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Heart  作者: 九重 零 
1/1

1-1 はじまりの蒼い光

「もう、放っておいてくれ!」

吐き捨てる様に叫んだ勢いのままに街を飛び出した後、いったいどうなったのかは、よく覚えていない。

あてもなく森をさまよって、気がつけばそこはどことも知れぬ森の奥深い場所だった。

あれからどのくらいたったのか。それすらわからない。

視界はぼやけ、体中が鉛のように重く、もたれかかった木の幹から背を離すこともできない。

どうしてこうなったのだろう。と漠然と考えるくらいしか、もうできることは残されていなかった。


――頭の中に響くようにして「声」が聞こえるようになったのは、2週間ほど前のことだ。

不運にも人気の多い大通りを歩いていた最中に現れたその感覚は、突然「声」の濁流の中に突き落とされたようなものだった。

通りを行き来する人々一人ひとりの考え、思い、企み。その全てが「声」となって襲いかかってきた。

そんなものにいきなり耐えられるはずもなく、ショックでその場で気を失い、気がついたのは翌日のことだった。

それから、たびたび「声」が聞こえるようになり、その間隔は日ごとに短くなっていった。

いったい誰が、他人の心の中の「声」を聞きたいと思うのだろうか。

そんなものが聞こえる人間を相手に、平気な顔をしていられる人がはたしてどれくらいいるのだろうか。

本来、聞いてはいけないはずのもの。聞きたくも無いものが絶え間なく聞こえる。そんな恐怖に怯えるうちに、だんだんと心は壊れていった。

やがてそれは限界に達して、冷静さなんて欠片もない衝動に任せ、形見の剣だけを持って街を飛び出した。


ここで倒れるまでいったい何度「いっそ死んでしまおう」と思っただろう。

だが、俺――レイル・アルテミアという人間に、その選択肢はなかった。

このまま行き倒れていれば、いずれ同じ結果を迎えるのかもしれない。それでも、少なくとも自分からは死を選ぶことは出来なかった。

「――強く生きて、自分が守るべきものを見つけなさい。」

10年前。まだ幼なかった無力な俺を守るために戦い、そして倒れた母親は、あまりの恐怖で固まる俺を、最期の力で抱きよせ、そう言った。

体中に傷を負い、自らの血と魔物の血が混ざって紅く染まった手で頬を撫でるその感触。涙で滲む目と、掠れるようなその言葉の合間。その全てが、絶対に忘れることのない記憶としてこの身に刻み込まれている。

たとえ、どれほど心を病み、壊れてしまったと自覚しても、強くなること。そして、自分が守るべきものは何かを探すことを絶対としてきた。

この言葉が、俺を、レイル・アルテミアという人間のこれまでを支えてきた全てと言ってもいいほどだ。

けれど、そんな言い訳も、もう限界かもしれない。

誰とも関わること無く、一人で生きていくことなんて不可能だ。それに、それでは「守るべきもの」なんて見つけられやしない。

それはただ、死にたくないだけの惨めな言い訳なのかもしれないし、何も残せず、何も成さずに死にたくないというだけの我が儘なのかもしれない。

それに、ここでぐずぐずしていれば、野垂れ死ぬか、後を追ってきているだろうギルドの捜索隊に見つかってしまうだけだろう。

見知った顔も多い捜索隊を力ずくで振り切ってまで逃げ出したいとは思えないし、これほど消耗した体でそんなことが出来そうもない。

タイミリミットは迫っていたが、しばらく考えたところで、答えは出なかった。

だんだんと頭まで働かなくなってきて、強烈な眠気が襲ってくる。

こんな場所で眠りにつくのは危険だが、もう、それさえもどうでもいいかもしれない……。


あともう一息で完全に眠ってしまうほど朦朧とした意識の中、ふいに誰かの気配を感じたような気がした。

残った意識をかき集めるようにしてゆっくりとその方向へ顔を向けると、ぼやけた視界に、こちらへ歩みよる人影のようなものが映った。

幻覚だろうか……?そうでないとしたら、おそらく自分を探しに来た人間だろうが、誰なのかは全くわからない。

――もう見つかったのか。思ってたより、早かったな……。と、そう考えるので精一杯だった。

それでも、せめて最後の抵抗にと、ほんの少しでも体を動かそうとしていると、人影の周囲に青い光が浮かび始めた。

突然の出来事に、もう一度集めようとしていた気力が散り、その行為を黙って見ていることしかできなくなる。

なにもない場所から次々と湧きでた青い光が集まり、彗星のような尾を引きながら空中で回転をはじめた。

シャラランと心地良い音をたてて速度を増していく光の軌跡は、やがて一つの円となって、内側からなにかの紋様が浮かび上がる。

青一色で統一された魔法陣、ぼやけてよく見えないが、中心に浮かんでいるのは月の模様だろう。

蒼い月から流れ出す癒しの聖水。誰が見てもひと目でそれとわかる治癒魔法の象徴だ。

しばらくすると、魔法陣の内側からあふれ出した青い光が、俺の体を包み込み――。

疲労しきっていた体は嘘のように軽くなり、視界いっぱいに広がった光が収まる頃には体中の傷が癒えていた。

ぼやけていた視界も元に戻り、目の前に立っている人物の姿が鮮明に写る。


そこに立っていたのは、「蒼い」女性だった。

腰のあたりまで伸ばされた長く艶やかな髪は、俺のものよりもさらに蒼く澄み切った色に輝き、この地方に伝わる儀礼用の服とされる着物の鮮やかな蒼と合わさって、神秘的な雰囲気を放っている。

美人という言葉がふさわしい整った顔の、細い目の蒼い瞳は、真っ直ぐに俺のことを捉えていた。

女性が、透きとおるような声で「大丈夫ですか?」と俺に声をかける。

あまりにも浮世離れした雰囲気に圧倒されていた俺は、その言葉に我に返り、まずは素直に助けてもらった礼を言うことにする。

「ありがとう。疲れて動けなくなっていたんだ。助かったよ。」

「よかった。とても消耗していらしたようなので簡単な治癒魔法をかけましたが、まだ何処か痛む場所はありませんか?」

そのままとも言える俺のお礼の言葉に、女性は落ち着いた笑みを浮かべながら気遣いの言葉をかけた。

彼女はどうやらギルドの関係者ではないようだ。

こんな奥地にギルド以外の人間が居ることは多少気がかりではあるが、助けてもらったのは本当にありがたかった。

しかし、このまま長話をしているわけにはいかない。

彼女に迷惑をかけてしまうかもしれないし、またあの「声」が聞こえてしまうかもしれない。そうなれば、自分を保っていられる自信はない。

「大丈夫だ。本当にありがとう。」俺はそれだけ言って立ち上がり、その場を去ろうとした。

だが、直後に「どこへいかれるつもりですか?」と尋ねられ、踏み出そうとした足を止め、その場に固まってしまう。

俺は、とっさに返す言葉が見つからず、そのまま黙りこんでしまった。

「また宛もなく歩きまわるつもりですか?

 次はないかもしれませんよ?レイル・アルテミアさん。」

女性が自分の名前を呼んだ瞬間に、はっとして彼女の方へと振り向いた。

彼女は何かを知っている。いや、"何もかも知っている" そんな気がして、体中に緊張がはしる。

「捜索でも頼まれたのか?」

一瞬で、意識が警戒へと切り替わり、起こりうる様々な可能性を考えようとする。

『ギルドに捜索を依頼された』という程度のことならまだいいが、それ以外だった場合は――。

同時にこの女性が何者なのか記憶を辿ったが、記憶の片隅になにかがひっかかて、言いようのない違和感を残すだけで、はっきりと思い出すことはできない。

俺は、気づかれないよう慎重に、腰に下げられた剣の柄へと手を伸ばして返答を待った。

「失礼しました。まだ名前を名乗っていませんでしたね。

 わたしはアクア。治癒魔法の管理とこの地方一帯の生態系の管理を任された『賢者』です。

 そうですね、逃げ出したあなたを街へ返そうというわけではありませんので安心してください。」

俺は、より強い疑いの視線を女性へと向ける。

――『賢者』

様々な魔法を司り、人々、動物、自然を管理する絶対者。

特定の勢力に偏ること無く、ただ世界の維持だけに無限に等しい時を生きる神のごとき存在。

目の前の女性が、そんな途方も無い存在だとでもいうのか?

確かに神秘的で浮世離れしてはいるが、そんな雰囲気も、威圧感も感じられない。

「誤魔化すならもう少しマシな冗談にしてくれ。」

「……こうすればわかってもらえますか?」

そう言うのと同時に、アクアの雰囲気が――いや、あたりの雰囲気が一変した。

肌に突き刺さる、ビリビリとした威圧感。そこにあったのは、"あの時"と同じ、人がどうあがいたても敵うことのない絶対強者の気配。そして、畏怖。

そのあまりの迫力に気おされ、気がつけば数歩後ずさってしまっていた。

アクアの背後には、4つもの魔法陣が同時に展開されていた。

魔法に関してあまり詳しくはないが、それがありえないということくらいはすぐに理解できた。

そのどれもが、先ほどの魔法陣などとは比べ物にならないほどに大きく、はるかに複雑だったからだ。

この魔法が発動すれば、いったいなにが起こるのだろうか。

見てはいけない。知ってはならない。そんな気がした。

「これで信じていただけましたでしょうか?」

唐突に気配が緩む。

止まってしまっていた息を吐き出すと、一気に冷や汗が湧き出た。

ほんの数秒であったはずのその時間は、とても長い時間に感じられた。

その場にへたれこみそうになる体をなんとか制し、目の前に立つアクアをもう一度見る。

「ああ。」

ありえない。という思いがまだ残っているが、あれだけの力を見せつけられてはもう認めるしかない。

あれは、確かな証明であり、同時に脅しとも言えた。

「お分かりいただけたようでなによりです。

 あとは、『どうして名前を知っているか。』と『どうして助けたのか』というところでしょうか?」

無言で肯定を返す。全て見通されているようだ。

「1つ目の質問の答えは、とても簡単な事です。わたしは、自分の管理している地域の情報は全て把握している。それだけです。

 2つ目は、あなたに頼みたい依頼があるから。です。」

全ての情報を把握しているという事実を『それだけ』と言ってのけるのも恐ろしい話だが、神の使いと呼ばれ恐れられるほどの『賢者』が、俺にいったい何を頼む必要があるのだろうということの方が気になった。

「依頼?」

全知全能の存在が、どうしても人間の力を必要とする依頼……。

魔法の実験体……?あり得なくも無いかもしれない。

もし仮にそうであれば丁重にお断りしたいが、あんなものを見せられては逆えるわけもない。

「なんだかとんでもない想像をしていそうですが、そんなに難しい話ではありませんよ……?」

そこまで見透かされていた。

まあ、ひとまず命の危険がないようで安心する。

「端的に言えば、わたしの元で働いて欲しいという依頼です。

 報酬は、あなたのその『月読』と呼ばれる力について知っている限りのことを全て教えること。」

「"これ"について知っているのか!?」

その報酬内容は、あまりにも突然で、そして俺が今一番求めるものだった。

このわけの分からない力さえ無くなれば、生きていく程度の希望は持てるようになる。

垣間見えた希望に、つい言勢が強くなるのを抑えられなかった。

「『月読』はわたしが管理している魔法ですから。保証はします。

 ――ただし、消すことはできません。『月読』は先天性の魔法です。

 先天性の魔法を消す事は命に関わってしまいます。わたしが教えるのは、制御の方法ということになります。」

この忌々しい力を消す事はできない。それだけだったなら絶望してしまうような事実だ。

だが、これを制御するの方法がわかるならば、まだ、なにか変わるかもしれない。

「依頼の主な内容は?」

「難しいことではありません。わたしの元に居付いて、この辺り一帯の監視の仕事についてもらうだけです。」

「住む場所もあるってことか?」

「ほとぼりが冷めるまで匿ってもらえると思っていただいてもかまいません。」

今自分が最も知りたい情報に加え、住む場所までも付いてくるなど、あまりにも条件が良すぎる。

アクアにはなにか別の目的がある。ギルドにいた頃の経験がそう思わせた。

だが、自分に残された道はこれしかなかった。

目の前に現れたかすかな希望。いまはただ、それにすがりつくしかないのだ。

これで全てが変わることを賭け、レイルは答えた。

「わかった。その依頼、受けよう。」

「ありがとうございます。

 ついてきてください、詳しいお話は聖域でしましょう。」

その言葉と共に返って来たのは、どこまでも純粋な笑顔だった。思わぬ不意打ちに目を逸らしてしまう。

やはり、記憶の中で何かが引っかかた。

大事な事を忘れているような。霞んでいるような。そんな感覚。

どちらにせよ、しばらくその笑顔は忘れられそうになかった。


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