第一章 4話 負けないロジック
──恐怖。一瞬だが、どうにもならない感情が、ディオニスに宿った。一歩の後ずさり。しかしそれは予定とは違う──すなわち、隙。
それを見逃さなかったショウがぐにゃりと腕を振り上げて──
「──ッ!!」
「──え!?」
素人の、ビンタに近いパンチ。だが威力はすさまじく、ディオニスは吹き飛ぶ。
ショウもその出力に、自分の手とディオニスを交互に見て、驚いている。
──しかし、まもなく姿勢を立て直したディオニスは、何も言わずにショウに殴りにかかる。
「──ッ! あ、ぶな」
避けられる。ディオニスの拳は綺麗に空を切る。
──よろけたディオニスに、すぐさまショウのフェイント。体が床に打ちつけられ、先ほどよりは大きいクレーターができる。
そこをショウは追撃。ディオニスはスーパーボールのように跳ね飛ぶ。
ディオニスは壁にうちつけられ、ぼやけた視界でショウをとらえようとする。
──なんとかその細身をとらえたディオニスは聞く。
「──ぐ、これだけ聞きたい……お前、名前はなんだ?」
「──俺は、カズミヤ・ショウ。『使徒』だ……よね、ジン?」
「ハハッ、……ショウ。“これから”よろしくなァ!」
むくりと起き上がったディオニスは、光の衣を纏って、ショウに戦いの意思を向ける。
その意思を受け取り、棒人間は腕を構えた。
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カズミヤ・ショウは、とても不器用な男である。
彼は、小さい頃に母を亡くして、父と二人。そして、その父も、海外での仕事が忙しいらしく、5歳になるころには、父の友人の家に預けられることになった。
それが二聖家である。
「これから、この子を、昇を頼みます、ほら、挨拶しなさい」
「……ぁす」
「すみません、この子人見知りで。慣れるまでは温かい目で見てやってください」
昇がやってきた日のことを、仁はよく覚えている。知らない家に入れられて、それは心細いだろう。彼の心をほぐそうと、仁は彼に微笑みかけた。
「昇、オセロしよ!」
「……ぃよ」
表情は変わらないし、声は小さいが、一緒にやってくれた。
何日、何か月かかるか分からないけれど、せっかく同年代の子供と暮らせるんだ。君と仲良くなりたい。
「──これで、僕の勝ちだね」
「……ぉう、一回」
「いいよッ。もう一回しよう……あ、昇はもう置くとこないから、僕の勝ちだ」
「む、もう一回」
「──僕の勝ち」
「む、むきゃあああああ!!」
昇は、悔しさのあまり、泣き出した。(なんだ。表情豊かじゃん)と思ったのは、内緒である。
「ご、ごめん。もうやめようか!」
「嫌! もう一回!!」
昇は鼻をたらしながら、オセロ盤の前に正座する。
こんなつもりじゃなかったんだけど、いいや。とことんやってやるさ。
その日、仁はとんでもない負けず嫌いを発掘することになった。
因みに、現在に至るまでの(オセロに限らず)ショウとのバトルの結果は、11208戦11208勝で、仁の勝ちが続いている。
今でも負ければ「むきゃあ」と奇声をあげるのは変わっていない。
昇は、オセロの才能がなく、また、勉強も、スポーツも、ましてや家事に至るまで才能が皆無であった。
昇が初めて作った料理はひどく、親代わりの仁の両親も頬がひきつるほどであった。
だが、昇はただの才能なしではない。──そこに負けず嫌いが加わっているから厄介なのである。
──昇は不器用なのだ。
だから、諦め時というのが、昇にはどうにも分からない。
勉強も、スポーツも、家事も、遊びに至るまでどれも手を抜くことなく、昇はずっと努力した。
「昇、早く寝なよ」
「うるせぇ! 勝ち逃げは絶対に許さん!」
そういって昇はオセロの定石本を読み漁っていた。
まぁ、次の日も仁が勝つのだが。
要するに、できないなら、できるまでやるのが昇と言う男である。
──ショウは負けない。きっと彼は、勝つまでやるだろうから。
そういった意味で、天使はとんでもないことをしてくれた。
──諦めない男に、諦めなくていい肉体を与えた。これが意味するのは、実質的な、不敗である。
「ハぁ、ハぁ。テメェ。さっさとくたばりやがれッ!!」
ディオニスが振るった拳は、宙を空振った。
闘いが始まってかれこれ1時間が経過した。ディオニスには疲労の色が見え始めている。
──そして対する、ショウは。
「喰らえ!」
ブン! なんとこちらも拳が空を切る。こっちは体力の問題ではなく単にセンスの問題である。
ディオニスの光の衣も、プスプスと音を立て始めた。
このまま闘い続けると、最期に立っているのは……彼の脳裏によぎった最悪のビジョン。
何も成せずに負ければ、あの人に顔向けできない。
「決めるしかねェな」
打撃は、効かない。ショウの線による身体が、衝撃を見事吸収する。暖簾に腕押しとはまさにこのこと。
──では、斬撃はどうか。
その頭を断ち切ってみせれば、お前はどうする?
しかし、ディオニスは剣を持ち合わせてない。用いるは、この徒手空拳のみ。
速度を上げれば、手も刃になりうる。
筋肉では超えられないその速度を、超える。そのための“エネルギー”。
「──テメェの頭ン中はどうなってんのか見てやるよッ」
ディオニスは身体に流れるエネルギーを、指先に集中させる。
──エネルギーとは、言語化可能な想像を現実のものへと変換するための動力源である。
『エネルギーにより手の速度をあげて、奴の頭を斬る』
それを今、現実へ──
白くて丸いショウの頭は、細い身体に比べれば幾分も狙いやすい。
ディオニスは青い光を腕に纏わせ、今──斬りかかる。
「──ショウ!」
早くもディオニスの狙いを察知したジンは声を張るが、その声が届くよりもはやく、ディオスはすでにショウを間合いの中へ引きずり込む。
技術などではない。圧倒的な暴力を貴方へ。
「──オルァアアアアアア!」
ショウは見た。ディオニスに宿るエネルギーが創る獅子の像を。白く鋭い牙をこちらに見せつけて、食いかからんとしているところを。
──そして、そのコンマ1秒先、その威厳を象徴する牙が、粉々に粉砕する様を。
「──ハァ!? テメェ頭固すぎだろォ」
ディオニスの指は、5本それぞれあらぬ方向を指し示す。
ショウは、自身の頭の硬度を知っていたわけではない。そして、実際、本来人間の弱点である頭部を狙われた際も、反応はできなかった。
──反応できなかった。その一番無防備な状態が、今の結果を叩き出した。
“硬すぎる”頭部に、クリーンヒットするよう、攻撃を誘ったと言っていい。例え本人が、図らずとも。
この瞬間、ショウは知る。どうやら自分の頭は硬いらしい。──ニヤリ笑って、ディオニスの胸ぐらを掴んだ。
「いいこと聞いたぜ」
これまで、ショウはディオニスに攻撃をあまり当てられていない。これは本人のセンスの問題もあるが、主な理由としては、その細い腕が挙げられる。
武器たる拳の小ささに慣れていないためである。
だが、ここで頭を狙われたことで、ショウは新たな可能性を見た。狙われやすいというのは、すなわちこちらが狙いやすいということ。
この小さな拳に比べれば、何倍も大きく硬いこの頭の方が武器として明らかに優秀。
掴んだ胸ぐらを離さないように、こちらへ思い切り引っ張る。崩れるディオニスのバランスを巧みに操り、そして──
喰らわせる、渾身の一撃。
「──カハッ」
金属と金属が思い切りぶつかり合うような音が響いた。
一寸のズレもなく、その鉄球は目標物と衝突。
ディオニスの世界は重い痛みと共にぐらり波打つ。地の定まらぬ世界はどうやら鉄の味がするらしい。
赤く血が滲んだ、ショウの頭。すぐにディオニスを視線にとらえる。
「もう、いっちょぉ」
もう一度、頭突きを食らわせれば、奴の意識が刈り取れる。その確信がショウにはあった。
ふらつくディオニスに、棒人間はゆっくり歩いていく。
確実に、確実に。一歩、一歩。絶対に、勝つ。
まだ、目の焦点のおぼつかないディオニスの胸もとを、もう一度掴む。そして、その重い頭を、限界まで助走づける。
ついにその首についた鉄球を、加速させ──ぶつけるッ
「──ッ!?」
鳴り響いたのは、先程とは違い爆発音であった。
ショウは何が起こったのかが分からない。──目の前を土埃が漂っているからだ。
数秒して、土埃がやんできて、黒い影が見える。
「クハハ……貴様、中々やるな」
現れたのは──全身を黒い鎧で守った、謎の人物。その声は低くこもっていて、威厳が感じられる。
「……ディオニス、大丈夫か」
「……ぐ、はい……大丈夫です」
ディオニスはジンジンと痛む頭を押さえながら、ゆっくり体を安定させる。
その口調も、出会った当時より幾分も落ち着いている。
「…………『波動』は使わなかったのか?」
「──え、レーグさんが使うな、と」
「クハハハ、吾輩は好きだぞ、貴様のそういうところ」
「……?」
二人の会話に、ショウはついていけずただただ立ちすくんでいる。
その様子に気づいたのか、鎧の人物は手を立てて謝る。
「──あぁ、すまない。吾輩はこの城の主。そして──」
その人物は、重そうな腕を組んで──
「──魔王第二柱レーグだ。よろしく」
魔王と聞いたショウはすぐに攻撃態勢に入る。しかし、レーグは「いやいや」と止めて──
「吾輩に戦う意思はない。そうだな……ここで話すのもなんだから、食事でもしながらどうかね」
「……えーっと」
どうすればよいか分からないショウ。見かねたジンがにゅるんと割って入る。
「──では、そうさせていただきます」
「ふむ、じゃあ吾輩についてきたまえ」
満身創痍の男と、鎧と、布と、棒人間。世にも奇妙な連中は、広間をあとにし、暗闇へと消えていった。
一章の分は書き溜めてるので、いい感じのペースでのっけたいと思う所存。