last case.冒険者ギルド職員リタ・パルマ 24歳 元Sランク冒険者(9)
記憶に残っている中で、一番最初に食べた美味しいものはパルマ家で出されたパンケーキだった。
2段重ねの黄金色の上で、バターがじゅわっと溶けていく。そこへ、とろりとしたはちみつをたっぷりかける。実家で朝食に出されていた、雑穀混じりの薄っぺらいパンケーキとはまるで別物。
世界にはこんなに美味しいものがあるのかと、ユージェニーは14歳にして初めて知った。
「あなた、パンケーキも食べたことがなかったの?」
裕福なパルマ商会の末娘、15歳のリタにそう言われてユージェニーは黙って頷いた。リタはほんの一瞬気の毒そうな顔をしてから、にっこりと笑った。
「ならこれから美味しいものを沢山食べなくちゃね。私、今は病気で外へ出られないのだけど、元気になったら一緒に世界中の美味しいものを食べにいきましょう。ユージェニー、あなたといればすぐに病気も治りそうだわ。」
身元もわからない小汚い少女を、リタ・パルマは世話係として傍に置いた。
ベッドから動くこともできない末娘の慰めにでもなればと、パルマ商会の会長はユージェニーを話し相手にしたが、話をするのはもっぱらリタの方だった。
リタは病気になる前、父親の仕事に付き添って各地でいろんな美味しいものを食べたという。ユージェニーが細かく聞きたがるので、リタはその地域で使われていた香辛料や果物の種類まで調べ出す始末だった。
「あの子、これまでひどい食生活だったみたいなの。だから美味しいものを沢山教えてあげたいわ。私なんかの話を目を輝かせて聞いてくれるのよ。こんな体になってもまだ誰かを楽しませることができるんだって、ユージェニーと話していると希望が湧いてくるの。」
リタの両親は、嬉しそうにそう話す末娘を見て涙ぐんだ。それからリタは少しずつ回復していった。
世話係のユージェニーと一緒に同じ食事をとることになってからそれは顕著だったなにしろユージェニーは本当に美味しそうに食べるのだ。
屋敷の料理人も、「お前は本当に食わせ甲斐のあるやつだな。」と可愛がった。
そんな世話係につられて、リタの食べる量も増えた。おやつを楽しみにして、調子がいい時には庭を散歩することまでできた。
リタの両親は、ユージェニーに心から感謝し、孤児であるにもかかわらずきちんと給金を払ってくれた。穏やかな生活は、5年間続いた。
1つ違いの2人が、姉妹のように暮らした楽園は、その冬の流行り病によって突然閉じられることになった。
「私ね、あなたを拾う少し前に、お医者様からとても15歳の誕生日は迎えられないだろうって言われていたのよ。それが20歳まで生きられた。これって奇跡だと思わない?きっと、神様がくれたプレゼントの時間なのよ。」
高熱で苦しそうなリタの額を、ユージェニーは冷たい水で濡らしたタオルで拭った。
「リタお嬢様はお優しくて素敵な方です。神様からのプレゼントは、この先もずっと続きますよ。早く熱を下げて、また美味しいものを食べましょう。私は凍らせた果物を砕いて甘いシロップをかけたデザートが食べたいです。」
ユージェニーは主人の骨ばった手をそっと握った。こんなに熱があるのに、指先は驚くほど冷たかった。
「ふふっ。そうね。暑い日にお庭で食べたソルベ、あれは本当に美味しかったわね…。私の分まであなたが食べて頂戴。沢山作ってもらうように料理長にお願いしておくわ。」
「嫌ですよ、一人で食べても美味しくないです。」
窓の外では木枯らしが吹き荒んでいた。庭の景色もずいぶんと寂しい。
「自分の体のことは私が一番よく分かってるわ。ねぇユージェニー。私はじきに喋ることもできなくなるわ。だから今のうちに聞いていてほしいの。」
「嫌です。」
ユージェニーは絶対に泣かなかった。ぎりぎりと頬の内側の肉を噛んで耐えた。口の中は、血の味でいっぱいになり、喋ることはできない。
「あなたにはこの先長い人生が待っているわ。ユージェニー、これは私のわがままだけど、ほんの少しでいい、どうか私の分まで生きて欲しいの。いろんな場所へ行って、いろんなものをいっぱい食べてね。心から感動するような美味しいものに出会ったら、その時は私もあなたと一緒に味わっているから。私の名前を、あなたに預けるわ。ね、お願いよ。」
この時、どう返事したのかユージェニーは覚えていない。ただ、絶対に美味しいものだけを食べて生きていこうと誓った。そうすれば、ずっとリタと一緒にいられるのだ。
それからまもなく、リタ・パルマは息を引き取った。
彼女の葬儀がすむと、ユージェニーは暇を申し出た。リタの両親は引き留めることなく、出立に十分すぎるほどの路銀を用意してくれた。
「お前がどこかで元気に生きていてくれれば、娘もどこかで笑っている気がするわ。どうか気を付けて。」
こうして、ユージェニー・ブレヴァールは消え、もう一人のリタ・パルマが残った。
*
懐かしい夢を見ていた。
お嬢様と夏の庭の木陰でソルベを食べている幸せな夢だった。あの時が、一番幸せだったなと、ため息とともに体を起こした。
時計も窓もないから勘でしかないけれど、1日は過ぎただろうか。靴の中から鍵を取り出すと、リタは錆びた金属がきしまないようそっと扉をあけた。
使用人が少ないせいか、魔術を封じたリタを警戒していないのか、見張りはいなかった。とりあえず何か食べよう。リタは厨房へ向かって走り出した。
薄暗い厨房にはぱさぱさの干し肉と魔獣の内臓の煮込みが鍋に残っていた。
栄養価が高く食べるのに時間がかからないからと、この家で毎日出されていたものだ。冷たいまま汁椀によそって食べる。
硬い芋のツルとサワラビの球根を刻んだものが入っているが、相変わらず美味しくなかった。これを煮込みと呼ぶなんて信じられない。それでもリタは力をつけるために黙って食べた。
ふいに、リタお嬢様と食べた寒い冬の日のシチューのことが思い出された。ほくほくした芋とぶつ切りにした鶏肉がごろっと入った、料理長自慢の特製シチューだった。目の前にある魔獣の煮込みは不味くて、リタは少し泣いた。




