第2話 血とすれ違いと。
けれどやっぱり、彼女は魔人なのだ。
僕はそのことを、忘れてはならなかった。
ある日、自室に入ると、そこには彼女がいた。いつも通り話しかけようと近寄ると、突然、物凄い勢いでベッドに押し倒された。
その力はまるで獣のようで、どれだけ力を入れてもびくともしない。
のしかかって来る彼女の眼は血走っていて、指の先からは爪が長く伸びている。
「……どうしたの?」
あまり慌てずにそう聞くと、彼女は答えた。
「血が……」
「血?」
「血が、欲しい……」
どこか欲情したような目で僕を見つめる彼女の眼はあまりにも魔的だった。
少女の容姿に似合わない、妖艶な何か。
いつもの穏やかな雰囲気とは違う彼女に、確かに僕は心が騒ぐのを感じていた。
「別に、いいよ」
「飲んでも、いいのか…」
「うん…」
「お前……」
何か聞きたそうな顔をした彼女は、どうにも我慢できなかったらしい。
僕の肩を覆っていた服をその長い爪で切り裂くと、思い切り歯を突き立てた。
――ぷつり、と皮膚が破ける感覚がして、血が心臓の鼓動に合わせて漏れだす。
「……じゅる」
彼女は我を忘れて僕の血を貪った。その行動はまるきり獣で、僕はただの餌だ。
おそろしいものを感じなかったと言えば嘘となる。
けれどそれと同時に僕は幸せすら感じていた。彼女の一部に、僕がなれたというその事実に幸福を感じていたのだ。
「大丈夫かな、ぼく……」
自分の性癖に不安を感じたシーンだった。
*
あの日以来、彼女は僕の部屋に訪ねてこなくなった。そのうちまた来るだろう、と思っていたのだが、何時まで経っても来ない。契約があるからこの城から出て行った、ということは考えられない以上、父王のそばにずっと控えているのだろう。僕と知り合う前の彼女の生活に戻ってしまったのだ。
僕はそんなことは認められなかった。
どうして、と言われると答えに困るが、とにかく認める訳にはいかなかった。
一通りの謁見が終わり、一段落した玉座の間に入ると、父王と、その後ろに彼女が控えているのが見えた。父王は一瞬こちらを見て首を傾げたが、僕の目線が父王に向かわずにその後ろの何もない空間に向いていることに気づくと、笑って自室に戻っていく。彼は僕と彼女が友達のようなものだと、知っていた。
彼女も父王と共に部屋を出ようとするが、僕は急いでそれを止める。本来、彼女が触れようとしない限り、彼女がものに触れることはない。けれど僕は違う。彼女に意思に関係なく、彼女に触れることができるらしかった。
「……なんだ」
「どうして逃げるの?」
「おまえ、怖くないのか?」
「なにが?」
「……私が、人の血を餌とする化物だと言う事実についてだ」
少し強めの口調で言った彼女の顔は、その言葉とは裏腹にどこか不安そうな表情が浮かんでいる。
「それを言ったら、誰にも見えない幽霊みたいな存在であるって言う時点で怖がるべきじゃないかな」
そう言うと、彼女は虚をつかれたような顔になり、それから考え込む。
「……言われてみれば、そうなのか? しかし血を吸うのとはまた少し異なるような……」
ぶつぶつと呟く彼女の顔の頬に手を当てて、言う。
「とにかく! 別に怖くなんかないよ。だから、また話に来てほしい」
彼女は唇を変形させるくらいにぎゅーっと抑えていた僕の手を振り払う。
そして後ろを向きながら言った。
「……お前がそう言うなら、いいだろう」
見ると、耳が少し赤くなっていた。