case4. BARサイハテ経営 サミュエル・エヴァンス 元Sランクパーティ・オールラウンダー 48歳(10)
「これで、引きあげですね。」
ブルーノが遺した懐中時計を握りしめて、リタは静かに呟いた。
「こちらは持ち主の居場所に還しても良いでしょうか?」
カリムは静かに呟いた。
「うん。お願いするよ。ずっとこの人を帰してあげたいと思ってたから。子どものことも頼めるかな。彼女は養子に引き取られていなければ今もスーク北孤児院にいるはずだよ。名前はニーナ。」
「分かりました。確かにお引き受けしました。」
カリムは消え入るような声で、よかったと返した。声だけでなく、その姿も薄まって消えていくようだった。
「カリムさん?」
「地底湖の右手に細い穴があるだろう?あそこから外に出られるから、そのまま行くといい。ここは永久に閉めるよ。もう誰も呼ばれないようにね。」
静かに笑う顔には、覚悟が刻まれていた。リタにはカリムの決意を尊重するべきか判断できなかった。ジャルジールの民にとって自分たちは部外者でしかないのだ。
「閉めるって…。」
滅多なことでは表情に出さないライオネルも、目を見開いて驚いていた。
「僕はね、ジャルジール最後の神官長をつとめていたんだ。この歳でって思うだろう。僕が特別秀でてたからじゃない。末期のジャルジールにはそれだけ人がいなかったんだよ。ここにとどまり続けるのもとっくに限界なんだけど、やるべきことをやってから行くよ。」
「待って、カリムさん。」
聞きたいことがまだまだあるのに、カリムの姿がゆっくりと消えていく。
ふいに、ドォーン…と大きな音がした。リタたちが降りてきた階段の方からで、おそらく入り口が封鎖されたのだろう。
ありがとう、と耳元でカリムが囁いた気がした。リタは辺りを見回したが、もう何も見えなかった。
「おい、行くぞ…!」
ライオネルの低く強い声とともに、右手首を掴まれた。
「ここは危険だ。クローズトラップの類が発動したんだろう。脱出するぞ、走れるか?」
自分の顔を覗きこんで目と目をしっかり合わせてから、ライオネルが尋ねる。
リタは迷子の子どものように無言で頷くしかなかった。
細い横穴に入る前に、自分たちがいた空間を振り返ってみたが、すでに立ち込める土煙で女神像の影しか見えなかった。
リタはライオネルの後に続いて身を小さくしながらひたすら前へとすすんでいく。
自然にできた空洞をそのまま利用しているのだろう。ゆるやかに続く傾斜を登っていくとやがて空気が流れる気配がして、二人はごつごつした岩山の中腹部へと出た。
いつの間にか高い場所にきていたらしい。
小高い山からは、砂漠の民の集落とオアシスが小さく見えた。地下でそんなに移動したつもりはなかったが、ここから集落に戻るには、砂漠の中をかなり歩くことになるだろう。
リタはあきらかに揺らいでいた。ブルーノのことよりも、カリムのことで。あの薄暗い地下の神殿を、たった一人で何百年も守り続けてきた少年の最期にしては、あまりにも報われなさすぎると思ったから。
そんなことぽつぽつ話すと、ライオネルはそっとリタの肩に手をのせた。
「彼が報われるかどうかは、これから孤児の娘を幸せにできるかにかかってるんじゃないか。感傷に浸ってる場合じゃないだろう。パルマ嬢の仕事はまだ終わっていないと思うが。」
黒曜石のような瞳が、まっすぐリタを見つめて、その光はそのまま彼女の心の奥までストンと届いた。
「そうですね。全然、終わってなかったですね。」
「ああ。ひとまずここを降りるぞ。」
ごつごつした岩場を下るため、ライオネルがリタに手をかしたその瞬間、二人の背後にあった岩が大きく跳ね飛んだ。
振り返れば、10メートルほど離れた場所に、リタの体格と変わらないほどの大きなサソリが地をはっていた。
「スコーピオン・グランデ!ヤツの巣穴だったのか。」
チッ、とライオネルが舌打ちしたが、砂漠の戦闘狂とも呼ばれるスコーピオングランデは、次こそ二人を潰そうと大きな尾を揺らしてもう一度岩を飛ばしてきた。
どうしよう。
リタは一瞬迷った。今ここで剣を出せばこの程度の魔虫はすぐに叩き切ることができる。でも、できればライオネルには正体を明かしたくない。
いずれバレるにしても、今はまだー
そんなほんの一瞬の葛藤がリタに隙を作らせた。
「危ないっ…!」
咄嗟にライオネルがリタの前にでて、大剣で岩をまっぶたつに割った。
狡猾なスコーピオン・グランデはその岩を隠れ蓑にしてすぐ次の攻撃として毒針を射ってきた。
おそらく彼ひとりなら難なくよけられただろう。しかし今はリタ・パルマの護衛だった。
「ぐっ…!」
肉切り包丁のように太い毒針は、ライオネルの右肩を深くえぐった。
ぼたぼたっと血の滴る音がして、乾いた岩場はライオネルの血液を即座に吸収した。
「ライオネル様…っ!!」
「問題ない。」
ライオネルはえぐれた肩に構うことなく、即座にカウンターをかけた。
じゃり、と足を踏み込む音がしたかと思うと、ライオネルはスコーピオン・グランデの目の前で膝がつくほどかがむようにしてサソリの内側に切り込んだ。硬い殻に覆われていない、柔らかな急所だ。
カッカッカッカチカチカチカチィィ…
スコーピオン・グランデが威嚇のために巨大なふたつのハサミを鳴らしていたが、腹から体液があふれ出すにつれてその威嚇音も小さくなっていった。
リタは魔虫が完全に死んだかを確認する間もなくライオネルにすがりついた。
「ごめんなさい。私のせいで…」
肩から手先まであっと言う間に神経毒が回ったのだろう。
握ることのできなくなった剣が、ライオネルの右手からガシャリと音を立てて落ちた。




