第一章 2話 どうみても魔王
カズミヤ・ショウの朝は比較的遅い。朝食を作ったジンに起こされ、寝ぼけながらそれを食べるのが日課である。
しかし、そこに香ばしいベーコンの匂いはなく、苦い雑草の匂いがする。
──そこは、そばに小さい湖のある、見渡す限りの草原。
「ん……あれ、ジンはどこだ? ──ッ! ジン! どこだジン!?」
ガバッと勢いをつけて見渡すがジンらしきものはどこにもない。
「クッソ……!離れ離れになるなら予め言ってくれよ、天使」
なにせジンの行方が分からない。万一すでにジンが闘っていたら──
心配が生む焦燥感が、ショウに土を握らせる。
【あの……ショウ、聞こえる?】
「うおっ」
ふと、聞きおぼえのある声。辺りを見渡すと、ひらひらと一匹の蝶。
「ジン……お前……そんな姿に……」
【違うよ、違うよね?】
なぜ疑問形なのか、と聞きたくなる気持ちもあるが、とにかく今、ジンが生きていることでショウには十分とは言うまでもない。しかし、ならばどこにいるのだろうかと、また不思議に思う。
「じゃあどこにいるんだよ」
【分かんない……けど、ショウの声が頭の中からきこえる】
一見何を言っているが分からない。しかし、ショウが額にしわを寄せるのは、心当たりがあるからである。
「……なーんか俺もジンの声が全方向から聞こえるんだよ」
ショウには辺りから、ジンには内部から。そして、先ほどの蝶が二人に見えているといことは──
【──つまり、文字どおり一心同体ってことなんじゃないかな】
体を共有している、ということである。
「俺もそんな気がする。うっわ……ほんと言葉足らずだよなあの天使。そういえば」
ふと、ショウの中に新たな疑問。それを解決するために、近くの湖にすり寄る。
のぞき込むと、その水面に映るのは──
【ええと……誰?】
「……俺だ」
映ったのは、ぱっと見明るいが、どこか深みのある金髪の少女。
それが、男子高校生の声を発しているのだから、奇妙なことこの上ない。
【ふぅん、なんか……変な感じだね】
「でも、俺ちょっと可愛いな」
【それはないんじゃないかな】
「オイ!何でだよ!」
【だって……ね。中身がショウだもん】
「ぐぬぬ!──生意気いう奴はこうしてやる!」
ショウは自分の右頬を力いっぱいにつねる。しかし──
「いてぇ」
【僕は痛くないよ、何なら体も動かせない】
「じゃあ何ができるんだよ?」
【分かんない】
「……」
謎は深まるばかりである。しかし、こんなところで、時間をつぶしている暇はない。
「さて、ジン。今からどうする?」
【一応、天使様からある程度の情報は教えてもらったんだけど……】
「うん?」
歯切れの悪いジンに、ショウは首をかしげる。
【天使様もこっちの世界の今の状況はよくわかってないみたいで。とりあえず誰かに聞いてみろ、だってさ】
「じゃあ情報収集? どこに行けばいい?」
ここは舵番として向かうべき場所をジンに問う。
【それは……あそこでしょ】
ジンは身体が動かせない。それ故に“あそこ”がさす場所も言葉だけじゃ情報が足りない。だが、ショウにはその場所がわかる。……先程、“見渡すばかりの草原”と書いたが、実は嘘である。確かに、あるのだ。異様な雰囲気を放つモノが。
「あそこなぁ……だってどう見ても魔王城じゃん」
草原から中々遠くに見える、異様なモノ。それは、どす黒く、大きな城。
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「ひぃ……ひぃひぃ」
【頑張れー!あと少しだよー!】
小道を歩くこと約2時間。ネズミほどにしか見えなかった城も今ではショウたちを見下すほど大きく佇んでいる。
また、城は少し高くなった丘の上に位置していて、のぼるのも一苦労である。
【ちょっと! もう日は暮れてるんだよ! 負けないで! もう少し!】
「くっそぉ! ジンにはいつか痛い目見てもらうからなぁ」
そんな小言も彼の口から出なくなってきた頃、ようやくショウは城の玄関にまで辿り着いた。
「おお! やっと着いたぁ!」
黒い城の、やはり黒の大扉の前で、ショウは伸びをする。
【うわあ……なんか雰囲気あるね。さっきから生き物の気配ひとつしないし】
ジンの声に背を押されて、ショウは城の中へと消えていった。
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城の中には赤いじゅうたんが敷かれていて、それ以外は基本黒で装飾されている。
「中は案外きれいだな」
【……僕たち、挨拶なしで入ってきちゃったけどいいのかな】
「あそこから挨拶しても聞こえないだろ。怒られたら、そのとき考えたらいいんだよ」
コツコツと、静かな廊下に足音が心地よく響く。夕焼けも相まって、どこか寂しい感じがする。
行く先も分からず進む足音も、室内という範囲内では、終わりが来るものらしい。
ショウの前に立ちはだかるのは、鉛のような光沢を放つ大扉。どうにも禍々しく、これ以上進んではいけない予感がする。しかし、進まないわけにはいかない、というのもまた、事実だった。
【おぉ……立派な扉だね】
「入るか」
【…………】
ショウは大扉に手をかける。金属特有の冷たさに一瞬ひるむが、勇気を出して扉を押す。扉はやはり重く、重いなりに金属の擦れる音がよく響く。
ようやく人が通れそうなぐらいの隙間ができたので、とりあえず顔をのぞかせる。
「お邪魔し、ま……」
扉の奥は広間だった。『玉座の間』とでもいえばいいのだろうか。少し高くなった部屋の最奥には、たしかに黒い玉座が用意されていた。
黒い城の、黒い玉座。趣味は決していいとは言えない。だが今はそのようなことはどうでもいい。
“居る”のだ、玉座の隣に。人型の“何か”が。
そして今、ショウは“何か”と確実に目が合っている。
“何か”は、紺色の軽そうな鎧を装備していた。“何か”はまた、紺色の短髪で、目には色がなく、つり目が鋭くとがった男だった。
“何か”は、たしかに、言葉を喋った。
「……挨拶ぐらいしてから城に入れよ。失礼だぜェ、お前」
「えっと、ごめんなさい」
男は短くため息をついて、人差し指だけで手招きする。
「まぁ……入れよ」
「失礼します」
「お前そういうのはな、城に入ってくる前に言うもんなんだよ」
そう言いながら。男はゆっくりこっちに寄ってくる。
「お前この城が誰のものか知ってるか?」
5歩ぐらい離れた場所で、男は止まりショウに問いかけた。しかし、ショウが知るはずもなく、沈黙で答える。
【あなたの城では?】
「…………」
見かねたジンが答えるが、男は無反応。どうやら、ジンの声はショウにしか聞こえないようである。しかし、おかげでショウは答えねばならないことに気づき答える。
「あなたの城じゃないんですか?」
「違ェよ。やっぱ知らねェよな。お前『眷属』…………いや『使徒』か?」
「し、と……?」
両方、はじめてきく単語に、ショウはうろたえる。
【ショウ! 言い忘れてた! 僕たちは『使徒』だよ】
「何でジンが知って──」
【天使様から聞いた】
「ちょ、報連相」
このやりとり、傍から見れば、大袈裟な独り言である。故に、男は当然──
「あァ? 何一人でブツブツ言ってんだよ」
「使徒です。俺たちは使徒です!」
「あァ? 俺たちって?」
「俺!」
明らかに挙動不審なショウを、男は探るように眺める。それを察知したショウも何が来てもいいように身構える。
「まあいい。お前の無礼は見過ごせるもんじゃねぇが、いまこの城の主は不在だ。オレもその人を待ってんだ」
「……はぁ」
つまりこの男は何が言いたいのだろうか。ショウの相槌も不明瞭なものになる。
「そんでよォ、オレは暇してんだよ」
「…………」
少し、男の雰囲気が変わる。先程までより冷たく重く鋭い、まるで氷柱ような圧。
「使徒ってことはよォ……少しは頑丈なんだよなァ?」
男は牙をむきだして笑う。その様子は明らかに獲物を狙うオオカミのようで──
「あァ……そうそう、名乗り忘れてたな」
ふと、男の姿が消える。ショウは一瞬何が起こったのか分からなかったが、すぐあたりを見渡す。しかし何処にも男の姿はない。
【ショウ! 避けて!!】
「──!?」
突如、ジンの警告がショウの耳に入るが、遅い。
男は、すでにショウの背後にいた。
「──オレは魔王第四柱ディオニス・オルバースだ。よろしく」
やっぱ魔王城じゃん! ショウがそう考えたころには、ディオニスの拳はショウの腹に触れていた。
第一戦──開幕!
初戦から魔王線のようですね