第一章 1話 華が咲くころ
二聖仁の朝は早い。毎朝4時には目を覚まし、メダカに餌をやる。
しかし、目を覚ましてもそこにメダカはいない。
──そこは真っ白な世界。
数秒して、仁はようやく自分が寝転がっていることに気づいた。
確かに存在する手を白い空へ掲げ、グーパーと繰りかえしてから体を起こす。
先程、真っ白な世界と書いたがどうやらそれは違ったようだ。
仁は今、土の上に立っている。見渡す限り緑の草原が広がっている。
真っ白なのは空。雲ではない白い光が、空を覆っているだけ。
「僕は……」
その言葉、その記憶に先はない。濁った白の何かが脳にまとわりついているような、鬱陶しい感覚。
しかしそんな嫌な感覚も、一瞬にして吹き飛ぶ。
「──ッなんだとぉ!今のはお前が悪いだろ!」
そんな静寂とは逆にあるような怒号が背中にぶつかって……はじけて。
声が飛んできた方向を振り向くと、近くにレンガ造りの小屋が建っている。
「いや、あたしは悪くないわよ!……っフン、きっと生まれ育ちが悪いのね!たいした教育も受けてないから、あんたみたいな無礼な奴になるんだわ!」
すぐにもう一度、声の矢が飛んでくる。今度はツンと高い声……どうやら女性がいるようだ。
小屋の前まで来ると、その扉はパカリと開いたまま。そして、扉の奥には、見慣れた男の背中が一つ。
「あッ、この野郎! 今、俺の親を侮辱したなぁ! じゃあ何だよ。お前の親はその“たいした教育”ってのをしてくれたのかよ」
「フッ……もちろんよ。あたしのパパは何でも知ってるもの! っていうか、そこのあんたも早く出てきなさいよ!」
突如、男の背中からひょこりと、女性の顔が現れる。
その女性の顔は明らかに仁を向いていて──
「──ッえ?あ、僕ですか」
「あんた以外誰がいるのよ」
その仁の声に反応したのか、今まで背中を向けていた男もこちらを向く。
「おぉ!仁、おはよう」
男は一瞬うつむいたが、すぐに左頬をかきながらそう言った。
「うん。おはよう、昇。今日は珍しく早起きだね」
つまらない言い合いをしていたこの男──彼の名は一宮昇、仁の家族であり、親友である。
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「──で、そいつが私の紅茶をこぼしたのよ!許せないわよね!」
部屋の中心の丸いテーブルを囲むように、三人が椅子に座っている。
木製の壁が心を和ませるが、彼女にとってそんなことはないようだ。因みに、「とりあえず、座ってお話ししましょう」と切り出したのは仁である。
その仁は、額に手を当てて──
「…………それは流石に昇が悪いです」
「──え」
慈悲無き真顔で彼は、そう言い切る。そのあまりの冷淡さに、昇はぽかりと口を開けるが、すぐに手を右と左に振り上げて──
「いや、仁、だって、だって」
「“だって”じゃない。話を聞いてみた結果、ぐうの音も出ないくらい昇が悪いじゃないか。ちゃんと謝りなさい」
「うッ……ごめんなさい」
俯きながら謝る昇を横目に、彼女は「ふん……まあいいわ」と一節おいて──
「はぁ、本当ならもう全部終わってるはずなんだけど……あたしは『天使』よ。よろしく」
天使──彼女はそう名乗った。確かに大理石のように白い髪、白いローブ、なにより端麗な顔たちはいかにも天使らしい。
天使は、白い髪を指に巻きながら話を始める。
「あんたたちをここに呼んだのも理由があるのよ」
「呼んだ?」
その言葉が持つ異様な響きに、昇は目を細める。
「えぇ、そうよ。……あぁ、勘違いしないでよね。別にあたしが殺したわけじゃないから。ちゃんと『魂』の状態で呼んだわよ」
「……死ん、だ?」
仁は、なにかが引っかかったまま、話を聞く。
「あぁ、もう! 話が進まないじゃない!」
「……ごめん」
「ちゃんと謝れてえらいじゃない。コホン……あんたたちをここに呼んだ理由は──」
ゴクリと、何故か喉の音が大きくなる。
「──闘ってもらうためよ」
「いや……どこで誰と?」
一瞬の動揺ののち、昇は当然の疑問を抱く。
「あぁ、今からあんたたちをその『世界』に送るから。そこで、よ」
「誰と?」
「悪魔、あたしの敵」
「……なるほど」
昇は顎に手を添えて俯いて考える。
「俺は……分かんねえ。仁、どう思う?」
問いかけるが、まだ仁はテーブルの木目をボーっと見ている。
心配になったのか、昇が「おい」と肩をたたくと、ようやく気を取り戻して──
「──ん?あぁ……僕はいい、ですよ」
それを聞いた天使は一瞬目を丸くしたが、一口、紅茶を飲んで目をつぶる。
「……少し意外だわ。“前”の奴は闘うって聞いただけで拒絶反応を示してきたから……」
「僕は、大丈夫です」
「ふーん。まぁそんなのどうでもいいのよ。無理やりにでも闘わせるし。じゃあ今から『器』……って言っても分かんないわよね……能力的なの作るから……そこの棚から白い瓶取ってくれない?」
天使の白い顎で指された昇は「……能力なんてあんのかよ」と、席から離れ棚のもとへ行く。そして言われたとおりに白い瓶を取り出して、「ほい」と、天使の方に、投げた。
瓶はテーブル上空をくるくると舞う。
「──ッ!?」
天使は、椅子をガタンと揺らして、前のめりに瓶をキャッチする。一度ホッと息をつくが、すぐに憤怒に顔をゆがめて──
「──ッあんた、なんで投げるのよ!?」
「え?だって取って、って」
「違うわよ!なんで投げたのか聞いてるの!!」
激昂する天使。隣には頭を抱える仁。
「……昇、君ってやつはなんてガサツなんだ」
「あぁもう!……っふ、ふふ。いいこと思いついちゃった。そうね、あんた──」
不敵な笑みを浮かべた天使は昇に、ビシリと紙切れを提示する。
その紙切れ──否、その絵には枯れて茶色く変色した『花』
「そこの階段から地下に行って、この『花』をとってきなさい!」
「……地下に続く階段なんて……うわ、ある。分かった。それを取ってくればいいんだな?」
「──っふ。そうよ。あ、あんたはそこにいなさい」
天使は昇についていこうとする仁を引き留めて──
「……僕、ですか?」
「あんた以外に誰がいるのよ……アンケートとるからそこにいなさい」
「え、俺はもう行っていいの?」
「あ、まだそこにいたの?早く行きなさい」
階段を一段一段降りていく昇は「俺にそのアンケートはないんだなぁ」と、つまらないことを考えていた。
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地下は冷たい石が積まれていており、蠟燭の灯りもどこか冷えているように感じられる。
しかし昇は不気味だとも思わず、ただ冷たい廊下を歩いていく。そして、昇の独り言だけが、廊下を先走っていく。
「……仁、大丈夫かなぁ。……なんか様子変だったからな。やっぱ美花のこと心配してるんだろうなぁ。でも、闘うって言ったのは意外だったな。美花そういうの嫌がるから、仁も嫌だっていうと思ったんだけど」
気づくと、目の前には鉄の扉が道を阻んでいた──否、阻んでいるのはそれだけではない。
「──止まれ! お前、何者だ!! ここは天使様の研究室だ! 近づくな!!」
そう高い声を荒げるのは、天使と同じ白い服装をした、背の高い女性。
手を肩ぐらいに上げて、昇は安全であることを表現しながら──
「いや、その天使……様に『花』を持って来いって言われたんだよ」
「『華』だと!? 嘘をつくならもっとまともな嘘をつけ!」
どうしても信じることができない、という様子の女を見かねて、昇はフッと息を大きく吸って──
「「天使様ぁ!!『花』持っていっていいんだよな!!」」
「──ッ!?」
急に大声で叫びだす奇妙な男に、女は恐怖で肩を揺らす。
それも束の間。すぐに声が降ってくる。
「「いいわよ!! ……サジャは黙ってなさい!!」」
サジャと呼ばれた女は絶対に天使には聞こえないような声で「し、しかし」と足を震わせているが──
「──分かったな。じゃ、そういうことで」
ギギギと重い扉を開けて、昇は奥に進んでいった。
──天使様の研究室、そう呼ばれた部屋はたしかに研究室の名が相応しいものだった。
電灯付きの机の上には、試験管やビーカー、謎の装置までもが揃っていたのだ。
そして奥のガラス張りの棚には、写真で見た通りの茶色い花が無造作に置かれていた。
「お、これかな……ん?」
花を取り出そうとした昇だが、丁寧に飾られた、あるモノを見つけて立ち止まる。
──華──
それは、引き込まれるような青紫の睡蓮の華だった。
ハッと正気に戻った昇は一度顎に手を当てて考え込む。
(こっちの方が新鮮で、いいな)
そう考えた昇は、その華を包み込むように持っていく。
「──うわッ!? なんか手がムズムズする!」
手に何かが流れ込んでくるような感覚に陥り、華を落としそうになったが、何とか持ち直す。しかしながらやはりどこか奇妙な感じがするものである。
華を掌に乗せて研究室を出ていく昇を、サジャは口を半分開けたまま見ていた。
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何故か懐かしくも感じられるテーブルのもとへ戻ると、仁と天使はどうにも楽しそうに何かを話していた。
「──あのぉ……戻ってきたんだけど」
仲睦まじくお話をする間に割り込むというのは、なんとも気まずいものである。
しかし、そんな昇の心境はむなしく、天使はこちらをチラリとも見ずに──
「……遅いじゃない。じゃあそれもう食べちゃっていいわよ」
「食べるの? まじで?」
「そうよ。ていうか今こっち盛り上がってるんだから邪魔しないでくれるかしら?」
天使の態度が、昇にはどうにも嘲笑っているかのように思えて納得いかない。
「ぐぬぬ! 俺の方が仁のことよく知ってんだからな!」
だからこのように、昇はギリギリ聞こえるような声でかみつくが、返答はなかった。
仕方なしに華を眺める。「まぁ害はないだろ」と思い切って口の中へ放り込めば──
「……あ、甘ッ!?」
突如として、昇を襲うのは甘さ。気が滅入り、発狂してしまうほどの甘味。すべてを飲み込まんとする甘さが脳を震わせる。
そして脳がとろけ……暗転する。
「──ぅ、ょう、昇!? 大丈夫!?」
意識の覚醒には苦さが付き物らしく、何が起こったのか分からない気持ち悪さと激しい頭痛が昇を襲う。
「何日寝てた?」
「ん、10秒?ぐらいかな」
「あ、なんだ」
昇は身体をゆっくりと起こして、腰のほこりを落とす。
ふと見ると、天使は不思議そうにこちらを眺めていて──
「…………『器』が壊れた? でもどうしてあの程度のエネルギーで」
「ん?」
「いや……なんでもないわ。それじゃ、今から『世界』に送るから」
天使が懐から何かを取り出そうとするところを、昇は制止する。
「ちょっと待った!」
「なによ」
「最後に……最後に仁に確認しておきたいことがある!」
急に言い当てられて目を丸くする仁を、昇は真剣なまなざしで睨む。
「昇……急にどうしたの?」
「今から俺たちは闘いに繰り出されるらしい。仁は本当にいいんだな」
「別に……いいって言ったよ……ね?」
「美花がこの場にいたらきっと嫌がる。それでもいいんだな」
沈んだ仁の眼に、だんだんと光が漏れ入ってくる。
「み、か……? みか──ッ! 美花!!」
初めは水彩画のように浮かんだ彼女のシルエットは、徐々に輪郭を持ち始める。
──二聖君。私と……付き合ってください。
そして、音。
「どうしてッ、どうして僕は忘れていたんだ!」
頭を抱え、目をおそらく限界まで開く仁を見て、天使は「チッ」と舌を鳴らす。
「天使様、美花は……美花は助かったんですか?」
仁は涙を顔ににじませて、天使にそう尋ねた。すると天使は窓の方を向いて──
「………………ええ。あんたらが助けたおかげでね」
「ほんとですか!!」
ホッとする仁に、続けて昇はここからが本命だといわんばかりに問う。
「仁。それでも、それでも、闘うんだな」
「僕は……」
言葉は続かない。見かねた天使は「はぁ」とため息をついて──
「じゃあ、あんたたちが闘いに勝って、生きていたら、願いをひとつ叶えてあげるわ。だからそれで、そいつと再会したら? それでいいでしょ」
「……どうだ、仁?」
「行きます」
即答だった。昇は分かっていたのか、はたまた、初めから仁に付き添うつもりだったのか「そうか」と頷く。
「美花のためなら、僕は……僕はどんな風になってもいい」
決意に満ちた発言。しかし天使は「あっそ」と切り捨て先程取り出そうとした、瓶を開ける。
「ま、せいぜい頑張りなさい。それじゃあまたね」
そして、瓶の中の謎の液体を昇と仁に振りかけると、彼らの身体は光に包まれて──
光がやむと、そこに彼らの姿はなかった。
というわけで、始まりました『一次元転生』
ここまで読んで頂いただけで感謝の気持ちがやみません。是非続きも読んで頂けると、さらに感謝。
感想やリアクションを頂けるとそれはもうやばいです。
一章はまだまだつづくので、いってらっしゃいませ!