case5. 都市遊民リュカ・アポリネール 25歳 元魔術師(5)
「エヴァンスさんからお話を聞いただけで、現時点ではギルドとして動くことは難しいと思います。ただ、養子斡旋にしても一度に10人も集めるのはやはり不自然ですし、何かあるかもしれないと気にかけておきますね。」
リタはしばらく考えたあとで、最善だと思える答えをだした。仮に何かが行われていたとしても、今の時点で騒ぎ立てるのは得策ではない。エヴァンスも同意見のようだった。
「ああ、頼む。お前さんはギルド職員と冒険者、両方の視点でものが見れるだろう?だから話しておくだけでもと思ったんだ。仕事帰りに付き合わせて悪かったな。」
「いえ、美味しいご飯をご馳走様でした。」
ソファを見ればニーナが眠そうに目をこすっているところだった。
リタはニーナにおやすみの挨拶をしてからエヴァンス家を後にした。
翌日の午後、リタは思いもかけない対応に追われることになった。
冒険者復帰を決めて話を勧めていた魔術師が、突然辞退を申し出たのだ。
以前所属していた冒険者パーティでリーダーからの執拗な嫌がらせにあい、精神疾患を患ってしまった50代の男性だった。
心の病は完治はしない。そのためリタは、これまで医師や薬師とも連携して慎重に面談をすすめてきた。彼が不安に思うこと、今後働けそうな条件など細かくヒアリングして、これなら大丈夫だと判断できるまでかなりの時間をかけてきた。
ようやくこれから…というところだったのに。
「パルマさんには本当に申し訳ないのですが、やはりギルドに所属して決められた仕事をこなすというのは、私には荷が重く…。」
元魔術師アマディは、そういって申し訳なさそうにひたすら頭を下げるだけだった。同席したギルド長のヴェルトフは、彼の目の前に黙って座っているだけで何も言わない。そんな姿に威圧されながらも、復帰しないという意志だけは堅いようだった。
嘘だ、とリタは思った。
アマディに心身的な負担をかけない範囲で、最初はこちらから小さな仕事を割り振っていくので、慣れてきたら自分で仕事を選んでくださいという話だったのに。
いつのまにか、ギルドに束縛されるという話にすり替わっている。魔術の腕はたしかだが、精神的に不安定で人と関わろうとしないアマディ。
生活に困窮していたため、ギルドが斡旋して当面の間格安で入居できる物件も契約済だったというのに、それも破棄するという。
「失礼ですが、他にお仕事のあてはありますか?以前こちらにいらっしゃったときには、年齢・経歴的に一般職に就くのが厳しくなってきたので魔術師に復帰したいというお話だったので、アマディさんの今後が心配です。」
「あっ、はい。…その、なんとか私でもできる住み込みの…普通の仕事を紹介してもらえることになったので。世捨て人同然だった私に、親身に相談にのっていただいたパルマさんやギルドの方々には本当に申し訳ないのですが。」
膝頭に頭をくっつけるようにして頭をさげるアマディに、リタはヴェルトフと無言で顔を見合わせた。
おそらく、誰かが彼を引き抜いたのだ。ギルドを通さず、破格の条件で。
アマディとはもう目が合わなかった。彼の心が決まってしまったのなら、リタに言えることはもう何もなかった。
「わかりました。住居の解約はこちらで手配いたします。入居申し込み取り消し申請書、こちらをよくお読みになって、本日の日付とサインをいただけますか?」
彼はろくに本文を読むこともせず、すぐに記名したが、リタはそのことには触れずに話をすすめた。
「冒険者ギルドへの登録は、どうされますか?今回復帰を断念されるということですと、来年登録証更新となりますが。」
アマディはふるふると頭を横にふった。
「登録破棄でお願いします。お世話になりました。」
テーブルに、ボロボロの登録カードが差し出された。これまで何があっても彼が手放せなかったと言っていたものだ。
「承知いたしました。新しいお仕事、頑張ってください。」
パタン。応接室のドアの閉まる音がして、部屋は静かになった。
あんなに時間をかけて、沢山の話をしてきたのに。終わり際はあっけないものだった。リタは無言で書類を集めると、復職希望者個別ファイルにしまった。
「気にするな、と言うのは野暮だろうが。彼が自分で決めたことなら、我々ギルドにできることはもうない。復職希望者が飛ぶなんて珍しいことじゃない。今回は諦めろ。」
ヴェルトフはそう言うが、リタは全く納得できなかった。
アマディの魔力コントロールはおそろしく繊細で、人の手が届かない場所での細かな探索に向いていた。魔力と精神は深くつながっている。つまり、それだけ彼の心も繊細で脆いということだ。そんな人間を引き抜いていきなり即戦力にするという。
「どこの誰かは知りませんが、入れ知恵をした人間は、アマディさんを使い捨てるつもりでしょう。そうなれば魔術師として仕事ができないどころか、せっかく安定してきた心が崩れてしまう。」
ドンッ…ッ!
リタは右手を応接室の壁に思い切り叩きつけた。ギルドの壁は、冒険者が無体を働いた場合に備えて最強度レベルの素材で作られている。リタの拳に血がにじんだ。
「1年かけてきて、あとちょっとだったのに…。あんなに繊細で美しい魔術が使えるて、必死で頑張ってきた人を使い捨てにするなんて。」
リタは唇をかみしめて鼻をすする。耳元のペンデュラムがかすかに震えていた。
ヴェルトフはそっとリタの右手首をつかんで、壁から引き離した。
「今日はもう帰れ。おーい、誰かこいつの手当をしてやってくれ。」
ギルド長の呼び出しに慌ててやってきた職員が、血まみれの手をみて何事かと慌てていたが、リタにはすべてがどうでもいいことだった。




