case1 食堂店員のシングルマザー ハンナ・バートン 元女剣士 30歳(3)
翌日、ハンナの行動は早かった。
いつも通り老婆に子どもたちを託すと、昼下がりまで食堂で働いた。それから、昼食のピークタイムが過ぎると、子どもたちと過ごすために今日は早めにあがらせてほしいと願いでた。
食堂の主人はカッとなってハンナに手を挙げたが、彼女はそれをブレることなく片手で受け止め「帰らせていただきます。」とだけ答えた。
「お前…何様だ?そんなこと言って明日も仕事があると思うなよ。何度も言ってんだろう。年増の子持ちなんて、いつクビにしたっていいんだからな。ここで帰るならクビだ。」
脂ぎった三段腹のちょび髭オーナーは、ハンナの申し出に激昂した。
いつもの、お決まりの恫喝。ハンナの心はさめざめとしていた。なぜ自分はこんなやつに頭を下げ続けてきたのだろう。誇り高き剣士だった自分にふさわしい場所はここではない。ハンナはエプロンを外すと丁寧にたたんだ。
「クビで結構。最後の義理ってことで昼まで働きましたけど、ここで辞めさせていただきます。」
「これまでさんざん面倒見てやったのに…この街にいられなくしてやるからな!」
「最低賃金以下の給料でお世話になりました。この街は今日中に出ていくのでお好きにどうぞ。」
ハンナはつかつかとオーナーの前に歩み出ると、テーブルに両手をたたきつけた。
ダンッ!
重く厚みのあるテーブルが、その衝撃で一瞬浮いた。
ヒッと声をあげたオーナーを睨みつけると、ハンナは最後の挨拶にと、たたんだエプロンをオーナーの禿げ頭の上に乗せた。
「言っておくけど、もしもこの先私の邪魔をしようってんなら、真っ先にアンタの首を叩ッ切りに行くからね?子ども産んで幸せに暮らして、ブチ切れ方を忘れちまってたみたいだけどね。私は気が短い女剣士だったってこと、昨日思い出したんだよ。」
いままでの遠慮がちな、子育てを頑張る子持ちの給仕の変貌ぶりに、店にいた誰もが驚いていた。ドスのきいた声で「分かったかい?」と迫られれば、オーナーは黙って頷くしかなかった。
ふん、と鼻を鳴らすと、厨房に向かって「これまでお世話になりました!」と深く一礼して店を出た。
こんなに晴れやかな気持ちになったのはいつぶりだろう。
こんなに明るい時間に帰れるのも、久しぶりだ。足取り軽く帰ると、老婆の家へと子どもたちを迎えにいった。
「すみませーん!ハンナです。」
ずいぶん早いお迎えに、謝礼を受け取った老婆だけが怪訝な顔をしていた。
「こんな早い時間に、珍しいじゃないかい。アンタまさか、仕事をほっぽり出してきたんじゃないだろうね?」
夜まで働けば、こんな遅い時間までと文句を言っていた老婆は、早く迎えに行けば行ったで別の文句を言う。いつもなら笑って流すところだが、数年ぶりにキレてきたハンナは息をするように「早く迎えにきて何が悪いんですか?」と反論した。
「別に悪かないけどさ。今日は遅くて明日は早いなんて、子どもたちも混乱するだろう?」
「そうですか?いつもより早く迎えに来てテンション上がってますけど?」
うんうん、と老婆の後ろでぴょんぴょんしている双子に微笑みかける。ハンナは老婆に謝礼を渡すと預けるのは今日限りだと説明した。
「王都へ引っ越すだって?夢みたいなこと言うもんじゃないよ。辛い現実を見据えてじっくり働いてこそだよ。第一知らない街へ連れていかれるなんて、子どもたちが可愛そうだろう。
母親は自分のことなんて後回しさ。とにかく子どもを第一に、子どもの人生に尽くす覚悟でで育てなきゃ。あんたのやりたいことなんて、子育てに比べたらたかが知れてるだろう?夢みたいなこと言ってないで…」
母親は子育てに専念するべし。何かとネチネチ言ってくる老婆に対して、ハンナの堪忍袋はとっくに限界を迎えていた。双子のジャンとポール、それに末っ子のマリーを引き取ると、ハンナはすうっと息を吸った。
「余計なお世話だクソババァーーーー!!!!アンタの人生を捧げた子育てが成功してるなら、今頃この家には自慢の息子が孫連れて遊びに来てるでしょ。
あんたの誕生日にすら誰も訪ねてこないってことは、今まで自分がしてきた行いの結果じゃないの?人にマウント取ることで自分の失敗を穴埋めしてんじゃないよ…!」
ここまで一息に言い切ると、ハンナはすうと息を吐いた。
今まで何を言われても頭を下げるだけだったハンナの反論に、何とも言えない沈黙が広がった。彼女は双子の頭を撫でながら、落ち着いた声で続けた。
「…でもまあ、あなたがいなかったら仕事もできなかったし、今まで子どもたちを預かってくださったことにはとても感謝しています。お世話になりました。体に気を付けて、せいぜい長生きしてくださいよ。」
そう言って、餞別代りの焼き菓子を差し出した。
老婆はため息をつきながらそれを受け取ると「勝手におし。」と背を向けた。
「ふんっ。感謝してると思えないような口ぶりだけどね。せっかく預かってやったのになんて言いぐさだ。とっとと出ていって、二度と戻ってくるんじゃないよ。それで、その子らに風邪ひかせるんじゃないよ。」
ハンナは最後に頭を下げた。謝罪のためではなく、深い感謝を示すために。
「私らがいなくなってぽっくり逝かれても夢見が悪いんで、ほんとに長生きしてください。」
「うるさいね。言われなくてもそうするつもりだよっ、この恩知らず!」
そのやりとりは、内容とはうらはらに、今までで一番活気のあるものだった。
*
翌日、少ない荷物をまとめたハンナ親子とリタは王都行きの列車に乗り込んでいた。
夫が工房をかまえていた街を離れるのは寂しいものだったけれど、その工房も今は人手に渡ってしまった。夫の遺言で共同墓地に埋葬されたから、この街に残していくものは何もなかった。
「さぁて、年増年増って言われっぱなしだったけど。私の冒険者人生、もう一花咲かせなきゃね。」
吹っ切れた顔で離れていくロルの街を眺めながら、ハンナはそれまでの日々に別れを告げた。双子の兄のジャンはそんな母親を見てリタに尋ねた。
「ねえ。うちのママって、強いの?」
「はい。あなたたちが生まれる前は、大変すばらしい剣士だったとうかがっています。王都のギルドからわざわざ職員が声をかけに来るくらいにはお強いと思いますよ。」
「そっか。ママいつも疲れた顔してたけど今は毎日楽しそうで、良かったって思うんだ。」
「これからもっと楽しいことがありますよ。あなた達を預かってくれるギルド内の託児所では、美味しいご飯が出ますからね。特に焼き飯と干し貝柱のスープの組み合わせ、あれは最高です。きっとお気に召すと思いますよ。」
「リタって食いしん坊だよね。」
マリーにそう言われてリタは首をかしげた。
「そうでしょうか?普通だと思いますが。」
「普通の人はシトレケーキ5つも買わないと思うけど。」
双子の弟ポールに言われても、リタにはピンとこない。
「シトレケーキはコギト村でしか買えないのです。日持ちもしますし、買える時に買うのは鉄則かと。」
「それはそうだけど。」
「あの素晴らしいケーキが、野良竜ごときに消されなくて本当に良かったです。文化財として保護するべき郷土菓子だと思いますね。」
リタはその後、双子相手にいかにシトレケーキが素晴らしいかと滔々と語り続けたが、新しい暮らしに胸をときめかせる彼らには、そんなリタの熱意など全く響かないのだった。
 




