第12話 失われる日常 — クラリスの涙
隔離区画での生活が始まって三日。
王宮北棟は、かつて王族の療養を支えた優雅な空間だったはずなのに、今は魔術障壁の光が壁を覆い、どの窓も外から見えなくなっていた。
クラリスは、姉メアリーの部屋へ食事を運ぶ。
それが、今の彼女に許された数少ない役目だった。
「姉上、お食事を……」
部屋に入ると、メアリーは机に頬杖をつきながら蒼白な顔で窓を見ていた。
瞳はどこか遠く、焦点が合っていない。
「……クラリス?」
その声は確かにメアリーのものだったが、
語尾に“別の誰か”の陰りが混ざっていた。
(紬さん……)
クラリスは心の中でその名を呟く。
メアリーの背中越しに見える空は、どこか歪んでいた。
光が逆流するように揺れ、雲が薄い膜の下で波打っている。
「姉上……また紬さんの記憶が……?」
「ええ……まるで昨日の出来事みたいに……はっきりと……」
メアリーの指先が震え、小さく机を握りしめた。
「クラリス……あなたと笑い合っていた日々が……
薄れていくの。ぼやけて……鍵穴から覗いているみたいに遠い……」
「姉上……!」
「だけど……“あの夜の路地”だけは鮮明なの。
刺された瞬間の痛みも……温度も……」
メアリーの声は穏やかだったが、内側で紬が泣いているのをクラリスは感じ取った。
クラリスは姉の手を握ろうとした――
だが、透明な膜が再び彼女を弾いた。
「っ……!」
クラリスは膝をつき、悔しさで唇を噛んだ。
(触れられない……!
姉上が苦しんでいるのに……どうして私は……
どうして……傍にいられないの……!?)
メアリーは痛む瞳でクラリスを見つめる。
「ごめんなさい……あなたを拒んでるのは私じゃない……
紬が……あなたを巻き込みたくないって……
守ろうとして……」
(違う……守りたくて……怖くて……
また奪われるのが嫌で……)
紬の声が震えた。
◇ ◇ ◇
その時、扉の外から侍女長と侍従の声が聞こえた。
「王女殿下はまだ不安定とのこと。
部屋の前に監視を二倍に増やすように。」
「御意。“接触時間”は最小限に。
侍女クラリスも監視対象とするべきかと。」
「王女殿下の影響を受けている可能性がある……か。」
クラリスの背筋に冷たいものが走った。
(わたし……姉上の“危険因子”として扱われている……?
馬鹿な……! 私は姉上を守りたいだけなのに……!)
怒りよりも悲しみが胸に満ちていく。
扉越しに響く侍従らの囁きは、あまりにも冷たかった。
「王女はもう“人”ではない」
「神の器だ……」
「いや、災厄の器だ。距離を置け」
「妹も、いずれは危険だろう」
クラリスの指先が震えた。
◇ ◇ ◇
メアリーはその囁きに反応し、胸を押さえた。
「……痛い……っ」
「姉上!」
(まただ……また“偽りの心”……
また誰かが姉上を傷つけようとしている……!)
紬の声が鋭い怒りに変わる。
◆十九柱:
【悪意波形:王宮内にて上昇】
【調律:選別モードへ移行】
次の瞬間、王宮の廊下を白い光が走った。
「うわっ!?」
「目が……眩しい……!」
侍従たちが目を押さえ、膝をついた。
誰も死なない。しかし“悪意を抱いた者だけ”が倒れている。
クラリスは立ち尽くした。
「これも……神罰……?」
メアリーは震える。
「紬の怒りと……十九柱の調律が……
もう止まらないの……」
「姉上は悪くありません……!」
「でも……私の存在が……世界に影響を与えている……
日常が……消えていくわ……
あなたと笑った日々も……
一緒に庭を散歩した時間も……
全部……薄れていく……」
メアリーの声は、泣いているように聞こえた。
(日常……?
私は……そんなもの……失ったことしかない……)
紬が囁く。
「紬……あなたは……日常を取り戻すためにここへ来たんじゃないの……?」
(……そう……かもしれない……
でも……奪われるくらいなら……
壊れてもいい……)
その言葉に、メアリーが息を呑む。
「紬……あなたの痛みが……私を侵していく……
怖い……でも……捨てたくない……」
クラリスは泣きながら叫んだ。
「姉上! 紬さん!
どうか……どうか二人とも……
消えないで……!」
十九柱の調律が静かに光を放った。
◆十九柱:
【メアリー精神安定化 → 同時に紬の影響強化】
【王宮内の悪意 → 一時封殺】
【神罰領域:拡大中】
◇ ◇ ◇
隔離区画に静寂が戻ったとき、
クラリスは姉の膝元に座り、小さな声で呟いた。
「姉上……私は……あなたの日常になりたい……
紫陽花の庭を歩いたあの日のように……
また笑ってほしい……」
メアリーはその言葉に、わずかに微笑む。
「クラリス……あなたがいるから……私はまだ“私”でいられる……」
(妹……守りたい……)
紬の声も、一瞬だけ優しさを取り戻した。
しかしクラリスは気づいていた。
――二人の姉はもう、後戻りできない。
十九柱の神罰と紬の痛みが
メアリーの日常を完全に塗りつぶす前兆が
そこまで迫っていた。
どうぞ気軽に読んでいただければ幸いです。
ブックマーク・ポイント⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️・リアクション・感想など、励みになります!




