白と赤と黒
武文には双子の妹がいた。妹の宮は幼いころから武文にくっついて離れず、武文はそんな妹が可愛くて仕方なかった。
二人が中学生にあがり、それでも仲の良いまま平和な日常がすぎていく中、少しずつ表面下で何かが壊れていっていることに武文は気づかなかった。
そんなある日のこと。
武文は「15歳になったら宮の願い事を聞いてあげる。」と、二人の15回目の誕生日が1週間後に迫った日の夜に言った。
唐突な言葉に宮は夕飯を食べていた手を止めた。
「どんな願いでも聞いてあげるよ。」
「でもその日は武文の誕生日でもあるよ?」
宮は急な兄の発言に首をかしげた。
いつもなら宮と同じように周りからもらう側である武文があげる側に立ちたいと思ったのは、ここのところ何故か元気のない宮にプレゼントをして喜ばせたいからだった。
「武文は優しいからなんでも願い事聞いてくれそうだね。」
そう言った宮は眉を寄せて苦しそうな表情をした。そのとき武文はどうしてそんな顔をするのだろう、どうして最近元気がないのだろうとただただ不思議に思うだけだった。
彼は物事を考えるのにまだ少しばかり子供だったのだ。
だから気付かなかったのだ。
「願い事、考えておくね。」
宮の静かな声が武文の耳に残った。
誕生日が次の日に近づいた夕方。
武文は昼間とはうって変わって静まり返った学校にいた。委員会の仕事がようやく終わり、帰宅しようと下駄箱に向かった。
怖いくらいに静かな校舎。
不思議なことに元気に駆け回る生徒の姿も、忙しそうに歩く教師の姿も見えなかった。
まるでこの世界に自分だけが取り残され感じがした。
外に出ると校庭が薄暗いオレンジ色に染まっていた。
静かだった。
その中でふと武文は上からの視線を感じた。
屋上を見上げると見慣れた姿があった。
振り向いた武文に気付いた宮は白くて細い腕をひらひらと振って見せた。それはいつもよりもずっと白くて、周りの夕暮れの色に染まることのない恐ろしい純白に感じられた。
宮の左手には白い紙が見えて、その足元にはダンボールが置かれていた。それは何かの形に折られていて、武文は一生懸命目を凝らしてみたがはっきりとは見えない。
遠くからでもわかるのは彼女のいつもの笑顔で、ようやくわかった左手にあるものは白い紙飛行機だった。
わずかに宮の口が動いた。
――ごめんね
そんなふうに口が動いた気がした。空気を振動して小さな音は武文の耳に静かに入りこんだ。
それと同時に手から飛行機が飛び立った。
1つの紙飛行機がふわりと夕方の風にのり、ふらふらと寄り道をしながら武文の方へと下降する。その光景があまりにも非日常すぎて、武文はぼっと突っ立ったまま瞬きするのも忘れて見つめていた。1つ目の飛行機が着地する前にダンボール箱がひっくり返されて、中に入っていたのだろう何十個もの紙飛行機が解き放たれた。いっせいに宙を舞うたくさんの紙飛行機は視界を遮った。
白い世界で、ちらちらと時折夕暮れ色のグランドと校舎が見えるだけ。
そしてそのちらちらと紙飛行機が見える武文の視界に宮が落ちていくのがうつった。
それはあまりにも一瞬のことで、確認することはできなかったけれど、すべての紙飛行機が土の上に着地したとき、屋上には宮の姿がなかった。
あるのは空の段ボール箱だけだった。
何が起こったのか、今の状況を把握しきれない武文は地面の白い紙飛行機の1つをとってそれを広げた。
そこには見慣れた几帳面な文字が綺麗に並んでいた。
「今日は私がいなくなる日。
明日は私が生まれて15年目。
武文、好きだよ。」
武文は息をのみこんだ。
そして、また、別の紙飛行機を広げた。
「知っている。
私が武文を好きになってはいけないこと。
だから」
武文の紙飛行機を広げる動作が焦りを交えた。
「15歳になったら私の願い事を聞いてくれるって言ってた。
私の願いは武文と一緒になれること。」
武文は真っ白になった頭に小さな文字を淡々と流し込んだ。
「我慢が出来ないくらい
これ以上隠せないくらい
あなたを好きになってしまった。」
愛の言葉を乗せた紙飛行機が武文の手によって広げられる。
「あなたはやさしいから
私の願いをかなえてくれる。
でもそれは
してはいけないこと。」
武文は飛行機を拾いながら屋上の真下の花壇へ足を進めた。
「15歳になってはいけない。」
ああ、俺はどうして気付かなかったのだろうと武文の頭に黒いシミが広がっていく。
「好きだから、
あなたを守りたいから
私は14歳のままでいます」
白い紙飛行機が武文の心に少しずつ黒いシミをつけていく。
「好きだから」
「武文のことが好きだから」
ようやくたどり着いた花壇には宮の小さな身体が横たわっていた。武文は動くことない宮の身体をじっと見つめた。
白い紙飛行機とは正反対の宮の赤く染まった身体は武文の目に焼きついた。
気付かなかった。
武文は宮の苦しそうな表情を思い出した。
気付かなかった。
武文は宮の身体を抱き寄せた。
「ごめん。」
それは一生分の「ごめん」だった。
残ったのは宮の赤い身体と、愛の言葉が並べられた沢山の白い紙飛行機と、武文の心の中の黒いシミだけだった。
それは救いようのない話。