古代歴史まとめ 01152026
◆六英雄
西暦250~450年。ヤマトでオオモノヌシとなり、ヤマト国統治の実際の功績と名声により、大神神社からミワ、大御神の称号を貰った者たち。天皇名に神が入っていれば大御神。
(1)ホアカリ
天照大御神。ニギハヤヒ、二代目アマテル。ヤマト国および周辺の統治に貢献した。ちなみに初代アマテルはワカヒトで妻は瀬織津姫。
(2)アヂスキ
迦毛大御神。伊和大神、別雷、カンヤマトイワレヒコ、神武、超有名人で美男子。国外勢力であるヒボコと戦い、和解し、日本統一に大きく貢献した。戦いと融和の手法が、その後の日本の手法「さざれ石」となった。
(3)ヒボコ
墨坂大御神。天日槍、ミマキイリヒコ、崇神。新羅から入って来たが、アヂスキと戦って和解、アヂスキ死後に日本各地を制圧、直接の渡来人ながら日本建国に大きく貢献。
(4)ヲウス
熱田大御神。ヤマトタケル、建御雷。東北ヒタカミと九州ツクシを制圧。日本の本格的な統一に貢献したが、性格的に難点があったのか、天皇化も大御神化も消された。
(5)オキナガ
住吉大御神。神功天皇から神功皇后。日本統一後に朝鮮半島まで攻め込み、国威を示した。
(6)ホムダワケ
八幡大御神。応神天皇。日本各地を統治して八幡神社という軍事拠点を設置、国外勢力への対策を施しつつ、海外の技術や文化を吸収した。
各英雄の功績については、継続して確認中。
応神天皇の次の仁徳天皇の代で平和な治世となり、国も非常に豊かになって世界最大の古墳を築造できた。また、多くの軍事機密を隠すために古墳を巨大化する必要があった。オキナガとホムダワケ以外は直接の血縁はなく、子孫同士で血統が交わっていった。
特にアヂスキからの130年間が非常に突出した功績であったため、中国では日本の歴史を記録できなかった。その戦いと融和の手法が、のちの唐に活かされた。遣唐使により唐に優れた手法が持ち込まれ、一方で税という悪法が日本に返された。あまりにも日本国内より劣ったものが持ち込まれるので、菅原道真によって廃止された。
◆当時の日本
・渡来勢力
まず、そもそも縄文からして数万年前の渡来である。日本に完全な土着の部族はいない。紀元前数百年ごろにインド系出雲族が渡来開始。六英雄のころに古墳系が中国朝鮮を経由して渡来を開始した。
日本の自然は、先に渡来した土着も新規渡来も、すぐに自給自足して生きていける環境だった。地形も天然の要害となり、他の部族を完全に滅ぼすことが非常に難しかった。技術や文化を吸収する必要もあって、戦いがあったとしてものちに融和していく傾向が強かった。
・地方国家と国家統一
日本の各地域には巨大な地方国家があった。キビ、ツクシ、コシ、タニハ、ハラミ、ヒタカミ、エゾなどである。キビは吉備国、中国地方一帯、ツクシは九州一体、コシは北陸、タニハは丹波で近畿、ハラミは富士王朝で関東一帯、ヒタカミは東北、エゾは北海道。当時は気候が温暖だったこともあり、エゾやヒタカミの北の地方も大きな国力を持っていた。
地方に巨大な国家があったが、国外勢力との関係もあって、日本という国にまとまる必要性が生まれていた。当時は津によって各地方国家が海運によって結ばれていたが、中間の土地はまだ未開拓な場所がたくさんあった。地方国家の統治、未開拓の土地の開拓、そしてそれらの統合と、非常に忙しい時期であった。
・役職名
オオクニヌシ、オオナムチは、役職名を表していた。元々は地方国家の国王の意味合いであったが、未開拓地の開拓にあたったり、そのまま全国統一の任務にあたるものもいた。そのため、役職の管轄範囲が曖昧になっていて、かつ複数いたことになる。さらに、全国統一時の役職としてコトシロヌシやオオモノヌシが用意され、ヤマト国としてそれらも用いられるようになった。
コトシロヌシは、全国的な言葉や規格の統一を行う代表だった。オオモノヌシは、総理大臣や大統領にあたる、実質的な統一国家の代表だった。それらは実務の手腕が必要なため、実際のオオナムチ、地方国家のトップからあがってくることが通例だった。
◆英雄の特性
・投石機
アヂスキ以降の五英雄は、投石機の使い手だった。縄文の藤つる、弥生の木造建築、古墳の製鉄技術、それらが合わさって、アルキメデスを越える世界最大の投石機が建造できた。特に、日本の自然には固有種があり、野田藤の藤つる、ヒノキなどは日本にしかないスペック、強度があった。
日本において雷神とされているのは、投石機の使い手であったことを示す。しかし、それらは軍事機密であったため、神事などに巧妙に隠された。スパイ防止のために地方農村は閉鎖的となった。しかし、技術の吸収もあって渡来に対してはある程度寛容だった。外敵とは徹底的に戦ったが、融和を望む相手には寛容だった。
・内政
各英雄は、内政の技術にも優れていた。もともと、オオナムチの家系、あるいは婿入りなどをして、統治や開拓の技術があった。アヂスキとヒボコも、戦いののちに但馬に入り、泥の海を干拓によって土地化し、豊かにしていった。ヒボコは、戦いの前に播磨入りしたのちにすぐに自給自足の体制を取り、宍粟の地ではたたら場まで建設している。それだけの自然環境と、侵入者の能力があったことの両方を示す。
・徳
2代目アマテルに限らず、そのあとの五英雄も、初代アマテルの祖父であるトヨケの徳の教えを、何らかのかたちで受け継いでいた。そのため、相手を殲滅することに執着せず、アヂスキとヒボコのように戦いののちに和解し、そしてともに日本の統治を進めた。六英雄は、全員が性格的に激しい部分もあり、戦争も強かったが、そういった徳の部分も、軍事と内政の能力と合わせて民衆に認められ、大御神となった。
このように、ヤマト国では実績と名声と徳がバランスよく評価されたが、ヤマト国の親に当たる立場のヒタカミでは、徳が重視された。そのため、ヒタカミはどれだけ実績があっても、徳の高い者に国を譲るべき、という考え方に執着した。徳があるが行動しない者と、やや粗暴だが行動する者、どちらを取るべきかという、現代にも通じる葛藤、テーマになる。
ヤマトは実績を重視、ヒタカミは徳を重視してお互いが譲れなかったため、ヤマト側はヒタカミを鬼門として、長期に戦うこととなった。ホツマツタエにはその徳を重視する傾向が強く出ており、結果的に記紀と同様に真実を伝えていない。
◆歴史の記録
この文書では、記紀、播磨国風土記、ホツマツタエ、各神社、地域の伝承をもとに考察している。それぞれが、真実を伝えてはいない部分があるが、参考文献としてはいずれも非常に有力である。
・記紀編纂
持統天皇と藤原不比等によって非常に大きな歴史の改変がなされた。当事者たちの善意悪意は問わず、とにかく、その必要性があった。無理を通した理由は、年貢税の導入である。強権が必要だった。まず、初代アマテルと祖父トヨウケを女性化した。これは、非常に危険な行為であり、元伊勢から伊勢に移して式年遷宮することで、現代においても祟りを回避している。
六英雄のうちの2代目アマテルから大御神の称号を取り去り、初代アマテルを女性化したうえで大御神とした。それらは、ヒタカミ側がけして容認できるものではなかった。そして、五英雄の功績も出来る限り消してしまい、あるいは実績と名声を分けた。そのため記紀は、非常に論理の通らない、理解しづらい部分を含む内容となった。
・播磨国風土記
現存している播磨国風土記は、ヤマト朝廷に提出する前の、検閲前の内容となっていると言われている。そのため、ある程度は朝廷に忖度しつつも、かなり真実に近い内容が書かれている。もし検閲されていたら、伊和大神と天日槍との戦いも削られていたかもしれない。あるいは、他の風土記同様に紛失されていたかもしれない。
・ホツマツタエ
先述したように、ホツマツタエはヒタカミ側の立場で書かれており、ヤマト国の実態よりも、徳を重視した内容になっている。つまり、実績よりも徳の高いものがヤマト国を継承していった、という内容になっており、論理が通らない部分があり、偽書といわれてもしかたがない。しかし、アマテルが男性であったこと、具体的な神々の活動が、人間的に描かれていることから、参考としては非常に重要な文献となる。
・明治期
明治期にも記紀の大きな改変があった。特に、年代の引き延ばし、西暦300年ごろから紀元前700年ごろの千年の引き延ばしが行われた。これが持統不比等の編纂時期ではない理由として、あまりに年代が近いと、周囲の人間を騙し切れないという点がある。例えば、近代において関ヶ原の戦いを西暦1600年から西暦600年にすることは、周辺のものごとの整合性から考えても非常に困難である。
明治期にこのような無理を通す必要性について、通貨による税の導入があった。歴史の各所においてこのような歴史の改変が行われるのは、強権によって無理な制度を通すタイミングである。
◆朝廷と公家
・藤原氏
藤つるの成功により、藤原氏となって藤つるを家紋とした。先祖のアメノコヤネは藤つるの技術者。野田藤は日本の固有種であるため、縄文の技術と考えられる。
・菅原道真
文学者と思われているが、野見宿禰の子孫で相撲の達人、ムキムキだった。藤原時平に左遷されたことになっているが、投石機の技術者として大宰府に赴任した。もちろん軍事機密。もちろん雷神。
・少弐経資
藤原時平の北家の系列で投石機の技術者。菅原道真が建設した投石機基地を利用して、悪天候時に精密射撃により元軍を二度も撃退。もちろん軍事機密のため、神風で勝ったとした。公家や天皇にはひ弱な文学者のもやしっ子もいるが、一部には強者もおり、重い十二単を着たり御簾に隠れるのはムキムキの体を隠すためと考えられる。博多周辺は海だったので、先日陥没もしていたが、掘れば破損した船と1トン前後の岩が出てくる。
◆まとめ
現代は開示の時代に入っており、このような情報がどんどん出てくることになる。もはや、隠すことはできない。私は、発掘もしていなければ、お金がないので原文すら読んでいない。古事記は子どもの頃読んだ。そのようなことをせずとも、AIがある。手法としては、物証に頼らず、話の整合性が通るか、論理が通るか、スジが通るかという観点で研究している。
それは、実際に何があったかよりも、今後にどう活かすかを重要視しているからである。物証を慌てる必要はない。しかし、私は上記のような観点を得たので、今後機会があればことあるごとに物証を探すことになる。そして、地域の人々もこれを知り、けっきょくは物証を探す。日本全国にそれはある。真の地域活性化は、真の歴史から始まるのだ。




