異世界定食屋『星降る夜のハンバーグ』
その店は、夜の十時を過ぎるとどこからともなく現れるという。
看板もなければ、誰に告知されるでもなく、ただ星がよく見える静かな夜にだけ開く。
青年アレンは、旅の途中で道に迷っていた。辺りはもう真っ暗で、冷えた風が薄いマントを容赦なく揺らす。
空は澄んでいて星が瞬いていたが、それが余計に孤独を感じさせた。
「くそ……今夜は野宿か」
そう思ったとき、不意に漂ってきた香ばしい匂いに足が止まった。
かすかに焦げ目のついた肉の香り、タマネギとソースの絶妙な甘みが混ざったそれは、空腹の胃を激しく刺激する。
目の前に、灯りがぽつんと浮かぶ。
そこには、小さな木造の食堂があった。まるでこの世の片隅にそっと佇むように存在している。
看板には手書きでこう記されていた。
『定食屋 星降る夜』
空腹には勝てず、アレンは扉を開いた。
扉の先から漏れる温かい灯りと、湯気の向こうに差し出される笑顔に、不思議と緊張が解けていく。
「いらっしゃい。お疲れさま。ハンバーグ定食でいいかい?」
店主は中年の女性。ふっくらとした体格で、母のような雰囲気を纏っている。
返事をする間もなく、鉄板の上でジュウジュウと音が鳴る。
店内はこぢんまりとしていて、木のテーブルが三つ。カウンター越しにはスパイス瓶が並び、壁には小さな星図のタペストリーが飾られていた。
不思議と落ち着く空間だった。
やがて運ばれてきたハンバーグは、肉汁が溢れ、香ばしく、添えられた野菜も丁寧に盛られていた。
器は素朴ながら、温もりを感じさせる陶器製だ。
一口食べて、アレンは目を見開く。
体の芯にまで染み渡るような、やさしい味だった。
それはどこか懐かしく、失くしていた何かを思い出させる味だった。
「……うまい。なんだこれ……」
「明日をもう少し頑張ろうって、そう思える味だろ?」
店主の言葉に、思わず頷いてしまう。
そしてもう一口、さらにもう一口と、夢中で食べ進めた。
「旅の途中かい? 今日は星が綺麗だね。こんな夜に来る人は、少しだけ疲れてる人が多いんだ」
アレンは、なぜかぽつりと旅の理由を語り始めていた。
失った家族、追われる身、夢と現実の狭間で迷う日々……誰にも話せなかったことが、不思議と口から零れていた。
店主は黙って、微笑みながら聞いてくれた。
食事を終え、礼を言って店を出ると、そこにはもう定食屋はなかった。
ただ、空に星がひときわ強く瞬いていた。
それからというもの、アレンは時々、この店に救われることになる。
戦いに傷ついた夜、希望を失いかけた夜、愛する者を想い涙した夜。
『星降る夜』は、何も言わず、ただ温かい定食と優しさを差し出してくれた。
異世界定食屋『星降る夜』。
それは、誰かが希望を忘れかけたとき、ふと現れる奇跡の場所なのかもしれない。
——そして今夜もまた、静かな夜空の下で、誰かを待っている。