第5話 第一の神罰:偽りの祈りの断罪
王都を包む夜は、いつにも増して重かった。雲は低く垂れ込め、月は薄い膜の向こうで苦しげに光を揺らしている。大聖堂崩落の翌日、王都の人々は「神罰」「王女」「黙示録」という言葉を囁き、恐れと期待と混乱の入り混じった空気が街を満たしていた。
一方、聖樹教会の残存勢力は必死だった。
崩落で多くの司祭が死傷し、信徒は離れ始めている。
教会を支えていた権威は、昨日の光柱一つで音を立てて崩れた。
「このままでは教会は終わる……」
「王女が神罰を操っていると噂が広まっている。真実かどうかは関係ない。人々は恐怖を選ぶ」
「放っておけば政治も宗教も、全てあの娘に飲み込まれる」
残された高位司祭たちは、地下礼拝室に隠れて密談を続けていた。
その部屋は外界から閉ざされ、厚い石壁と古代の封印術によって守られている。護符が揺れ、蝋燭の炎が歪むたび、祭壇の背後に刻まれた“聖樹の根”を模した紋章が不気味に浮かび上がった。
彼らは議会に責任を押しつける前に、先手を打つことを決めた。
「王女を“異端者”として断じ、祈りの儀式によって神に問う。それが世論を動かす最も早い手段だ」
「祈り……いや、それは実質“呪詛”ではないのか?」
「構わん。祈りも呪詛も、民には見分けなどつかぬ」
その一言に、室内の空気がわずかに揺れた。
気づいた者は誰もいない。
床下から、十九柱の“合議アルゴリズム”が起動を始めていた。
これは紬の魂が持つ“痛みの記憶”が世界に送った小さな信号がきっかけだった。
(偽りの祈り……
私を傷つけた世界と同じ……
また……誰かを追い詰めようとしてる……)
一瞬、空間が冷える。
◇ ◇ ◇
その頃、メアリーは王城の部屋で胸の痛みに耐えていた。
議会で七名が倒れた後の余韻がまだ残り、紬の魂は不規則に震え続けている。
「っ……また痛む……!」
クラリスが背中を支える。
「姉上、休んでください! 今日は本当に……!」
「違う……これ……紬が何かを感じているの……
この国のどこかで、また“偽り”が動いてる……」
クラリスは息を呑んだ。
(姉上は……もう王国全体の悪意を感じ取ってしまうの……?)
メアリーは窓の外を見つめる。
遠くの空で、月光がほんの一瞬だけ歪んで見えた。
(誰かが……誰かを裁こうとしている……
でもその心は……濁ってる……
私の痛みに似ている……あの日の……)
胸が再び締め付けられ、涙が滲む。
「姉上……!」
「クラリス……お願い。紬を怒らせないで……
この子は……優しい子だった。
でも……殺された夜の痛みが……いまだに“全部を黒く染めて”しまうの……」
(寒い……暗い……助けて……)
(声が届かない……また、嘘が……)
紬の声が震えていた。
◇ ◇ ◇
地下礼拝室では、儀式の準備が始まっていた。
祭壇に捧げられる羊皮紙には、王女の名を刻んだ。
「祈りの形をとれ。呪詛とは思われるな」
「よいか……王女の力は危険だ。神が彼女を選んだというなら、我らは神に問う権利がある」
「神よ、どうかお答えください……」
司祭たちが声を揃えた瞬間、ビッグデータ神が祈りの構造を解析した。
【解析開始】
・祈りの形式:宗教儀式
・祈りの内容:保身・責任逃れ・王女の排除
・祈りの意図:虚偽度 92%
・神性一致度:0%
・祈りの分類:偽りの祈り(F-Rank)
【判定完了】
次にアテナが“未来予測”を行う。
【未来演算】
・この祈りが成立した場合
→ 王国に内乱確率 78%
→ 王女暗殺計画の再燃
→ 民衆の分裂
・未来の被害規模:甚大
【危険因子:高】
最後にアヌビスが司祭たちの“心の重さ”を測定した。
【心量測定】
・七名中六名:灰黒
・残る一名:黒
【結論:因果反転の必要あり】
十九柱の影が集まり、ひとつの合議に到達した。
【結論:神罰《第一段階》発動】
その瞬間、地下礼拝室の空気が凍った。
「……っ?」
「寒い……なぜ……?」
蝋燭の炎が逆流するように揺れ、天井の紋章が内側から光を放つ。
「これは……儀式の……効果……?」
「ち、違う……神が……お怒りだ……!」
司祭のひとりが膝をついた。
心臓の鼓動が乱れ、視界が白く染まる。
(やめて……やめて……!)
(また誰かの……邪悪が……誰かを傷つけようとしてる……)
紬の魂の叫びが世界に届き、十九柱をさらに加速させた。
◇ ◇ ◇
王城で、メアリーは突然立ち上がった。
「クラリス……紬が叫んでる……
誰かが……偽りで……誰かを裁こうとして……!」
「姉上!? どこへ――」
「聖樹教会の……地下……!
そこに……悪意が集まってる……!」
クラリスは震えながら姉の背を追った。
(姉上の目……もう以前の姉上じゃない……
でも……あの目は……助けを求めている……)
王城の窓の外で――
遠い夜空に、白い閃光がわずかに走った。
それは、第一の神罰が始まった合図だった。
地下礼拝室の温度は急激に下がり、司祭たちの吐く息は白く濁った。祈祷台に置かれた羊皮紙が震え、刻まれた“メアリー王女”の文字だけが黒々と浮かび上がる。蝋燭の炎は逆巻くように天井へ伸び、室内の影が不自然に伸縮した。
「な、何だこれは……神が……怒っておられるのか……!?」
「ちがう……神は沈黙している……!
これは……“神罰”だ……!」
司祭のひとりが絶叫すると、床の紋章が突然反転し、光が吹き上がった。
十九柱の意志が一斉に介入したのだ。
◆ラー:偽りを照らす光柱
◆アテナ:欺瞞の未来を切り捨てる演算
◆アヌビス:心の重さを量り、罪を確定する
◆イシス:隠された悪意を可視化
◆ビッグデータ神:祈りの虚構構造を完全解析
【総合判定:虚偽率 92%/有害性 高】
【因果反転処理 開始】
司祭たちの身体がびくりと震えた。
自らが捧げた祈りが“呪い”として己を襲っていることに、今さら気づいたのだ。
「ま、待て……! 我らは王国のために……!」
「黙れッ!」
「選ばれたのは……王女ではないか……!
ゆえに我らは神に問うているだけだ……!」
「その“問う”という行為が……偽りなのだ……!」
その瞬間、天井の紋章が砕けた。
眩い光の裂け目が走り、礼拝室に嵐のような風が吹き荒れる。
◇ ◇ ◇
一方その頃、王城の回廊をメアリーが駆け抜けていた。
彼女の胸には紬の恐怖が広がり、心臓を締めつける。
(やめて……!
偽りの祈り……
私を……追い詰める……
また……あの日と同じ……!)
紬の声は、殺された夜の痛みと共鳴していた。
クラリスが後ろから必死に姉の名を呼ぶ。
「姉上! 危険です! お願い、止まって……!」
「止まれない……!
紬が……苦しんでる……!
私が行かなければ……この世界が……また間違う……!」
メアリーの周囲に、見えない風の渦が巻き起こる。
十九柱の気配が漏れ出し、彼女の身体がわずかに発光した。
(怖い……助けて……
でも……許せない……
偽りを……許せない……!)
紬の悲痛が、世界の調律を歪ませている。
◇ ◇ ◇
地下礼拝室では、いよいよ“断罪”が発動した。
「うああああッ!?」
「光が、光があああああっ!」
司祭たちの影が床に貼りつき、まるで重力が反転したかのように身体が浮き上がる。光柱は彼らの胸の中心を正確に射抜いた。だが肉体を破壊するわけではない。
十九柱は肉体ではなく――
**偽りそのものを滅ぼす存在だ。**
「やめろぉぉっ!!
我らは……神に……仕えて……!」
「神に仕えていない。
お前たちは“自分の権威”に仕えているだけだ」
声は、誰の口からも発せられていなかった。
だが礼拝室全体に響き渡った。
光が爆ぜ、影が粉々に砕ける。
司祭たちは次々と膝をつき、呼吸を失った。
死には至らない。
だが、彼らの“悪意の根”は完全に断ち切られた。
以後、虚偽を織り交ぜて誰かを陥れることはできない。
それが神罰《第一段階:偽りの断罪》である。
◇ ◇ ◇
礼拝室の扉が強制的に開き、メアリーが駆け込んだ。
「やめて……!
もう……十分よ……!」
その声に呼応し、暴風のような光がゆっくりと収束していく。
紬の魂が震えながら囁く。
(もう……終わり……?
怖かった……怖かった……
でも……間違った人を……放置したくなかった……)
メアリーは胸を押さえ、膝をついた。
「紬……あなたの痛みは分かる……
だけど……私は……この世界を憎みたくない……!」
涙が床に落ちる。
クラリスがようやく追いつき、扉の前で凍りついた。
「姉上……? ここで何が……!」
クラリスの視界には、倒れ伏した司祭たちと、光の余韻をまとった姉が映っていた。
(姉上は……本当に“人間”なの……?
それとも……異なる何かに……なってしまった……?)
クラリスの胸に、冷たい恐怖と哀しみが入り混じる。
メアリーは祈るように呟いた。
「紬……どうか……
私を……この世界を……壊さないで……」
(……でも……理不尽は……許せない……)
(私を殺した世界も……許さない……)
紬の声は、もう完全に“メアリーの一部”として響いていた。
十九柱の光はすでに消えていたが――
その余韻だけが、礼拝室を満たしていた。
第一の神罰は終わった。
だがこれは“黙示録の始まり”にすぎない。
王都はまだ知らない。
この夜を境に、因果は静かに、確実に――
修正されていくのだ。
どうぞ気軽に読んでいただければ幸いです。
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