last case.冒険者ギルド職員リタ・パルマ 24歳 元Sランク冒険者(10)
リタは補給を済ませると身をかがめながら屋敷の廊下をひた走っていた。
南側の2階、奥から2番目が領主アシル・ブレヴァ―ルの部屋だった。おそらくそこにブライアンもいるはず。
12年ぶりだというのに全く迷わないほど、屋敷の中はなにひとつ変わっていなかった。ただ、ここに暮らすものだけが老いていく。
階段を上り、あとは一直線で部屋の前にたどり着くというその時、真後ろから殺気を感じてリタは急停止して身をかがめた。
頭上すれすれを、ナイフが飛び、かなり先でカシャンと廊下に落ちた。
最速で投げることを目的につくられた、恐ろしく軽くて切れ味の良いナイフには、子どものころ散々お世話になった。
リタは後ろを振り返った。そこには、変わらず厳しい顔をしたブレヴァ―ル辺境騎士隊の責任統括者、アレクセイ・フェネストが立っていた。
後ろで一つに結った髪とあご髭がいっそう白くなったことに時の流れを感じるが、その目の鋭さは昔と変わらなかった。
「フェネスト卿…。」
「私のナイフを避けるとは、さすがお嬢様。普通の娘としての人生は歩めなかったようですね。哀れなものだ。結局戻ってきた半端モノに、居場所があるような家じゃないことはご存知でしょうに。」
「切れ味も嫌味もご健在のようで何よりです。戻ってきたわけじゃないですよ。用を済ませたらすぐに出ていきます。」
リタはいつでも踏み込めるよう重心を軸足にかけて腰を落としたが、フェネストはすぐに仕留める気はないらしく、豪快に笑った。
「これだけ間合いを詰めても平時の呼吸とは。これはまあ、豪胆な女性に育ったものです。アシル様の首を狙いに来たのでしょう?あなたが男だったら、この家の後継は申し分なかったのにと、かつてどれほど思ったことでしょう。」
軍人としては細身ながら、その身のこなしは玄人でも見切ることが難しい。最小限の労力で的確に頸動脈を切る。鮮やかなナイフ技と最速を極め、類まれなる頭脳をもったこの老人こそ、間違いなく辺境騎士隊のトップだった。
「意外と福利厚生に恵まれた定職についてたりするんですけどね。」
返答の代わりにナイフが飛んできた。
ギリギリで避けた瞬間、目の間にフェネストの切っ先があった。リタは思い切り背筋をそらして2本目のナイフをよける。そのままバク転で後退しようと思ったが、老騎士の方が早かった。
「殺すつもりで来いといつも教えたでしょう?だからあなたは甘いんです。」
着地より先にフェネストの右足がリタの脇腹にヒットした。窓ガラスに向かって蹴り上げられたのだ。
さっき食べたばかりの魔獣の煮込みが喉元までこみあげてくるような痛みに、リタはぐっと歯を食いしばった。
リタの体は窓ガラスを突き破り、2階から庭へ向かって投げ出された。受け身の姿勢をとり、フェネストが追ってこないかと確認するだけで精一杯だった。
着地はできない―
頭を護る姿勢でやがてくる衝撃にそなえたけれど、地面に叩きつけられることはなかった。
「大丈夫か?」
誰かに抱きとめられて、リタはそっと目を開けた。
顔を見なくてもわかる。深くて落ち着くこの声は、だけどどうしてここにいるのだろう。
「ライオネル様。どうして?」
「ひとまずここは退くぞ。」
ライオネル・クレイグはリタを横抱きにしたまま屋敷を後にした。
*
二人は屋敷の隅にある厩舎に逃げ込んだ。フェネストが追ってくる気配はない。
昔、ここには十何頭もの黒馬が飼われていたのに、今はからっぽだった。長く使われていないのだろう。古くなった飼葉の上に並んで座ると、ライオネルは回復ポーションを差し出した。
「甘露に比べたらずいぶん安物だが、少しはマシだろう。」
「ありがとうございます。」
そういうライオネルの顔も傷だらけだ。
「その怪我、何があったんですか?」
「まぁ、色々あってな。最低限のヒールはかけてもらっているから気にするな。」
「そうですか。」
ここにライオネルがやってきたことと関係がある気がして、リタはそれ以上踏み込んで聞くことができなかった。
なぜ自分がここにいるのか、どう切り出そうかと下唇をかみしめていると、ライオネルが穏やかな声で話出した。
「ところで黒煙に会ったら伝えてほしい事があるんだが。」
「え?」
その声に、非難の色はない。てっきり問い詰められると思っていたリタには、拍子抜けだった。ライオネルは厩舎の外を眺めたまま続けた。
「よければ今度、一緒に食事に行かないかと。支払いが俺が持つ。なんでも好きなものを食べるといい。幸せそうに食事している姿を、隣で見ていたいんだ。俺が今の黒煙に望むのは、それだけだと、そう伝えてほしい。」
思いもかけない言葉に、リタは目頭が熱くなった。
いつからだろう。遠い存在だったライオネル・クレイグが隣にいることに、こんなにも安心できるようになったのは。今だって、寄りかかって泣きたいくらいホッとしているのだ。
涙をこらえて、絶対にヘンな顔になっている気がする。リタは両手で顔を覆ったまま答えた。
「…伝えます。きっと、とても喜ぶと思います。」
「そうか、なら良かった。」
ライオネルはリタの頭を撫でると、優しげに目を細めた。




