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王妃殿下のメランコリックで物哀しい午後

 それはいつもと変わらない日だった。

 何の事件も起こっておらず、少なくとも私が知っている範囲では何の問題も起こっていない平和で穏やかな午後の昼下がり────私の宮にはナディがやってきていた。

 私が暮らしているのは後宮でナディが暮らしているのは東宮と呼ばれる一角にある王女宮なので、同じ王宮に住んでいるといって日常生活ではほぼ顔を合わせることがない。

 更には、ナディにはナディの第二王女としての公務があるし、私には王妃としての公務があるため、時間的な制約もあって、なかなか気軽に会うというわけにはいかない。

 それでも私たちは折をみて、こうして一緒にお茶の時間を過ごす。

 お互いに打ち解けて話ができる相手などそう多くはいない。私にとって、ナディは数少ない、本音を明かすことのできる友人だ。



「……やっぱりルティは白も似合うわ」

ナディは私の肩に白い絹地をあて、納得したようにうんうんとうなづく。

「そうですか?」

「ええ。……もっと白のガウンを作れば? ……ああ……でも、お兄様はお嫌かもしれないわ」

「なぜです?」

「ルティは白を着ていると、消えちゃいそうで怖いもの」

 ナディは私を見て、少し目を細めた。

 そういえば、ナディル様もこういう表情をよくなさる。

「そんな儚い系じゃないですよ」

「……そうね。こうして話しているとそうだけど、見た目だけならすごーく儚い系なのよ。お母さまのこともあるし……皆にもそういう印象が強いわ」

「良いのか悪いのか……で、いきなりどうしたんです? こんなに布ばかりたくさんもってきて……」


 ソファの上にも、ローテーブルの上にも布が山と積まれている。

 自動織機が開発され、手織りではない布が世間には出回り始めてはいるものの、私たちが身に着けるものに使うような布地はいまだに手織りだ。布はある種の美術品であり、工芸品であり、そして実は、資産でもある。

「ルティの誕生日に新しいガウンを贈るわ」

「誕生日はまだまだ先ですよ」

「公式誕生日じゃないわ。本当の生まれた日のことよ」

「……ああ……」

 なるほど、と私はうなづく。

「それでもまだ先ですけど?」

「実は、お兄様の御召し物も贈らせてもらうことになっているの……お兄様の本当のお誕生日にね。揃いで作らせるつもりだから……」

「なるほど」

 そういうことであれば少し急がなければいけないだろう。

「……生まれた日と公式誕生日と二つ誕生日があるのって、今でも何だか不思議な気がします」

 王妃となった瞬間から、私の誕生日は二つになった。この国では、二つの誕生日を持つのは国王と王妃だけだ。

「そうね。でも、いいじゃない。そのおかげで本当の誕生日は身内だけでお祝いできるんだから。……私なんて誕生日当日は、謁見に昼餐会、お茶会に夜会続きで酷い日になること決定なのよ。一年で一番過酷な一日だわ」

「うわぁ……」

 それは考えただけでかなり酷いスケジュールに思えた。


「……あ、ルティにお願いがあるんだけど」

「なんですか?」

「……誕生日で思い出したんだけど、私にも作れるケーキがないかしら?」

 誕生日にはたっぷりの甘いもの! というのはどこの世界でも一緒らしい。

「え? ナディが手作りするんですか?」

「ええ。……実は、お母さまの誕生日が来週なの。それで、手作りのお菓子をあげたくて……」

 ナディのお母さま────元第二王妃のアルジュナ妃殿下は、甘いものが大好きだ。

 はにかんだナディの表情はとても可愛いので力になってあげたいとは思う。そうは思うけれど重大な問題がある。

「……んーーーーー」

 私は軽く眉根を寄せて顔を顰め、ナディに問うた。

「ナディ、お菓子じゃなくても、自分で何かお料理したことってあります?」

 ナディは別に不器用というわけではない。でも、生まれながらのお姫さまなのだ。

「……ないわ」

 ナディの目が泳いだ。自分でも問題点に気づいたらしい。

「何でそれで手作りのお菓子を作りたいだなんて言い出すんですか……無謀すぎますよ」

「だ、だって……手作りって特別じゃない」

「……そうですね」

 私たちは望めば大概のものが手に入る。

 そんな中で特別なものを贈りたいと考えるのなら工夫がいる。

 よほど珍奇なものか、あるいはよほど高級なものを捜すか……世界に一つしかないようなものでなければ『特別』にはならないのだ。

(その点、手作りはいいですよね)

 自分だけが贈れる『特別』である。

「……ナディ、一人で作るのではなく、孤児院で作ったらどうでしょう」

「え?」

「時間を調整して、孤児院で作ったらいいじゃないですか。あそこの子供たちや修道士たちに手伝ってもらえばいいんです」

「……修道士って……」

 私もナディも同じ人を思い浮かべていた。

「ホロホロクッキーを作れるようになっているんですから、ナディよりずっと腕は上ですよ、彼」

「ええ、そうするわ。お母さまもきっと喜ぶし……お兄様は許してくれるかしら?」

 それはきっと世界でたった一つの特別な贈り物になるだろう。

「孤児院に喜捨に行くだけのことですから問題ないと思います。……夜にでも私からお話しておきますね」

 ナディは目を潤ませて、お願いね、と笑った。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆


「……別に構わない。孤児院を訪れる程度の事は私に申請する必要はない……王都内ならば」

「それが、どこの孤児院であっても、ですか?」

 私の耳はちゃんとナディル様が匂わせたニュアンスを聞き取った。

「……ああ。……ただし、王都内に限るが」

「はい、それは大丈夫です。ちゃんと伝えておきます。……ところでナディルさま、最後にもう一つケーキはいかがですか?」

 真夜中に寝台の上でお茶にするのももう手慣れたものだった。

 もちろん、毎晩こんなことをしているわけではない。

 今日みたいに、視察続きでほとんどナディル様が食事をしていないことがわかっている日には何か用意しておくのが習慣になっているだけだ。

 少しだけ悩んだナディル様は、あっさりと皿を差し出す。

「……もらおうか」

 テーブル代わりの銀のトレイの上には、食べやすいサイズに作ったキッシュやスコーンの皿が並び、ティカップからは湯気が立ち上っている。

 私はナディル様の皿を受け取り、代わりに後ろに置いていた籠から取り出したケーキの乗った皿を渡した。


「……初めて見るケーキだな」

「仮にですけど、ル・クジュと名付けています」

「ル・クジュ……? 千の皮という意味か?」

「はい。……何層もの小麦粉で作った皮の間にフィグ酒をきかせたクリームを挟んでいます」

 あちら風に言うならば『ミル・クレープ』なのだけど、その名前は使えなかった。こちらだと、古語表現になるが『ミ・ル・クレフ』で無数の泡という意味になるからだ。

 なので、意味を優先してこちらの言葉で名付けた。

 無言で受け取ったナディル様は、フォークで切り分けて一口目を口にする。味わうように咀嚼しながら、わずかに表情を緩めた。

(……あ、気に入ってくれたんだ)

 好みの味だったのか、すぐに二口目を口にする。一口目より大きく切り分けていた。

「……クリームと皮を重ねただけの単純なものなのに、味わい深い」

 うまい、と淡々と告げるナディル様を見ていると、それだけで胸がいっぱいになってしまう。


(……そういえば……)

 ミル・クレープが大好きだった子のことを思い出した。

 日本での記憶はだいぶ遠いものになっている────それでも、彼女の事を忘れるはずがなかった。

(しーちゃん……どうしているだろう……?)

 学生時代のバイト先のオーナーシェフの娘さんで、とても私になついてくれていた。

 あちらがどういう風に思ってくれていたかはわからないけれど、私は、妹みたいに思っていた。

 私たちが仲良くなるきっかけとなったのがミル・クレープで、私たちは何度も一緒に作ったものだった。

(……進路は、どうしたんだろう?)

 私の意識がこちらで目覚める前……事故に遭った時、彼女はまだ高校生だった。

 料理人になりたいけど、大学どうしよう? と悩んでいて、私も何度か相談を受けていたのだ。

(まあ、どういう進路を辿ろうが、料理人になることは決めていたから……)

 もしかしたら、今頃、お父さんのお店を継いでいるかもしれないな、なんてことも考えた。


「……ルティア、どうかしたか?」

 もしかしたら随分と物思いにふけってしまったのかもしれない。

 気が付くとナディル様が不思議そうな顔で私を見ていた。

「……いえ、どうしたらもっとおいしいケーキができるかと思って……」

 私は何でもないです、と首を横に振り、自分もル・クジュと名付けたミル・クレープにフォークをいれた。

 切り分けた一欠片を口に運ぶと、フィグ酒の甘い香りがいっぱいに広がる。その上から、濃厚なクリームの自然な甘味が柔らかく溶けて重なった。

(うん。上出来)

 少し焼きすぎた生地もあるけれど、クリームのフレッシュさでうまく緩和されている。

 これはもうこちらのオーブンの精度の問題なので、何度も焼いて慣れるしかない。


「このままで充分おいしいと思うが」

「……まだまだです」

 だって、あの頃、しーちゃんと一緒に作っていたものには全然及ばない。

 まあ、作業環境も材料も違うから仕方がないけど。

(……でも……)

 でも、いつか、ナディル様に私の思い出そのままの味を食べてほしいと思う。

「いつか、最高のル・クジュをご馳走しますね」

 きっとこのケーキを作るたびに……あるいは、食べるたびに、私はしーちゃんを──── 帰ることのない日本を思い出すだろう。

 そして……たぶん、そのたびにこうしてどこか物哀しい気持ちになるに違いない。

 記憶は遠くなっても、麻耶でありアルティリエである『私』の中から、その記憶は決してなくならないから。

「……ああ、楽しみにしている」

 ナディル様は軽く目を見開いて、それから優しく笑った。

 私の中はどこか感傷的な淋しさでいっぱいだった。

(──── でも、ナディル様がいてくれるのならばそれも悪くない)

 私は、温くなってしまった紅茶で、そのメランコリックな物哀しさにも似た感情をゆっくりと飲み込んだ。


 





王妃殿下のメランコリックで物哀しい午後 END

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