閑話 あの子が去った日【追放したギルドマスター・レオン視点】
王都からそう遠くない、北の街の冒険者ギルド。
その一角にある静かな応接室で、ギルドマスターの男――レオンは一人、深く腰掛けていた。
壁にかかった時計は、もう昼を過ぎている。
けれど彼の手元には、未処理の書類が山のように積まれていた。
「……今日は風が強いな」
ぽつりとつぶやいた声は誰にも届かない。
窓の外には、いつもと変わらぬ街の景色。
冒険者たちが行き交い、荷車の音が響き、鍛冶屋の煙がゆらゆらと空へ登っていく。
――そして、裏庭には、もう【あの少年』の姿はない。
「ユノ」
その名を口にしたとき、マスターの瞳がわずかに細められた。
十二歳。スキルは《草むしり》。
魔法も戦闘力もなし。
ただひたすらに、裏庭の草をむしり続けていた孤児の少年。
誰もが『役立たず』と切り捨てた存在。
ギルドの下働きとして扱われ、冒険者たちに馬鹿にされながらも、いつも黙って、静かに草を引き抜いていた。
けれど――
「誰よりも、よく見てたよ、あの子は」
草に埋もれるようにして、毎朝、同じ時間に裏庭に現れるユノ。
抜いた草をただ放るのではなく、根元から丁寧に土を崩し、形を揃えて積み重ねていく。
ただの『作業』ではない。
彼にとって草むしりは、きっと『祈り』のようなものだったのだと、マスターは思っていた。
「何度か、辞めさせようとも思ったんだがな」
ひとりぼっちのその背中が、あまりに静かで、あまりにまっすぐで、どうしても口出しできなかった。
むしろ、自分たちの方が何かを試されているような、そんな感覚さえあった。
「あいつを『役立たず』だと切り捨てたのは……結局、俺たちの方だったのかもしれんな」
自嘲のような笑みをこぼすと、風がふっと室内に流れ込んだ。
扉の隙間から吹いた風が、机の上の一枚の紙をそっと揺らす。
それは、ユノが去る前に残していった、小さな手紙だった。
──《ありがとうございました》とだけ、震えるような文字で書かれていた。
「……礼を言われるようなことは、何一つしてやれなかったよ、ユノ」
あの朝のことを思い出す。
ユノが草原へ旅立つ日、マスターは彼をギルドの裏口で見送った。
他の冒険者たちは、冷ややかだった。
「やっと出てったか」
「これで裏庭の景観がよくなるな」
「どうせ三日と持たずに戻ってくるさ」
――そんな言葉を背中に受けながら、それでもユノは振り返らずに歩いて行った。
ただ一度だけ、門をくぐる前に立ち止まり、風の中に顔を向けていた。
その表情は、もう追い出された子供ではなく、自分の足で歩き出す、少年の顔だった。
「君は……見つけると思うよ。君にしかできない何かを」
そう、あのとき心の中でマスターはそう呟いた。
けれど、声には出さなかった。
あの子の背中を見ながら、自分の中のなにかが少しだけ震えるのを感じていた。
「草むしりしかできないって、皆は笑っていたけどな」
書類の束を押しやって、彼は窓を開いた。
街の音がわっと流れ込む。風が、髪をわずかに持ち上げた。
「……でも俺は、知ってるんだよ。あの子の草むしりは“世界を撫でてたんだってことをな」
草を抜くときの手つき、根を残さない優しさ、踏まれた地面を平らに戻すそのしぐさ。
誰が見ていなくても、あの子はいつも世界にやさしく触れていた。
「そういう奴が、何も持たずに終わるわけがない」
そう言いながら、マスターは椅子から立ち上がった。
背筋を伸ばして、大きく伸びをする。
その背中は、まだどこか寂しさをまとっていたが、どこか誇らしさも含んでいた。
「……もう誰かが、あの子の草を見てる番だろうさ」
――ありがとう、ユノに優しくしてくれて。
「……?」
ふと、誰かの声が聞こえた気がした。
しかし、振り向くと、そこには誰もいない。
風が再び吹いた。
その風は、遠く離れた草原のどこかへと続いていった。
まるで、草むしりの少年に送る『エール』のように。
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