第一章 13話 バクハツ
城が崩壊する少し前、城の最上階に位置する玉座の間で、少女は嘆いていた。
「どうすれば良いんじゃ……何から、どうすれば」
ローリィの足元の木の根が、腐っていく。
髪はボサボサに荒れていて、その王室には暴れた跡が見られる。
「姫様。落ち着いてください」
そう言うのは巨大なクワガタの蟲人。
『三甲』の一人であり、名を『重甲』のクアガーラと言う。
「ならば、クアガーラならどうする!」
突然目の前に現れた魔王第二柱を。
何度も何度も、我が恩人の墓を荒らそうとやってくるヘキサの者どもを。
「いえ、案はございません。俺は馬鹿ですから。しかし俺は、どうなろうと姫様の意思に従います」
いつもこうだ。淡々と冷静に話す彼の言葉で、自然と彼女も落ち着きを取り戻す。
「…………うむ、すまない。確かに、我が取り乱してどうするッ。我は常に冷静で、民を導かねばならないんじゃから」
フッと短く息を吐いて、クアガーラに笑いかける。
しかし冷静になったことで、気づいたことが一つ。
「何じゃ、騒がしいな。また来訪者か?」
悲鳴のようにも聞こえるが……何か、とんでもないことが起きているような気がする。
「──姫様ぁああ!」
突如、声を荒げて、バンと扉を開き入ってきたのはカブトムシの蟲人。
「む、カーブ。姫様の前だぞ」
カーブと呼ばれた背の高いカブトムシの蟲人はクアガーラの弟にして、蟲国騎士団の一員である。
「あ、あ……ヘキサの野郎が! 攻め入って来やがったっス!!」
「──なに!」
予想外の報告に、クアガーラは肩を揺らし動揺を露わにする。
騒ぎの正体は秩序が崩壊する音。
単純な力こそが信仰の対象であるこの世界にも、秩序はある。国を挙げた奇襲など、もってのほか。
神聖な規則に基づき、『戦争』が始まる。
──しかし、この現状は何なのだ。ヘキサは何を思い、何をしようとしている? いくら墓を見たいとは言え、なぜこうも焦る必要がある?
「──おっじゃましまーす!」
突如、部屋に響いた元気溌剌な清々しい声。
「姫様、俺の後ろに」
クアガーラがローリィを背に回した後、一斉に音源の方を見た。
そこには――武装国家ヘキサの者たち。
ざっと数えて八名。その内、ゲースティを含めた三人を除いては銃を構えている。
そしてクアガーラは理解している。
その三人は、別格。まず雰囲気から違う。隙がなく、余裕を持っている。
一人は元気そうな少年。半袖の彼仕様の軍服で、武装をしている様子はない。
もう一人はカーブほどではないが背の高い青年。長い斧槍を背負っている。
「――ゲースゲスゲス! ご機嫌いかがでゲスか、ローリィ姫?」
「良くはないのう。貴様のせいでの」
嘲るような態度で言い放つゲースティに、ローリィは冷静に答える。
怒るだろうと踏んでいたのか、ゲースティは面白くない様子だ。
「で、何用じゃ。お主ら、先の件もそうじゃが、こうやって無断で城に押し入るのは無礼だと武装国家では学ばぬのか?」
皮肉を込めた言葉を、ゲースティに、武装国家ヘキサに送る。
だが、皮肉の効いた様子のないゲースティは元気を取り戻したかのように笑い出した。
「あぁ、そうでゲスそうでゲス。ワシらは別に武装国家のものじゃないでゲスよ?」
「はぁ?」
この老いぼれは何を言っている?
「ワシらはただの“魔獣”でゲス。がおーでゲス」
ここまで聞いてローリィは思い出す。昨日、ヘキサが城を去る際に残した言葉。
──魔獣にでも襲われないように注意することでゲスねぇ
ただ蟲国の防衛力を嗤っただけかに思えたが、その真意はコレか。
強引にも墓の情報を手に入れて、その事実を魔獣のせいにしてしまうつもりなのだ。
ウラヌス教にこの事を報告すれば、彼らの仲の悪い事だ。きっと制裁を加えられるに違いない。
そうだ。こんな中途半端な恫喝に、我らが応える訳あるまい。
──だが何かが引っ掛かる。本当に、そこまでして墓の情報を手に入れるためだけに、そんなバカをするか?
相手はあの『武装国家ヘキサ』なのだぞ!
何も考えなしの特攻をするような連中ではない。
そうだ、奴らは気づいているのだ。この『壺』の仕組みに。
「動くなッ!」
そう怒号が鳴り響いた瞬間、ダ、ダ、ダと、王室に騎士団の大勢が駆け付けた。
「ご無事ですか、姫様!」
そう雄叫びを上げるのは蟲国騎士団第四隊長の蜂の蟲人──チュズメだ。
ローリィ、クアガーラ、カーブを囲う武装国家ヘキサ。そしてそれを取り囲む蟲国騎士団第四隊と言う三層のミルフィーユ構造が完成する。
「あー、良いところに来たでゲスねぇ」
しかし、全く焦る様子なく、気色の悪い笑みを浮かべるゲースティ。
「動くなぁッ!」
チュズメはそれでも動こうとするゲースティに槍を向け、怒号を浴びせるが、まるで聞こえていないかのようにチュズメに近寄る。
「止まれッ! 近寄るな!」
ゲースティは歩みを止めない。そして「ゲススッ」と奇妙に嗤った。
このゲースティの余裕は何だ?
もう既にゲースティはチュズメの槍の攻撃範囲に入っている。
攻撃されないとでも思っているのだろうか。しかし我が蟲国の兵士たちもそう甘くはない。
その距離ではもう避けられまい。チュズメが一突きで殺してしまう、はず、なのに。
「じゃあ、お前が動いてワシを止めれば良いんじゃないんでゲスかぁ?」
そうだ、チュズメよ。殺せ! その気持ち悪い老害を突き殺せッ!!
「ぐ、くッ!」
だが、虚しく、寂しく、チュズメは震えるだけ。
静かなこの王室に、金属の擦れる音と何やら不穏な空気だけが流れる。
どうしてチュズメは動かない? ──否、動けない。
「うあああああッ!!」
そう怒号が鳴り響いた。
不気味な空気を察したある蟲兵が、剣を掲げ、ゲースティのもとへ走り込む際の音である。
しかし、緑髪の老人は後ろを振り向くことはなく、静かに左手を挙げた。
同時に、何重もの破裂音とともに、その蟲兵に穴が開く。
「──ぁ」
突然の事態に、蟲国一同は開いた口が塞がらない。
理解に至るのはおよそ数刻だが、理解に至ってからが残酷。
「嘘だ! アンツァ! 目を覚ませ!」
チュズメがぐちゃぐちゃに崩れた部下の名を呼ぶが、目を覚ますことはない。というよりかは、もうどこが目だったのか分からない。
「ゲスぅ、急に来るから」
さすがのゲースティも、彼の死には同情の念を抱いたらしく、憐みの眼差しを送った。
「こ、殺してやるッ!」
チュズメが激昂するも、動くのは首から上だけ。自慢の槍も、黄色く輝く綺麗な肉体もただの場を賑わせる飾りである。
「大丈夫でゲス。すぐにアイツに会わせてあげるでゲスよぉ」
ゲースティはそう言って、チュズメの足元に金属の箱を置いた。
何をする気かは分からない。しかし、止めねば! チュズメがッ!
動き出そうとするローリィを、クアガーラは手を前に出して静止する。
「──姫様。駄目だ」
「駄目ってなんじゃ!!」
クアガーラに殺気まじりの眼差しを送ったが、彼は不動。ただ冷静に、この事態を見ている。
「皆さん、お別れの言葉はないでゲスね? それじゃッ」
懐から取り出した、赤いボタンをゲースティが押す。
同時に、先程置いた箱が緑のエネルギー波を放ち始める。
「この怨み、絶対に忘れんぞ!」
エネルギーが収縮し始めた今も、最期まで、チュズメは叫ぶ。
「うーん。ワシは忘れるかもでゲス」
だが、その悲痛な叫びも、最期には爆発音によって上書きされた。
王室に旋風が巻く。しかし、クアガーラの後ろだと音しか感じない。
少し落ち着くと、虫汁が飛び散り、荒れ果てた部屋がまず目に飛び込んだ。
チュズメがあったはずのそこには、影だけが黒く残っている。
他にも蟲国の兵士たちのほとんどが爆発により死または重傷を負っているようだ。
「――ッ」
ローリィはその惨劇に目を向けることもできずに唇をかんで俯いた。
惨劇が彼女に教えるものが二つ。
一つは彼女の王の素質の不足、すなわち無力。
もう一つは、今日、この蟲国が滅ぼされるという確定した運命。
ここまでのヘキサの攻撃性が示すのは、墓の情報と、我らが蟲人のサンプルをとって帰ろうという歪み固まった意思。
もっとも人の手の加わっていない第四象海に位置するこの小さな国、『蟲国』
それが静かに亡びようとして、誰がその事態に気づくだろう。
奴らは、ヘキサはここで消してしまおうというのだ。
誰一人として逃がさずに、ここで情報を封鎖するつもりなのだ。
「う、うわああああああああああああああああ!」
ローリィは頭を抱え座り込む。
恐怖が、底知れぬ恐怖が──否、“底”を知る者の恐怖が、彼女を襲う。
――まただ! また、空っぽになるッ!!
彼女の中に眠るエネルギーが揺らぐ。
どす黒い怨念? 違う、真っ白な空白の呪怨のエネルギー。
「ッぐあああ」
返せ、私の温もりを! 返してよッ!!
どす白いエネルギーが暴走す──
「落ち着け、姫様」
小さな、小さな背中に、温かい大きな手が触れる。
「……く、クアガーラ」
「しっかりしろ姫様。見たところ実力者はあの三人だけだ。……それで、俺たちも三人。勝てないこともないかもしれない」
「いや、しかし」
あまりにも無茶な計算だ。だけど、無茶は無茶だけど、暖かい。
「そうだ。姫様が取り乱しちゃ駄目だ。俺がやると絶対に失敗する。馬鹿だからな」
「た、確かに」
「だから、こっからは姫様、任せるぞ」
クアガーラはローリィを持ち上げ、意見を言う。
「あぁ、了解じゃ。だが、アイツは大丈夫なのか?」
アイツと言いながら見るのは、未だパニックに陥っているカーブのことだ。
「問題ない。俺の弟は強い」
大きい頭を縦に振り、クアガーラはローリィを地面に降ろした。
「さっきから何をコソコソ話しているでゲスかぁ?」
苛ついた様子で、ゲースティは尋ねる。
――が、ローリィは答えない。
応えるのは、暖かな呪い。
「――跋蠱」
そう唱えた瞬間に、倒れていた蟲国の兵士たちが、溶けていく。
「な、なんでゲスか!?」
還ろうとしているのだ、彼女の器へと。偉大なる母の下へと。
赤紫の液体が陣を描くようにのたうち回る。
そして僅かに乱れるヘキサの統率。
隙を見てクアガーラが叫ぶ。
「──カーブ! あれだ、やれ!」
「え、あれって? あぁ。分かったっスよ!」
パニックに陥ったままではあるものの、やけくそにカーブは言う。
そうとは言え、やはり兄弟。“あれ”の一言で伝わるとは、コンビネーションはバッチリである。
「クラスター・バン!!」
大きく叫んだと同時に、カーブの体に赤い斑点が浮かび上がる。
赤い斑点にエネルギーが集中し、実がなった。エネルギーの果実である。
無数の赤い果実が弾け、そして
――爆散するッ
「ゲッ、ゲスぅううう!?」
先程のゲースティ爆弾とは比べ物にならない程の爆発、爆風、爆音。
城が、崩壊する。
そして、崩れる瓦礫に飲まれる直前、カーブはある声を聞いた。
「――なぁにやってんだぁああああ、バカァアアアアアブ!!」
それは紛れもない、兄貴の憤怒。
「……フッ、“あれ”ってなんっスか、馬鹿兄貴」
全てを悟った弟は絶望とともに地へと落ちていった。
もとはカーブが閃光を放ち、その隙に逃げる算段であったが、もうその策略も遠く彼方へ消えた。
ローリィとクアガーラの立っていた床も、崩壊に順じて落下してゆく。クアガーラは我が姫君を守ろうとその身を近くに引き寄せた。その最中、ローリィは先に落ちてゆく緑毛の老人を発見する。
彼の顔はこの事態への驚愕と風圧でぐちゃぐちゃになっており、その白衣はみっともなくばたばたと音を立てていた。
それを見て少女は叫んだ。
「ざまぁみろなのじゃああ!」
まったく計画外のことではあったが、二陣営ばらばらに散っていく。これが吉と出るか凶と出るかは定かではない。
──事態は混沌の中へ踏み込んでいく。