?」

「特装シリーズですから何枚もあるわけじゃありませんよ」

「………………………」


 無言のまま見入っているナディルの横顔からは、何を考えているか窺い知る事はできない。


(あー……バレてんのかな……)


 シオンは、軽く眉根を寄せる。


「えーと……私的に一番可愛らしいカードをお持ちしたんですが……」

「…………………なぜ、羽根?」


(ひっかかるのは、そこですか……)


「嫌だなぁ、兄上。それは妃殿下が天使だからですよ」


 一部にほんのわずか薄紅を帯びた白のドレス姿……背には、小さな白い翼がのぞく。


「ルティアは確かに天使のように愛らしいが……」

「………………そうですね」


(………………び、び、びっくりした。兄上の惚気なんぞ聞いてしまった。あまりのことに、心臓がバクバク言ってるぞ)


 シオンは、一瞬、自身が不整脈をおこしたような錯覚をおぼえる。 


「しかし、この光の環は何だ。死人のようで不吉ではないか」

「……いえ、天使です。光の環は天使のお約束ですよ、兄上」


 だが、ナディルはどこか不満げに眉を顰めた。


(あー……何がご不満なんでしょうか、兄上……?)


「ルティアの姿が、土産物として安売りされているのは腹だたしい」

「……は?」

「王室の人間のカードに関しては、規制をかけるべきではないだろうか……」


 至極、真面目な顔で言葉を紡ぐ。


「えーと、兄上、それは何かのご冗談ですか……?」


 王太子ナディルは、時として真面目な顔で冗談を言う。

 ……大半の人間が冗談だということ気づかなかったが。


「いや、本気だ」

「あー、兄上、これは特装カードですから安売りなどされていませんよ」

「だが、土産物として買える程度のものなのだろう」

「特別装丁ですから!限定品ですし、高価なんです。それに、これは本当に特別中の特別ですから!!」

「王室の人間の容姿が、誰にでもわかるというのはあまりよくないことではないかと常々思っていたのだ。……ルティアの場合、誘拐の危険性も高い」

「いやー……今更ですから」

「そう言って規制しなければ、いつまでたっても状況は変わらないじゃないか」


(あー……兄上、いくら姫君が可愛いからって横暴ですって)


 しかも、いかにももっともらしい理由を持ち出してくるところが狡猾だ。



「えーと……」

「シオン、夫が己の妻に不埒な思いを抱く人間に対し報復するのは当たり前のことだと思わないか?」


 淡々とした静かな口調だった。


「………あのですね、それは、現実の生身の場合でして……似姿に恋する人間まで含めるのはちょっとその……」


 シオンは、淡々としているからこそ、そこに凄味を感じるのは己の考えすぎだろうか、と思わず現実逃避したくなる。


「シオン、ルティアは私の妻なのだよ」


 にっこりとナディルは笑う。


「妻に対する危険を未然に防ぐのは夫の大切な義務だ」


 私は喜んでそれを果そうと思うのだ、と告げる言葉はどこまでも穏やかだ。

 単にその言葉だけを聞いていればいたってまともに聞こえるが、それは錯覚だ。


(兄上、それは姫のカードを購入した不特定多数の人間を全部処分するという意味なんでしょうか……)


 そんなことは不可能だと言い切れない恐ろしさが、ナディルにはある。


「……………こんなにもよく似た愛らしい姿が他の男の手にあるかと思うと殺意がわく」


 シオンは背筋がぞくりとするのを感じた。

 抜き身の刀を喉元につきつけられたような感覚……確かにそれは言葉どおりの殺意であったに違いない。


「……兄上、市販の一般的なカードはここまで精緻ではありません」

「そうなのか?」

「ええ、そうです。それは、兄上の為に私が特別に画家に描かせたものをカードに仕立てさせた本当に特別な品ですから」

「普通は、ここまでは似ていない?」

「はい。……この姿が、一度もお目にかかったことのない人間に描けるはずがないじゃないですか」


 こくこくとシオンはうなづく。


「なるほど」

「ですから、カードの規制まではちょっと……」

「だが、今後、このように特別なものが出回らないとは限らないではないか」


 ナディルはいたって真剣な顔で言う。


「大丈夫です。私の方で監視するようにしておきますから……」

「そうは言っても、そなたも忙しいだろう」

「とんでもありません。これくらいはさほどのことでもありませんし……」


 シオンは必死だった。

 カード規制なんていうことになったら、騒ぎになること必定だ。


「ブラックベリーの代表とは、いささか面識もございます。充分、注意させますから」

「自主規制、か……」

「はい。……そうだ。今後、発行されるものにつきましては、毎月兄上のお手元にも届けさせるようにしますよ。それをご覧になればおかしなものが出てないことはおわかりになるでしょうし……」


 ふむ、とナディルは小さくうなづく。


「どうしても差し支えがあるものについては発行停止、あるいは、回収させるようにしますし!」

 シオンは畳み掛けるように言った。

「……わかった。そなたがそこまで言うのなら、任せよう」

「はい。どうぞ、お任せください」


 シオンは、無事にうまく乗り切れたことにほっと胸を撫で下ろした。


(……あれ、ところで、どうしてこんな話になったんだろうか?)


 首をかしげていたシオンは、ナディルがいつもとはわずかに違う笑みを浮かべていたことに気づかなかった。








 


おまけ



「あーあ、シオン倪下がまた丸め込まれてるよ」

「からかうつもりで逆に利用されてりゃ、世話ないっての」


 王太子ナディルの側近たちは、皆若い。だが、こぞってその能力には定評がある。

 ナディルは無能をひどく嫌う。上に立つ者が愚かであることは万死に値するとさえ言う男だ。その側近がバカではやっていけない。


「……仕方ないだろ。アル殿下もそうだけど、あそこんち弟妹、みんなナディルに騙されすぎ。いい加減、あれが大魔王だって知るべきだ」

「フィル=リン、言い過ぎだ」


 秘書官であるラーダが注意を促す。注意を促しているだけであって否定はしていないことに本人は気づいていない。


「何言ってんだよ、乳兄弟である俺くらいしか事実を口に出せないだろ。これで、あいつは妃殿下のカードを毎月たいした苦労も無くタダで手に入れられるんだぜ。絶対、今のはそこまで計算してたね!」

「おまえは、一度、殿下の寛大さに感謝するが良い」

「はい、はい」

「いや、一度じゃ足りないでしょ、フィル=リンの場合」

「あー、百回くらい?」

「るせ」

「ま、シオン猊下は一生敵わないだろ。……俺の知る限り、ナディルに勝てるのは妃殿下だけだね」

「なんじゃ、そりゃ」

「そのくらいタダ者じゃないのさ、あの妃殿下は」

「おまえが、妃殿下と敬称で呼んでるくらいだし?」


 からかうような言葉に、フィル=リンは肩をすくめる。


「こえーんだよ、ラナ・ハートレー」

「説教でもくらった?」

「あー、似たようなもん」

「美人なのにな」

「ばーか、美人は怒ると怖いんだぞ。これは世界の真理だ」

「……うちの殿下もこえーもんな」

「そこで、ナディルの名を出すあたりがおまえ終わってるから」

「フィルに言われたらおしまいだっての!」


 彼らは知らない。

 背後に、彼らの敬愛する主が引きつった笑みを浮かべた弟を従え、静かな笑みを浮かべて立っていることを。


 そして、その後におこったことは、誰も知らない。






 スクラップブックカードをめぐる三つの情景 END


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