第03話 追放の朝
朝の空はよく晴れていた。
けれど、風は冷たい。
まるで今日という日が、何かを告げているかのようだった。
ギルドの裏庭では、ユノがひとり、草むしり用の手袋を外していた。
それは長年使い続けたもので、指先は擦り切れ、革もすっかり柔らかくなっていた。
「ユノ、マスターが呼んでるわ」
受付のミナが、表情を変えずに告げる。
その言葉に、ユノは小さくうなずいて立ち上がった。
昨日の『最後の仕事』を終えた時点で、今日という日が何を意味するか、彼にはもうわかっていた。
ギルドマスターの部屋――ノックをすると、すぐに「入ってくれ」と優しい声が返ってくる。
その部屋には、初老の男がひとり、机越しに静かに立っている。
このギルドマスターのレオンである。
冒険者たちからは厳しい人物と見られているが、ユノにとっては、唯一この場所で『優しさ』を与えてくれた存在だった。
「ユノ、よく来たな。……座らなくていい。すぐ終わる話だ」
レオンは言葉を選ぶように、一つひとつ丁寧に言葉を繋いだ。
「昨日の仕事、よくやってくれた。報告も受けてる。最後まで丁寧だったってな。ありがとう」
「……はい。僕にできること、それしかなかったので」
ユノの声は静かだった。
そして、それが“終わりの言葉”であることも、彼は理解していた。
「正直なところ、もう少しだけ時間を稼ぎたかった。けれど……ギルドの現状では、もう支えきれない」
それは責任を押しつけるような声ではなく、苦渋の決断を飲み込んだ者の静かな告白だった。
「ユノ、お前はスキル『草むしり』をただの作業にしなかった。あれは立派な『心』の仕事だったと、俺は思っている……でも、今のギルドでは、その価値を認めてやれない。すまない」
「……謝らないでください。わかっています。ぼくの力が足りなかったんです」
レオンは首を振った。
「違う。間に合わなかっただけだ。お前が咲くには、時間と場所が足りなかった……だけど、きっとどこかに、お前の力を必要とする誰かがいる」
彼は机の引き出しから、小さな包みを差し出した。
「これは俺個人からの贈り物だ。金じゃない。食糧と水筒と……あとは、昔のお守りみたいなもんだ。記録には残らない。けれど、お前には必要だと思ってな」
ユノは、両手で丁寧にそれを受け取った。
「ありがとう……ございます、レオンさん」
その声は震えていた。けれど、涙はこぼれなかった。
「どこへ行くかは言わなくていい。けれど、もしまた会えたときは――その時は、ちゃんと冒険者として迎えよう。スキルが何であろうと、関係なくな」
レオンの手が、少年の肩に静かに置かれた。
それは、別れではなく『信頼』の証だった。
▽
ギルドを出たユノの背中を、誰も追う者はいなかった。
受付のミナは事務処理のように退会届を整理し、周囲の冒険者たちは、彼に一瞥もくれなかった。
それでも、ユノは最後に深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
「はっ、草むしりしかできねぇやつに礼言われてもなあ」
背後から、そんな声が聞こえた。
ラッド――よくユノをからかっていた若手の冒険者は笑いながら答えている。
「まぁ、三年も居座ったのは逆にすげぇわ。やっと追い出されたか」
「ギルドも少しはマシになるな」
笑い混じりの言葉が投げつけられたが、ユノは振り返らなかった。
――優しくしてくれたのは、レオンさんだけだった。
だからこそ、最後まで、胸を張って歩こうと思った。
ギルドの門をくぐり、通い慣れた石畳を抜ける。
荷物は少ない。食料と水、草むしり用の手袋、そして木の実がひとつ入った巾着袋。
それだけが、彼のすべてだった。
(行く場所なんて、ない)
けれど、不思議と怖くなかった。
――あの光。
北の野営地で見た、あのふわりと揺れる淡い緑の光。
誰にも気づかれず、でもたしかに自分を見ていた『何か』だった。
(もしかしたら、あれが……)
そんな考えが、足を森の方へと導いていた。
やがて、街の景色が途切れ、草の匂いが濃くなる。
木々の隙間から差し込む光。
小鳥のさえずり。
ユノはその空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
――歩く。
自分の足で、誰にも頼らず。
その背後、ギルドの屋根の上で、そっとひと筋の風が吹いた。
ふわりと舞い上がる、小さな緑の光。
誰にも見えないそれは、少年の旅立ちを見届けるように、やさしく揺れていた。
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