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下町の晩餐【前編】


 ふらりとアルフレートが執務室にやってきたのは、秋晴れの空が夕暮れ色に染まり始める時間帯だった。


「兄上、少しお時間をいただいてもよろしいですか?」

「……どうした?また、料理人に逃げられたのか?」


 アルフレートがこんな風にナディルのところにくるのは珍しい。

 兄弟仲は良いほうだと思うが、それほど私的な時間を一緒に過ごしたことはない。

 何しろナディルは忙しすぎる。

 そして、気軽に顔を合わせるには王宮という場所は広すぎる。


(何よりも私たちの生活時間はあまりかみ合わないからな)


 軍人であるアルフレートと王太子としての執務に追われるナディルの生活はまったくの別物だ。日常ルーティンが根本的に違う。

 王族として出席せねばならない行事などでない限り、顔を合わせることはほとんどない。

 そのせいだろうか、アルフレートはどこか改まった様子をみせていた。珍しいことにやや緊張の色があったが、料理人に逃げられたのかという問いには即座に首を振った。


「まさか」


 そして、笑みを浮かべながら付け加える。


「兄上のところから来た料理人は、なかなか見所がありますよ」

「……ほう」


 三つ年下のこの弟は見た目の無骨さのわりに多才多芸だ。芸術方面にあまり才のないナディルと違ってそちら方面のセンスがある。

 そんなアルフレートの特技の一つに、料理がある。元々は単に食い意地がはっていただけだったのだが、成長し軍に籍をおき、一般兵士との交流を深める中でどういうわけか自身で料理をするようになったという。


(まあ、軍は野営訓練も多いからな)


 ナディルもしばらく軍籍にあったことがあるので承知しているのだが、王子だろうと大貴族の子息だろうと、軍ではただの従騎士からはじめる。それでも一般兵士よりはずっと優遇されているのだが、貴族の子供として甘やかされて育ってきた者には従騎士の仕事や役割というのはすんなりと受け入れ難いものがある。

 アルフレートが入隊したのは近衛ではなく中央師団で、しばらくたつまでずっと身分を隠していたから炊事なども当たり前のようにやらされていたという。


(まあ、本人は楽しんでいたようだが)


 王子としての生活よりも兵士としての生活のほうが性に合うと常々言っている通り、アルフレートはそんな生活にずいぶんと早くなじんだ。

 そんな生活の中で料理に興味を持ち、地位があがるにつれて増えていく部下の掌握をするにはまず胃袋を懐柔することだと学んだという。

 今ではそこらへんの料理人では太刀打ちできないほどの腕らしいのだが、そのアルフレートが絶賛するのが、同じく料理に造詣が深いナディルの幼い妃だった。


(まあ、それはシオンも一緒だな)


 ナディルの弟たちは、すっかり彼の妃の作りだすお菓子やら軽食やらに魅了されている。


「兄上、確か今日の夜は、レサンジュの大使の急病で晩餐会が中止になりましたよね?」

「ああ。……何でも、謁見の時間に遅れそうになって急ぎ参内しようとしたら、大使館内の階段から落ちて腰を打ったとか」

「……ずいぶんとそそっかしい大使なのですね」

「そうだな」

「まあ、大使のことはどうでもいいです。……つまり、今夜は兄上の予定はある程度自由になるということですよね」

「……ならないでもないな」


 片づけてしまいたい仕事はあるが、アルフレートが夕食を共にしたいと望むのならそれに応じる程度の融通はきかせられる。


「では、そのお時間でぜひ夕食を共にしましょう!妃殿下とともに!」

「夕食はかまわないが、ルティアと?彼女にも予定があると思うが?」

「大丈夫です」


 なぜ、私の妃のことをおまえがそんなに自信満々に言うのだと思わず問い詰めたくなったが、アルフレートに問うより本人に尋ねたほうがよいだろうと思いなおした。



*******



「今日は、外で食事をしましょう」

「外で?ルティアを連れ出すのか?」


 眉を顰めた。

 外出くらい許さねばならないということはわかっているのだが、それでも、アルティリエを不特定多数の人間が溢れているような場所に連れ出すことには、強く忌避する気持ちが働く。


「後宮に移ったからと言っても、どうせ護衛は外しておられないのでしょう?ならば、特に問題があるとは思えませんが」

「それはそうだが……」

「何かあれば、私が足止めします」


 これでもいささか腕に覚えはありますので、とアルフレートは控えめに述べるが、王子という贔屓目を抜きにしてその剣の腕は特筆すべきものだ。わが国有数の剣の使い手であることは間違いがない。

 そのアルフレートがいて、更にはナディルがいて、対処しきれないことはほとんどないだろう。自分たちについている護衛とているのだ。

 それでも、アルティリエを気軽に外に連れ出す気にはなれないのは、ナディルの過保護すぎる性分に違いなかった。


「……閉じ込めているのはわかっているのだ。……後宮へその身を移したとて、あれはさぞ不自由で息苦しい生活をしていることだろう」

「兄上は、姫のことが大切でならないのですね」

「……当たり前だろう。ルティアは私の妃だぞ」

「いえ、それはわかっております。もっと私的な意味でです」

「私的も公的もすべて私の妻であることに変わりはない」

「……わかりにくい惚気をありがとうございます」

「惚気ではないぞ。ただの事実だ」

「ええ、そうですね」


 アルフレートが笑う。


「……でも兄上、もし兄上が姫と離婚しなければいけなくなったら、どうなさいますか?」

「離婚する理由がないな」

「……前にシオンが言っていましたが、今、公爵が死んだら、兄上と姫は離婚することになるのでは?他の爵位はともかく、エルゼヴェルト公爵を空位にするわけにはいかないですよね?」

「おまえには明らかにできない理由により、私とルティアの離婚はありえない。……もし、そうなったら……そうだな、私たちの間に子供が生まれるまで、エルゼヴェルト領はおまえが代理統治することになるだろうな」

 別にもやりようは他にもある、とナディルは小声でつぶやく。

 国法の抜け穴ならば熟知している。問題は、法ではない。

「はぁ?俺ですか?」

「ああ。それでおまえにはエルゼヴェルトの血を引く娘があてがわれるだろう」

「なぜ、俺に?」

「他に適当な人間がいない。……それに、おまえなら公爵位を己のものにしようとはしないだろう」

「ええ。……正直、そんなものほしいと思ったことないですし……どっちにせよ、俺の爵位はいずれ公爵ですからね」


 王族を除けば最高位である公爵位は特別だ。

 その中でももちろん四大公爵と呼ばれる四方公爵家は特別なのだが、アルフレートには同じ公爵位に過ぎないのだろう。


「そうだな」


 自分とアルティリエの間に三人子供が生まれればアルフレートは臣籍に降りることが叶う。

 アルフレート一代限りは大公位と王族公爵位を併せ持ち、その子は王族公爵位を継ぐことができる。

 現在、王族公爵位の所有者は一人だけだから、与える領地も称号も余っている状態だ。

 さまざまな義務を伴うエルゼヴェルト公爵位よりただの王族公爵のほうが良いとアルフレートは思っているようだが、そうは思わない人間が世の中には多い。


「では兄上、夕の六の鐘の後にドラヴェルの東屋で」

「わかった。……ルティアと共に行こう」

「はい」


 ドラヴェルというのは、森の精霊のことだ。

 王宮の中庭の一角に、その森の精霊の像で飾られた東屋がある。それが、ドラウェルの東屋だ。

 そこは、ユトリア地区の中心街にある中央師団の詰所に直接通じる地下通路の出入り口の一つである。

 ナディルだけで中央師団の詰所に行けば騒ぎになるだろうから、そのルートをナディルはほとんど使ったことがない。だが、師団長であるアルフレートの後ろでフードを深くかぶっていればさほど目立つこともないだろう。


「では、後ほど」

「お待ち申し上げております」


 恭しく頭を下げて退出するアルフレートがひどく上機嫌だったことに、ナディルは小さく首を傾げた。



 *******



 目に入ったのは光をはじく黄金の髪。

 夕暮れ時の薄暗い中ですらまばゆいその輝きは、どんな装飾品よりもアルティリエを輝かせる。

 臈長けた面差しは、近頃、とみにその美しさを増した。

 絶世の美貌を謳われた祖母や母によく似ていて、でもどこかが決定的に違うように思える。


(特別に見えるのは、夫の贔屓目か)


「ナディル様」


 ナディルの姿を目にしたとたんに、ふわりと柔らかな笑みが浮かぶ。


(明らかな好意の発露)


 その事実に頬が緩む。


「お誘いくださってありがとうございます」


 満面の笑みを浮かべているルティアに反して、付き従っているラナ・ハートレー……リリアの表情は険しい。


「いや……君にも予定があっただろうに、急なことですまない」

「それこそ、『問題ない』です」


 クスクスと笑いながら、ルティアはナディルの口癖を楽し気な表情で口にする。

 下働きの少女が着るような簡素な服を身に着け、上にどこで手に入れたのか、まったく華美ではないフード付の春物のマントを羽織っている。そんな服装であっても、その美貌は明らかだ。

 なのに、悪目立ちするような浮いた感じはまったくない。幼いころから最上の絹のみに包まれて育ってきたかのような育ちの娘だというのに、違和感を感じさせないのだ。


「では、ラナ・ハートレー、食事が済んだらルティアは私が必ず送り届ける」

「……かしこまりました」


 何か言いたげな様子ではあったが、結局、彼女はそれを口にすることはなかった。

 即位を控え、名実とともにこの国の最高位にあるナディルに対し、口うるさく文句をつけることのデメリットを考えたのだろう。リリアはそういう計算が素早くできる。


(でもそれは、決して私の地位を恐れたわけではない)


 必要な時に一番効果的にそれを用いることを考えたがゆえに、譲歩できる今は口を開かなかっただけだ。


「じゃあね、リリア。いってきます」

「いってらっしゃいませ、妃殿下。くれぐれもお気をつけてくださいませ」

「ええ。ナディル様がいるから大丈夫」


 そうですよね、と笑うアルティリエを、ナディルはそっと抱き上げる。


「……もちろんだ」


 それ以外の言葉を、ナディルは見つけることができない。

 己に絶大な信頼を寄せるこの幼い妃の、そのまっすぐな眼差しを裏切ることなどできようはずがない。


(つまるところ、私にも見栄を張るという気持ちがあるということなのだな)


 この眼差しの前で、それができない、と言うことなどできやしないのだ。


「ナディル様、私、歩けます」

「わかっているが、きみは体力がないだろう」


 ここで体力を消費しないほうがいいだろう、ともっともらしい理由を口にした。

 歩くのが遅いからとか、迷うといけないからとか、いつもそれらしい理由をつけて、ナディルはアルティリエを抱き上げることが多い。

 腕の中にいるのなら、安心していられるからだ。


(存外、私は臆病なのだな)


 己の腕の中にあるこのぬくもりが失われること───今は、それがなによりも恐ろしい。


「今日はお誘いいただいてありがとうございます、ナディル様」


 ナディルの言葉に、アルティリエは納得したのか、いつものようにおとなしく腕の中におさまる。

 外套が薄くなった分、その身の頼りなげな細さがいっそうよくわかるような気がした。


「……いや、取り仕切ったのはアルフレートで……」

「そうですけれど、ナディル様の貴重なお時間を割いていただけることがうれしいです。とてもお忙しいということを聞いておりますから」


 静かな声音。アルティリエは、時として 年齢に似合わぬ落ち着きをみせる。


「……無理をなさっていないか、心配です」


 我が身を案じるその様子に、心が温められた。


「無理などしていない」

「……ご自身では気づかぬうちにしているかもしれません」

「君が心配性なだけだ」

「そんなことありません」


 不満げに言い募る様子にナディルは目を細める。


「殿下が頑張りすぎなんです」

「頑張ってなどいない。いつものことだ」

「その『いつも』がよくないんですよ」


 埒のあかない会話を交わしながら、二人で約束の場所へと向かった。


「あー、ご歓談中、申し訳ありません。兄上、義姉上」


 二人の姿を目にとめたアルフレートはこほん、と小さく咳ばらいをしてから口を開く。


「いや。……待たせたか?」

「いいえ。私も今、来たばかりです」

「ごきげんよう、アル殿下」

「義姉上もご機嫌麗しいようで何よりです」

「だって、ナディル様とお出かけですもの」


 そっと口元で手を合わせ、アルティリエはこの上なく嬉しそうに笑う。

 ナディルは、そんな何てことのない一つ一つのしぐさや、表情に目を奪われた。


「喜んでいただけて嬉しいです。……兄上、どうしました?変な顔をして」

「……おまえはいつからルティアを義姉と呼ぶように?」

「ああ……シオンが、そう呼んでいるので、だいぶ前からですよ」


 あっさりとアルフレートは言う。

 だいぶ前などという曖昧な言い方をするな、と心の中では思ったものの口には出さなかった。

 それを口にしないだけの理性はある。


「シオンが?」

「……ナディル様。私はナディル様の妃ですから、お二人の義姉でおかしくないんですよ」


 くすくすと笑いながら告げるアルティリエはとても愛らしい。


「それはそうだが……」

「私の方がだいぶ年が下ですから、違和感がありますけれど……でも、少し嬉しいんです」

「義姉と呼ばれることが、か?」

「はい。……私、兄弟もおりませんから」

「そうだな」


 実際を言うならば、異母兄弟と言ってもいい存在はいる。

 が、ダーディニアの国法的には彼らはアルティリエの兄弟と認められないし、共に暮らしたことのないアルティリエは彼らを兄弟と認識できないということだろう。


「ですから、シオン猊下とアル殿下に義姉と呼ばれるとちょっと嬉しくて……」

「そうか」


 アルフレートをアルと愛称で呼んでいることは少しだけ気に入らなかったが、アルティリエが喜んでいるのなら咎めるまい、と思う。


(思いはするが、気に入らないのはもうどうしようもないな)


 アルティリエのことに関する限り、自分には寛容という言葉はあてはまらないような気がした。


「では、参りましょうか……僭越ではありますが、私が先導させていただきます、兄上」

「……頼む」

「お願いしますね、アル殿下」


 期待に弾んだその涼やかな声が、忘れがたい夜のはじまりの合図となった。



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