静水の奥へ
水面は、何事もなかったかのように静まり返っていた。
さきほどまで戦闘があったとは思えない。
レオンは剣についた水を払う。
「……静かすぎる」
「吸収されていますね」
フィルが淡々と言う。
「破壊された個体の魔力が中心へ戻っています」
ガルドが顔をしかめる。
「つまり、奥に行くほど強くなるってことか」
エリスは少し離れた場所でしゃがみ込んでいた。
水に浮かぶ布切れ。
討伐隊の紋章が刺繍されている。
そっと拾い上げる。
血はない。
けれど、裂けている。
「……間に合わなかったんですね」
誰にともなく、そう呟く。
祈りはしない。
敵には。
だが、救えなかった人のことは、ちゃんと受け止める。
彼女は布を丁寧に畳み、自分の袋に入れた。
「持って帰ります。家族がいるかもしれません」
ガルドが静かに頷く。
レオンは短く言った。
「……ありがとう」
エリスは首を振る。
「私がしたいからです」
その目は、柔らかいが強い。
奥へ進む。
水位が上がる。
膝まで沈む。
重い。
冷たい。
歩くだけで体力を削られる。
フィルが目を閉じる。
「中心、近いです。魔力濃度が急上昇しています」
天井の石壁に青い光が走る。
脈動している。
ゆっくりと。
鼓動のように。
エリスが足を止めた。
胸が、ざわつく。
「……どうかしたか?」
レオンが振り返る。
「……少しだけ、変な感じがして」
「敵か?」
「いえ、違います」
うまく言葉にできない。
ただ。
この静けさが、やけに“整いすぎている”。
水は揺れない。
音も消える。
まるで、すべてが落ち着こうとしているみたいに。
(……気のせいですよね)
彼女は小さく息を吐く。
「大丈夫です」
前を向く。
「早く止めましょう」
その言葉には、迷いがない。
階段が現れる。
その先に、巨大な扉。
水に半分沈んでいる。
ガルドが大剣を担ぐ。
「いよいよ中枢だな」
エリスは扉を見つめる。
そして、ぽつりと言う。
「終わったら……少しだけ、海を見に行きませんか」
三人が彼女を見る。
「海?」
「はい。ちゃんと見たことがなくて」
少し照れくさそうに笑う。
「静かな海が好きなんです。波の音があって、風があって……ちゃんと“動いている”感じがするから」
その言葉に、ほんのわずかな本音が混ざる。
“動いている世界”が好き。
止まった世界は、少し怖い。
でもそれ以上は言わない。
レオンは頷く。
「いいな。戻ったら寄ろう」
エリスはほっとしたように微笑む。
それ以上は踏み込まない。
未来を確定させるような言葉も言わない。
ただ、
「早く終わらせましょう」
そう言って、一歩前へ出た。
救うために。
壊すために。
巨大な扉に手をかける。
押す。
重い石の扉がゆっくり開く。
本来なら轟音が響くはずなのに。
音は、小さい。
あまりにも。
闇の奥で、青い光が脈打つ。
静かに。
まるで、眠っているかのように。




