【加筆】姫担モブ令嬢カリネリアは、悲劇的なシナリオをやり直す~可愛い推しは、絶対に死なせません~
カリネリア・ジェンティーレは、可愛いものが大好きな公爵令嬢だった。
どちらかと言うと大人びた容姿の彼女は、自分にない物に憧れを抱いていたのだ。
鏡に映る彼女は、亡くなった母の肖像画にそっくり。
ストレートの黒髪に、猫のようなアーモンド形の瞳は、妖艶さすら感じる。
特に右目の下にある泣き黒子は、その最たるものだろう。
そして、その顔には、彼女の大好きなピンクの花柄リボンは、どうしても合わなかった。
だから部屋には、沢山のぬいぐるみが置かれていた。
せめて部屋の中だけは、大好きな可愛いで埋め尽くしたかったのだ。
そんなカリネリアには、頭脳明晰で剣術の腕にもたけた優秀な兄が居た。
そのため跡継ぎ問題など起こりようもなく、他の令嬢と同じように、いつか他家へ嫁ぐのが当たり前だと思っていた。
ある運命の出会いがなければ、彼女は、その他大勢の令嬢達と変わらぬ人生を歩んだはずだった。
人生の転機は、八歳の時だった。
まだ学園に通い始めたばかりの時期に、王様と王妃様が一歳になったばかりの末姫のプルチーノを抱っこして視察に訪れたのだ。
目の前を通り過ぎる幼子の何と愛らしいことか。
目を奪われたカリネリアは、プルチーノだけを見つめ続けた。
まだ生えそろっていないフワフワの金髪。
突きたくなるプクプクの頬。
不思議そうに周りを見ているクリクリの青いおめめ。
何処をとっても、可愛いの権化だった。
自分も立派に幼いのに、より小さくて愛らしい存在に夢中になったカリネリアは、その日以来プルチーノがお目見えするとあれば、どんなに忙しくとも時間を作って現地に走った。
ある日は教会へ。
また、ある日はパレードを見るために父ジュストに頼み込んで街へ出た。
勿論護衛は連れているが、公爵令嬢が平民に混ざって王家のパレードを見るなど普通ではありえない事だった。
そんなことをしていると、流石に相手も気づくらしい。
年を追うごとに愛らしさの中に美しさを纏うようになっていったプルチーノは、黒髪のカリネリアを見ると手を振ってくれるようになった。
言葉を交わすことは無くとも、ただ、見ているだけでいい。
そう思っていたカリネリアにとっては奇跡のような出来事だった。
年齢も七歳差で一緒に学園に通う事もかなわなかったが、カリネリアは、ずっと幸せだった。
こうして、見る者と見られる者の誰にも知られることのない静かな交流は、十五年間も続いた。
しかし、そんなカリネリアを絶望の底へ突き落とす出来事が起きる。
最初の異変は、平民の聖女が誕生したことだった。
国中が歓喜にわき、王子の婚約者になった彼女に平民の少女たちは憧れた。
それだけなら、ただの幸せな物語だった。
しかし、暫くしてプルチーノが毒杯を賜ったという恐ろしい記事が新聞に載った。
彼女の罪状は、聖女を殺害しようと暴漢を雇ったというものだった。
――プルチーノ王女殿下が、そんな浅はかなことをするはずがないわ。
カリネリアは周りの人間に訴えたが、プルチーノと直接交流があったわけでもない彼女の事を信じる者は居ない。
しかも不幸は同時期起こるものなのか、夫であるイディオータの愛人に男子が誕生した。
人には言えぬ白い結婚だったが、事情を知らない人々は、子をなすことが出来なかったカリネリアを笑いものにしていた。
嫁ぎ先ですら肩身の狭い思いをしていた彼女は、社交界の片隅で下を向いて立っていることしかできなかった。
そして、プルチーノの死から一年が経ったころ、聖女が公開処刑されるという記事が新聞に載った。
なんと、魅了魔法で王家の人々を誑かし、末姫にありもしない罪を被せて亡き者にしたというのだ。
――今更死刑にしても、遅いのよ。
カリネリアは新聞に記載された日時に、ギロチンが据えられた街の広場へと足を運んだ。
あれほど歓迎されていたはずの聖女に向かって、街の人々が石を投げていた。
「あんた達だって、プルチーノの死を喜んでいたでしょ!」
ロープで拘束された聖女は、悪態をつきながら断頭台へと上らされた。
「ははははは、私だけじゃなく、アンタ達全員が加害者よ!」
死を目の前にしてもなお、他者を嘲笑う少女。
彼女の何処が聖女だと言うのだ。
――あんなの、悪魔だわ。
カリネリアは、思わず地面に落ちている石を拾って、手を振りかぶってしまった。
しかし、投げるよりも前に聞こえてきた聖女の言葉が彼女を止めた。
「今日の所はゲームオーバー。今度こそ、全攻略対象をコンプリートしてあげるから!じゃぁね、バイバイ!」
明るく言い切った聖女の首がスパッと切られた瞬間、カリネリアは叫んだ。
「なんで今頃、思い出すのよ!」
それは、前世の記憶。カリネリアは、可愛いものが大好きなごくごく普通の女性だった。
特技があるわけではなかったが、要領が良い為勉強も仕事も子育てもそつなく出来た。
暇な時間に少しはゲームもやるが、一つのゲームにハマって周回するような執着性はない、いわゆるライト層。
ただ、巷に乙女ゲームと呼ばれるジャンルがあり、その中に転生するなどといった荒唐無稽な小説が存在する事くらいは知っていた。
そして、多分、この世界での自分の役どころはモブ、いや、ほぼ背景に等しいのだと気づいた。
――もっと早く記憶が戻っていたら、プルチーノ王女殿下を守れたのかしら……。
助けられる時間はたっぷりあった。
それを一秒も使わないまま、試合は終わってしまった。
――神様、もし居ると言うのなら、どうか私にもう一度チャンスを下さい。
処刑を見て興奮する観衆の中で、カリネリアは手を組んで祈った。
そんな彼女を後ろから来た群衆が突き飛ばした。
「あっ……」
カリネリアは、頭がガクンと後ろに振れ、顎を突き出すような形で前に倒れていった。
そして、スローモーションのように周りがゆっくりに見え、地面まで後数センチの所で何かが光った。
■
――これは、どういうことなの?
今、目の前を国王に抱っこされたプルチーノが通っていく。
それは、初めてカリネリアが愛らしい姫君を知った日の記憶。
これは走馬灯で、死ぬ前の数秒間なのだと思った彼女は、思い残すことがないように叫んだ。
「プルチーノ王女殿下!大好きです!」
普段大人しい少女の大胆な行動に、周りの教師も驚いている。
止められないことを良い事に、カリネリアはプルチーノに向かって走った。
「あ、こら!止まりなさい!」
王の護衛達も慌ててカリネリアを止めようと前に立ちはだかったが、小さい体はスルスルと大人の手を逃れていった。
「プルチーノ王女殿下!プルチーノ王女殿下!」
泣きながら走る少女は、必死だった。
両手を伸ばして名前を連呼する姿は、悲壮感に溢れていた。
生き別れになった家族にでもあったかのような様子に、国王夫妻も何かを感じたようだ。
「大丈夫だ。こんなに小さな少女が、何かできることもあるまい」
傍に近寄ることを許されたカリネリアは、一度立ち止まり涙を拭った後、ゆっくりとプルチーノに近寄っていった。
「あっ、あっ、あっ」
プルチーノは、自分に愛情たっぷりの眼差しを向ける少女に気を許したようだ。
小さな手で、カリネリアが伸ばした指を掴む。
――走馬灯よ、お願いだから、この瞬間だけは覚めないで。
そう願ったカリネリアだが、一向に目が覚めないことに指先が冷たくなっていくのを感じた。
――え?まさか、夢じゃないの?
自分の手が、大人のそれではないことに気付いたカリネリアは、時を遡ってしまったことに今更気づいた。
――あぁ、神様、感謝いたします。
小さな手から伝わる温もりが嬉しくて、滝のように涙を流したカリネリアだったが、一分、二分、三分と時間が経ってもプルチーノが手を離さないことに心臓が痛い程脈打ち始める。
しかも、十五年間も見守り続けた相手がキャッキャと声を上げて喜び、もう一つの手も伸ばしてくるのだ。
「あら、私達の天使は、どうやら、このお嬢さんが気に入ったようですわね」
場の空気を悪くしないように、王妃が腰をかがめてカリネリアに微笑んだ。
「お名前は?」
「カ、カ、カリネリア・ジェンティーレと申します」
プルチーノに両手を拘束されたまま、カリネリアは答えた。
カーテシーを出来る状態ではない為、精一杯頭だけ下げる。
先程の威勢はどこへ?
急に体を縮こまらせて小さな声で受け答えを始めたカリネリアに、国王は微笑んだ。
「ジェンティーレという事は、ジュスト・ジェンティーレの娘さんかな?」
「は、はい」
「彼には、いつも助けられているよ」
学友でもあった国王とジュストは、今でも交流があるようだ。
その娘を罰することはないと、暗に周りに伝えているのだろう。
「それにしても、君と娘が会うのは今日が初めてだと思うのだが、君はプルチーノのことを大層気に入ってくれたようだね」
「き、気に入ったなどと恐れ多いことでございます。ただ、遠くでお姿を見られればそれだけで」
「その割には、走り出てきて手を握っているようだが?」
「こ、これには、少々訳がございまして」
まるで大人のように受け答えする少女が面白く、王様は、もっとカリネリアと話してみたいと思った。
それに、プルチーノが彼女の手を放そうとしないのだ。
「ここで立ち話も悪くないが、他の者が困るだろう。さぁ、一緒にお茶を飲みながら話をしよう」
「ダ、ダメです。私のようなものが、御身の傍に居るなど、許されることではございません」
「私が良いと言っている。さぁ、行くよ」
王様が歩き出すと、彼に抱っこされたプルチーノも移動する。
そうなると、プルチーノに手を握られたカリネリアも一緒に動くしかない。
「ひぃぃい」
変な悲鳴を上げながら、カリネリアは必死についていった。
その様子を見ていたクラスメートは、常に品位を保った物静かな少女が、素っ頓狂な悲鳴をあげながらバレリーナのように爪先立ちで歩いていく姿に笑いをかみ殺していた。
■
「カリー、カリー」
カリネリアと呼べないプルチーノは、座ったままで両手を前に伸ばす。
そうすれば、大好きなカリネリアが飛んできて自分を抱っこしてくれると知っているのだ。
「カリーは、ここに居りますよ~~~」
玩具を片付けていたカリネリアは、ススススススと足音を立てることなくプルチーノの元まで来るとムギューッと推しを抱きしめた。
――あぁ、なんて可愛いの。私の推しは、最高だわ!
先日の一件の後、カリネリアは、家に帰ってからジュストに大目玉を食らった。
もう二度とプルチーノに会わせては貰えないだろうと覚悟していたのだが、話は予想外の方へと流れていった。
なんと、プルチーノがカリネリアと別れた後泣き続け、カリーカリーと切なげに声を上げたのだ。
しかも、それが、プルチーノが喋った初めて意味のある言葉。パパ、ママよりも先である。
「プルチーノ王女殿下がお前を待っている。授業が終わった後、毎日一時間だけ遊びの時間を設けて下さるらしい。行ってみるか?」
「ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます」
両手を合わせて拝みだした娘に、ジュストは不安を覚えた。
どう見ても、今朝までの娘とは全く違う。
それは、彼女が前世を思い出したことと、この世界でも二十四まで生きた記憶があるからだろう。
八歳にして完璧な礼儀作法を会得しながらも、時折見せる庶民のような言動は、あまりにもアンバランスだ。
それでも、ジュストは娘を信じることにした。
従順で大人しかった時よりも、今の方が明るく生き生きとしているように見えたからだ。
「ジェンティーレ公爵家の娘として、そして、王女殿下のお相手として、恥ずかしくない行いをしなさい」
「勿論でございます。お父様」
泣きはらしていた目をキラキラと輝かせ、カリネリアは父に誓った。
こうして、大人達から姫担(王女殿下担当)認定を受けたカリネリアは、十五年後の悲劇を回避するべく動き出す。
先ずは、プルチーノの味方を増やすことにした。
だから、学園でも社交を怠らなかった。
王家に招かれて末娘の遊び相手を任される少女は、その肩書をフル活用した。
公爵令嬢という事もあり、王族以外に彼女より地位の上の者は居ない。
休日には身分関係なく屋敷の庭で行う茶会に誘い、カリネリアが描いたプルチーノの絵姿を鑑賞する。
「今週のプルチーノ王女殿下は、こちらでございます」
ブルーのフリフリドレスに小さな帽子を被った姿は、今にも動き出しそうな程リアルに描かれている。
好きこそものの上手なれ。
脳内に焼き付けた推しの映像を忠実にキャンバスへ落とし込む作業は、カリネリアの才能を開花させたのだ。
平民の生徒は、一生に一度目に出来るかどうかの存在だったプルチーノの絵を見て、幼い姫に親近感を抱くようになる。
遠い存在が、触れるほど近い相手になったのだ。
十五年後、たとえ王家が魅了によって操られるようになったとしても、市民層にプルチーノの支援者が居れば国外逃亡も可能になるだろう。
カリネリアは、何千通りのシチュエーションを考えてあらゆる手を尽くしていたのだった。
■
カリネリアの次なる手は、己の腕っぷしを上げることだった。
折角プルチーノの傍に侍れるようになったというのに、今のままの細い腕では盾にすらなれない。
女性はお淑やかであれというのが貴族令嬢のありかたと言われてきたが、前世の記憶がよみがえった彼女には、『そんなの関係ねぇ』だった。
「トレーロお兄様、私に、剣を教えてくださいませ」
「その言葉、何回目だ?」
「二百五十六回目です」
「一週間の間で、よくそこまで言えたな。だがしかし、無理だ。そろそろ諦めてくれないか?」
「いいえ、千回でも二千回でも申し上げます。私に剣を教えてくださいませ」
カリネリアの六つ年上の兄は、既に十四歳で真剣を持つことを許される腕前。
父ジュストも類まれな剣の才能があると言われてきた人物だが、その息子は上を行くともっぱらの噂だ。
死に戻る前も、彼は常に妹を気に掛けてくれる優しい人物だった。
雷が怖くて泣くカリネリアを自分のベッドへ連れて行き一緒に寝てくれたりもした。
聖女による騒動が起きていた頃、父と共に彼は従軍しており国には居なかった。
もし今回の人生において、トレーロと父が国内に留まるように導けば、王家の異常な様子にいち早く気づき、何かしら対処をしてくれてくれるかもない。
しかし、他力本願になってはプルチーノを助ける道は遠ざかっていく。
だからこそ、カリネリアは彼らを頼る事よりも、自分が兄のように強くなることを選んだ。
なんとも単純明快で短絡的な考えだが、石の上にも三年と言うように、執拗に言葉にし続ければチャンスは向こうからやってくる。
「そんなに剣を学びたいなら、父から学ぶか?」
背後から声を掛けてきたのは、ジュストだった。
「ただ、私は厳しいぞ。木刀で千回の素振りすら出来ない者に教えるつもりはない」
これは、娘に剣を諦めさせるための方便だった。
まだ八歳の少女が、自分の身長と変わらない長さの木刀を構えるだけでも至難の業だ。
しかし、カリネリアは花が綻ぶように美しい微笑みを浮かべた。
「千回ですね。分かりましたわ」
それだけ言うと、自分の部屋へ帰っていく。
諦めたのかとホッと溜息を洩らしたが、次の朝カリネリアは、自分の体に合うくらい削った木刀を持って現れた。
「エイ、エイ、エイ、エイ、エイ、エイ、エイ……………」
最初は、十回振ったら休んだ。
そして休んだら又振った。
手の皮が剥ければ、ハンカチを巻いた。
それでも、最初の一日目は、百回も振れなかった。
しかし、二日、三日、四日と、前の日より一回でも多く振る姿は屋敷を護衛する騎士すら背筋が伸びる思いがした。
そして、数か月後、とうとうカリネリアは、やり遂げた。
「お前には、負けた」
「お父様。これは、勝負ではございません。私は、ただお父様やお兄様のように強くなりたいだけなのです」
ジュストは、両手を上げて降参のポーズを取った。
妻は、カリネリアが三歳の時に流行り病で亡くなってしまっていた。
そのせいか、性別が違う娘に対しての接し方が分からなくなっていた。
しかし、今のカリネリアは、自分の思いをハッキリと口にしてくれる。
変に気を回したり勘繰ったりする必要がなく、ただ腹を割って話せばよいだけなのだ。
過去の時点において、ジュストが選んだカリネリアの夫は、外面が良く評判だけは良かった。
何も知らずに娘を嫁がせてしまったジュストは、娘が肩身の狭い思いをしているのを見て後悔し続けていた。
しかし、今世において、ジュストはカリネリアを嫁がせることを諦めている。
――こんなお転婆は、貰い手もないだろうが、この子なら自分で稼いで幸せを謳歌しそうだ。
女は結婚して子供を産むのが幸せである。
そんな古い考えを一つ捨てると、逆にジュストの視野は広がっていった。
――何でもやらせてみればいい。失敗しても、それも又人生だ。
こうして、カリネリアにとってジュストは、最大の理解者であり、協力者となった。
そんなある日、プルチーノを描くために芽生えたカリネリアの絵の才能は、世間に知られることとなる。
切っ掛けは、ある夜会での出来事だった。
貴族の間でも名の知れた蒐集家が、ジュストにカリネリアの個展を開かないかと声を掛けてきたのだ。
審美眼に優れている彼は、睫毛の揺れすら感じさせるようなカリネリアの繊細なタッチに惚れ込んだと言う。
「ジェンティーレ公爵、貴女の娘さんは天才だ。まさに、後世に名を残す画家の誕生ですよ!」
娘を褒められて、嬉しくない親は居ない。
帰って早々カリネリアに話をすると、平民も見ることが出来るようにしてくれるならと言い出した。
「勿論平民は無料で見られるようにして、貴族に対しては特別な絵を見せる代わりに観覧料を取りましょう」
やり手興行主のように話を進めるカリネリアに、ジュストは驚かされ続ける。
なにせ、その絵画展は一年を超すロングランになったのだ。
そして、その収入の一部は、十代にも満たない少女の元へと舞い込んでくる。
流石に子供にお金の管理をさせるわけにはいかず、父ジュストが代理人となっていたが、カリネリアは大満足だった。
――これだけのお金があれば、プルチーノ王女殿下を養えるわ。
いつか二人で逃亡しなければならなくなった時の軍資金は、有り余るほど手に入った。
次の一手は、このお金をどう使うかだ。
「お父様、私、寄付をしても宜しいでしょうか?」
「寄付かい?」
「えぇ。これはプルチーノ王女殿下が居てこそ手に入れられたお金。世のため人の為に使って戴きたいのです」
カリネリアの名演技で、収入の一部は教会へ寄進された。
これも、世界に支部を持つ彼らとのコネクション作りの一環だったのだが、幼い子供の寄進と言う前代未聞の行いに、大人達が傍観するわけにもいかない。
こうして、教会への寄付ブームのようなことが起きた。
それはカリネリアの絵を見た平民にまで広がり、教会の前にはコンサート会場のような長蛇の列ができた。
「それもこれも、ジェンティーレ公爵令嬢のお陰でございます」
教会から感謝の意を表す為に贈られたのは、全世界どの教会にもフリーパスで入れる通行手形だった。
思っていた以上の成果を手にし、単純に喜んでいたカリネリアは知らなかった。
自分が、財政難にあえいでいた教会内部で、聖女と呼ばれるようになっていたことを。
■
カリネリアの第三の作戦は、プルチーノの兄達の教育をすることだった。
王太子スパーダは、カリネリアの三つ下。
現在御年五歳だ。
その下に、四歳のスクード、三歳のエルモと二人が続く。
今から十五年後、二十歳になったスクードは聖女と婚約することになるのだが、魅了魔法に掛ったせいで一夫多妻ならぬ一妻多夫を提唱する。
その夫の中に、弟二人も含まれているのだから異常と言うほかない。
しかし、カリネリアは、ずっと疑問に思っていた。
――魅了なんて魔法は、本当にあるのかしら?
この世界には、確かに魔法は存在する。
しかし、その殆どは生活魔法と呼ばれるもので、明かりや火を点けたり、扇風機のように風を起こしたりするささやかなものばかりだ。
そこにきて、いきなり精神支配を可能とする魅了などと言われても、にわかには信じがたい。
しかも、王家の人間だけがピンポイントで魅了に掛った。
それが聖女自身の魅力によるものならば、カリネリアには止めようがない。
人の恋愛感情など、他人にはどうにもできないからだ。
ただ、他の可能性があったのならば、対処しないわけにはいかない。
――麻薬のようなものを摂取させて、それ欲しさに言う事を聞かせるとか……。
なかなか酷い手法を思いついたカリネリアは、先ず、王子達の危機管理能力を高めることから始めた。
「スパーダ殿下、スクード殿下、エルモ殿下、手作りのお菓子など、王宮の料理人以外が作った怪しいものは決して口にしてはなりません」
「わかっている」
「どうしてだめなの?」
「おかしほしい」
口々に返事をする三人は、最初は妹の遊び相手を値踏みしに来ただけだった。
自分達の可愛い妹に変な虫がついてはいけないと思ったのだろう。
しかし、カリネリアと遊ぶプルチーノは本当に楽しそうで、その上、カリネリアが手作りしてきた玩具が秀逸なのだ。
特にケンダマと呼ばれる不安定な木の棒に、紐でつながった球を載せるものは、彼らの闘争心に火をつけた。
特に先の尖ったところを玉の穴に突きさすことが出来た時の快感は、言葉に出来ない程だった。
自分達も一緒に使わせて欲しいと懇願すると、交換条件にお勉強会が始まった。
その内容は多岐にわたり、工作や裁縫、絵画に作詞など家庭教師からは教えてもらえないものばかり。
その中で、時々こういった身を守る為の話が繰り返し行われる。
「お菓子に毒が入っていたら、イチコロで死にます」
カリネリアは、自分の首を両手で掴んで目を閉じ、舌を出した。
絶命の顔を表現しているのだろうが、幼い少年達は、恐ろしさのあまり抱き合って震えた。
「それで、三殿下、人から貰ったお菓子を食べられますか?」
「「「ぜったいたべない!」」」
声を合わせて叫んだスクード達は、ほぼ、カリネリアの下僕だった。
「では、代わりに皆でお菓子を作りましょう」
「手作りお菓子はダメだと言ったばかりではないか」
矛盾を突いてくるスクードに、カリネリアはニヤリと笑った。
「自分が作って食べるものに、毒を入れる馬鹿は居ないでしょう?」
無論、子供だけで全ての工程を行うのは無理だ。
だから、料理長とは話を付けている。
新人の研修生をサポートに付けてもらい、生地を練ったり、クッキーの型抜きだけさせてもらうのだ。
「スクード殿下、なかなか上手ですね」
「カリネリア、もっと褒めてもいいのだぞ」
「カリネリア、ぼくも、ほめて!」
「ぼくも、ぼくも!」
プルチーノを背負ったカリネリアの周りを取り囲み、王子達は各々好きな形のクッキーを作った。
そして、美味しい匂いのしてくるオーブン前で焼きあがるまで待機し、ミルクと一緒に食べれば今まで食べたどのクッキーよりも美味しく感じた。
プルチーノは、その間もご機嫌で、カリネリアが作ったたまごボーロをモグモグと美味しそうに食べていた。
「ジェンティーレ公爵令嬢が来られるようになってから、王宮内は更に明るくなりました」
そう言うのは、王宮料理人の長だ。
好き嫌いの多かった王子達が、カリネリアの食育のお陰で食べ残しをしなくなったと喜んでいる。
しかも、この食材は民からの贈り物なのだと諭し、余すことなく食べることが納税してくれている国民への最低限の礼儀だと教え込んでくれていた。
ここまでくれば、もう、帝王学の教師である。
「ジェンティーレ公爵令嬢が、スクード殿下より年上なのが、返す返すも残念なことです」
そう口にするのは、この国の宰相だ。
流石に、王妃が王様よりも三つ上ということは、この時代にはあり得ない事のようだった。
もし、この言葉をカリネリアが聞いていたら、
「妹を助けられなかった兄など、お断りです」
と答えたことだろう。
■
カリネリアがプルチーノの遊び相手になって二年の月日が流れた。
カリネリアは十歳になり、出会った頃一歳だったプルチーノは三歳になっていた。
カリネリアが沢山話しかけるおかげか、言葉の発育も良好なプルチーノは、ある日、突然思いもかけないことを言い出した。
「わたし、カリーのこと、しってたの」
最初は何のことか分からなかったカリネリアだが、よく聞くと、なんとプルチーノにも時間が巻き戻る前の記憶が少しだけ残っていたのだ。
詳細に何かを覚えているわけではないが、悲しい時に、いつも思い出していたらしい。
どんな時にも現れて、自分を愛し気に見つめてくれていた少女の存在を。
「カリー、だいすきよ」
「滅相もないお言葉でございます」
プルチーノとカリネリアは、抱き合ってオイオイと泣いた。
普段では見られない大泣きに、周りの者は驚いた。
しかし、誰も声を掛けない。
何故なら二人の間には、決して割って入れない絆があるからだ。
とうとう、プルチーノは泣きながら寝てしまった。
そんな幼女をベッドに寝かせ、カリネリアは部屋を出た。
廊下で待っていた護衛のノーヴァは、そっとハンカチを渡してくれた。
無口な青年だが、常にカリネリアを気に掛けてくれていた。
巻き戻る前の時間でも、プルチーノを見るために城下へ出かける時は、必ず付いて来てくれた人物だ。
「ありがとう」
カリネリアがお礼を言うと、彼は、子供相手に丁寧に頭を下げた。
普段は表情をあまり動かさない彼が、その日は、目を優しく細めていた。
その表情に、カリネリアは、ある人物を思い起こす。
――誰かに似ていると思っていたけど、そうだわ。あの人に似ているのね。
前世でカリネリアと共に人生を歩んでくれた夫も、無口だが優しい人だった。
病気で先立つ妻を思い、げっそりと痩せてしまった姿は今も忘れられない。
――見た目年齢と実年齢が合わない所も一緒だわ。
キリリとした眉に切れ長の瞳。
しっかりとした体つきに、茶髪をオールバックにしている姿に、少年らしさは全くなかった。
三十代だと思い込んでいた彼が、実は二十歳だと聞いて驚いたのはカリネリアだけの秘密だ。
巻き戻り前の時間軸で、二人が会話を交わしたのは数えるほどしかなかった。
互いに、無口。
そして護衛が雇い主の娘に、自分から声を掛ける事など出来ない。
しかし、カリネリアから質問されれば、答えないという選択肢もないのだ。
「ノーヴァは、どこで剣術を学んだのかしら?」
「私の父からでございます」
「お父上は、確か……」
「はい。先の戦争で従軍し、戦死しております」
ノーヴァは、コズモ子爵家の三男だ。
父コメタ・コズモは、腕一本で軍の隊長クラスにまで上り詰めた豪傑で、カリネリアの父からも信頼が厚かった。
父親を失ったノーヴァは、兄が家督を継いだのを機に家を出ることになった。
学園では優秀な成績を収めていたことと、父親がノーヴァの知人であった事から、ジェンティーレ公爵家の護衛として身を置くことになったらしい。
「貴方にとって、剣とはなに?」
「大切な者を守る為の手段でございます」
ノーヴァは、決して自分の腕前を誇ることをしない。
時々、手合わせを申し出る者もいるが、常に勝敗が付かないように持っていき、試合時間終了まで引き延ばす。
故に、戦歴は、〇勝〇負。
対戦した数だけ引き分けだった。
それこそ、相当な剣技と体力がなければできないことで、今でも、軍から入隊してもらえないかと声が掛かっている。
それに対して、彼は、
『恩をまだ返しきれておりませんので』
と頭を下げて断っていた。
実は、父を亡くしたことで、ノーヴァは学園の最後の一年分の学費が払えず自主退学を余儀なくされていた。
兄は、弟の才能を妬んでおり、何度頼んでも銅貨一枚すら融通してくれなかったのだ。
それを知ったカリネリアの父が、卒業後にジェンティーレ公爵家で仕えることを交換条件に利息なしで金を貸した。
その返済は、給金から少しずつ差し引かれている。
「貴方にとって、私は、その大切な人に入るのかしら?」
「勿論でございます」
「そう。ありがとう。嬉しいわ」
微笑むカリネリアは、綻ぶバラの花のような優美さがあった。
艶やかな黒髪を肩に下ろし、化粧などしてもいないのに、香り立つような気品が立ち上っている。
十歳にも満たない頃から教会に寄付をし、王女殿下の為に身を粉にして動き回るカリネリアの姿は、ノーヴァにとっては羽が生えていない天使のように見えた。
――同じ人間だと言うのに、私の兄とは大違いだ。
ノーヴァは、父親の事は尊敬しているが、子育ては間違っていたと思っている。
長子が跡継ぎであることから、全ては、兄を中心に動いた。
いくら戦争で活躍したと言っても、家柄は子爵。潤沢な資金を持っているわけではなく、金を掛けるなら長男と決まっていたのだ。
それに胡坐をかいた兄は、今、優秀な弟を放り出した阿呆として有名になっている。
父の残した家が、そのようなそしりを受けるのは、ノーヴァとしても辛いものがあった。
「お嬢様は……何故、そこまで王女殿下の為に動けるのですか?」
決して無駄口をたたかなかった男の口から、ポロリと疑問が転げ落ちた。
言った本人が驚いて、
「申し訳ございません。失礼なことを申し上げました」
と頭を下げた。
しかし、カリネリアは驚くことも、怒ることもなく、優しく告げる。
「それは、私が姫担だからですわ」
「ヒメタン?」
「えぇ。私は、姫を推す為に生まれ変わったのです」
言っている意味は分からなかったが、カリネリアは、なにか神から啓示を受けたのではないかとノーヴァは感じた。
そして、ふと思う。
――そんな重要な責務を、たったお一人で背負われていたのか。なんという心の強さだ。
不覚にも、涙が出そうになった。
そして、自分も、その一端を担えればと思った。
「お嬢様」
「なにかしら?」
「私にも、そのお手伝いをさせていただけないでしょうか?」
「え?」
「その……ヒメタンという役を、私にも一緒に背負わせて頂きたく」
決死の覚悟で願い出た事だったが、カリネリアは、ノーヴァの瞳を見てキッパリと言い切った。
「ごめんなさい。私、同担拒否なの」
再び意味不明な言葉が出ていたが、彼女の表情と言葉の強さで、ノーヴァは、断られたことを自覚した。
よほどショックな顔をしていたのだろう。
カリネリアは、小さな手でノーヴァの手を握った。
「代わりに、私を推してくれると嬉しいわ」
「その……『おす』というのは?」
「心も体も全てを捧げて、その人を応援するってことよ。そうね、私が姫担なら、貴方は、嬢担(お嬢様担当)ね」
「ジョウタン?」
「あらやだ、まるで焼き肉屋のメニュー(上タン)みたいね」
カリネリアは一人クスクス笑いだしたが、ノーヴァは、その言葉が、勲章のように誇らしいものに思えた。
「はい。私は、今日からジョウタンを名乗らせていただきます」
「ふふふ。ありがとう」
「出来れば、この称号、私だけのものにしたいのですが」
「まぁ、ノーヴァも、同担拒否なの?主従って、似るものなのね」
寡黙な男の思わぬ情熱を垣間見たカリネリアだったが、その時は想像もしていなかった。
この時間軸では、彼と結婚し、そして子宝にまで恵まれることを。
■
時が経ち、カリネリアは十三歳になった。
学園でも人気者の彼女を慕うものは多い。
貴族令嬢の中で絵を描くことがブームとなり、画材店から絵の具が無くなる程だ。
人生二度目の学園生活を送るカリネリアは、その真面目でコツコツ物事を積み重ねる性格から、テストなどは全て満点。
礼儀正しい為教師からの覚えも良く、全てが順風満帆に見えた。
しかし、彼女の頭を現在悩ましている難問がある。
それは、魅了魔法の存在だ。
麻薬や洗脳などと言った視点からは出来るだけの対策をしたが、もしも本当に禁忌とされる魔法があった場合、今までの苦労が全て泡になる。
カリネリアは、魅了魔法など存在しないということを証明する為に、魔法の研究に邁進した。
先ずは、自ら家事魔法である火魔法を使いステーキを焼いてみることにした。
調理場を使うには、料理長の許可が要る為彼も監督官として傍についてくれている。
「お嬢様は、既に火魔法を習得されているということで宜しいでしょうか?」
「えぇ。学園でも魔法学を専攻していますから」
ループ前は取らなかった授業だが、やってみると教師から褒められるほど素質があった。
「なるほど。では、先ずは、この蝋燭に火を灯して頂けますか?」
いきなり肉を焼くと言われても、にわかには信じがたいのだろう。
炊事場に一本の蝋燭が用意され、直ぐ横に水の入った桶も置かれていた。
万全の消火態勢だ。
「では、失礼して……」
カリネリアは、魔法の杖を取り出すと、空中に文字を描いた。
「点火」
なんと、それは漢字だった。教師が言うには、家事魔法に明確なルールはないらしい。
使用者が一番馴染む言葉で意味のある文字を描くと、魔力が具現化する。
色々試してみたが、カリネリアにとって一番失敗しないのが漢字だった。
ポッ。
蝋燭の先に火が付くと、料理長は、溜息をついた。
想像以上に着火スピードが速く、火の大きさも絶妙だったのだ。
「お嬢様は、絵だけでなく、魔法の才能もお持ちのようですね」
「そうだったら、嬉しいのだけど」
実は、カリネリアも薄々感じていた。
魔法学を学び、魔力操作の訓練をし始めてからと言うもの、体内に溢れる力が益々増えている気がする。
だからこそ、間違ってはいけないと気を引き締めているのだ。
もしも誤作動などを起こせば、周りの人間を巻き込むことになる。
今日も緊張しつつ、肉の前に立った。
身が硬くならないように直前に塩胡椒が振られた最上級サーロイン。
「先ずは、レアで焼いてみます」
「直接、魔法を当ててでですか?」
「えぇ。中は生に近いですが、ちゃんと食べられるように焼きます」
「そんなの聞いたことがありませんね」
この世界には、魔石が内蔵された冷蔵庫のような保管庫が存在する為、食材の鮮度は保たれている。
調理器具も同様で、料理長たちは、フライパンに肉を載せ、コンロを使って食材を焼くのだ。
そのやり方はガスコンロと同じ。
カリネリアのように火魔法の直火焼きなど、行った人間は居ない。
要は、効率が悪いのだ。
「では、始めます」
カリネリアは、空中に「強火」と書いた。
さっと表面だけ焦がして、中まで熱が行き過ぎないようにする為だ。
じゅわっ。
香ばしい肉が焼ける匂いが辺りに広がった。
そして、裏面も焼くと、確かに美味しそうなレア状態のサーロインステーキが出来上がった。
「こりゃ、凄い」
瞬間的に強い火力を肉に浴びせかけたカリネリアを見て、料理長は鳥肌が立った。
家事魔法は、蝋燭に火を点けたりするくらいで、正直マッチくらいの役割しか果たさない。
冷蔵保管庫も魔導コンロも、高価な魔石があってこそ成り立つ技術なのだ。
体内に秘める魔力量が桁外れなのだろうが、これはもう、世界的発見と言ってもいい。
「さぁ、食べてみましょう」
「はい。それでは……」
料理長がナイフで肉を切ると、肉汁と溶けた脂がタラリと垂れた。
「これは、美味しそうだ」
ゴクリと唾を飲んだ料理長は、切り分けた肉を皿に載せてカリネリアに渡してくれた。
二人して、肉片を口に入れると無言になる。あまりにも美味し過ぎて、喋るのが勿体なかったからだ。
その後も、ミディアム、ウェルダンと続き、大満足の結果となった。
「お嬢様、ただ、このことは私だけの秘密にいたします」
彼も、カリネリアの特殊性に気付いたのだろう。
知られれば、研究対象として国に取り上げられるかもしれない。
「心配してくれてありがとう。私も、このことは人には言わないつもりだから」
カリネリアの目的は、あくまでもプルチーノを守る事だけ。
それ以外の目的で、魔法を使うつもりなどないのだ。
■
かなりの修練を積んで家事魔法に関しては相当な使い手になったカリネリアは、とうとう最終目的である魅了に関して動き出す。
国立図書館にある魔法に関する書籍は全て読破した。
その中に、数冊、大昔に起きた幾つかの事件について書かれているものがあった。
その一例が、ある国の王太子が、魅了魔法に掛って婚約破棄したと言うもの。
「アロマティコの香水……」
彼に魔法を掛けた平民の少女は、独特な香りの香水をつけていたらしい。
嗅ぐほどに脳を痺れさせ、付けている女性しか見えなくなる。
そして、最後には従順な犬のようになるのだ。
他の事件も似たようなもので、それぞれ名前は違うが、全て香水が関わっていた。
風魔法により攻略対象の鼻元にだけ麻薬を浮遊させ、体内に摂取させた後洗脳する。
魔法と麻薬と洗脳のトリプル攻撃だと気づいたカリネリアは、恐れおののいた。
「めちゃくちゃ怖いんだけど」
これでは、どんなに護衛を付けたとしても守りようがない。
正直恐怖でしかないが、前世の記憶を持つ彼女は対処方法も考え付いた。
「匂うなら、集めてポイしちゃえばいいのよね?」
なんとも単純明快な思い付きだがあながち間違いでもない。
前世では、匂いだけでなくウィルスすら集める空気清浄機が存在した。
小型化して身に着けるのは難しいかもしれないが、部屋の空気全体を清めるなら、意外と出来そうな気がしてきた。
こうしてカリネリアは、この世界初の発明を爆誕させることとなる。
それをいち早く取り入れたのは、なんと学園だった。
理由は単純。クラスが臭いからだ。
色気づき始めた女子生徒が、皆各々自分の好きな香水を付けて登校してくる。
その多種多様な匂いが混ざると、正に悪臭だった。
カリネリアの発明のお陰で無香空間と化した教室は、とても過ごしやすかった。
正直女子学生達自身も、自分の匂いは好きだが他人の匂いは嫌いだった。
その為、ほぼ他の匂いが排除され、ほんのり自分の周りに残る香りだけが鼻に漂う状況は悪いものではなかった。
そして、この大きな流れは、王宮へと繋がっていく。
匂いだけでなく、風邪などの病気が減ったことが大きかった。
そして、飲食店や宿泊所にも採用され、人が多く集まる場所で目にすることは珍しい事ではなくなっていった。
カリネリアは、またもや思わぬ大金を手に入れた。
現在も父が管理してはいるが、お小遣いは増やして貰えた。
そんな彼女が貢ぐ相手は、ただ一人。
「プルチーノ王女殿下、これをどうぞ」
カリネリアが推しに渡したのは、自身が毎晩着ている寝間着と同じ物。
サイズは勿論プルチーノに合わせてあり、ナイトキャップには猫耳が付いている。
「まぁ、とても可愛らしい帽子ね」
「はい。きっとプルチーノ王女殿下にもお似合いだと思います」
「これは、貴女とお揃いなのでしょう?」
「はい、勿論」
「では、今度お泊り会をして一緒に着ましょう」
推しからパジャマパーティーのお誘いを受け、カリネリアは鼻血が出そうだった。
しかし、それを必死に我慢し、ほほ笑みながら何度も頷いた。
「カリネリア、私は、貴女が居てくれて本当に幸せだわ」
「そのお言葉、何十倍にしてお返しさせていただきます」
息切れ動悸を感じるには、十三歳は早すぎる。
それでも、カリネリアは、胸をバクバクさせながら両手を組んで天井を見た。
――神様、ありがとうございます。
愛らしい推しの成長を傍らで見守ることが出来るのは、時間が巻き戻ったあの日、カリネリアがプルチーノの名を叫びながら駆け寄ったからだ。
その必死さが人を動かし、そして今に繋がっている。
それでも、その切っ掛けを作ってくれたのは、人ならざる存在。
感謝の気持ちを伝えるべく、毎年欠かさず教会に寄付を行っていた。
まさか、カリネリアが起こした行動のお陰で他からの寄付も増え、教会が無料医療や炊き出し、孤児の教育などに力を入れることが出来たなどとは思わない。
更に言えば、前の時間軸では、この頃疫病がはやり多くの平民が亡くなっていた。
それすら空気清浄機爆誕と教会が行う衛生教育と町の清掃が相まって、未然に防がれている。
そこにある幸せが守られたことで、人々は笑顔で日々を過ごしていた。
救済を行わない王家に反発することもなく、役に立たない教会に腹を立てることもなく、聖女の誕生を願う心も湧かなかった。
しかし、カリネリアは、そんなことを知る必要はないのだ。
なにせ、彼女の人生は、推しの為にある。
「カリー、お泊りの日は、何時が良いかしら?」
首を傾げて聞いてくる推しの爆発力たるや、後ろに吹っ飛んでゴロゴロ床を転げ回りたいほどだった。
「いつでも大丈夫でございます。なんなら、毎日でも大丈夫でございます」
とうとう噴出した鼻血をハンカチで抑えるカリネリアは、何処からどう見ても幸せそうだった。
■
カリネリアが同じ人生を二度歩むことになった日から数えて、七年の月日が経った。
愛らしい推しは、あの日の自分と同じ八歳。
幼稚舎に登校するようになり、お友達も順調に増えている。
わが子を思う母のような気持のカリネリアは、プルチーノの成長を喜びながらも、会える日が週末だけになったことを寂しく思っていた。
――ダメよ、落ち込んでいる場合じゃないわ。私には、しなければならないことがあるのだから。
カリネリアがやろうとしていることには、どうしても護衛のノーヴァの協力が必要だった。
それは、将来聖女になるであろう少女を、今からマークすることだ。
カリネリアの記憶が正しければ、十五歳で聖女の称号を得た少女の名前は、メンティーレ。
下町出身の八百屋の娘だったはず。多分、今探しても、きっと見つかることだろう。
彼女は、他と比べてかなり遅い年齢で洗礼を受けた。
そして、突然聖女として一躍有名になったのだ。
しかし、残念ながら聖女だからと言って治癒魔法などと言った便利な魔法が使えるわけではない。
ただ、洗礼の時に聖母像が光り輝いたのだ。
その頃、度重なる疫病や飢饉などで国は疲弊していた。
そんな中、彼女が救世主のように見えたのだろう。
あれよあれよという間に王宮の住人となり、そして、悲劇が起こった。
――見つけ出せたからと言って排除できるわけではないけれど、少しでもおかしな行動を起こしたら、一つずつ対処していかないと……。
万全を尽くすべく、カリネリアは下町へ偵察に行くことを決意した。
無論、その護衛はノーヴァだ。
「今日も、お願いね」
「はい」
深く頷く彼は、今年で二十五歳になっていた。
そして、残念ながら、見た目は以前と変わらず三十代。
益々逞しくなった体と、板について来たオールバックで更に渋さを増した彼は、ジェンティーレ公爵家の未婚女性を虜にしているらしい。
しかし、その落ち着きが今回の偵察のキモなのだ。
威厳のようなものすら感じさせる彼と、可憐なカリネリアは、まるで親子のようだ。
それをうまく利用して、今回は平民の衣装を身に着けて大店の金持ち親子に扮していた。
「では、お父さん、行きましょう」
コクリと頷いたノーヴァだが、カリネリアが手を出してきたことに驚き、一瞬動きを止めた。
どうやら、彼の推しは、手を繋ごうと言っているらしい。
十歳離れていると雖も、一応未婚の男女。
不用意に手など繋ぐものではない。
しかし、カリネリアは全く気にもしていないようで、
「ほら」
と言って、ノーヴァの手を握ってしまった。
「あ……はい」
振りほどくことも出来ず、ノーヴァはカリネリアに手を引かれて下町を歩く。
それは、まるでお転婆な娘にタジタジになっている父親のように見えた。
その微笑ましい様子に、露店からは、
「そこのお父さん、娘さんに美味しい果物はいかがですか?」
「可愛いワンピースもあるから、見て行っておくれ」
と、次々に声がかかる。
お忍びの偵察のはずなのに目立ちまくりの二人は、結局店主たちに呼ばれるまま、あちこちで買い食いをしたり商品を買ったりした。
「お父さん、美味しいね」
ノリノリで娘を演じるカリネリアとは違い、ノーヴァの方は生きた心地がしない。
下町に突然現れた世間知らずそうな親子を、スリや誘拐犯等が狙っていないとも言えないからだ。
こんな風に通りを一通り練り歩いた二人は、とうとう目的の八百屋の前まで来た。
その店先に置かれた野菜は、採れたてなのか、どれも新鮮そうだった。
そっと中を覗くと、一人の少女が店番をしていた。
年の頃は、プルチーノよりも少し幼く見える。
――王女殿下より一歳下だったはずだから、多分、あの子ね。
カリネリアは注意してよく観察してみたが、今のメンティーレには、未来で聖女と言われるような特徴は全く見当たらない。
申し訳ないが、顔も特徴がなく、覇気もない。
ただ、不貞腐れたように頬を膨らませて地面を蹴っている。
「なんで、今思い出すのよ」
メンティーレの言葉に、カリネリアは、ハッとする。
それは、メンティーレの処刑直後にカリネリアが叫んだ言葉と似ていたからだ。
ただ、メンティーレの方は、思い出すのが遅すぎて絶望したカリネリアとは違い、記憶が早く戻り過ぎた事に不満を持っているようだった。
「こんな子供時代からやり直すなんて、今までなかったじゃない。聖女認定の所からで十分なのに」
どうやら、彼女は今まで、聖女として認められて以降の部分を何度もやり直しているようだった。
多分ゲームで言うセーブポイントが、多分、そこだったのだろう。
しかし、今回に限って、九年も早く記憶が戻ってしまったようだ。
「しかも経験値が空っぽになってるし。今から貯め直すだなんて、最悪よ」
カリネリアにはゲームの内容は全く分からないが、他のRPGと同じで、報酬を得るためには先に何かしらの対価が必要なのだろう。
――今直ぐ、何か悪さをする余裕はなさそうね。
ここで相手に顔を見られるよりも、そのまま立ち去った方が良いと考えたカリネリアは、ノーヴァの手を引いて今回は帰還することにした。
■
メンティーレは、この世界に来るのは四度目だった。
一回目は、突然ゲームの世界に入ってしまった事でパニックになった。
ゲームをしながら寝落ちしただけなのに、いつまで経っても目が覚めないのだ。
しかし、数日経つと、ここが、自分がプレーしていた乙女ゲームの中だと気づいた。
疫病が蔓延したことで多くの人が命を落としてしまった後の世界。
そこでは、子供は存在するだけでも大切にされた。大人達は自分の食べ物を減らしてでも、未来への希望を生き残そうとしたのだ。
そんな中、少しでも人に親切にしたり優しい声を掛けたりしただけで、ドンドン経験値は貯まっていった。
メンティーレにしか見えないゲージがフルになると、聖女への道が開かれる。
聖女になると、課金アイテムも使えるようになり、与えられたノルマを達成すると報酬として好感度を貰えたりした。
一度目は、そうやって王太子と結婚した。
その直後に目覚めてしまい、携帯で時間を確認すると、なんと一日も経っていなかった。
――面白かった!次は、寝ないで聖女認定直前までいってセーブしておこうっと。そうしたら、面倒くさいレベル上げしなくて済むし。
彼女の思惑はハマり、二回目、三回目は、ゲーム画面を開いて眠ると直ぐに教会で洗礼を受ける場面から始められた。
二回目は、攻略対象全員を狙ったが、結局お友達エンドになってしまった。
三回目は、ハーレムエンドを目指したが、課金アイテムの香水を使い過ぎたせいで効きが悪くなり、最終的に断頭台の露と消えた。
今回は上手く立ち回って全員を手に入れようと意気込んでいたのに、いきなり七歳からのスタート。
しかも、世界の状況が全然違うのだ。
――誰も、私を褒めてくれない。
前回までは、年寄りの手を握ったり、朝の挨拶をしたりするだけでも面白い程経験値が入った。
しかし、今回は、一ポイントすら貰えない。
その原因は、この世界が平和だからだ。
何故か疫病は流行らず、国は豊かで、教会は無料医療や孤児院の運営を行っており皆の尊敬を集めている。
そして一番違う事は、母親が妊娠していることだ。
――私、一人っ子のはずだったのに。
生活が困窮する中では次の子供をもうけようとも思わなかったのだろうが、八百屋も商売繁盛で金の余裕もあるらしい。
――この店番で、いくらポイントが貯まるかしら?
店の前を掃除した時は、たったの二ポイントだった。
聖女認定に必要なのは一万ポイント。
気が遠くなる数字だ。
――もっと効率の良い貯め方はないのかしら?
頬杖をついて外を眺めながら一生懸命考えてみるが、現実世界でも善行を積んだ経験が少ない彼女には思いつかない。
実は、早起きする事も、挨拶する事も、お手伝いする事も、コツコツ積み重ねればプラスポイントが付いていく。
大きいリターンを求めて一度の報酬が少ないとヤル気が無くなってしまうメンティーレでは、きっと一生気付かないだろう。
――多分赤ちゃんが生まれたら、お姉ちゃんだからって色々我慢させられるんだろうなぁ。
自分は末っ子だった為、分け与えられる側だった。
いきなり年長者になって、下の面倒を見ろと言われても口から出てくるのは愚痴ばかり。
「私が一番じゃないなら、二番も三番も同じよ」
皆の注目を浴びる事に快感を覚えてしまったメンティーレにとって、チヤホヤされない人生は生きていないと同義なのだろう。
「リセットできないかなぁ」
ゲームクリアーか、はたまた死亡か。
その二種類しか現世への戻り方を知らない彼女は、簡単にやり直しがきくと思っていた世界が、意外と融通が利かないことに困り果てていた。
「自分で死んだ場合でも、戻れるのかしら?」
考えれば考えるほど、想定外の行動を取った時の反動が分からず躊躇してしまう。
そして、もう一つ彼女を消極的にさせるのは、ここに戻って来た経緯だ。
今までは、ゲーム中に眠ることで、この世界の中に入って来た。
それが、今回は、外出時に事故に遭い、気づけばここに居たのだ。
――あの時、死んだなんてことはないわよね?
仮に戻れたとしても、元の体が無事なのか分からない。
こうして、メンティーレは、悶々と考えてはため息ばかりつく毎日を送るしかなかった。
■
プルチーノが、今日、教会で洗礼を受ける。
無論、それは姫担にとっては必見のイベントであり、カリネリアは授業そっちのけで教会に駆け付けていた。
教師の方も心得たもので、毎回テストで満点をたたき出すカリネリアには、特別措置としてレポート一つ出せば何回でも休暇を取れるように取り計らってくれている。
なにせ、カリネリアはプルチーノを一歳から見守る王女殿下担当のお世話係のようなものだ。
二人はニコイチで考えられており、切っても切り離せない関係になっていた。
「カリー、そばにいてね」
「勿論でございます」
沢山の子供達が並ぶ前でトップバッターとして洗礼を受けることになったプルチーノは、かなり緊張していた。
その為、何かあった時の補佐としてカリネリアが傍に侍ることが許された。
国王夫妻は、その光景を一段高い場所に設けられた来賓席から見ている。
普通の親のように付き添ってあげられない分、カリネリアの存在は親子ともにありがたいものだったようだ。
この世界では、文字を理解できるようになってから、儀式を受けることになっている。
その理由は、信仰を学んで理解した上で、今後も神に祈りを捧げていくという決意を表すべきだと考えられているからだ。
それ故に、平民の子供が、平均して貴族の子供より洗礼を受ける時期が遅くなるのは、教育レベルの差から文字を覚える時期が遅れるためだった。
巻き戻り前の世界で、メンティーレが十五歳になって洗礼を受けたのも、そういった経緯があったからだ。
ただ、国と教会が力を合わせて教育水準を上げたことで、この傾向は現在では見られなくなってきている。
教会を見渡すと、ほぼプルチーノと同じ年頃の子供しかいない。
「それでは、洗礼の儀を始めます」
司教の言葉を、その場にいた者達全員が静かに聞き、目を閉じて祈りを上げ始めた。
その片隅で、一人の少女がキョロキョロと周りを見回している。
その娘は、メンティーレだった。
四回目の人生を生きる彼女は、勿論既に文字を習得している。
今までは、十五歳の聖女認定直前にデータをセーブしていたため、何も考えずに流れで洗礼を受けていた。
ただ、今回は、七歳の時点に戻ってしまった為、十五歳まで待つなら八年も時間を無駄にしなければならない。
そこで一足飛びでポイントを貯めるべく、メンティーレは優等生キャラに路線変更しようとした。
しかし残念ながら、教育が行き届くようになった今回の世界線では、ただちょっと覚えの良い子供でしかなかった。
以前の世界のように学校に通う事すら難しい状況なら天才ともてはやされただろうが、今の時間軸では、この手は悪手だった。
なにせ、同じ時期に洗礼を受ける者の中に、この国の末姫が交じっている。
普段なら参列しない国王夫妻までが顔を揃えており、誰もが、そちらに注目していた。
更に状況を悪化させたのは、カリネリアの参加だ。
教会関係者にとっては、国王と並ぶ貴賓となる。
財政難を救ってくれた救世主であり、今も多額の寄付を続けてくれている少女を、彼らは密かに聖女と呼んでいるのだ。
小賢しい少女が物覚えの良さを披露したからといって、特別扱いなどしようはずもない。
そんな事とは知りもしないメンティーレは、苛立ちでずっと爪を噛んでいた。
――なんで、誰も私を見ないのよ!
周りよりも握り拳一つほど背の小さい少女は、その体の小ささから椅子に座ると周りに埋もれてしまい前の様子すら良く見えない。
それでも、自分が注目されていないことは理解できるらしく、心の中で悪態をつきまくっていた。
そんなメンティーレの耳に、突然鼓膜を突き破るかと思われるほどの大歓声が聞こえた。
「聖女様だ!聖女様の誕生だ!」
自分に与えられるはずだった称号を横取りされたメンティーレは、
「ふざけるなーーー」
と叫んだが、その声は他の者達の歓呼に掻き消されてしまった。
■
「へ?私?」
自分はただの付添人だと思っていたカリネリアは、聖母像から伸びる光が自分を照らしていることに驚き固まってしまった。
「さすが、わたしのカリーだわ」
駆け寄って抱きついてくるプルチーノを受け止めた後も、周りを見回して状況が呑み込めない表情を浮かべていた。
「ジェンティーレ公爵令嬢、やはり貴女様は、聖女であられましたか」
顔なじみの司教が、頷きながら声を掛けてきた。その目には涙が浮かんでおり、感動ひとしおと言った表情を浮かべている。
「いえ、それは何かの間違いでは?」
「何をおっしゃるのですか。この光をご覧くださいませ」
確かに聖母像の背後から放たれる光は、カリネリアに注がれてはいた。
だが、それは単なる太陽光線がステンドグラスを通り抜ける時に屈折した事によって偶然光が集約されたものに過ぎない。
日によって多少の違いはあるだろうが、同じ時間に同じ場所に立てば、これくらいの偶然起きてもおかしくはない状況だ。
しかも今回カリネリアの役どころはプルチーノの付添人であり、少し離れた所に立っていたのだ。
普段なら気にも留めない光の筋が、たまたまカリネリアを照らしたというのが正しいはず。
しかし、これを神の御業ととらえる人々に、カリネリアの否定的な意見は届かない。
「いや、私は、人の傷を治せたりとか出来ませんし」
「何をおっしゃるのですか。貴女は、その献身的な行いにより多くの人々を救ってきたではありませんか」
司教が両手を広げて見守る人々の方を向いた。
洗礼を待っていた子供達の中には、親に死なれて孤児院に引き取られている者もいる。
その子供達に取れば、カリネリアが毎年行う寄付のお陰で日々の糧にありつけ、あまつさえ教育まで受けさせてもらえていたのだ。
感謝の気持ちを伝えようと、手が痛くなるほど拍手をして、口々に、
「せいじょさま~~~~」
と叫んでいる。
「いやいやいやいや、それは、ないでしょう」
カリネリアが顔を引きつらせて否定するほどに、周りの歓声が大きくなってしまう。
「……本当に、勘弁して」
喜ぶプルチーノを抱きしめたまま、カリネリアは力なく床に座り込んだ。
――こんなことになるなんて、神様の悪戯なのかしら?
呆然と降り注ぐ光を見上げると、何故か目に入った聖母像が笑っているように見えた。
――もしそうなら、ちょっと恨みますからね。
プルチーノの幸せだけを願ってきたモブ少女は、いつの間にか自分がヒロイン的立場に立たされていた。
■
大歓声に包まれたプルチーノの洗礼が終わると、待っていた子供達が順番に司教の前に呼ばれた。
短いながらも愛のこもった言葉を掛ける司教を、子供達も尊敬の眼差しで見ている。
そんな中、一人だけ雰囲気の違う子供が壇上に上がった。
体は周りと比べると一回り小さく、こんなに幼いのに同じだけ文字を勉強したんだなと周りの子供達も感心して見ていた。
しかし、当の本人はよほど何かが不満らしく、ダンダンと足を踏み鳴らしながら司祭の前まで歩いていった。
――私が聖女なのに、何、間違った判定下してんのよ!
それは、言わずもがな、メンティーレだった。
司祭を睨みつけると言う未だかつてない態度の悪さに、他の親達からは咎めるような視線を向けられた。
隣に付き添いとして立っていた両親も、流石に娘の行動に驚いたようだ。
父親が急かすように、
「メンティーレ、ご挨拶を」
と言うと、渋々といった感じで、
「メンティーレです」
とだけ名乗った。
司祭の方は、これまでに歩んだ人生経験が違う。
特に驚いた表情も見せずに淡々と話を進めていった。
「では、メンティーレ、貴女は、とても頭が良いそうですね?」
「はい」
「そうですか。では、その頭の良さを使って、なぜご両親が悲しそうな顔をされているのか考えてみてください。貴女の人生に、幸あらんことを」
それだけ言うと、司教は次の子供を手招きした。
もっと華々しい賞賛を得られると思っていたメンティーレは、一瞬驚き、そして地団駄を踏んだ。
「なんでよ!どうして、褒めてくれないのよ!これじゃ、ポイントが貯まらないじゃない!」
実は、さっきから少量しか貯まっていなかったゲージが、徐々に減っているのだ。
貯まるどころかマイナスになっていることに、メンティーレは泣き出してしまう。
「アンタのせいよ!アンタが私の称号を取ったから!」
彼女の怒りの矛先は、当然の如くカリネリアに向かっていく。
「え?私?」
プルチーノの傍に立っていたカリネリアは、怒鳴りつけられたことで、やっとメンティーレの存在を認識した。
よく見れば、あの八百屋の子供だ。
「私だって、別に欲しかったわけじゃ……」
その言葉は、欲しくて欲しくてたまらなかったメンティーレだけには、言ってはいけない言葉だった。
下を向いて震え出したメンティーレは、カリネリアの方へ向かってズンズンと歩いて来た。
そして、目の前まで来ると、
「アンタなんか死んじゃえ!」
と言って、ポケットから出したナイフでカリネリアの腹部を刺そうとした。
しかし、カリネリアの後ろから伸びてきた逞しい手が、そのナイフを掴む。
ポタッポタッポタッ。
素手で掴めば掌を怪我するのは当たり前のことだ。
滴る血に驚いたカリネリアが後ろを振り返ってノーヴァの顔を見た。
彼は、叫びそうになるカリネリアに向かって静かに首を左右に振った。
ここで騒ぎを起こしてはならないという事なのだろう。
カリネリアが声を潜めて、
「ノーヴァ、なんてことをするの!」
と怒ると、
「お叱りは後で」
とだけ言って、ナイフをポケットの中にしまった。
「傷を見せなさい」
「まだ、洗礼が終わっていない者もおります。これは、一生に一度の儀式。最後までさせてあげなければなりません」
ノーヴァに諭されたカリネリアは、涙をグッと我慢して前を向く。
一方のメンティーレの右手には、ナイフを伝って流れてきたノーヴァの血がベッタリと付いていた。
「……なんで温かいの?」
ゲームの中での出来事だと高を括っていた彼女は、初めて人を傷つけた感覚と血の温かさに、これが夢ではないのだと思い知らされたようだ。
「私は、主人公なのに、これじゃ、犯罪者じゃない」
消え入るような小さな声で呟いた後、メンティーレは白目を剥いて倒れた。
次に彼女が目覚めた場所は、冷たい石造りの倉庫の中だった。
■
ナイフをノーヴァが素手で掴んだ瞬間は、メンティーレの体が壁となり、背後にいる人間には見えなかった。
そして、突然壇上で倒れた少女は、王家の護衛が抱き上げて直ぐに教会の外へ出された為、多少のざわつきはあったものの、無事に洗礼の儀は終了することが出来た。
全ては事を荒立てずに解決してくれたノーヴァのお陰だと感謝され、教会の医務室で思い切りナイフを握った手を縫合してもらえることになった。
長年の鍛錬で硬くなったノーヴァの手が、パックリと割れてしまっているのを見た医師が、
「一体どれだけ強い力で握ったら、こんなに深く切れてしまうんですか?」
と言って苦笑いしていた。
幸運なことに神経などは傷つけられておらず、きちんと治療さえすれば、数か月で再び剣を持つことは出来るらしい。
「ノーヴァ、貴方は、自分をもっと大切にするべきよ」
カリネリアは、彼の振るう剣が好きだった。
寡黙で実直な彼の性格をそのまま写し取ったような、基本に忠実な剣筋だからだ。
「申し訳ございません。つい、お嬢様が危ないと思ったら手が出てしまいまして」
それは、条件反射のようなもので、もし馬車が突進してきたら、彼は出来るか出来ないかではなく、カリネリアの前に立って馬を両腕で止めようとしただろう。
その忠誠心は、カリネリアの心を揺さぶる。
「貴方が死んでしまっては、私は生き残ったとしても、後を追ってしまうかもしれません。だから、これからは、絶対に自分の命を粗末にだけはしないでちょうだい」
その言葉は、まるで一世一代の告白のようだ。
貴方が居なければ生きていけないと言っているようにも取れる。
カリネリアのことを、ずっと子供だと思っていたノーヴァにとっては、かなり驚かされる内容だった。
「本当に、本当に、二度は許しませんから」
ずっと我慢していた涙が、カリネリアの瞳からポロポロと流れ落ちた。
その雫が、真珠のように美しく、ノーヴァは思わず見惚れてしまう。
「ノーヴァ、返事は?」
「あ、は、はい。善処いたします」
「善処じゃダメなの!」
愛らしい主と、武骨な従者のやり取りは、医務室に居た人々の気持ちを温かくした。
怒っているのだと知らしめるために、ポクポクと護衛の分厚い胸を叩く貴族令嬢など、聞いたこともない。
護衛は身を挺して主を守る存在なのに、その職務を放棄しろと言っているようなものなのだ。
それだけ、この少女にとって彼は大切な存在なのだろう。
皆が微笑みながら二人を見守っている所に、先ほど洗礼の儀を行っていた司祭が訪れた。
「ジェンティーレ公爵令嬢、この度は、教会内部において大変危険な思いをさせてしまい申し訳ございませんでした。使いの者が公爵家まで知らせに走りましたので、もうすぐ、公爵様がいらっしゃると思います」
「司祭様、お心遣いありがとうございます」
既にプルチーノは、国王夫妻と一緒に帰っている。
安全を最優先した対応だが、最後までカリネリアを心配して泣いていたらしい。
司祭が父ジュストを呼んだのは、カリネリアを害そうとした少女に対する処罰の内容を決める為だった。
いくら七歳といえども、教会に刃物を持ち込み、あまつさえ貴族令嬢を刺そうとしたのだ。
本当なら、死刑を宣告されても文句は言えない。
しかし、あまりにも幼い子供に重い刑罰を与えると、世間の批判が教会とジェンティーレ公爵家に向かう事になるだろう。
現在、逃亡させないようにする為、教会の地下にある貯蔵庫に隔離しているが、ずっとそのままというわけにもいかない。
この難しい判断に対して、カリネリアは、一つの案をだした。
「父には、私が話しますが……出来ましたら、今後は教会で身柄を引き取っていただき、社会への奉仕に人生を捧げてもらうというのは、いかがでしょうか?」
要は、俗世への干渉が出来ない場所に身を置かせ、外に出られないようにすると言うものだ。
「決して彼女を傷つけることは望みません。ましてや、命を取るなどもってのほかです。日々、神への信仰を忘れずに奉仕活動を行う事で、世の為人の為を思う心を取り戻してもらいたいのです」
カリネリアの言葉に、その場にいた全ての人間が感動した。
自分を襲った人間を許し、そして信仰心を取り戻して欲しいと願うなど、流石は聖女だと感心する。
しかし、彼女の本当の目的は別の所にあった。
――命を落とすことが時を遡る切っ掛けになるなら、絶対死なせるわけにはいかないわ。
教会と言う厳しい戒律を守る場所で死ぬまでの何十年と言う月日を過ごすことで、もう二度とこの世界に戻ってきたいと思わないようにしたい。
――簡単に、死なれたら困るのよ。
見た目が七才だろうが、その中身は断頭台で、
『あんた達だって、プルチーノの死を喜んでいたでしょ!』
と叫んでいた女だ。
野放しになど出来るはずがない。
「もし、そうなりましたら、教会は全面的に協力してあの少女の更生に尽力すると誓いましょう」
三つ子の魂百まで。きっとメンティーレの根性が治ることは無く、更に恨みを募らせることだろう。
派手好きで自己顕示欲の塊のような少女が、表舞台に一生出られることのない場所で、ひたすらに善行を積むよう強制される苦痛は計り知れない。
ただ、全員がもろ手を挙げて、この案を賛成しているわけではない。
「お嬢様がそういうなら」
一人納得のいっていない顔をしているのは、ノーヴァだ。
大事な推しを傷つけようとした相手を、一生許すことなど出来ないのだろう。
「ノーヴァ、私を人殺しにしたいの?」
「いえ、決してそういうわけでは……」
「それなら、お父様を説得するのも手伝ってね?」
ノーヴァ以上にカリネリアを大切にしているジュストは、どんな過激な処罰を求めてくるか分からない。
それを止めるには、一番の被害者でもあるノーヴァの協力が必要なのだ。
まだ、納得がいっていない表情のノーヴァにカリネリアは、
「貴方は、何担だったのかしら?」
と問うた。
「……私は、ジョウタンでございます」
「そうよね?だったら、私の言う事を言聞いて」
「仰せのままに」
こうして、この世界のヒロインになるはずだった少女は、高い塀に囲まれた戒律の厳しい教会に閉じ込められることになった。
■
洗礼の儀が終わり、メンティーレが隔離されてから二年の月日が流れた。
何事もなく過ぎていく幸せな日々に、カリネリアは少し油断をしていた。
そんなある日、十歳になったプルチーノに婚約の話が持ち上がる。
まだ年齢も幼い事から直ぐにという事ではないが、代わりに一年間そちらの国に留学をして王太子との友好を深めて欲しいと言うものであった。
前の時間軸では起こらなかった出来事に、カリネリアは困惑する。
このまま自分の知らない所へ、推しが旅立ってしまうのかと心穏やかではなかった。
不安げな表情を見せるカリネリアの傍には、怪我から復帰したノーヴァが必ず寄り添っている。
十七歳になった少女と、二十七歳の青年は、並ぶととてもお似合いに見えた。
だが、あと一年で学園卒業を控えたカリネリアの元には、多くの家から婚姻の申し込みが届いていた。
選びたい放題といってもいい状態だったが、父ジュストと兄トレーロの審査が厳しく、誰一人通過できる者が居ない。
「カリネリアの才能と肩書を欲する馬鹿どもなど、一刀両断に切り捨ててやりましょう」
「待て、トレーロ。表立ってやればカリネリアが心配する。こう言う事は、裏から手を回すのが一番だ」
巻き戻る前の時間の中では表面に騙されてろくでもない男に娘を嫁がせてしまったジュストだが、今回は、何故かやる気満々で身辺調査を行っている。
事の発端は、カリネリアの事を狙った青年が、夜会の場で不埒にもカリネリアの肩に手を回して暗闇に引き込もうとしたことだ。
その男は、なんと、ループ前の世界で結婚直後に愛人に男子を産ませたカリネリアの元夫イディオータだった。
競争相手が多いカリネリアを自分のものにしようと、先走ってしまっての暴挙だった。
無論、カリネリアは、父直伝の護身術でイディオータを床に投げ飛ばした。
そして、近くに待機させておいたノーヴァにイディオータを縛り上げさせた。
何せ、会場に入ってからずっと、元夫は執拗に彼女の背後を付けていたからだ
それ以来、誠実で優しいと評判だったイディオータの評価は地に落ち、現在では社交界の鼻つまみ者となっている。
こうして外の噂が眉唾物だと理解した父と兄は、益々カリネリアの結婚相手に向ける目が厳しくなってしまった。
「こうなったら、身分など関係ない。カリネリアを幸せにできる者をしっかりと選ばなければ」
「父上、正に、その通りです」
絵の才能を極め、空気清浄機を発明したカリネリアには、既に有り余る資金がある。
しかも、教会からは聖女と崇め奉られており、金と名誉を狙うけしからん者が後を絶たない。
それならば、本当に互いを愛する男と幸せになる道もあるはず。
そう思った父と兄の視線は、自然とノーヴァに向いていた。
「お前、どう思う?」
「父上、悪い選択ではないと思います」
カリネリアが刺されそうになった時、己の身を顧みずに動けた男への信頼は厚い。
そんな父兄の気持ちなど知らず、カリネリアは、自分の身の振り方を考えていた。
プルチーノが留学する際、もし一緒について行けると言うのなら、一も二もなくついていく。
しかし、同行者の規定では、既婚者若しくは、婚約している者が二人で参加という縛りがあった。
何故なら、先方の国で恋愛にかまけ、守るべき主を蔑ろにする愚かな従者が今までに居たからだ。
「婚約者か……」
そう呟いたカリネリアに、ノーヴァは何も言わずに聞いていないフリをする。
しかし、その耳は一言一句取りこぼすまいと、必死にそばだてられていた。
カリネリアが八歳の時から傍に居た彼にとって、彼女はずっと守るべきお嬢様だった。
しかし、二年前の事件の時に告げられた言葉が、今も心に残っている。
『貴方が死んでしまっては、私は生き残ったとしても、後を追ってしまうかもしれません』
恋愛感情ではなかったとしても、自分の事をそこまで思ってくれる主が、変な男と結婚する事だけは許せない。
そう考えている時点で、自分の中に恋愛感情が芽生えていることに気付けないのは、ノーヴァがそういったことに不慣れだからだ。
ノーヴァ自身は有能ではあるが、公爵家に仕える一介の使用人に過ぎない。
そして、彼の生家である子爵家は、跡継ぎだった兄が事業に失敗し、既に傾いてしまっている。
そんな家と縁続きになりたいと思う者おらず、今まで彼には一度として結婚話が浮上したことがなかった。
彼自身、一生カリネリアの傍を離れるつもりはなかったため、特に問題になることは無かったのだ。
「プルチーノ王女殿下の留学準備は、あと一か月。それまでに、相手が見つかるかどうか……」
カリネリアは、自分に宛てられた求婚書なのに、一度も中身を見せて貰ったことがなかった。
ただ、その全てが不合格だったと父から伝えられただけだ。
「私って、そんなに変な人からしか求められなかったのかしら?」
自分の価値を知らない少女は、ちょっと残念な気持ちになっていた。そして、ノーヴァを見て、
――彼なら、喜んで結婚するのにな。
と思っていた。
どうやら、期せずして、二人は両片思いのようだった。
■
刻々とプルチーノの留学準備が進む中、カリネリアは、いつもと変わらず週一回のお勤めに王宮へと来ていた。
子供の頃は毎日会えていたが、大きくなるにしたがって、益々会える時間は短くなっていた。
この日も、面会時間は三十分だけ。
それでも会えて嬉しい二人は、王宮内の庭園へ出て散歩をすることにした。
「ねぇ、カリネリア、恋ってどんなものなのかしら?」
十歳のプルチーノには、恋や愛といっても分からないのだろう。
まだ見ぬ婚約者候補の王太子は、とても穏やかで聡明な方だと聞いている。
送られてきた絵姿は、確かに格好良かったし、嫌な気持ちは一つもない。
それでも、相手を最初から決められて挑む恋愛は、もう恋愛とは呼べないのではないか?
小説の中の作り物でしか恋を知らないプルチーノは、ずっと本物の恋とは何なのかと考えていた。
「そうですね。人それぞれでしょうが、相手の幸せを願えることが、恋かもしれません」
そう言ったカリネリアの視線が、ちらりとノーヴァに向けられたのをプルチーノは見逃さなかった。
二年前、刺されそうになったカリネリアを凶刃から守ったのは、ノーヴァの右手だった。
隣で見ていたプルチーノは、あの時の二人の姿は今も忘れられない。
――あんな恐ろしい状況で、二人は互いの事を心配していたわ。
そう思い至ったプルチーノは、なんとなくではあるが、恋の答えがカリネリアとノーヴァの間にあるような気がした。
こうして会話をしながら歩き続けていると、生け垣の傍まで来ていた。
この向こう側は市民にも開放されている公園がある。
幼い子供達が燥ぐ声が聞こえてきて、なんだか二人は懐かしい気持ちになった。
一歳から今まで、プルチーノの傍にはカリネリアが居てくれた。
いや、ループ前を含めると、もっと長い時間を共にした。
そんな彼女と離れなければならないことは、プルチーノにとっては、とても辛いものだった。
「ねぇ、カリネリア」
「なんでしょうか、プルチーノ王女殿下」
「私の留学に、付いて来ては貰えないかしら?」
「それなのですが……私は、まだ婚約者がおりません」
言いにくそうに下を向いたカリネリアに、プルチーノは不思議そうな顔で聞く。
「あら、ノーヴァと婚約すれば良いのではなくて?」
「え?」
「だって、貴女達は思い合っているのでしょう?」
純粋な疑問は、時として核心を突く。真っ赤な顔をして見合ったカリネリアとノーヴァは、答えられずに下を向いた。
「カリネリアは、今さっき私に教えてくれたじゃない。恋とは、相手の幸せを願うことだって。まさか、貴女達は、互いの不幸を願っているの?」
「「そんなことは、ございません!」」
同時に答えたカリネリアとノーヴァは、顔を上げて見つめ合った。
「ほら、やはり、二人は恋をしていたのね」
自分の考えが正しかったと分かったプルチーノは、満足げに頷いた。
その横で、再び顔を下げた二人は、次の日婚約を結んだ。
■
プルチーノの留学へ同行したカリネリアとノーヴァは、一年後、帰国後に結婚式を挙げることとなった。
その間に、ジェンティーレ公爵家が総出を上げて準備をしてくれると言う。
ウェディングドレスや新居といった諸々のものを、本人達以上に父と兄が喜んで選んでいるというのも不思議な光景だった。
そして、恋とは何かを知ったプルチーノは、まだ十歳ながらお相手となる王太子に対して誠実に思いを言葉にして、少しずつ信頼を積み重ねていった。
「はじめまして、プルチーノと申し上げます。絵姿を見て素敵な方だと思っておりましたが、実物は、もっと素敵でした」
素直な言葉は、相手の心にすんなりと染み込むものらしい。
「私こそ、貴女に会える日を待ち遠しく思っておりました」
プルチーノの愛らしさにメロメロになった王太子は、その後も、彼女にカッコいい所を見せようと奮闘し、そして失敗した。
その度に、未来の婚約者に慰められたり、共に努力したりして、腐らずまっすぐ前を向いて頑張った。
そのかいあってか、やや甘えん坊と思われた王太子は、プルチーノを守る騎士のように堂々とした態度に変わっていった。
その後ろで、カリネリアがアドバイスを与えていることなど、周りの人間にはお見通しであったことだろう。
あっという間に一年が経ち、プルチーノが母国へ戻る日になると、王太子の方が大泣きして離れたくないと駄々をこねるほどだった。
「私の王子様。今度は、貴方が私に会いに来てくださいね」
十一歳のプルチーノが、天使の微笑みを浮かべて十四歳の未来の旦那様を諭す姿は、周りの笑いを誘った。
こうして、帰国の船に乗ったカリネリア達は、大海原を眺めながら、その壮大さに溜息をついていた。
「ノーヴァ、本当に、海は広いわね」
「はい」
「私、新婚旅行は船旅が良いわ」
「はい」
「あと……もし子供が生まれなかったら、ごめんなさいね」
本当に大好きな人と結婚できると決まって以来、カリネリアは喜びの中に、一つの不安を抱えていた。
巻き戻り前の白い結婚で、子をなせないと言われ続けたカリネリアは、必要以上に強迫観念にとらわれていたのだ。
もしも、愛する人に我が子を抱かせてあげられないかもしれないと思うと、心が苦しい。
しかし、そんなカリネリアの気持ちを、ノーヴァは笑いながら解きほぐしてくれる。
「貴女さえ居れば、他は何も要りません」
その真っすぐな言葉と眼差しに、嘘偽りはない。
本当に彼は、カリネリアさえ居れば、あとはどうでも良いのだ。
公爵家は、兄のトレーロが継いでくれる。
そして、カリネリアは、プルチーノが嫁ぐ際、共に国を離れて相手国へ渡るのだ。
今度は夫婦そろっての姫担として、永遠にプルチーノを支えていくことが決まっている
確かに、それ以上の幸せは、カリネリアもなかった。
「本当に何も要らないのかしら?」
「はい」
「それじゃぁ……もう婚姻を断る理由は何もなくなるわね」
「心臓に悪いので、もう断るなどと言う単語は言わないでください」
「ふふふふふ。ごめんなさい」
カリネリアは、ノーヴァの逞しい腕に自分の手を掛けた。そして、その手の上に、ノーヴァの反対側の手が重ねられる。
「プルチーノ王女殿下が嫁ぐときには、また、一緒にこの船に乗りましょうね」
「はい」
煌めく海を見ながら、カリネリアは、この先起こる未来への希望で胸を膨らませた。
その後、カリネリアが三人の子をなすことに成るのだが、カリネリア以外何も要らないと言った男が、子煩悩な父親になったことは、嬉しい誤算だった。
完
別視点も入れた長編を書こうかと思っています。
感想、★★★★★の評価、ブックマーク等を頂けると、単細胞なジュレヌクは、執筆速度があがるかもしれません。
あと、もう一本短編投稿しました。幼な妻、夫の幼馴染をシバキ倒す。題名そのままの内容です。




