case5. 都市遊民リュカ・アポリネール 25歳 元魔術師(8)
目が覚めると知らない白い天井が目に入った。
病院かと思って体を起こせば、こめかみにズキリと頭痛が走る。
落ち着いたグレーの寝具からは、ふわりと知っている香り。
ここはもしかして、ライオネルの自宅ではないだろうか…
昨日バーで飲んでいたことを思い出してリタは頭を抱えた。
おそるおそる寝室のドアをあけてリビングへ出てみると、キッチンに立っているライオネルの後姿が見えた。流し台の前にある大きな窓からは、枝垂れのミリアが白い花を咲かせている庭が見えた。
「起きたか。」
「…おはようございます。」
ライオネルは白いシャツに黒いトラウザーというラフな格好をしていた。
ライトグリーンで統一された内装のインテリアは、庭の緑と調和がとれてすっきりとした空間だった。それほど大きくないリビングなのに広く感じるのは、シンプルな家具のせいかもしれない。
貴族出身なのだからもっと大きな屋敷に住んでいるのかと思ったが、意外にもライオネルはここで自炊をしているらしい。
「昨日のことは覚えているか?」
「いえ。カウンターで眠くなったところまでしか記憶になくて。」
「そうか。送ろうと思ったんだが家が分からなくてな。起きる気配もないので申し訳ないがうちに連れ帰ったという次第だ。」
カウチソファには、毛布がきちんとたたまれていた。おそらくライオネルはここで寝たのだろう。リタは深々と頭を下げた。
「あの、本当にご迷惑をおかけしてすみませんでした。」
「かまわない。それから誓って手は出していないから安心するといい。」
「いえ、こんなにご迷惑をおかけして、不安しかないです。」
リタが真顔でそう答えると、ライオネルは楽しそうに笑った。髪も整えられておらず、自宅でくつろいだ表情のためかいつもより若く見える。
「シャワーを浴びてくるなら右の奥にあるから使うといい。それから朝食にしよう。」
「ありがたくお借りします。」
リタは亜空間収納ポーチから着替え一式とタオルを取り出した。
ライオネルの家は、バスルームまでお洒落ですっきりとしていた。洗面台には淡い水色のタイルが敷き詰められていた。おそらく、ダンジョンの奥深くでしか取れないというニジイロホタル石から作られたものだろう。洗髪用の石鹸も、おそろしくいい香りがする。
リタは頭を洗いながら、男前の冒険者はみなおしゃれな家に住むのが基本なのだろうか、ということを考えた。
「シャワーありがとうございました。」
リタが再びリビングにもどると、部屋いっぱいにバターと卵のいい香りが漂っていた。
「朝食にしよう。簡単なもので悪いが。」
ライオネルは手際よくテーブルにオムレツとパン、サラダと果物を並べていき、紅茶まで淹れてくれた。
「これで簡単な朝食なら、私が食べているのは餌ですよ。」
リタは真顔でそう答えた。
「餌って、一体朝から何を食べているんだ…?」
「何もかけないシリアルをコップに入れてスプーンなしでそのまま食べてます。」
「…まあ、人それぞれだな。」
ライオネルはそれ以上コメントせず、リタの椅子を引いた。
「ああ、そうだ。良ければこれも食べていってくれ。」
ライオネルはそう言って保冷庫から瓶入りのジャムを取りだした。
「通いのハウスメイドがが作ったものなんだ。彼女は私が子供のころから実家で働いていたマダムでな。頻繁に持ってくるので持て余しているんだ。」
リタはフレジエの真っ赤なジャムをマジマジと眺めた。
「美味しそうですね。頂きます。」
リタはきっちり手を合わせると、まずは美しく整えられたオムレツにそっとスプーンをいれた。割れ目から湯気が立ち上り、スプーンの上でかすかに揺れる半熟ふわふわのオムレツをぱくりと口に運ぶ。
香ばしいバターの塩気と卵の甘さが絶妙で、食べたそばからおなかがぐぅと鳴るような、空腹を誘うオムレツだった。
それから、ごろごろと果実が入ったジャムもパンにのせてこちらもぱくり。
「んんん…っ!これは、無限にループできますね。とっても美味しすぎます。」
「それは良かった。パルマ嬢はいつも幸せそうに食べるから作り甲斐があるな。」
「あの、前から思っていたんですけどリタでいいですよ。ここまでやらかしてお世話になりっぱなしで、どの面下げて嬢なんだって話ですし。」
ライオネルも大きな口でパンをかじりながら笑った。
「まあ、酒で潰れるなんて誰しもあることだ。働いていればな。」
「それにしたってライオネル様の家にお泊りだなんて、バレたら殺されます。」
「誰にだよ。」
そういって優雅に紅茶カップに口をつけるライオネルは、どこか楽しそうだ。
ライオネル様は未婚の女性から凄まじい人気があることを知らないなんて、とリタは恐ろしくなるのだった。
「それでは、大変お世話になりました。」
リタは朝食を終えて片付けを手伝うと、クレイグ邸の玄関で深々と頭を下げた。ちゃっかり、フレジエのジャムのおみやげ付きで。
「ああ。機会があればまた来るといい。リタがジャムを持っていってくれると助かる。」
ライオネルはそう言ってポンと頭を撫でた。
あまりに気軽に触れるので、身長差的にちょうどいい手の置き場所なのかもしれないとリタは思った。でも、ライオネルに撫でられるのは心地よかった。
一晩やらかしてしまったが、おかげでアマディのことはだいぶ消化できた気がする。
リタは出勤時間を気にしながら、ギルドへと急ぐのだった。




