2つ目の病院
前回病院でもらった痛み止めが無くなると、またお腹が痛くなってきた。
仕方がないので、病院に電話をすることにした。
痛みがなくなった時に、もう治ったものと判断して、この前の病院で書いてもらった紹介状を、適当にそこら辺に放り出していたのでよくない状態になっていた。
こんな紹介状を持っていくのカッコ悪いなと気が重たかった。
次の病院はバスで4駅、歩いて20分くらいの距離だったが、お腹が痛いのでバスに乗った。「バスに乗るとか、まるで高校生じゃん。」と情けない気持ちになったが、意外とバスにはいろんな年代の人が乗っていて安心した。
4駅で乗り降りするとかまるで、おじいちゃんだと、恥ずかしかったので、出来るだけ気配を消して乗り、出来るだけ目立たぬように降りた。
しかし、みんなスマホでピしてるのに俺だけ現金だったので、機械音痴と思われただろう。
営業時間の30分前くらいについたが、もう建物は開いていて受け付けにはかなり人がいた。おれは行列が苦手だが、腹が痛くて逃げれなかった。
ここも機械機械だった。はじめに機械通して、受付に行って、機械通して、各科に行って機械を通す。おじいちゃんですらスマートに対応していたので感心した。
普段、自分が行かない場所に行くと、自分の知らない世の中の当たり前が見れるからいいよね。
予約もして営業時間の30分も前に病院についていたのに、待合室で1時間30分程まって、診察をうけた。
「えーと。お腹痛い?」
「はい。とても。。」
「どこ?」
「こことか」
「ここは?」
「痛いです。」
「じゃぁCT撮ろっか。」
もちろん前の病院のCTスキャンのデータは紹介状についていたが、造影剤を使っていなかったので薄かったらしい。俺は前回CTは楽勝だったので油断をしていたが、その造影剤とやらは、なんと注射だった。それも、けっこう太いやつ!。
俺は男の子なので我慢した。
また1時間以上待って診察を受けた。
「CT見たけど、腫瘍的なものあるね。」
「はい。痛いです。」
「よくわからないから、胃カメラ飲もうか」
胃カメラの予約は1か月後まで埋まっていた。そして、非常に都合の悪いことに、その月非常に暇だったのに、絶対に外せない仕事がその日の午後に入っていた。
実は、胃カメラと診察は午前中で終わる予定なので、たぶん仕事に影響は無かったのだが、鎮静剤とやらを飲むと、その日は車の運転できないらしい。
鎮静剤無しでも胃カメラはできるのだけど、だけど、、
俺は1か月半後に鎮静剤を飲むことにした。
その日、病院ではとくに痛み止めは処方してくれなかった。
地獄の日々の始まりだ。
「お疲れ様です。」
「お世話様です。お腹痛いです。」
「大丈夫?病院行きな」
「行きます。一か月半後に。」
「w」
いつもこんな感じだった。
俺の部屋には、2方向に部屋がつながっていて、廊下への扉と、リビングへの襖の間に、壁なんだけど40㎝幅くらいのL字型の「柱」の様なものがある。「柱」に抱きつくと腹の痛みが少しだけ楽になる感じがして。かなりの時間を「柱」に抱きついて暮らした。ピークの時は本当に呼吸ができないので、その時間がどんどん長くなってきて本当に死ぬんじゃないかと思っていた。
それでも、残り45日、残り40日、残り35日と救われる日がくるのを数えながら、「柱」に抱き着いて寝れない夜を過ごしていた。
近しい人は「病院行け」「救急車呼べ」「病院行け」と言うけれど、
「いや、35日後に行くから、大丈夫」
と大丈夫じゃない返事をしていた。
もう一度、声を大にして言いたい。
「病院行け。お前の体の事をお前は少しも解って無いから、今すぐに病院に行け。」