prologue
その日、ルーシュ地方山間部に面するコギト村のはずれで、ある凶悪な魔獣が、たった一人の冒険者によって討伐された。
一部始終を目撃した村人たちによると、その冒険者には奇妙な違和感があったという。
藍色のフード付きマントで顔を隠し、役人が着ているような上質のシャツとズボンを着用。冒険者だというのに防具も武器も所持していない。
土魔法の使い手らしく、冒険者は地面に両手を当てるとまるで地中から抜き取るように、一本の長剣を生成してみせた。
普通の土魔法なら泥を固めただけでは強度に不安があるものの、その剣は限界まで土の粒子を細かくしていた。かなりの強度と切れ味で、なめらかに仕上がっていた。おそらく錬金術の素養もあるのだろう。 一瞬のうちに土をこねて陶器を焼きあげたようだったと、目撃した村人たちは後に語った。
冒険者は絶えず土魔法でドラゴンの攻撃を阻害し、全く無駄のない動きで3本の首を切り落とした。
倒されたのは長らくこの地方の民を苦しめてきた三本首のドラゴン。大きさは5メートルほどとそれほど大きくはない。
ただし高い知能があり、動きが俊敏であるため、非常に厄介な相手だった。
たかが中型のドラゴンだと甘んじて切りかかった者たちは容赦のない返り討ちに合い、命を落とした。討伐者たちの手足を遊ぶように食いちぎり、その苦しむ様を、三本首がどこか面白そうに眺めていたという話も片手で数えるだけでは済まない。
頭が3つ、つまり目が6個あるので視野が広く、どの口からも炎を吐く。
よほど手練れの冒険者が複数人充分な連携をとらなければ討伐は不可能だと、生きながらえた者たちは口々に語って去っていった。
山に面したわずかな土地を耕して、30世帯ほどが細々と暮らしている過疎地コギト村。ここを訪れるものといえば、峠を越えて山のむこうのノイエ地方に抜ける行商や旅人くらいのもの。村に一軒しかない民宿には、そんな者たちが足を休ませるため一晩滞在するだけだった。
唯一村で誇れるものといえば、この地方で採れる木の実とシトレという干した果物をたっぷりと練り込んだ長方形の焼き菓子だった。
適当な厚さにスライスして食べる素朴なシトレケーキは、この辺りを通過する商人たちには土産物として人気があった。それでも大きな街で販売できるほどの数は作れないため、知る人ぞ知る名産品として世に広まることなくひっそり知られていた。
そんな貧しい村に、数年単位に渡って危険なドラゴンがいたとしても、都市部に被害が及ばない限りギルドは動かない。
ただでさえ冒険者が不足している世の中。貴重な上級ライセンス持ちは被害が甚大な場所へ駆り出され、それだって間に合っていない状況だ。
コギトの民たちは、よそへ移住するほどの蓄えも立ち向かう術もなく、怯えながら、諦めながら生きるしかなかった。
それがたった一人の冒険者があっと言う間に終止符を打ったのだ。名乗ることも、顔を見せることもない、若く小柄な冒険者に。不思議な討伐譚はコギト村だけでなく、付近の街でも話題にのぼった。
「フードを被っていたし口数も少なかったのでお顔を見たわけじゃないんですがねぇ。間違いなくお若い方でしたよ。食べる時くらい頭を出せばいいのにとは思いましたけど、冒険者にもいろんな方がいますからね。その後三本首をぶった切るなんて知っていたら、お顔を拝見させていただいたのですが。」
討伐者が食事をしたという民宿の主人は、後に街の酒場でそう語った。
「でもねぇ。うちのかみさんが、ありゃあ女の子だったんじゃないかって言うんですよ。」
これにはその場にいた客全員が「バカなこと言うなよ。」とドッと笑った。
「そうでしょう。いくら華奢だからって、そんなわけないって言ってやったんです。でも甘党なのは確かですよ。うちのシトレケーキをいたく気に入ってくださってね。こんなに素晴らしいものがドラゴンのせいでなくなってしまうのは許せないって5本も買ってくだすったんですよ。案外、あの方がドラゴンを倒してくださったのも、シトレケーキのおかげかもしれませんな。」
しんみりとそう語る宿の主人に、酔客たちはもう一度爆笑した。
「ありえねぇ話ばっかりだなぁ。しかし、三本首に怯えなくていいことは確かだ。ノイエとの行き来もずいぶん楽になるから、これでコギトもちっとは景気が良くなるんじゃないか。どこの誰だか知らねぇが、そのお方に乾杯だ!」
賑やかな酒場の隅で、S級冒険者のライオネル・クレイグは宿屋の主人の話をひとり真面目に聞いていた。南の貿易港に出現するクラーケン討伐から王都へ戻る途中で立ち寄ったのが三日前のこと。
多くの冒険者が犠牲になった三本首の話はライオネルの耳にも自然と入ってきた。
知能の高い魔獣とやりあえる機会はそうそうない。そう思ってひとり村へ入るところだったが、街にたどり着いた頃にはすでに単独討伐の噂でもちきりだった。
知能もちの魔獣ほど厄介なものはない。たった一人で、一体どうやって討伐したのか。それほど能力の高い冒険者なら、王都のギルドでも話題になるはずだが、今までそんな噂を聞いたことすらない。ライオネルはカウンターで一人静かに飲みなおしている民宿の主人のもとへと席を移した。
「実に興味深い話をしていたようだ。」
赤ら顔の主人は、ライオネルをじっと見つめた。
「あなた様も冒険者でいらっしゃる。」
「ああ。この手で三本首を討ちとってみたかったが遅かったな。村の平和のために一杯奢るくらいしかやることはないようだ。」
宿の主人にありがてぇことですと頭を下げられたが、ライオネルは討伐したのは自分じゃないともどかしくなるだけだった。
「しかし気になるのですが、そんなに狂暴なドラゴンを、たった一人でどうやって倒したのだろう。」
「そこなんですよ!」
出されたグラスを一気にあおって、宿屋の主人は声を荒げた。
「実際に見たって村の若い衆から聞いた話なんですがね。そのお方は街から豚の塊肉と蒸留酒を一樽取り寄せると、3つの飼葉桶の中に肉を放りいれて、そこへなみなみと蒸留酒を注いだんです。
三本首が現れるのは決まって村の洗濯場なんで、そこに桶を置きましてね。すると三本首がそれをうまそうに飲み食いしたそうですよ。
酒に強い男だってコップ一杯飲んじまえばひっくりかえるような強い酒だ。桶いっぱいに飲んだんだからいくらドラゴンといえどもたまったもんじゃない。ふらついてるところを、一刀両断ってわけです。」
高知能の魔獣相手に苦戦した話はこれまで山と聞いてきたライオネルだったが、まるで荒唐無稽な話だった。まさかその知能を逆手にとるとは、よほど戦いなれた者なのだろう。
「酔ってるとはいえ三本首ですからね。相当に暴れたらしいですけど、そのお方はまるでキュウカンヴァでも切るように、こう…3つの頭をスパスパっと切っちまったらしいです。私も切り落とされた頭と首を見ましたがね、骨まで綺麗に切断されて、そりゃあ見事な切り口でしたよ。」
今その死骸は街の冒険者ギルドに保管されているらしい。すでに討伐者が街を去ったあとでは、見るだけ無駄だろう、とライオネルは思った。名乗りもせず、褒章も受け取らずに立ち去っていった謎の冒険者。
これがどうにもひっかかる。まるで、今まで消息を隠していたようだ。
例えば、黒煙ー。
かつて王都最強と謳われた冒険者パーティ”ファルコン・ドール”(金のハヤブサ)のエースアタッカーで、パーティの解散とともに消息不明となった冒険者。彼がもし再始動していたとしたら…。
そこまで思いつめて、ライオネルはグラスを空にした。
彼ほどの実力者なら、これ以上調べたところで収穫はないだろう。活動すれば、かならずその所在は明らかになるはず。ライオネルは酒場をあとにした。
ルーシュ地方で2番目に大きな都市ロル。この街の冒険者ギルドで、この一か月三本首の竜の討伐依頼を受けた冒険者はいなかった。
つまり彼はギルドを通さずに三本首を討ちとったことになる。裏取引でギルドで提示されている以上の報酬を受け取ったか、報酬など最初から受け取るつもりなどなく、個人的に討伐したか。
前者は考えにくいことだった。なにせコギト村は貧しい。ギルド以上の金額を出せるとは思えない。それに裏取引であれば、自分が討伐したという証拠に魔獣の一部を持ち帰るはず。
つまり、彼は完全な善意でコギト村から脅威を排除したにすぎない。
それは民宿の主人が言うように、案外シトレケーキが美味しかった、くらいの理由なのかもしれない。
そんなことをつらつらと考えていると、雑踏の中に見知った顔を見つけた。
冒険者ギルド職員のリタ・パルマだった。
栗色の髪を短く切りそろえ、あらわになった右耳には黒水晶でつくられたペンデュラムの耳飾りが揺れている。ギルドではどんな強面の冒険者だろうと無茶な要求には決して首を縦に振ることなく淡々と仕事をする。それでいて話しかければよく喋る風変りな女だ。
年齢は確か22歳。彼女の所属は王都郊外の冒険者ギルド南支部だったのが、つい最近、冒険者ギルドの総本山ともいえる中央本部に異動したらしい。破格の待遇での異動だとか、あちこち出張させられてるんで、よほど使えなくてしょうもないのだとか。一介のギルド職員にしては、色々な噂が飛び交っていた。
変わり物とはいえ、うら若き乙女がこんな地方にまで飛ばされている。気の毒に思ったライオネルは思い切って彼女に声をかけた。
「おい。こんなところでギルド職員が何をしている。」
「ライオネル様、こんにちは。お仕事ですか?」
「この先の貿易港で海獣討伐をすませて王都に帰るところだ。お前は?」
青みがかった黒髪をサイドで刈り上げたさっぱりした髪型に、舞台役者としても通用しそうな甘いマスク。どんなに無骨で不愛想だろうと、その整った容姿と名声でライオネルに憧れる貴婦人は引く手あまただ。しかしリタはそんなライオネルに見つめられても顔色一つ買えることなく「私も仕事です。」とだけ答えた。
「中央ギルドにうつってからあちこち飛ばされていると聞いたが。」
「ええ。めぼしい潜在冒険者だった方がいるなら、どこでも出張しますよ。今日も一件訪ねてきたんですけど、あいにく留守だったようなので明日出直そうかと。」
「潜在冒険者?」
ライオネルは聞きなれない言葉に首を傾げた。
「Bランク以上のライセンスを持っていながら、さまざまな理由で現在は活動していない方を我々は潜在冒険者と呼んでいます。」
ちょっと待て、とライオネルは口をはさんだ。
「上級ライセンスを保有していながら別の仕事を?そんな冒険者がいるのか。」
「みなさん色々な事情がおありですから…。今は別のお仕事をしている方にお話をうかがって、復職を呼びかけるのが私の仕事です。よかったらチラシがあるのでどうぞ。もし潜在冒険者のお知り合いがいたらご紹介いただけますか?」
リタはそう言ってななめがけにしていた布かばんから一枚のチラシを差し出した。
ライオネルは一瞬自分の目を疑った。
そこには「ダリア酒場。17時までの入店で料理全品増量中。このチラシ持参の方にはワイン一杯無料」と書かれていたからだ。
リタは悪びれることなく「あっ、間違えた。」とチラシを奪い取った。それから改めて、別のチラシを渡した。
『潜在冒険者の方を探しています。もう一度、冒険者として活躍してみませんか?
今なら指定の依頼(難易度は選べます)を1件こなすと亜空間収納ポーチSサイズを無料プレゼント。
南部ギルド所属のリタ・パルマ(24歳、入所3年目・趣味は食べ歩き)が現場を離れた元冒険者の方々の様々な事情や悩み事に寄り添いながら、安心かつ最善の形で復職できるよう支援します。
さあ、あなたも復職にむけて一歩踏み出してみませんか?』
おそらく彼女が手書きで作ったものを魔法で転写・複製したのだろう。チラシの隅には呪われたモンスターかと思われる絵が添えてあったが、よく見ると小さな吹き出しに「待ってるワン」と書いてある。犬であるらしい。
同じ冒険者として、率直に意見を述べるならばリタの仕事は「うさんくさい」ものだった
ライオネルは「残念ながら私の顔見知りは全員現役だ。」とチラシを返した。
「そうですか。どうぞお気をつけて王都にお戻りくださいね。私は17時までに行かなければならないところがあるのでこれにて失礼いたします。」
ひどく真面目な顔をして、彼女はペコリと頭を下げた。おおかた、チラシの店に行くのだろう。小柄なわりにやたらよく食べよく読むという噂も、ライオネルの耳にも届いていた。
自分より5歳も年下のギルド職員に気を付けて帰るよう言われるとは、皮肉なものだ。S級冒険者は失笑しながら雑踏に消えていくリタを見送った。
 




