case5. 都市遊民リュカ・アポリネール 25歳 元魔術師(6)
こんな明るい時間に帰るのは久しぶりだな。リタはとぼとぼと街を歩きながら空を見上げた。
まもなく日没を迎える空にはオレンジとすみれ色のグラデーションが淡く広がっている。騎竜隊が城へ帰っていくのだろう。いくつもの小型ドラゴンが空をゆったりと飛んでいった。
残ってアマディの後処理にとりかかろうとしたが、ヴェルトフは本当にリタを帰してしまった。
「今ならお前の大好きなハッピーアワーとやらに間に合うだろ?」
そう言われたが、何をどうしたらハッピーになれるというのだ。それでもまっすぐ家に帰る気にもなれず、リタはこうしてふらふらと王都の商業地区を歩いていた。
馴染みの店や、冒険者が集まる酒場には行きたくない。誰とも喋りたくなくて、リタは一軒の小さなパブへと入った。品の良い調度品とスタッフがいる”ポワソンダブリル”は、高めの価格設定のため、落ち着いた雰囲気で居心地がよかった。
リタはカウンターの隅に座ると、アブサンを注文した。緑色の液体と独特の香りが鼻をつく。付き合いで食事の際に軽く一杯頂くことはあるが、強い酒を飲むのは久しぶりだった。
ハーブを漬け込んだ独特の苦みが喉を焼いていく。そこへチョコレートタルトを一口齧る。ねっとりと濃いチョコレートのあとに、また喉を焼き、薬草のような香りで咥内を満たしていく。
空腹に度数の強い酒を流し込んだので、酔いはすぐに回ってきた。頭がふわふわして、今日のことがどんどん遠ざかっていく。
手は尽くした。それでもダメだった。
そう自分を納得させるためにリタはさらに2杯アブサンのグラスを空にした。
「パルマ嬢じゃないか?こんなところで珍しいな。」
誰かに声をかけられて、澱んだ頭で見上げるとそこにはライオネル・クレイグがいた。どうやらこの店の常連だったらしい。
今は会いたくない人だと、リタはそっけなく「どーも。」とだけ返した。
ライオネルはリタの態度に構うことなく隣に腰掛けた。
「飲んでいるのか?」
緑色の液体を見て、ライオネルは表情を曇らせた。
「私が飲んだらダメなんですか?仕事してたら、飲まなきゃやってらんないことの一つや二つあるじゃないですか。…まあ、氷刃様にはそんな事ないんでしょうね。」
「パルマ嬢にその名前で呼ばれるのは好きじゃないな。それに俺だってやってられんと思うことくらいある。で、何があったんだ?」
ライオネルは蒸留酒とチーズを、そして何も食べずに飲んでいるリタのために葉野菜とハムのキッシュをオーダーした。
キッシュの鮮やかな黄色と緑に少し心がほぐれて、リタはぽつぽつと今日あったことを話し始めた。
「ギルドを通さずに引き抜きか…。稀に聞く話だな。」
「もしかしたら本人の言う通り本当に一般職なのかもしれないですけど…。」
「いや、魔術師というのがひっかかる。武力に特化した冒険者であれば、長期の専属護衛としてギルド抜きで直接雇用することもあるが。」
「ですよねぇ。アマディさんは、私がギルドに入職し2年目から担当していた方なんですけど。ゆっくり時間をかけて復職してもらえたらって思ってたのに。」
リタはアブサンのグラスを飲み干した。
4杯目を頼もうとして「もうやめておけ。」とライオネルに水の入ったグラスを手渡されてしまった。
「いい大人ならば、自分の人生に責任を持てるのは自分だけだ。彼が決めたことならパルマ嬢にできることはない。」
ごつごつと大きな手がポンとリタの頭を撫でた。
慈しむような優しい手にもっと撫でてもらいたくなる。子どものころ、こんな風に頭を撫でてもらったことがなかったなぁとふと昔のことを思い出してリタはカウンターにつっぷした。
「送っていくから帰るぞ。」
ぼんやりとライオネルの声が聞こえるが、急激におそってきた眠気に返事をすることができない。
「おい、パルマ嬢。家はどこだ?」
少し焦ったライオネルの声が遠くなっていく。覚えているのは、そこまでだった。




