第一章 23話 鏡
遠くからみていたディオニスだったが、それには笑うしかなかった。
「ハハ、なんだあれ。すげェな」
魔王ディオニスすら笑ってしまうほどのそれ。
──バグラのエネルギーを操るジンの存在である。
エネルギーには、扱う者によって特性がでる。
基本的には、使用者が大気中から無色の『エネルギー』を取り込み、それを己の『器』で自分好みに色付けし、放出する。
──例えば、ばねのような瞬発力を持ったエネルギー。
──例えば、爆弾のように爆発するエネルギー。
──例えば、針金を通すように相手の身体を固定するエネルギー。
といった具合だ。
だが、その取り込み、放出する。といったシンプルな工程ゆえに、理論的にはニツクダにだってカーブの爆発するエネルギーは扱えるはずである。
──だが、現在この世界に他者と同様のエネルギーを扱えるものなど存在しない。
その理由は、器によるエネルギー変換の複雑さにある。
この世界のエネルギーを扱う者たちはその独自の返還を、黒板の文字をノートに写す、そんな具合でやっている。
黒板の文字をノートに写す、一見簡単にも思えるその行為にはたくさんの要素が詰まっている。まず視覚、聴覚で目の前の文字を見る。そしてそれを一時的に脳に保存する。次に触覚を働かせてノートに出力する。視線は黒板とノートを行き交い、不要かと思われた内容はメモしないなどの判断も必要になってくる。
そんな感じのことを彼らそれぞれの感覚でやっているのだ。
その者にとっては簡単だが、別の者にとっては全く簡単ではない。
そう簡単ではないのだ。ましてや、見ただけで他者のエネルギーを真似られるなど、神業の域と言ってよい。
言うなれば、他人の家のカレーを一口食べただけで、そこに入っているスパイス、具材を、産地、収穫日含めすべて言い当てるレベルのことをやっている。
──そんなことできるわけない。できるわけないはずだが、それができる男が、ここにいた。
ニショウ・ジン──彼は、天才である。
自分と同じエネルギーを目の当たりにして、バグラは憤りを隠せない。
「や、やめろ。それは、俺のだあぁあああああ!」
──目の前の不可解な存在に震えながらも、バグラは全身に棘の鎧を纏いジンにつかみかかった。
しかし結果はというと……
「ぐああああああ!」
つかみかかった部分が、きれいに血だらけになっている。
そう、恐るべきはバグラの鎧が負けているということ。エネルギーの純度が単純にジンの方が高いということになる。
「ひ、ひいいい!」
──これは、勝てない。
それを悟ったバグラは悲鳴を上げて、先程壊した建物の中を戻って逃げていく。
(俺は若くして星五つまでのし上がった天才なんだ。ヴァイス様についで総督になるんだ。こんなところで終わるタマじゃないんだ)
床には壁の破片や瓦礫が散らばっていて走りにくく、すぐに追いつかれそうだ。
「──ひッ」
右手の方向をみると、ジンが壁越しに並走しているのが、壁の隙間から分かった。
壁の向こうにいるとわかり、走っても仕方がないので、ゆっくり、ゆっくり歩く。
「ふっ、ふっ、ふっ」
荒れた呼吸を整えようとするが、身体はそれを拒否した。
窓や、壁に空いた穴からジンの姿がちらちらと見える。
数秒ごとにきざまれる恐怖に、バグラは気が狂いそうになる。
いつ壁を壊して奴が乗り込んでくるか分からない。
「──はぁッ!!」
バグラは人影を発見し、腰を抜かしそうになる。
ただそれは、先程と同じ、鏡だった。自分の頬を触って、鏡の中の自分も同じ行動をしていることを確認する。
「──ッ!」
バグラは急いで背後を見る。
そうだ。さっきは鏡をみたところで後ろに回り込まれてたんだ。
しかし今回は心配のし過ぎだったようで、背後には誰もいない。
──後ろを向いた無防備な背中を、鏡の中のバグラは見ていた。
視線を感じて大男は振り返るが、遅い。
鏡から伸びてきた腕は、バグラの首をしっかりと掴んでいる。
そう、それは虚像ではない。バグラに変身した、ジンである。
「があ、ああ……」
持前の怪力で、首を絞められ吊るされる。
「ぁ……ばけ、もの」
バグラも抵抗するが、それも、虚しく、力も、なく、なり……そして、果てた。
命が消えたのを確認して、ジンはその亡骸を地面にそっと置く。
ジンはまた、もとの二聖仁の姿に戻る。
命を奪うことになんのしこりもないかのように、振り返ることもなく、ジンはディオニスの元へ歩いて行った。
「お、終わったか?」
戻ると、ディオニスは他のヘキサの兵士を片付けているところだった。
手は血で赤く染まっている。
それに何も触れることなく、ジンは「うん」と答える。
「殺したのか?」
続けてディオニスは聞くが、これにもジンは静かに「うん」と答えた。
「へぇ……お前らはもっと情に厚いのかと思ってたんだがなァ」
「うん。ショウなら殺せないだろうね。でも、彼はここで逃すと障害になる可能性があるから」
ただ合理的な判断でこうした、のだろうか。
──それは定かではないが、その動機はとても非合理的である。
「ミカと少しでも早く会うために最善は尽くさないと、ね」
にっこりと彼は笑った。きっとミカのことを想像しているのだろう。
ディオニスは、ジンに底知れぬ恐怖を覚える。
──何故か、レーグとジンが似ていると思ってしまった。




