夜の中で
時間軸的には王都陰謀編の終盤のどこかくらいと思われる小話
「こんなの初めて」
ナディの声がはずんでいる。
「……私も初めてです」
女の子とこんな風に一つベッドに寝るなんて……。
いや、それなりにパジャマパーティとかしたことはあるし、雑魚寝だってあるし、修学旅行とかはもうしっちゃかめっちゃかだったですけど!
何が違うって……二人きりだし、距離が近すぎるのだ。
「ねえ、もう寝ちゃったの?」
「まだ、寝てません」
閉ざされた天蓋の中は真っ暗で……でも、身じろぎするたびに互いの呼吸を感じる。
「……………」
「……………」
静かな静かな夜。
時々、足元にいれてある湯たんぽを蹴飛ばしてしまって、ちゃぽんと水音が響く。
「………ねえ、しゃべっていい?」
「いいですよ」
ナディがこちらを向いた気配がした。
甘い匂いがしているのは、たぶん、石鹸だ。
今、私の浴室で使っている石鹸は、遠くエーデルドからやって来た百合の香りがするもの。エルゼヴェルト公爵からの献上品の一つだ。
殿下は香水は嫌いだが、石鹸の匂いは別にいいらしい。
たぶん、濃厚な匂いが嫌いなのだろうと思う。もしかしたら、香水の香りの強い女性に何かトラウマがあるのかもしれない。
「ルティは……覚えてないことが恐くないの?」
「……恐い、とはあんまり感じないんです」
まったくの記憶喪失と違って、それなりに重ねてきた社会人経験を含む33年間分の人生の記憶があるので、自分がなくなってしまったような喪失感とか、世界が崩れ去りそうな不安はなかった。
ここが異世界で、自分がお姫様だということを自分に納得させるのに忙しくて、他の事はそれほど気にしている暇がなかったとも言える。
「……ただ……何っていうか……奪われた気がしてます」
「奪われた?」
「そう……思ったんですけどね、記憶って大事だと思うんです。例えば、こうしてナディといる『私』は、ナディとのことを忘れてしまったらいなくなってしまうのだと思うんです……」
それは、『私』を失うことだと思う。
「忘れても、生きてはいけるんです。今の私がそうであるように……でも、忘れてしまった『私』は、もう以前の『私』ではない。以前の『私』を奪われてしまうようなものだと思うのです」
「……そうね。そうしたら、私も『あなた』を奪われることになるんだわ」
「ナディ?」
「だってそうだもの」
ナディが私を見ている。
闇の中で見えないけれど、それがちゃんとわかった。
だから、私もナディを見る。
「……私のこと、忘れないでね。私も、絶対、忘れないから」
「努力はしますけど、約束はできません……私には前科がありますから」
そう。私には前科があるのだ。
アルティリエとして生きてきた12年を忘れてしまった前科が。
(……代わりに、それ以前の33年分を思い出したけど)
本当のところはよくわからないけれど、私はそういうこととして納得した。
「大丈夫!絶対忘れないと思えば、忘れないから!大事なのは気合と根性よ!」
「……気合や根性ではどうにもならないことってあると思いますよ、ナディ」
ナディは意外にも根性論者だ。
生粋のお姫様のクセに。
「でも、気合と根性でどうにかなることだっていっぱいあるんだから」
「……そうですね」
ナディの言葉に私は小さく笑った。
その言い分が可愛いと思ったこともあるけれど、何だか嬉しかったのだ。
「なあに?」
「いいえ。何でもないです」
もう忘れたくない、と思った。
(もう、失いたくない……)
私は、今の私を失いたくなかった。
ナディのこと……リリアやミレディ達のこと、シオン猊下やアル殿下のこと……そして、何よりもナディル殿下のことを失くしたくない。
(……不思議)
私には何もなかったはずなのに、いつの間にか忘れたくない人たちがたくさんできていた。
「ナディ……」
「……なぁに?」
その声に眠たげな響きが混じる。
「もし、忘れてしまっても……でも、諦めないで下さいね、私のこと」
「な、何、恥ずかしいこと言ってるのよ」
ナディの顔が赤くなったのがわかった。
「だって、私もナディのこと諦めたくないです」
「……………」
きっと、耳まで真っ赤になってる。
「………あたりまえでしょ」
ナディが小さな小さな声で言った。
「ありがとうございます」
「お、お礼なんて言われることじゃないもの。当たり前のことなんだから」
その表情がまざまざ目に浮かぶようだった。
きっと、ナディみたいのをツンデレって言うんじゃないかな。
そっと手を伸ばす。
ナディも同じ様に手を伸ばしてて……私たちは夜の中でそっと手をつないだ。




