第一章 14話 ファイッ
焼け焦げた瓦礫の中を割って歩くのは、ヘキサの一級兵士の少年。名をフィグザムという。
胸には、四つの星。この星の数は、武装国家の中での地位を示すもので、最上位は六つの星を胸に宿している。
六つの星を持つのは、武装国家でもたった六人だけの『総督』である。
「あー。こりゃ博士生きてないかなー」
そして『総督』が一人──ゲースティを探している最中であった。
「うー、だからオレっち、絶対博士来ない方がイイって言ったのにぃい。あ、でもヴァニスさんが守ってくれてるかも」
そう独り言を漏らしながら、瓦礫の山を進む。
ある程度進んだところで、フィグザムは歩みを止める。
息をひそめ、聞き耳を立てた。声がする。前方から誰か来る。
「げほふぇほッ。ふぇ~、死にかけたっス」
奴がいる。今、こうなった原因が、そこに。
カブトムシの蟲人。
「くぅ。バカーブってそりゃないと思うんスけどねぇ」
独り言の多い奴だなと、フィグザムは思った。
だがそれは、油断している証拠に他ならない。
(たしか、魔王ローリィ以外は殺していいんだっけか)
隙をみて奴を殺そう。
(だけど、どうせなら『三甲』とやりたかったな。ニツクダって奴は『帝国騎刃』にも匹敵するって聞くし)
瓦礫から首を出し、もう一度、標的の様子を伺う。
「あれ、いな……い!?」
フィグザムは息をのむ。
その理由は、目と鼻の先。
「なぁにしてんスか?」
自分の今隠れている瓦礫の上に、蟲人がいる。
こちらの顔をのぞき込んでいる。
──ゆ、油断したッ
フィグザムは己が痴態を恥じる。
そして背を、脊髄を走る、走っていく様々な感情。
──み、見誤った。こいつの力量(焦燥)
──どうする? ま、まずい(困惑)
──下手に動けばやられる(恐怖)
──た、(……)
たのしくなってきたああああああああああああああああああああああああああああ!!
──愉悦(愉悦)
フィグザムが浮かべた、歪んだ笑み。カーブの生存反応が恐怖で犯される。
「──ッ!?」
意識せずとも、固めた拳をフィグザムへ振り下ろす。
空を割く音を、鳴らし、フィグ、ザム、の、元、へ、ぇ、……停止。
フィグザムの吐息を感じる位置。
あと少しで、頭と拳が出会えたのにッ。
「なんスかこれ。身体がッ、動かねぇッス」
そしてカーブは理解する。
「なるほど、お前か。チュズメちゃんを止めてたの」
カーブから放たれる、目眩してしまいそうなほど濃厚な殺気。
だが、フィグザムは恐れる様子もなく、笑った。
「ひゃはッ」
いかにも硬そうな顎に、フィグザムのアッパーが入った。
おにぎりほどの小さな拳で、彼の二倍近くあるカーブの身体は宙高く飛ぶ。
そして、受け身もとれぬままカーブは瓦礫だらけの地面に倒れ込む。
ピク 指が動いた。いや、今は全身が動く。
カーブは跳ねるように起き上がった。
同時に筋肉を駆け巡るダメージ。
「なんて力してやがんスか」
いや、力というよりは技か。
精錬された武術による原理が、自分を襲ったのだ。
悪い足場を飛びながら、フィグザムがゆらゆらこっちへ近寄ってくる。
その距離──3m
(まだ、動けるっス)
2m
(……まだ)
1m
(来るか?)
0m
「来な──」
──いんスねええ!?
身体は別に動く。が、固定されると思っていたからこそ遅れる初動。
「ひひっ」
「グっ」
その隙に、フィグザムの突きが懐へ入る。
「今かよッ!」
木の根に体がめり込む。
受け身のとれぬまま、突きのダメージをありのままに喰らう。
「カハッ」
先程のも加算して、カーブの身体には現在、かなりのダメージが蓄積している。
特にアッパーが効いているのか、平衡感覚が失われつつあるようだ。
このまま闘えばカーブは確実に敗北するだろう。
──このまま闘えばだが、
「気に入らないなー。お兄さんさぁ」
ここで、フィグザムが、とある違和感を口に出した。
「まだ、隠してるよねぇ。知らないとは言わせないよ。でかい部屋でやった“アレ”やって見せてよ」
“アレ”が指すのはただ一つ。王室で見せた大爆発のことに違いない。
「あぁ。嫌っスけど?」
もちろん、そんなことを敵に指図される筋合いはないので、この返答は当然か。
「嫌? 違うよねぇ」
だが、フィグザムは無邪気に笑った。
無邪気に、しかし同時に猟奇的に。
「できない、んだもんねぇー。ひゃは!」
「…………」
図星か、カーブは黙ったまま。
事実、フィグザムの言っていることは正しい。
──エネルギーには制約がある。
魔法とも受け取れるこの世界の異質な原則『エネルギー』
それには魔法とは明らかに異なる点が一つ。
エネルギーとて物質だということである。決して概念という抽象的なものでない。
大気に、地質に、水分中に、エネルギーは質量をもって存在する。
ただ、地球には存在し得なかった物理法則なのである。それ故に、起こりうる問題が、限界が、そこにはある。自然の摂理であり、神にさえ適応される約束だから。
「あ~。でも俺も分かっちゃったっスよ」
「んー?」
「お前は相手を止めている間は、自分も動けけない」
ピク、とフィグザムの肩が揺れた。
「訳わかんないスよ? 俺動けなくしてボコりゃいい話っスもん」
確かに、敵を止めることができるなら、相手が一人という条件の今、フィグザムが慎重に動く必要はない。
この推測に対し、フィグザムは──
「あぁ、そうだよぉ?」
隠す素振りは微塵もなく、軽快に答えた。
「でもさ、お兄さん。じゃあオレっちを殺せんのかよって話じゃん?」
分かったところで、なんというのだ。
それが、フィグザムに関係あるのか? 答えは断じて否ッ
「オレっちだって色々やってんだわ」
フィグザムが構えた。
どこか中国拳法を思わせる、舞踊のような端麗な構え。
──近距離特化物理型。
目前で敵を固定し、相手よりも疾く撃つ──不可避の一撃を。
「あぁー」
カーブも理解したのか、いずれ来る攻撃に備え脱力する。
「成程。お前の闘い方は分かったっス。ご丁寧に教えてくれてありがとさんっス」
そう言って「ハァー」っと息を吐いた。
「──ッ!!」
同時に、フィグザムの脳天から指先にかけて悪寒が走る。
なんだ? この感じ。ヤバい気がするんだけど。
「お前がちんたら喋ってくれたおかげで──」
フィグザムは見た。
カーブの肉体が僅かだが赤く、光を灯しているのを。
「──あぁアアアア。あったまってきたぁあああアアッッ!!!」
そう、復活してしまったのだ。
王室で見せた大爆発のクールタイムが終わってしまった。
煮えたぎる。グツグツグツと火薬のエネルギーが泣き叫んでいるッ。
カーブは高く飛び上がった。
「──あッ」
突然の事態にフィグザムの反応が遅れる。
だが、地上で固定できなかったが最後。
「もう、止まんないっスよ」
空中にて起きる小規模な爆発。
瓦礫が、赤く照らされる。
だが、それはフィグザムを攻撃するための爆発ではない。
空を蹴るための、足場である。
「止まれッ!!」
空中にてカーブの動きを止めた。
しかし、その脚はフィグザムの方を向いていて――
フィグザムが止められるのは、肉体だけ。時間や力は止められない、止まらない。
「ぶッッ」
少年のかわいらしい顔に、硬い装甲を纏った足がめり込む。
悲鳴すら上げさせない、無慈悲な暴力。
フィグザムは頭から、地に倒れる。
その際、鼻から放出された血が、虹を描いた。
──コツ、コツ。この小動物を仕留めんとする狩人の足音が近づいてくる。
あぁ、のうがゆれている。
はなからなにかあついのが、どくどくながれてる。
きもちわる。
あ、てき、きてる。
やばっ。しんじゃう。
腹部を、思い切り蹴り上げられる。
「いッ」
今度は綺麗に、泣くことができた。
いき、できない
「苦しいスか? 怖いスか?」
今度は、フィグザムの薄紅色の髪を引っ張り上げた。
宝石のような虹色の目に、自分が映っている。
なんて、ひどいかおしてんだろ。おれっちのかわいいかおはどこにいった?
息を、空気を取り入れるのに必死で、この虫の動きを止めることに意識を回せない。
「動けないっスよねッ」
カーブの固めた拳が、フィグザムを襲う。
「でも、こんなもんじゃない。チュズメちゃんの痛みは」
宙に吊り上げられたそのヒトに、残酷にもムシの正義が襲い掛かる。
「お前らはやってはならないことをした」
ドスッ
「我らが勇敢な兵士の尊厳を踏みにじり」
バキッ
「卑怯な手で、汚れた足で、この蟲国を侮辱し」
ドスッ
「──姫様を、馬鹿にした」
ドゴッ──バタ。
「土に還れ、害獣が」
“次”で、フィグザムは死に到達する。
意識が揺らぎ、肉体が生きることを諦めているようだ。
(死ぬ、死んじゃう)
手を、伸ばす。
その方向には今まで自分を痛めつけたその相手がいるはずだが。
フィグザムは見ていた。あの人を、思いを寄せるあの人を。
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ヘキサの訓練場には金属の棒を縦に振り下ろしている男がただ一人。
フィグザムの先輩にあたる男──ヴァニスがいた。いつも、彼はここにいる。一人で棒を振っている。それを見に、フィグザムもまた、よくここに来ていた。彼は知っていた。ヴァニスのもっているあの金属の棒は見た目の何十倍も重い、特製の金属でできていることを。そして、これも知ってる。ヴァニスはこっちに気づくと、ゆっくりと棒を地面に置いて、優しく笑いながらこちらに来る。そして今日は、何かに気づいたようだ。
「フィグ、何か悩んでるのか?」
どうしてこう、この人はいつも気づいてくれるんだろうか。
「うん。オレっち銃うまくいかなくて……今日も、怒られて」
ほろほろと、涙があふれだす。その涙は膝へとポタリ落ちて、温かくじんわり広がる。涙を手で拭ったが、そのわずかな塩分が、今日も新しくできた血豆に染みた。
「オレっち、銃向いてないのかな」
ぽろっと零れ落ちてしまった弱音。この人の前では落とさないと決めていたのに。
だが、どう慰めてくれるのか、興味はあった。
「向いてないんじゃないか?」
「え?」
返答は意外にも慰めるものではなかった。言葉は続く。
「人には向き不向きがある。銃はフィグには向いていないかもしれないというだけだ。ほかにもなにか試してみたらどうだ?」
「でも、それは“逃げ”だって、隊長が……」
「逃げたっていい。逃げて、逃げて、逃げた先が目的地なら、そのときは逃げた奴の勝ちだ」
その夜、フィグザムは偶然家にあった砲術の書を手に取ってみた。体にはなじまなかった。だから今度は剣術をやってみて失敗……といった具合で、今の武術に出会った。それで今では地位をあげて、ここにいる。
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あの時、貴方がいてくれたから、オレっちは今、このゴールにいるんだ。
ヴァニスさん、オレっちやるよ。ここでなら、死んだっていい。
「ぃ、ぁ」
フィグザムの口が、微かに動いた。
「ん? なんスか」
何を言ったか理解できないカーブは、汚物でも見るような目でフィグザムを見る。
唇が痙攣しているかのように震えている。
命乞いか? ……いや、コイツッッ
ゾクリ、千本槍が背中に刺さったような冷たく尖った恐怖。
──笑ってやがるッッ
この少年は、口角を上げて笑っているのだ。
「ぁハ、はヒ、ヒャハッハハハハッ!」
生殺与奪の権を握られてなお、コイツは。
──殺さねばッ、今! もう少し、痛めつけねば気が済まないがやむを得ない。
カーブは手刀を作り、真っ直ぐに、貫く。
だが、叶わない。生殺与奪の権は何処へ。
「あぁー、クッソぉ。動かんっスねぇ」
前に進もうとし、痙攣する指。冷や汗が、頬を伝っていく。
もはや少年の腹に指は触れている。触れているにも関わらずッ
勢いの消えた拳に、フィグザムの鍛え上げられた腹筋は貫けない。
フィグザムは腹まで伸びたカーブの腕に巻きつくように腕を絡め、回した。
髪を掴んでいた手の力も緩み、カーブは離してしまう。
同時に、天と地がひっくり返った。
頭が、地面に衝突する。
「ぐッ」
頭にかかる全体重の力が、ぐにゃり、カーブの世界を歪ませる。
曲がりくねる世界の中で、唯一直立しているモノが一人。
「第二ラウンドッ!」
少年の声が頭にがんがんと響いた。