第一章 16話 虚無
「ご無事ですか? 姫様」
重い瞼を上げると、そこにはクアガーラの姿があった。
あたりを見渡すと城のものだと思しき瓦礫。
そして、空から差し込む日の光。
「……無事、ではないじゃろうな」
この惨状を、無事と呼べるほどローリィの心は強くない。
「すみません。あのバカが」
クアガーラが頭を下げるが、正直悪いのはカーブではなく指示不足の此奴だと思ったのは秘密である。
「だが、先ほどの状況よりかは随分といいじゃろ」
「そうですね」
「大事なのはここからどうするか、じゃな」
現状を悲観するのではなく、もっと前向きに全体として物事をみなくては──自分がこの国の王であるという自覚を持って。
この緊急事態を乗り切れば、また復興すればよい。
そうだ、蟲国の兵士が死んでしまったって、また、もう一度。
「──ッ」
そう考えた瞬間、激痛が頭の中に走った。
「姫様、大丈夫ですか?」
クアガーラはすぐにローリィを抱え、無事を確認する。
「ア、あぁ。大丈夫じゃ」
咄嗟にそう答えたが、気分の悪さは未だ拭えない。
──限界が近い。
一刻も早く、早く武装国家を撃退せねばッ
「本当に、大丈夫なのか?」
声のトーンを一つ落として、クアガーラがそう言った。
驚いたように、ローリィが彼のことを見る。
「俺は馬鹿だけどッ……姫がやばいってことに気づかないほど馬鹿じゃない」
どこか力強く、しかしどこか切なく、言葉は紡がれる。
「俺は姫の盾なんだ。どんな些細なことでもいい。守らせてくれ……」
大丈夫だ。心配はない。これを言うだけでクアガーラを振り払えるのに、喉に何かが詰まって出てこない。
自分は救いを求めているのか? 我が愛すべき民たちに引き換えて、自分を襲うこの苦しみから、解き放たれたいと思っているのか?
──我の幸せとはなんだ?
民に家族のように愛を注ぐのが、我が幸せではないのか?
自分が、本当に求めているものは一体……
──姫さん、もう、やめてくれよ
あの日、ニツクダはそう言った。
だが、その伸べられた手を我は取らなかった。取るわけにはいかなかった。
──我は王じゃ。そう簡単に、国民たちの愛は手放せぬ。
何故、そんな目をする。同情と、哀情と、なんだ? そこに眠る感情の名は。
おぬしは、おぬしらは、何故揃いもそろって我に甘い通路を開けるのか。
それが許されてしまったら、我が“罪”は、我が呪いはどうしろと?
──民を愛すことだけが、我が贖罪。
そう割り切った、割り切るように言われたのに、どうして。
今、こうも心が揺らいでしまうのだろうか。
「──いいの?」
ローリィの口から、甘ったるい声が漏れた。
そこには、王たる威厳の欠片はなく、ただの年相応の可愛らしさのみが漂う。
本当にいいの? 投げ出してしまっても。逃げてしまっても。自由になっても。
「あぁ。いいんだ、姫。姫のために尽くすことが、俺たちの幸せだから。例えそこで命がつきようとも」
「…………クアガーラ」
この温かいナニカに、身を委ねたい。
「俺は姫をどう守ればいい」
「──あのね」
喉に詰まっていたはずのモノは、いつの間にか消えていて、いまなら何でも伝えられる。
まずは、そう。
「そのデカい身体をぶち抜いてみたり?」
────────緑の閃光が、頭上を横切った。
同時に、ゆらりクアガーラの身体が支柱を失ったように崩れる。
その閃光の描いた白煙を辿ると、そこには。
「ゲースゲスゲスッ! さぁ、ローリィ姫ぇ、魔獣ゲースティが来たでゲスよぉおおおお!!」
憎き、忌むべき、恨むべき、諸悪の根源──ゲースティ。
その手には、銀色に光沢を放つ金属製の銃が握られている。
いや、今はそんなことはどうでもいいッ。クアガーラは!?
「ッく」
「クアガーラ!!」
意識は、ある。腕を震わせるが、力が入らないようだ。
「あぁ、大丈夫でゲスよ。あと十五分は持つ程度の致命傷でゲスから」
「ゲースティッ、おぬしはッ!!」
今にもその命を奪ってしまわんという殺気を放つローリィだが、ゲースティは口角を吊り上げ嗤う。
「ゲススススっ」
何が面白いというのか、こちらに銃口を向けたままケラケラと。
そこに、ローリィに対する警戒は微塵も感じられない。
──そうか、死にたいか。ならば殺してやろう。
「蟲弩螺」
ゲースティに向けられたローリィの手のひらから、無数の粒が噴き出る。
「うん?」
気づいたようだが、遅い。
粒子が──否、知能も持たぬ数万の羽虫が、ゲースティに放たれる。
その阿呆面を、啄み蝕んでくれるわ!
パン 空気が弾ける破裂音が鳴り響く。
それは、ゲースティの命が咀嚼される音ではない。
むしろその逆、虫たちが、一瞬にして霧散した。
失われた大量の命に代わりそこに立つのは、槍斧の青年。
「無事ですか、ゲースティ様」
目をこちらから離すことのないまま、ゲースティの安全を尋ねる。
「だ、大丈夫でゲス。サンクス、ヴァニス」
ヴァニスは槍斧に付着した虫汁を振り払い、こちらに刃を向ける。
「さて、さてさてローリィ姫ぇ? これは命令ゲス。墓の場所を教えろ」
それは一切の曇りもない脅迫。
もし断ろうものなら、首が飛ぶか、頭を撃ち抜かれるか。
だが、言うわけにはいかない。
あの墓は、我があの方から守れと……
「遅ぉおおおいッ! マイナス五分!!︎」
その声と同時に、発砲音が鳴る。
「ぐッ」
そして、クアガーラの掠れた呻き声。
マイナス五分と言うのは、クアガーラの余命のことかッ
止めろ、殺すでない。
もう、言うしかないのか? 墓のありかを言ってしまうしか。
「駄目、だ。姫」
青い汁を吐きながら、精一杯に声を発する。
「じゃ、じゃが」
涙を目に浮かべて、クアガーラを見た。
輝かしいその瞳からは、徐々に光が失われている。
だが、ローリィの頬を撫でる分厚く硬い掌は、まだほのかに温かい。
──今、俺が逃げろと言っても、姫は逃げないだろうな。
弾痕から、自分が蒸発していくのを感じる。
このまま死んだら、姫はどうなる。誰が姫を守れる。
俺が守らねば、俺は姫の、盾だから。
盾たるもの、主を守れずして死ぬことなど、死んでも許されない。
俺の死骸が残らなくてもいい。姫の笑顔さえ残れば、俺には……
ローリィから掌を離し、クアガーラは我が身の──否、我が鎧のあるポイントを押し込んだ。
それは、その重甲な鎧に封印されし、力の解放。
「──殻解」
クアガーラの肉体から、甲殻がはがれていく。
ぼろぼろぼろぼろ、輝ける鎧がぼろぼろと。
そして現れたるは、巨大な、しかし引き締まった身体の、甲虫の蟲人。
「げ、げすぅ!?」
面を喰らっている様子のゲースティを、クアガーラは見下ろす。
「絶対に、お前らを許さない」
一歩一歩、ゲースティを死に至らしめるこの脚を地に踏みしめていく。
ゲースティを守るようにヴァニスが前に出てくるが、知ったことではない。
──パン またゲースティが発砲する。
その弾はたしかにクアガーラの胸を貫いたが、止まらない。
まるで何もなかったかのように、青い血を垂れ流しながら、こちらへ。
「お前らは、やってはならないことをした」
発砲。 一歩。
「我が蟲国の勇敢な兵士の尊厳を踏みにじり」
発砲。発砲。 一歩。
「蟲国を馬鹿にし」
弾切れ。 一歩。一歩。
「姫を、愚弄した」
対峙。
「万死に値する」
空高く天に突き上げられた拳が、仇敵に向かい、空を割く。
なにかが、弾ける音がした。
弾けたのは、老人の頭、ではない。
「な、に」
クアガーラの首から腰にかけてが、青い血しぶきへと置き換わった。
飛び跳ねる自分の頭が最後に見たのは、ヴァニス。
彼が振ったであろう斧槍が、やけに輝いていた。
「いやあああああああああああああああああああああああ」
少女の悲鳴が、瓦礫に跳ねて響き渡る。
目の前の悲劇のアートに彩られて、少女は泣き崩れる。
「あーあ、脅すにも話ができなきゃ無理でゲスのに……」
そこにローリィに対する同情はなく、あくまで彼女を情報であるとしか見ていない。
ただ、使えなくなった情報元に寄せるのは落胆のみ。
「とりあえず、そこの魔王連れてこの国から出るでゲス。拷問かぁ、嫌でゲスなぁ」
大きく溜息を吐くゲースティ。
少女を運ぼうと、槍斧を片付けるヴァニス。
そして、ただこの世に絶望する少女ローリィ。
──なんとこの世は無慈悲なモノか。
力がなければ遊ばれ。
力がなければ殺され。
力がなければ──自分にはなにもない。そこに残るのは虚無。
弱肉強食という単純な摂理だが同時に、力持たぬものは価値をも持たせぬという残酷性。
──この世界を創った神とやらは、一体何を考えたのか。
「やぁ」
低い、曇った声が、この空間に入り込んだ。
ゲースティとヴァニスが、その声の元を見る。
瓦礫の上。しかし、彼らにはそこがはるか空の上、世界の天井のように思えた。
腕を組み、こちらを見下ろしている存在が、そこにあった。
ヒトとは形容しがたい圧倒的異質な存在。
それは背に受ける白い太陽の光もにじむような恐ろしいほどの黒。
全身を黒に包んだ、人型の……なんだ?
「お前は……なんでゲスか? 蟲国のものじゃない」
ゲースティが、その存在に問う。
ゲースティの目は鋭く、警戒レベルを最大にまで押し上げている。
「クハッ、城には吾輩もいたというのに、本当に眼中になかったのだな。そうだな、吾輩は──」
最後まで聞くつもりはない。
──パン ゲースティの銃が唸る。
緑の閃光が走る──走る──走る──黒へと走る。
「む?」
だが、黒を染めるには少し、いや、まったく鮮度に欠ける緑だったようだ。
その悪趣味な鎧を前に、閃光が闇に取り込まれた。
「本当に、つくづく貴様らは無礼だな。自分から名を聞いたなら、最期まで聞け」
攻撃が効かず、焦るゲースティをよそにレーグはムッと、拗ねたようにそう言う。
「な、何者……」
今度は心から抱くことのできた恐怖に、ゲースティの声が漏れた。
この、対峙する存在は、何だ?
「吾輩は魔王第二柱──『灰塵』のレーグである」




