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第一部

 ――歴史的にみれば人と魔物の関係性は決して良好とは言えなかった。

 出会えばどちらかが逃げる、或いは倒れるまで戦うことがほとんどであり、一部の人と意思の疎通の取れる種類の魔物を除けば、互いのことを獰猛な獣だと思っていたのかもしれない。少なくとも人から見ればそうであった。

 それでも、個人や個体間の争いから目を背けば、平和と呼べる期間の方が圧倒的に長かった。後世に『勇者』と呼ばれる者たちが、魔物の領域に侵入し、幾百の屍と一つの英雄譚を築いたことは何度かある。だが、それ以外では互いの領域を侵すようなことは殆ど無く、その間に同等の知性と似た価値観を持った者たちで交流することもあった。

 けれどもその平和は、今度は魔物たちによって破られることとなった。

 別に、魔物たちが平和を愛する生き物であったから今まで破ってこなかった、という訳ではない。暴れ狂った魔物が人の村を襲ったり、鉢合わせた人間をその日の糧にしたりしたことは多い。ただ、それらは人間側の平和を乱すほどのことではなかったというだけである。基本的に魔物は単独、もしくは数匹の小規模の群れでしか行動しない。大きな群れを維持するだけの獲物を獲り続けることは難しいからだ。そんな一匹あるいは数匹程度の襲撃は武装した村民で充分に対処できた。

 できていたのだが、突如として種族を超えて魔物を統率し、千を超える大規模な群れを巧みに操り、辺境の村を次々と襲わせる者が出てきたのだ。今までの魔物による被害であれば、せいぜい作物あるいは家畜がわずかに損なわれるか、悪くても村の未亡人か孤児が一人か二人増えるだけであった。しかし、一連の襲撃は今までと別物であり、襲われた村は作物、家畜、人の違いなく数百の魔物の腹を満たすための食糧とされ、保存食とされたもの以外は、翌日に魔物の排泄物となり故郷の土となった。

 国の長である行政長官を務めるラット―ルは、中央から兵士を派遣し防衛に努めようとするが、何の前触れもなくやって来る魔物の群れに対して効果的な対処ができずにいた。

 人々は恐怖した。

 明日は我が村、我が家族、我が身、ではないかと。恐怖は人の想像力により更に大きな恐怖となり人伝いに伝播されていった。恐怖は解決策と原因を人々に探させる。その過程で一人の人間がなんとなく口に出した推論が何人かの口を経て受け渡されると、それに尾ひれが加わり誇大な妄想と化し、それが大多数の人間に伝わるとあたかも()()のように扱われた。その()()の内の一つである『襲撃の指揮者は魔物と人の間に産まれ、幼い時にこの国から追放された者であり、一連の行動は自分を受け入れなかった人間社会への復讐である』という説はその物語性も相まって誰しもが知る()()となってしまった。

 他には『夜に子供を見張りに立たせれば、その晩に魔物は襲ってこない』『襲われる数日前に恐ろしい鳴き声が遠くから聞こえる』『美しい女性に誘われてやって来ているから村一番の美女の顔に墨を塗ると襲われない』など、幾日か前に誰かが思いつきで言ったことが、古くから語られる対処法のように扱われ、皆一縷の希みを託し、子供に寝ずの番を強い、耳を澄まし、確執を産まないために女性全員の顔に墨を塗った。どれも根拠のない気休めではあったが、()()()()効果のあった時にのみ、伝える者が生存したためこれらも皆の信じる()()となってしまった。

 しかし気休めであったとしても恐怖を和らげることに貢献しているのは事実であり、それにより精神的に余裕ができた人々の話題は、次第にいつ始まるかの襲撃についてより、安くない税を納めているにもかかわらず事後対応がやっとの不甲斐ない国に対してのこととなっていった。

 人々は激怒した。

 何のための税であり、軍であり、国であるのかと。我々の富を搾取するためだけの存在なのかと。熱の入った立ち話はやがて集会となり、集会は抗議活動となり、皆武器か凶器となりうるものを手に取り、近くの役所に押し掛けた。

 各地方の行政官は対応に追われ、国の首都ともいえる『中央』にある行政庁、そこにいる上司のラット―ルに指示を仰いだ。ラット―ルの各所への迅速かつ的確な指示と、抗議者たちの飽きと疲れにより抗議活動は早期に沈静化した。不思議とこの騒動の間、魔物の襲撃はなかった。

 民の安寧を守るため僅かな手掛かりでも欲したラット―ルは、全国各地から襲撃を防ぐための方法を広く求めた。上記の民衆に浸透している対処法をラット―ルは流石に本気にはしなかったが、ある村で魔物の襲撃を予知する者がいるという噂に対しては直ちに使者を派遣した。

 彼が直ちに使者を派遣したのはこの手の噂を信じたわけではない。この国難に乗じて一財産築こうと、人々の不安を煽りつつその不安を解消するための胡散臭い商品を高値で売りつける不届きな輩が後を絶たないからである。使者の表向きの役目は『国難を乗り越える可能性があるかを確かめる』とされていたが実態は『詐欺師を秘密裏に捕まえる』であった。

 そういう背景がありこの件の使者に任命された、エストルという若者もこの手の噂に対しては否定的だった。生来の正義感と親切さから、道すがら村の案内役に、

「信仰しているあなた方には悪いと思っていますが、この件に関して非常に疑わしく思っています」

 と告げた。もしかしたら詐欺の可能性があるとも。しかし、自分の信仰している存在を否定されたにもかかわらず案内役の老人は嫌な顔一つしなかった。

「ええ、私共も最初はそう思っておりました。けれどもあの御方はそのような類の人ではございません。――というよりも、今は人というよりかは神の使いか何かだと思っております」

老人は清々しささえ感じさせる顔でいくつかその『神の使いか何か』による『導き』について話しだした。『導き』を行う者は『導き(みちびき)の御人(おひと)』と呼ばれる女性で、村人たちから大変尊ばれているようだった。

 エストルは苦笑した。何回か()()使()()とはあったことがあるからである。彼らの言うように本当に使いであるのであれば、神の手助けによって今頃牢獄から抜け出していることであろう。老人の話に適当に相槌を打ちながら、いかにその種の人間が言葉巧みに人を騙すのに長けているか伝えようか悩んでいるうちに目的の場所に着いた。

「ここに『導き御人』がおわします」

 老人がエストルにそう告げた。

「本当にここに…?」

 エストルは森の中にある人の住処というより神殿のような神秘的、悪く言えば生活していくに不便であろう建物に案内された。これまでエストルが見てきた『神の使い』たちは、どれも決まって、村の一等地にある豪勢な館に住み、女を常に侍らせ、地方にいる高官より贅沢な生活をしていた。だが、目の前の建物からはそれとは真逆の清貧さが感じられる。さっきまで抱いていた認識を改める必要があるかもしれない、とエストルは思った。

 ()殿()の入り口の前まで近づき、ここからは一人で充分だとここまで案内してくれた礼を言ってエストルは老人を帰した。老人を見送りながら『今回の件が国中を巻き込んだ混乱を解決する糸口となり、彼らのように善良な人々の安らかな生活が再び戻ってきますように』と、彼はいるかどうかも不確かな超常的な存在に祈り、中へと入っていった。

 内部は光に当たることを苦手とする住人のために、新月の日の晩のように暗くなっていた。


「用があるから呼んだのだ。遠慮せずさっさと入らんか」

 扉の向こう側を見通せるのか、有無を言わさない声色の声が入り口の前で入りかねていたエストルを突き動かした。

「は、はい!失礼します!」

 エストルは慌てて入室した。彼の額にはくすんだ金色の髪が汗でへばりついている。

 入庁した日以来の執務室の中には、床一面に敷かれた安物の敷物、年季の入った執務机と椅子、そして入り口脇にある、あまり使われていないであろう応接家具一式、それと壁に貼られた、国中を網羅した大きな地図と、書類と史書が置かれた本棚しかなかった。地方の行政官の執務室の方がまだ華美な見た目をしているといえるであろう。しかし、この部屋の主の放つ人を圧するような気迫が、この部屋がこの国の最高権力者の座す場所であると、どんな華美な装飾よりも主張していた。

 執務室の主ラット―ルは、エストルを一瞥すると、

「早速本題に……といつもなら言っているところだが、今日は珍しく余裕のある日でな、少し世間話でもするとしよう」

と言って、書類を幾つか持つと執務机を離れ、応接用のゆったりとした造りの椅子に座り始めた。エストルもそれに従い対面に座る。この時点で、エストルはなぜ自分が呼ばれていたのか知らされておらず、不安と緊張の二単語が彼の頭の中を支配していた。

 世間的な例に倣い、まずは天候に関する話をし、その次に仕事に関する当たり障りのない話を始めた。

「そういえば『導きの御人』はお前さんが発見したんだったな」

 ふと思い出したようにラットールは言った。

「はい。もう一年ほど前になります」

「もうそんなに立つのか。始めは半信半疑どころか、全く信用していなかったが、今では彼女が欠かせない存在になってしまったの。彼女のおかげで今こうしてゆっくりと話ができる。まさかこの歳で、ああいった特異な能力を持つ者が確かに存在するということと、そういった者たちの有用性を学ばされてしまうとはな」

 ラット―ルは頭髪のない頭を骨太の手で撫でながら破顔した。その手には、若い頃に軍人として魔物たちと戦ってきたという証拠となる傷跡がいくつか刻まれている。ラット―ルが笑うとさっきまで部屋中に満ちていた人を圧するかのような気迫が一転し、和やかな雰囲気に変わった。国の頂点に立つような人物には、自然と場の空気を支配する力が備わっているのかもしれないとエストルは思った。

「ところでお前さん、軍の方に交際している女性がいるな?」

 執務机から持ち寄った書類を広げながらラット―ルは尋ねた。

「はい……?」

 唐突に私事の話を切り出されたエストルは虚をつかれた。エストルに構わずラット―ルは言葉を続けた。

「名は確かネイアだったかな?軍では珍しい女性だがその戦績と能力は儂の知る限り一、二を争うといってもいい。この前の襲撃の際にも、指揮官が戦死した後、不甲斐ない副官を差し置いて部隊を指揮し見事勝利に導いた……。……これは素晴らしい行いでもあるが越権行為でもあるな」

「はい……」

 気付けば部屋の空気は、エストルが入ってきた時のような緊張感を帯びてきた。軍全体の指揮権も持つ行政長官ならば、軍規に基づいていようがいまいが簡単に処罰を与えることが可能であり、ましてや彼女は越権行為という軍隊では重い罪を犯している。エストルはこの件に関することで呼ばれたのではないかと勘繰った。

 しかし、それに続くラット―ルの呟きを聞き、その考えは杞憂だったと分かった。

「まあ…これはどうでもいいな」

 ラット―ルは次の資料に目を向けた。それは公文書というよりも個人の書いた手記のようだった。字が崩れており、エストルには読めないが、ラット―ルはすらすらとそれに架かれているであろう内容を読み上げていった。

「同部隊の人間からも信頼厚く、その立ち振る舞いも近隣の住人から良い評判を得ている。朝は早くから起き、剣の鍛錬をして朝食を……私の若いころより食べているな……。昼は忠実に職務を遂行し、昼食は控えめに。夕食は……ほう、そんなに……これは全部お前さんが用意を?……と失礼、話がそれてしまっているな」

 どこから集めたのか分からない情報に君の悪さを覚えながら、エストルは恐る恐る用件を尋ねた。

「あの……自分がここに呼ばれた理由は一体何なのでしょうか?」

 まるでその言葉を待っていたかのようにラット―ルは赤銅色の瞳をエストルに向けた。

「まずお前さんに……いやお前さんたちにとっていい知らせが二つ、いや三つある」

 口端に笑みを浮かべてラット―ルは言った。

「一つはこの将来有望な若い軍人を新設した部隊の部隊長に昇進させるということ。規模の小さい部隊だが大抜擢だな。しかしこれを見るには妥当だと思っている」

 ネイアの軍人としての功績が書かれた資料を指で叩きながら、ラット―ルは言った。

「はい」

 ネイアから聞き及んでいた実績や、話の流れからエストルはここまでは予想できた。

「二つ目はお前さんを行政官として地方に派遣することが決まったぞ」

「え!?自分が!?ですか!?」

 しかし自身が行政官に任ぜられるのは予想外だった。

「そうだ、彼女と任地は一緒だから安心していいぞ。そして最後は──」

 驚いたエストルを気にも留めず、ラット―ルは話を続けようとした。エストル無礼を承知ではそれを遮った。

「――ちょっと待って下さい!」

「どうした?不服か?」

 鋭い視線がエストルに向けられる。

「い、いえ……そうではなく……。ネイアが昇進するのは分かります……。彼女には実績も部隊長としての資質もあります。し、しかし、自分にはそれがありません」

 気圧されながらもエストルは自分の疑問を述べた。通常、行政官は実績と経験を充分に積んだ役人の中から選ばれる。そのため勤続年数の長いものから自然と選ばれていくものなのだが、その点エストルはまだ若く経験も浅い。実績と呼べるようなものもあまりなく、その疑問も当然であろう。

 その疑問にラットールは事も無さげに答えた。

「いや、お前さんを選んだ理由は、輝かしい実績や長年積み重ねた経験によるものではない」

「……では、一体何によってですか?」

 ラットールはエストルの問いにすぐには答えず、少し間をおいてから話し始めた。

「……近年発生した詐欺師まがいの連中。あやつらの様な者が蔓延ることができたのは……」

 ここで言葉が途切れた。余程言い難いことなのだろう。ラット―ルは大きく溜息をしてから言葉を続けた。

「……その地方の行政官による()()()()怠慢が大きな要因だ」

 情けない話だとラット―ルは嘆いた。

「……それならば、自分以外の誰かでもいいんじゃないでしょうか?」

 行政官の席がいくつか空いたといっても、自分が選ばれる理由にはならない。エストルがその理由を尋ねると、ラット―ルは執務机に戻り、大量の紙の束を抱えて戻ってきた。

「この出来事を機に、儂は改めて役人たちの素行や仕事振りを調べ上げた」

 重量感のある音を立てて机の上に置かれた紙の束には、全ての役人の情報が記されているのだろう。

「その結果、お前さんが新たな行政官にふさわしいと儂は思った」

 ラット―ルの表情が優しくなった。まるで孫と接しているかのように。

「日頃からどんな仕事であっても真剣に取り組む姿を見てくれる人は見てくれているものだ。エストル。お前さんの勤勉な仕事ぶりは儂の耳にも入っとるよ」

 自分が生まれる前から行政長官を務めている老人の言葉が、胸にじんわりとしみ込んできた。エストルが役人になったのは自分の目の前にいる老人に憧れたからだった。物心ついた時からラットールの逸話を何度も聞かされていた。新たな農法で作物の収穫量を上げ、人々の生活を豊かにした話。村が凶作にも拘らず通常の税を取ろうとした行政官を諫め、それが聞き入れられなかったので私財をなげうって税を肩代わりした話。人々の幸せのために尽力した彼に憧れを抱いていた。

 エストルは字の読み書きができるようになると、誰に言われるでもなくすぐに勉強を始めた。年齢を十も超えると大人顔負けの知識量をほこり、それが受けられる年齢になると役人の選抜試験を受験し一番の成績で合格した。エストルは自分が憧れを抱いた者のようにすぐになれると思っていた。

 だが、中央政府ともいえる行政庁に配属された彼を待ち受けていたのは、物語には決してされることのないような現実だった。組織に属するということは、常に正しくあるだけが最善だとは限らない。それでも、彼は自分の夢の実現のために、上司や同僚の反感を買いながらも正しくあろうとした。時に自分の理想と置かれた現実の隔たりに心が折れそうになり、これでいいのかと自問の日々を過ごすことさえあった。しかし、今までの頑張りを尊敬している人物に認められ、今日、その答えが出たような気がした。

「……ただ無理強いはしない。どうしてもというのなら他の者に──」

 エストルからの返事が無いことを受けて、ラット―ルは残念そうにこの話を無かったことにしようとした。

「――い、いえ!やらぜ……でいだだきます!……やらぜでぐだざいっ!」

 こみあげてきた熱いものが喉につっかえたかのような状態で、何とか絞り出した言葉は、濁音にまみれた不格好な嘆願だった。

 エストルの蒼い瞳から、透き通った透明な涙が流れている。その様子を見て嬉しそうにラット―ルは手拭いを差し出した。


「それで、三つ目は何?」

 エストルが家に帰ってからずっと勿体ぶり、食事の時間になってようやく話した二人の昇進を、ネイアはさも当然かのように受け取り、話の続きを促した。

 豊かな黒い髪に、健康的に焼けた小麦色の肌、男女問わず美人だと評される顔立ちでありながら、自分以外に交際経験がないのはこの不遜さによるところが大きいだろうとエストルは常々思っていた。

 長年の付き合いなので不快に思うこともなく、エストルは『自分たちにとって良い話』の三つ目を話し始めた。話を始める前に食卓に並んでいた大量の料理は、既にその大半が彼女の胃袋に収められている。

「うん、それはね『若い指揮官と行政官に功績を得る機会を与えよう』だってさ」

 最後の一口を飲み込んでから、冷めた表情でネイアは答えた。

「何なのそれ」

 エストルは、さっきまでとは打って変わり真剣な顔をして重々しく口を開いた。

「……『導き』が出たってさ」

「どこに?」

 ネイアの顔も険しくなった。その表情から彼女が幾度も見て来たであろう惨状が伺い知れた。

「……僕たちの故郷らしい」

 更にネイアの顔が険しくなった。二人とも仕事の都合で国の首都である『中央』に移り住んで久しいが、それでも人生の大半を過ごした土地の風景や、そこに住む友人たちを忘れたわけではない。それらが蹂躙され、変わり果てた姿になるのを、同じような光景を多く見てきたネイアには簡単に想像ができたからであろう。

 自分の使命を全うしようとするためか、ネイアはエストルから必要な情報を端的に聞き出そうとした。

「『谷の村』に?いつ?どれくらいの規模で?」

「『導き』によれば早くても二週間で、規模は通常の規模…三百ぐらいかな」

「こちらの戦力は?」

「君がこちらから引き連れていく部隊が百人。そして向こうの一緒に戦おうとしている有志が五十人程。合わせて百五十人かな」

 魔物の中には、一個体相手に数人で対処しなければならないような強い種も存在する。それにもかかわらず、魔物の群れを寡兵で相手にしろという無茶な要求に対してネイアは机を叩き、声を荒げた。

「少なすぎる!最低でも四百は欲しいのに!何を考えているのあんたの上司は!?」

 戦場で生き抜いてきた武人だけが身につける迫力が、文官のエストルを襲う。激高するネイアに気圧されつつ、エストルは慌てて補足事項を付け加えた。

「で、でも村にはすでに防衛用の設備が建設されてるし、行政長官は『間に合うか分からないが援軍を送る』と言っていたし、それに武器庫から好きなだけ装備を持って行って良いって、あと……それと……えっと……」

 エストルの慌てふためく様子が余程滑稽に見えたのか、ネイアは笑い出した。普段は大人びた印象の彼女だが、笑うと少女のようにも見える。ネイアにつられてエストルも笑った。その光景は人から見れば、愛し合う者同士というより、幼い頃から仲のいい親友のように見えたであろう。それは、幼き日に出会った頃から数えきれないほど繰り返してきた光景だった。

 ひとしきり笑いあった後、ふと、エストルは、故郷にいる自分たちの旧友を思い出した。

「そういえば、ディウスが向こうの有志たちを取りまとめているらしいよ」

「彼らしいわね」

 笑いすぎたせいで出てきた涙を指で拭いながらネイアはそう言った。

 ディウスとは谷の村の村長の息子で、二人の古くからの友人である。豪快かつ朗らかな性格で、人情に厚く、村人に困りごとがあると自ら首を突っ込んで助けてあげるといった優しさを持っており、また、大人三人分ほどの体格があり、大型の魔物と張り合える膂力を有する偉丈夫でもあった。ディウスの性格からいって、村を守るために自ら率先して有志を集め守備隊を組織したのであろうということを二人は容易に想像できた。

「ディウスがいるなら百人力だね」

「文字通りに受け取っても合わせて二百五十人。戦力的にはまだ足りてないわ。本当に援軍は来るんでしょうね?」

 ネイアは疑いの眼差しをエストルに向けた。新しい部隊を創設しなければならないほど手が足りていない状況なのに、こちらに増援を送る余裕があるはずがない。現に、どの部隊も辺境の防衛のために全て出払っている状況だ。エストルはそんな訝し気なネイアの黒い瞳をまっすぐと見返し、自信に満ち溢れた声で答えた。

「長官が来ると言っていたから絶対来るよ」

 しばらく見つめあった後、ネイアは根負けし、顔をそらした。

「……分かった……信じるわ」

 惚れた弱みというのは、いくつもの戦場を経験したネイアでも克服できないものであるらしかった。

「本当に!?ありがとう!」

 エストルはネイアに嬉しそうに礼を言い、いそいそと食器の後片付けを始めた。

「はぁ……」

 流し台に食器を持って行くエストルを見送りながら、ネイアは大きな溜め息をついた。エストルが家に帰ってくるなり『二人にとっていい話がある』と言ったため、ネイアはついに自分の待ち望んでいた時が訪れたかと期待に胸を膨らませていた。だが、食事時にようやく明かされた内容は二人の順当な昇進の話であった。普通であるならば親戚一同で祝うような吉事でも、彼女にとっては肩透かし、というよりお預けを食らったような気分にしかならない。まだ焦るような時期ではないとはいえ、出会って二十五年、一緒に住み始めて七年が経過している。ネイアはそれをおくびにも出してないが、内心は今か今かと悶々とする日々を送っていた。

 その日の晩、二人は引っ越しの準備の段取りをし、『明日から忙しくなるから』といつもより早めに寝た。

 

 次の日の朝、ネイアは簡略的とはいえ行われた着任式で、初めて自分の部隊と対面した。副官の号令で綺麗に碁盤目状に整列した彼らを、翳りのない陽光が照らしていた。ゆっくりと壇上に上ったネイアに、新品の兜の反射した光が集中した。それは着用者たちがこちらに顔を、つまり目線を向けているということを示していた。

 兵士たちは、常に自分たちの上官が命を預けるに足る存在かどうか値踏みする。ましてや今度の新しい指揮官は自分たちよりも若い上に女性ということもある。彼らが不信感を抱いているであろうことをネイアは自身の経験から理解していた。そして、部下から信頼されて初めて名実ともにこの部隊の指揮者として振舞えるということも、彼らの信頼を得るのは壇上からの演説では難しい事も理解していた。

 ネイアは型通りの挨拶を手早く終わらせ、壇上を降りた。これで着任式は終わり、後は退場するだけである。だが、ネイアは整列する兵士たちの隙間を縫うように歩き出した。兵士たちの中から『ある人物』を探すためである。一人一人の顔を品定めするようにじっくりと見て回ると、壇上からは見えなかった彼らの顔、そして表情がよく見えた。殆どの者がこの奇妙な行動をする上司と目を合わせないようネイアの頭上を見つめている。しかし、一名、真っ直ぐ目を合わせてくる者がいた。

 周りと比べて一回り大きい体格を持った兵士は、ネイアを見下ろし、こう言い放ってきた。

「よう、お嬢ちゃん。今夜のお相手をお探しなら、よければ相手になるぜ」

 ネイアはお目当ての人物を発見した。何かあったのかと様子を見に来ようとした副官を手で制し、凛とした態度でネイアは言った。

「口を慎め、私は貴様の上官だぞ」

 それに委縮するでもなく、兵士は胸をそらした。大きな体なため、故意かは分からないが、それだけで威圧しているように感じられる。

「長官に取り入って得た地位だろ?あの爺さんそっちの方もまだ元気なのかよ」

 兵士は下卑た笑みを浮かべながら侮辱を重ねてきた。ネイアはほくそ笑んだ。なぜなら彼女はこのように()()()()()()()()()を探していたからだ。これならば自分の申し出も受けてくれるだろうとネイアは思った。

「上官に対してその口ぶり……本来なら厳重な処分が下されるが、今日は私の着任というめでたい日だ。よって、今から行われる私自らによる()()()()をもって不問にしてやってもいいぞ」

 ネイアの手は既に、儀礼用に帯びていた剣の柄にかけられていた。

「やめときなお嬢ちゃん、嫁入り前に傷がつくぜ?」

 言葉とは裏腹に、男は緩めていた兜の緒を締め始めた。その自信にあふれた態度から余程腕に自信があるのだろうということがうかがえる。ネイアにとって、それはより好都合であった。軍隊という組織の中では、輝かしい戦果や沢山の勲章よりも、一番手っ取り早く信頼を勝ち取る方法がある、その方法とは『目の前で自身の強さを見せつけること』である。部隊の中でもそれなりの実力者であろう彼を皆の前で倒せば、全員がネイアに敬服するであろう。

「気にするな。所詮攻撃が当たればの話だ」

 ネイアはあからさまな挑発をした。

「……よしな、俺は女には優しくする主義だが、それがむかつく上司だった場合は話が変わって来るぜ?」

 いつの間にか二人を中心に人だかりができており、さながら剣闘試合が行われる円形闘技場の様になっていた。急遽組まれた剣闘試合が今まさに始まろうとしたその瞬間、副官が二人の選手の間に割って入った。

「止めてくれるな」

 ネイアは副官に一瞥もくれず答えた。ただ真っ直ぐに相手を見据えている。しかし、彼は止めに来たわけではないようだった。副官は近くの兵舎から急いで持ってきたのであろう訓練用の木剣をネイアに手渡してきた。

「ただでさえ少ない人員をこんなことで失うわけにはいきませんからな」

 老練な副官はこれから起きることを予期しているようだった。ネイアはこの経験豊富な男を頼もしく思った。

「俺にはないのかよ?新部隊長が着任式の日に殉職しちまうぜ?」

 兵士が軽口を叩いたが、副官はそれを黙殺した。

 兵士の発言は単純な自惚れからくる発言ではなかった。今この場にいる大半の者が彼と同じ感想を抱いていた。なぜなら、彼らはこの後行われる閲兵式のために、鎧兜に籠手脛当てと完全武装をしていたからである。おまけに大楯も装備していた。それに対し、ネイアは式典用の、華美だが動きづらい服装をしていた。しかも先ほど副官に渡された木剣は訓練用なため、真剣よりも重くできている。両者にはあまりにも装備に差があった。

 それを見かねたのか、ネイアの後ろにいた別の兵士が盾を渡そうとしてきた。白兵戦において、盾の有無はそのまま勝敗につながるといってもいい。盾を装備していれば相手の攻撃を簡単に受け止められる上に、殴打、相手の顔へ押し付け視界を奪う、など有効な手段が多く取れるようになる。しかし、ネイアはその申し出を断った。

「気遣いは不要、指揮者の左手に握られるのは指揮杖のみだ」

 彼女の指揮官としての矜持を感じさせる振る舞いを見て、歓声が沸きおこった。声援を受けながら、ネイアは木剣を何万回も繰り返し染みついた形に構えた。

 それを見て相手も構える。歓声が徐々に小さくなっていき、やがて、止んだ。ネイアはまるでそれが合図かのように、相手の顔面に向けて強烈な突きを放った。しかしそれは易々と盾で防がれる。剣戟を受け切った兵士はそのまま体格差を生かすように盾を前面に押し出しながら突進してきた。しかし、その攻撃はネイアの予想していた動きだった。

 金属が固い物で叩かれた音が響いた。

「誰か奴を介抱してやれ。半日もすれば治るだろう」

 頭を思いきり叩かれて倒れた兵士に仲間たちが駆け寄った。その金属製の兜には大きなへこみができている。

「さすがでしたな」

 まるでこうなることを知っていたかのような態度で、副官がネイアに声をかけた。彼の手には闘う前に預けておいた剣が握られている。

「大したことではない」

 ネイアはそれを受け取りながら答えた。そして持ってきてもらっていた木剣を返した。剣を装備しネイアは辺りを見回した。遠巻きに彼女を見つめる兵士たちの目に畏れの感情が見て取れる。以降、彼女に対して無礼な行動をとる輩は現れないだろう。目的を果たしたネイアは、副官に事後の指示を通達した。閲兵式は部隊長権限で省略する。

「谷の村への出発は明後日の明朝、それまでに各員の準備を怠らないように。それと武器庫からここに書かれたものを持ち出しておいてくれ」

 ネイアは折りたたまれた紙片を差し出した。副官はそれを受け取ると、ネイアに敬礼してその場を後にした。

 彼女の部隊長としての初日はこれで終わった。

 

「ご苦労。明日の昼まで休んでいてくれ」

 櫓の建設と防壁の改修が完了したという報告を、ネイアは指揮者用の天幕の中で受けた。今日でネイアが故郷である谷の村に到着して一週間が経過していた。『導き』で襲撃が示された日まで後二日の猶予がある。訓練も陣地の構築も一通り終わっている今、ネイアは明日の昼まで最低限の見張りを除いて全ての兵士を休ませることにした。

 部下を下がらせてからしばらくすると、遠くの方から兵士たちの歓声が聞こえてきた。どうやら見張りで残る者をくじ引きで決めて一喜一憂しているようだった。

 街では他愛のない遊びだったとしても戦場の兵士たちにとっては貴重な娯楽である。ネイアも一兵士だった頃であれば同じ様に、くじの結果に歓喜し貴重な休みをどのように使うか悩んだり、あるいは落ち込み、退屈な見張りの時間をどのように過ごすか考えたりしたであろう。

 しかし、部隊を指揮する立場となったネイアには、増えた賃金以上に増大した責任と仕事がある。ネイアは楽しそうな歓声を聞きながら、する必要性の分かっていない書類仕事をして、旧い友人であるディウスを待った。ネイアの旧友は、家族の避難を手伝いに避難所に行った村の有志たちを迎えに行っていた。

「もうそろそろ帰ってくる頃合いなんだけど……」

 現在、ネイアのするべき仕事は、この書類仕事と、貴重な戦力となってくれた有志たちの帰りを待ち、彼らの異状の有無を確認するだけだった。彼らが帰ってくれば外の兵士たちと同じ様に、しばしの自由を謳歌できるだろう。しかし、今のネイアには書類仕事で暇を潰すことしかできなかった。

 しばらく経つと、ネイアは遂に書類仕事すら終えてしまった。いよいよやることのなくなったネイアは、ただ外を眺めることした。ネイアが天幕の中から外に目を向けると、人の背丈ほどの高さがある防壁の上で、小鳥が二羽じゃれ合っているのが見えた。番であろうそれらはネイアの視線を感じたのか、一瞬動きを止めると、瞬く間に飛び去っていった。ネイアがそれを目で追っていると、小鳥たちはそのまま魔物たちが住む鬱蒼とした森の方へと飛んでいき、やがて見えなくなった。

 暇は人を思案へと誘う。ネイアは森を眺めながらそこの住人たちに思いを馳せた。彼らは何故襲撃を繰り返すのか、と。

 数百の魔物の食欲を満たす食料や人がいる村は殆どない。ネイアは何度か襲撃を受けた村の跡地を見てきたが、そこには逃げ遅れた人や置いて行かれた家畜や作物の残骸の他に、共食いによるであろう魔物の死骸がいくつもあった。従来の数匹によるものではなく、多種多様の大規模な群れによる襲撃というのは、互いに喰らい合うことが多く、割に合わないはずである。更に『導きの御人』により事前に住民の避難が完了する今となっては、ただ単に共食いをするために集まっている様なものではないだろうか。そして、それは種の繁栄と生存を第一に考える生物として不自然な行為なのではないか。そういうことを考えるのが得意なエストルは、今は村の外にいるネイアとは反対に、村の奥の役所にいる。

「……あの鳥みたいに空が飛べたら会いに行け――ん?」

 物思いに耽っていたネイアの視界の端に、暗い森の中で白い何かが動いているのが映った。ネイアが、それが何か確かめようと、慌てて外に出た時にはすでにいなかった。

「よう、なんかいたのか?」

 ネイアの背後、頭二つ分の高さから聞き慣れた声が降り注いだ。ネイアが振り返ると、赤茶色の髪に浅黒い肌、そして、見知らぬ人間が見れば魔物か何かだと思ってしまうような巨体を持った人間がいた。その巨体の持ち主こそが、ネイアの待ちわびていた旧友のディウスであった。

「何でもない。多分気のせいだ。それよりも皆戻ってきたようだな」

 彼の後ろには、避難場所から戻ってきたであろう有志の人たちがいる。

「いや、そうでもないぜ。何人かは怖くなって戻ってきてない」

 ネイアがざっと数を数えてみると、確かに名簿に記された人数よりも若干少なくなっていた。

「……そうか」

 戻ってこなかった者たちは、正規の軍人ではないため軍規違反として処罰されることは無い。ネイアは戻ってきた守備隊も部下と同じように休ませた。解散を告げられ、家族のいない家にそれぞれ戻っていく彼らの顔には、一様に恐怖や不安が浮かんでいた。

 ネイアは天幕に戻って守備隊の名簿を改めて確認した。それには十代から五十代の男性の名が記されている。ネイアは天幕の外にいるディウスから欠員となった者の名前を聞き出し、該当者たちに印をつけた。少し数は減ったが、幸いにも戦局に影響を及ぼすほどではなかった。

 ネイアは戻ってこない彼らを卑怯者とけっして思ったりしなかった。誰しも死ぬのや敵と戦うのは怖いものであり、其れから逃げようとするのは生き物として当然のことであるからだ。ましてや彼らは短期間だけ訓練を受けたとはいえ、普段は戦いとは無縁の村民である。仕方のない事だった。しかし、だからこそ、戻ってきた者には敬意を抱いた。

 ネイアが名簿に印をつけ終わった時、頃合いを見計らっていたのかディウスが外から話しかけた。

「なあ。せっかく帰って来たんだ。久しぶりに三人で会わないか?」

 それはエストルも交えての、久方ぶりの再開を祝す集まりの誘いだった。本当ならこの村に来た時にするべきだったのだろう。しかし、その時は三人共忙しく、とてもそんな余裕はなかった。だが、今は時間的にも精神的にも余裕がある。この後するべき仕事もないネイアはもちろんその誘いを受けた。けれども、エストルは未だ仕事中である上に、ネイアも見張りに残っている部下がいる手前、日が高いうちから集まるのは憚られた。そのため、夕刻に引っ越したばかりのネイアたちの家に集まることにした。

 ディウスも帰ったことで暇が高じたネイアは陣地の見回りを始めた。異状がないことを確認して戻ってくると、既に日は西に傾き始めていた。たまに吹く風が心地よく、暖かい。午睡には持ってこいの天気だった。優れた兵士とは休める時に休むものである。見張りには悪いが、ネイアは『導き』を信頼して寝台の上で横になり、しばらく目を閉じることにした。

「後で差し入れを持って行ってあげよう」

 目を閉じながらネイアはそうつぶやいた。

 

「しかしよう、本当に『魔王』は来るのか?」

 久しぶりに帰ってきているのだからと三人集まった宴会の席で、ディウスが唐突な疑問を口にした。まだ引っ越しの片づけが終わっていないため、部屋の隅には使用頻度の少ない道具が入れられた木箱が積まれている。

「魔王?」

 初めて聞く言葉にエストルは首を傾げた。

「魔物を操っているやつのことだよ。『中央』じゃ言わないのかもしれねぇが、ここらあたりじゃみんなそう呼んでいるぜ」

 今まで魔王の存在は確認されていない。だが、ここ数年ほど繰り返されている一連の襲撃は、魔物が個々で行っているのではなく、人並み、あるいはそれ以上の知性の持った存在が統率しているのではないかという推測によってその存在が示唆されていた。人と同程度の知性がある魔物なら何種類か確認されている。だが、彼らが言うには、人と動物が会話できないように、襲撃を行っている魔物は意思疎通の取れない知性の低い魔物で構成されていて、自分たちが操ることはできないらしい。

 合点がいったエストルは、ディウスの疑問に答えた。

「『導き』が外れたことはないよ、日時が多少前後することはあってもね」

「でもよぉ、もしかしたら今回が初めてって可能性もあるだろう?魔物たちにも不審な動きは無いしよぉ」

 ディウスは希望的観測を口にした。彼の言う通り、これまでの見張りや斥候からの報告では、魔物たちに不審な動きは見られない。強いていうならば、遭遇する数が減ったということぐらいであろう。

 自分の長年住んでいる場所が魔物に蹂躙されるなどと誰しも考えたく無い。些細な事柄であってもそれに『もしかして』を期待してしまうのは人間の性であろう。だが、エストルはその希望的観測を否定した。

「少し楽観的過ぎるよ。他の事例でも魔物に不審な動きは確認されていない。何か前触れがあるなら『導きの御人』が現れる以前から何らかの手を打っているよ」

 冷たいエストルの言い方が癪に障ったのか、ディウスは感情的に言い返した。

「前触れならあるぜ!前に襲われた村のやつらが言ってたんだが、襲撃が起こる数日前に、遠くの方から奇妙な鳴き声が聞こえたって皆言ってたぜ!」

 ディウスが口にしたのは、民間で広く話される根拠も出処も不明な噂の一つだった。民衆は根拠のはっきりとした学説よりも、身近な人間が話す面白味のある噂を信じる。そして、エストルはそのような噂によって振り回される立場にあった。

 そんな背景もあってか、語気を強めるディウスに釣られてエストルも声を荒げた。

「いい加減にしてくれよ!その噂もその他の噂も、何度も何度も実地検証や実験を重ねた結果、関連が無かったり効果が無いと判断されたりしているし、それを各地の行政府を通じて通達もしているのに今更何でそんな話を信じるんだ!?」

 ネイアは気色ばんだ二人の男の顔を交互に見た。顔の血色の良さから酔いが回っているのが充分伺えた。人は酒が入ると、性的な話か政治の話をしたがる。前者はともかく後者はその時には適していないのだが、二人もその例に漏れなかった。

「そっちが頼りにならないからだろうが!?『国を守るため』とか何とか言って何度も税金を値上げしてた癖に『導きの御人』が出てくるまでは大したこともできてねーのが悪いだろ!」

 酒場でよく聞くような国政の批判をディウスは関係者に直接言った。それは直接伝えないからこそ口に出していい内容だった。

「何だと!?」

 エストルは勢いよく席から立ちあがった。しかし、先ほど言われたことが事実だからか、それとも酔いで頭の動きが鈍くなっているからなのか、彼の口はそれ以上動くことはなかった。

「やる気か!?」

 ディウスもそれにつられて立ち上がった。

 並んで立つと、二人の間にはかなりの体格の差があった。これから始まるであろう喧嘩でもし賭けが行われるとしたらエストルに百倍の配当がつくであろう。だからといってエストルがここで退くような人間であるならば、二人は端から友人にはなっていないといってもいい。喧嘩に勝とうが負けようが、あくまで対等であり続けようとしなければ友情というのは成立しないからである。

 しかし、酒はまだ全ての理性を取り去っていないらしく、殴り合いではなく無言の睨み合いが始まった。先に目をそらした方が負けということなのだろう。この様子では殴り合いが始まるのは時間の問題であった。

 ネイアは二人のやりとりを、止めるでもなく黙って見ている。その間に、所狭しと食卓に置かれた皿に盛りつけられた料理は、二人分だけを残し消えていた。別に目の前で起きていることに興味が無いわけではない。お互いの言い分も気持ちも彼女には理解できたし、昔から三人の内での喧嘩はたまにあった。

 ネイアは対等の条件の喧嘩であるならば、程々にさせてから止めればいいと思っていた。しかし、睨み合いは喧嘩に発展しなかった。代わりに昔のことを引き合いに出し、子供の様に言い争いを始めた。その様子は酒に酔っているとはいえ、大の大人がすることではなかった。

 ネイアは心底呆れた。そして、ふとあることを、思い出し席を立った。それから、未だ封を解かれずに部屋の片隅に積まれたままの木箱の中を探り始める。二つ目の木箱の中に目当ての物はあった。

 それは着任式の前に武器庫に立ち寄った時に頂戴してきた短剣だった。短剣を探すのにそれなりの時間がかかっていたが、その間にも言い争いは途切れることはなかった。その様子を背中越しに聞いていたネイアは大きくため息をついた。それから、短剣を鞘から抜いた。その刀身は波一つない水面の様に澄んでおり、ネイアの顔を鮮明に映し出す。その日に焼けた小麦色の顔は、エストルやディウスと同じく紅潮していた。

 そして、ネイアは抜き身の短剣を逆手で持ったまま、おもむろに席に戻ると、短剣を二人の間にある大皿目掛けて思い切り振り下ろした。突如として行われた出来事に、場は静まり返り、割れた皿の破片が床に落ちる音だけが響いた。振り下ろされた短剣が鍔まで机に突き刺さっている。さっきまで言い争っていた二人は、この異様な行動をとった幼馴染に同時に驚きの目を向けた。

 ネイアは突き刺した短剣を握りしめたまま怒鳴った。

「敵の脅威が迫っているというのに!人々を率いていく立場の我々が争い合ってどうする!」

 その言葉を聞き、エストルとディウスはハッとした。示し合わせたわけでもないのに、まずエストルが、それに続いてディウスが短剣の上に手を置いた。三人の内に、再び幼き日のような強固な連帯感が生まれたようにネイアは感じた。自分たち三人が力を合わせればどんな脅威にも、どんな苦難にも打ち勝てると心の底から思った。

 しかし、この時はまだ誰も気づいていなかった。

 わざわざ諍いを止めるために大皿を犠牲にしなくてもよかったことを、そして自分たちが奇妙なことをしているということを。ほろ酔いを超えて酩酊していた彼女たちが気づくはずもなかった。

 

 翌朝。酔いが残った体を引きずり、ネイアは寝床から出た。身支度を手早く済ませ、食卓に着く。昨晩の別れ際にディウスと約束した待ち合わせの時間までだいぶ余裕があった。

 奥ではエストルが朝食の準備をしているのが見えた。おそらく彼女より早く起きたエストルが片付けたのであろう。昨晩の宴会の名残らしきものは一部を除いてそこにはなかった。

「なんなのこれは?」

 ネイアは食卓の中央に深々と突き刺さっている見覚えのある短剣を見て、首を傾げた。

「それは昨日、君がやったんだよ」

 エストルが朝食を配膳しながらその疑問に答えた。どうやら、らしきものではなく、宴会の名残そのものらしい。穀物を牛の乳で煮た物と果物を数個並べ、エストルも席に着いた。

「おかわりは向こうにあるからね。僕の分は気にしないで」

 果物を一つだけ手に取り、エストルは言った。普段より朝食が軽めなのは、おそらくまだ酒が残っていて食欲がないのだろう。ネイアも軽い二日酔いではあったが、食事量が普段と変わることは無かった。

 黙々と食べていると、ネイアはふと視線を感じた。

「何?机に穴をあけたことについては謝るけど?」

 その視線を、彼女は昨日の自分の失態を非難する視線だと思った。しかし、そのことをエストルは別に気にしてないようだった。

「いや、そうじゃないんだ。相変わらずよく食べるなぁと思って」

「……いつも見てるじゃない」

「いつでも見ていたいんだよねぇ」

 ネイアの顔が相手に見られないように下を向いた。その顔は酒に酔っていた時よりもよりも熱くなっている。幸いなことに、顔の下にある白濁した料理はネイアの顔を映すことが無かった。

「大丈夫?」

 急に俯いたネイアを見て、体調がわるくなったのかと心配になったのだろう。エストルが優しく声を掛けてきた。顔色から体調を確認するためか、しきりに顔を覗き込もうとしている。

 ネイアはこの状況を誤魔化すために、俯いたまま、机に刺さっている短剣に手を伸ばし、勢いよく引き抜いた。そして相手の方に柄が来るように持ち替えると、エストルに差し出した。

「これは?昨日から気になってはいたんだけど」

 差し出された短剣を受け取りながら、エストルはネイアに質問した。

「あんたのよ。今からね」

 顔を上げたネイアは自分でもよく分からないが回りくどい言い方をしてしまった。その言い方を気にも留めず、エストルは興味深げに短剣を眺めている。

「くれるってこと?ありがとう。でも、こんなに上等なものどこで売っていたの?」

 普段武器を扱うことのあまりないエストルですらその短剣が高級なものだと分かったようだった。

 紙のように薄い刃に鏡の様な刀身、それが鍔を境に円柱状になり持ち手となっている。その見事な造りから優れた冶金技術をもつ種族の魔物によって作られているのだろう。

「武器庫にあったわ」

「えぇっ!?それじゃあ横領じゃないか!?すぐに返さないと!」

 何の気なしに言うネイアに対して、真面目な文官らしい反応をエストルは見せた。

「何よ『戦力が少ない代わりに武器庫から好きなものを持って行っていい』って言ったのはそっちの上司でしょ?」

 エストルの口真似をしてネイアはその時取った言質を再現した。

「……言っていたけどさぁ……良いのかな……?」

「良いでしょ。埃をかぶって置いてあったものだし」

 ネイアは食べ終えた食器を片付けながら答えた。エストルは未だに果物一つすら食べ終えていなかった。

「それは分かったけど、これは君が持っていた方がよくない?」

 自分が持つと宝の持ち腐れだと言わんばかりにエストルはネイアに短剣を返そうとした。しかしネイアはそれを押しとどめて、言った。

「あなたが持っていて。どうせ避難せずにこの村に残るんでしょ?」

「何でそれを……?」

 戦闘要員を除く全ての人間は、近くの村へ一時的に非難することになっているが、エストルはこの村に残ろうとするだろうということは、彼の性格から予想がついていた。

「魔物を一匹もこの村には立ち入らせるつもりはない。けれども万が一ということもあるわ。だから持っていて。せめて自分の身は自分で守れるように」

 ネイアの考えを聞き、エストルは抜き身の短剣を持ったまま深くうなずいた。

「……分かったよ。ところで鞘はどこにあるの?」

 鞘は木箱の中にあったが、ネイアがそれを探し当てたのは、ディウスとの待ち合わせ時間ぎりぎりだった。

「おーい!来たぞー!」

 外から大きな声がした。時間通りにディウスがやってきたようだった。

「それじゃあ先に行くわ」

「いってらっしゃい」

 ネイアは後ろ手に手を振り、扉を開けた。ネイアたちの自宅は小高い丘の上に有るため、玄関から村全体が一望できた。両側を急峻な山に挟まれた緩やかな曲線を描く谷。そんな地形に谷の村はあった。一方の山際に流れる川の上流は国の首都の『中央』とつながっており、昔からそれを利用しての物や人の往来が盛んなのだが、この村に『導き』が出てからはそれが途絶えているようだった。

 ほんの一瞬、自分の故郷の景色に目を奪われていると、強い風が吹き込んできた。それがネイアの黒くて長い髪を後ろになびかせる。ネイアは乱れる髪を手で押さえつつ、外で待つディウスの元へと向かった。

「よう。二日酔いか?」

「少しね」

 ネイア以上に飲んでいるはずなのに、ディウスは平気らしい。彼はその体の大きさに見合う丈夫な臓器を兼ね備えているらしかった。短い挨拶を交わし、二人連れだって緩やかな下り坂を下っていく。その途中、ディウスが船着き場を指差した。

「おい、あれに乗っていこうぜ。」

 そこには小舟がいくつか繋がれていた。

 それは下りだけなら労力がいらない、この村特有の船だった。

「いいのか?通常足腰が弱いものや老人が優先されるものだが」

「どうせもうみんな避難してるって。いいからいいから」

 そう言いながらディウスは船に乗り込んだ。ネイアもその後に続く。四人乗りである筈の小舟はネイアとディウスの二人で喫水線が限界まで上がっていた。ネイアが乗り込んだのを確認すると、ディウスは慣れた手つきで空中に張られたロープに船の舳先と艫から伸びている金具をそれぞれ装着した。それを見てネイアはもやいを解いた。そうすると、船は流れに乗って自動的に進み始めた。ロープに沿って下っていくため、舟を操作する必要は無い。ただ、流れに任せるだけである。

 緩やかな流れの上を船が進む。

 下流の船着き場に着くまで何もしなくていい。ネイアは船のへりにからだを預け、リラックスした。揺れはゆりかごの様に心地良く、せせらぎは優しく鼓膜を刺激し、遠くの水面に目を向ければ宝石をいくつも蒔いたように綺麗に輝いている。久しく忘れていたが彼女は小さい頃からこの船に乗るのが好きだったのを思い出した。

 ネイアは、ディウスがそれを覚えてくれていたと察した。

「ありがとう」

 ネイアの礼を聞き、ディウスはそっぽを向いたまま、満足そうににやりと笑った。

 下流の船着き場へは思いのほか早く着いた。

「ちょっといいか?」

 舟を繋ぎ留めると、ディウスがそう断ってから船着き場近くにある祠に向かった。あまり手入れがされていないようで、その祠は寂れており、中に座している小さな石像も風化していた。ネイアは記憶の片隅を掘り起こしてこの祠が何であるのかを思い出した。

「……たしか『癒し手』が祀られているんだったか」

 昔、この国に疫病が流行った時に、魔物の領域である森の方から現れ、不可思議な治療法で人々の病を治していった者がいた。その者が、現在まで『癒し手』として祀られている。

「ああ。昔は村中にあったのに、今じゃここだけだ」

 昨今では『導きの御人』を祀りあげようとする者が後を絶たない。先祖が恩を受けた者よりも、自分が直に恩恵を受けている者を祀ろうとするのは自然な考え方であろう。むしろ、現在でも参っているディウスの方が律儀ともいえる。それに、『癒し手』は一説によれば子供を攫っているという話もあり、皆から好かれているというわけでも無い。そんな感じのことをディウスに言うと、

「……まあ。そうだよなぁ」

 といった。明朗快活に話す彼にしては珍しく意味ありげな口ぶりであった。

 ネイアもついでに久しぶりに参り、その祠から徒歩で、ここ一週間で構築した防衛線へと向かう。

「手を貸すぜ」

「助かる」

 先に上ったディウスの手を借り、ネイアは自分の身長程の防壁をよじ登った。上に立つと、この防壁の造りがよくわかる。土を盛り両側を石垣で固めた粗雑な造り、辛うじて人がすれ違える程度の幅、子供でもよじ登れる高さ、そしてそれが、村を挟むように聳え立つ急峻な山から山へと、人の世界と魔物の領域を隔てるように横断していた。

「それにしてもなぁ、ご先祖様たちも折角壁を作るってんならもっと大きな造りにすりゃよかったのにな。この高さだと大型の魔物に楽に乗り越えられるぞ」

 ディウスは祖父のそのまた祖父ぐらい昔の人間に対する愚痴をネイアにこぼした。ネイアはそれを窘めた。

「そう言うな。これでも我々の、いや、この村の生命線だぞ」

 この壁を越えられると村まで何の障害物もない。数で劣るネイアたちにとっては、これを最大限利用することが勝利の条件とも言え、この村に来てから、そのための準備をしてきた。

「それに……この壁は魔物の侵入を防ぐために作られたというよりも……そう……お互いの縄張りをはっきりとさせるために作られているのかもしれない」

 壁の外側にある暗い森の林縁を見つめながらネイアはそう言葉を続けた。壁と林縁の間はお互い不可侵の領域であるかのように何も無い草原が広がっている。生憎なことに、ネイアやディウスはその手の話にあまり関心が無く、何らかの答えを見出すことができなかった。もし、エストルがこの場にいれば、はっきりとした答えが分かっただろう。

「ん?」

 振り返り、防壁の内側、つまり村の方を見ると、部下たちが集まって何やら盛り上がっているのが見えた。ネイアは防壁を飛び降り、その人だかりの方へと向かった。別にそれを咎めようというわけではない。ただ単に気になっただけである。ある程度近づくと、兵士たちの大きな話し声が聞こえてきた。

「……おい、聞いたかよ?魔王が倒されたらしいぞ」

 聞き捨てならない発言に、ネイアは歩みを速めた。聞こえて来る話によれば、『今まで見たことも無いぐらい大きな魔物が倒された』らしい。

ネイアは冷静にその話の真偽を確かめようとした。近くにいる兵士に、誰からその話を聞いたのか尋ね、名を出された兵士から詳細な話を聞きだした。

「本当にそれは魔王なのか?」

「はっきりとは分かりませんけど、そいつは今まで見たことも無いくらいデカくて、魔物を無理やり従えていたらしいです。だからそいつが魔王なんじゃないかって」

 ネイアは前にエストルが話していたことを思い出した。

「もし、種族を超えて生き物を従わせるとしたら、生物の本能に強く訴えかけるほどの圧倒的な力があればできるんじゃないかな?」

 彼の仮説が正しいとすれば、確かにその巨大な魔物が今まで群れを操っていたという可能性が高い。

「そうだとして、魔物を従えるほど強い奴をどうやって倒した?」

 ネイアは立場上どこにどの部隊が配置されているか知っている。全国各地を防衛している現状魔王ともなるような強い魔物を倒すような戦力を回す余力はないはずだった。

「聞いたところによると『異界人』によって倒されたらしいです」

「異界人か……」

 兵士が聞き覚えのある単語を口にした。直に見たことは無いが、この世界ではないどこからか来たという特異な能力を持った集団らしい。最近、その勇名を轟かせている。

 教えてくれた兵士に礼を言い、ネイアは人だかりを解散させあらかじめ決めておいた配置につかせた。魔王らしき魔物が倒されたからといって襲撃が無くなったと決まったわけではない。油断せずそれに備える必要があった。

 それからしばらく経ち、戦力の配置が終わった頃、ネイアは陣地の見回りを始めた。不備がないかの最終確認である。ネイアは近くの櫓に上った。そこには二人の弓兵がいる。ネイアはその内の一人に話しかけた。

「何か不審な動きは見えるか?」

「いや、全く。いつも通り静かなもんでさぁ」

 彼らは志願した地元の猟師だった。ネイアの部隊は皆歩兵であり、弓の扱いには慣れていない。なので、今回の戦いでは彼らのような弓の扱いに長けた者は皆弓兵として参加してもらっていた。

「そうか。ところで、ここからならそれで何処まで狙える?」

 ネイアは彼らの持つ弓を指して言った。その弓は素人では扱いきれないであろう、持ち主の身長程はある長大な弓だった。

「ここからでしたら、小さい的の場合は、森からここまでの距離の半分いかないほどの距離まででさぁ。……大きい的ならもう少し遠くでも外しませんがね」

 猟師は自信ありげにそう答えた。その距離を狙える者は軍にもあまりいない。彼らの弓術の腕のほどが分かった。

「よし。ならば敵が射程距離に入ったら順次撃つように」

 そして、何かあったら報告するようにと彼らに言い、梯子を降りていく。その途中、ネイアはぐるりと辺りを見回した。そうすると、部隊の全貌が見える。

 防壁の内側に等間隔に櫓が四つ建てられ、それぞれ先ほどの猟師たちのように弓の扱いに長けた者が二名ずつ配置されている。それと同じく、大盾と手槍を装備している歩兵計百十名が防壁の内側に配置されている。ネイアの率いてきた部隊の数を若干上回っているのは、ディウスを含め腕っぷしに自信のある村の若者に装備を持たせて、参加させているからである。そして、数の不足を補うために『中央』からはるばる持ってきた大型の弩が計五台。これは使い方を訓練させたこの村の者たちに、三人一組で運用してもらうことにしている。歩兵百十名、弓兵八名、工兵十五名、総計百四十三名。

 三百近い魔物の群れを相手にするには戦力不足は否めないが、勝つ可能性は十分にあるとネイアは考えていた。

「敵だ!」

 突然、見張りの兵士が大きな声で叫んだ。

「ついに来たか」

 ネイアは残り数段ある梯子を飛び降り、声のした方へと走っていった。その左手には青い指揮杖がしっかりと握られていた。

「敵は!?」

 その場にいた兵士にネイアは尋ねた。

「あちらです!」

 兵士は森の方を指差した。一見何もないように見えるが、よく見ると確かに何かがひしめき合ってこちらに向かっているのが確認できた。ネイアは、一息に指示を飛ばした。

「総員戦闘態勢をとれ!弓兵は好きに撃て!味方には当てるなよ!歩兵は奴らが壁上に姿を現したら下から突き上げろ!」

 場の緊張が一気に高まる。

「事前に教えた通りに戦えば絶対に勝てる!恐れるな!」

 これから死ぬかもしれないという恐怖と、敵と戦うという興奮が、混ざり合った異質な緊張。正規の兵士たちは、その緊張に慣れているのか兜の隙間からにやついた笑いを浮かべていたり、冷静に武具の点検をしたりしている。しかし、つい先日まで農夫や大工やっていたような者たちはその緊張に押しつぶされそうになっていた。

「臆するな!」

 ネイアは近くにいた顔色の悪い青年を叱咤した。先日避難所の方から戻ってこなかった者たちは、それはそれでいい。だが、今この状況で一人でも脱走する者が出てしまうと、一気に戦線が瓦解する恐れがある。それはすなわち、こちらの敗北を意味する。

「ここまで来たんだから最後まで付き合ってもらうぞ!」

 青年は何度も頷いた。いくばくか顔色もマシになっている。

「よし!いい子だ!」

 この様子なら逃げ出したりはしないであろう。ネイアは兜越しに青年の頭を乱暴に撫でた。

 ネイアが周囲を廻り、兵士を鼓舞していると、彼女の耳に突然弦音が聞こえてきた。それは魔物が射程距離に入ったことを示した。

「思っていたより早いな」

 魔物に陣形や戦術という概念はない。ただ、目についた獲物にまっしぐらに群がっていくだけである。ネイアは防壁から顔を出し、敵の動向を確認した。敵は真っ先に目に入ったのであろう、中央部にある櫓目掛けて向かってきていた。人より小さな魔物が大多数を占めるが、大型の魔物も十数体ほどいる。それらは一番大きな個体で櫓程の高さがあり、小さくても壁を一跨ぎ出来そうな大きさだった。その大型の魔物の中に木を引っこ抜き、それを棍棒のように持ち歩いている者もいる。どうやら道具を使う知能がある個体もいるようだった。

「どうやら始まったようだな」

 そんな大型の魔物にも張り合えるほどの膂力の持ち主であるディウスが、腰をかがめて近づいてきた。防壁の向こう側の相手に体を晒さないようにしているのだろう。彼の体に合う装備は無いため、少しでも体を防護するために鎧の代わりに丈夫な布を体に厚く巻いている。ディウスも軍役とは無関係の人間のはずなのに、ネイアにはこれから起きる戦いを楽しみにしているように見えた。

「出番はまだ先だぞ。お前は『切り札その二』だからな」

 ネイアはいたずらっぽく笑って言った。

「何だよそれ……」

 ネイアの言い様に困惑するディウスだったが、すぐに真剣な表情に戻った。ネイアは不意に頭上に気配を感じ、壁上を見上げる。そこには魔物がいた。蜘蛛のような魔物は襲い掛かるでもなくただ二人を見ていた。それに気づいたネイアは瞬時に剣を抜き放ち、魔物の頭部を突き刺した。

「ついてこい!ディウス!」

 ネイアは急いでその場を離れ、部隊中央の後方に配置してある大型弩の元へと向かった。気付けば戦線全域で戦闘が始まっていた。

「落ち着いて目の前の敵から倒していけ!」

 副官が、自らも敵と戦いながら部下に忠告している。機敏な小型の魔物が壁に取り付きあちこちから壁上に姿を表していた。戦況は人間側が優勢だった。あえて壁の上ではなく下に兵士を配置したおかげで、魔物は壁の反対側にいるこちらの動きが確認できない。そのうえ、壁の上に立っても自分の足元ぐらいの高さの敵を攻撃するのは非常に難しく、更に狭い壁の上では動きも制限される。兵士たちはネイアの目論見通り、壁上で動きがうまく取れずにいる魔物を順に槍で刺していった。剣ではなく、それよりも長い槍にしたのもこの戦闘に有利に働いているようだった。

 当初戦場に満ちていた魔物の唸り声が、徐々にうめき声に変わっていった。このままいけば楽に勝てるとネイアが淡い希望を抱き始めたころ、戦場に、その希望を打ち砕くような轟音が響いた。小型の魔物に少し遅れて戦闘に参加した大型の魔物が、手にした棍棒を櫓目掛けて振りぬいたのだ。弓兵がいたはずの櫓はバラバラに砕け、倒壊した。ネイアは汁気の多い肉の塊が、地面に叩きつけられた音を聞いた。

 幸いにも櫓の倒壊に巻き込まれた兵士はいなかったが、種族の違いによる圧倒的な力の差を目の前にして、櫓の周囲の兵士たちが軽い恐慌状態となっている。魔物たちはその隙を衝くように続々と壁の内側に侵入してきた。早く対処しなければそこが突破口となり、防衛線が突破されてしまう恐れがあった。

「クソっ!」

 これ以上被害を拡大させてはならないと、ネイアは『切り札その一』である大型弩の元へ全速力で走った。地を走る獣のような速さで駆け、到着するなり、

「あのデカブツを狙え!」

 と工兵たちに指示した。

 何度も繰り返した訓練のおかげで、工兵たちの動きは素早く円滑に行われた。弦を巻き上げ、矢を装填し、狙いをつけ、放つ。五台の弩から放たれた、槍と見間違えるような大きさの矢は同郷の仇となった大型の魔物に立て続けに突き刺さった。矢玉の勢いに押されたように標的は後ろに地響きを立てながら倒れた。

 倒れた大型の魔物の死骸は後続の動きを阻害し、後続の来ない突破口はただの孤立した集団と化した。近くにいた兵士たちは返り血を浴びるのも気にも留めず、内側に孤立した魔物たちを攻め立てた。自分たちの不利を悟り逃げ出そうとする魔物もいたが、槍の穂先より早く壁を上ることができなかったため、無駄な足掻に終わった。

 目標の撃破を確認したネイアは、工兵に再装填と目標の指示をした。それから工兵たちの下を少し離れ、先程吹き飛ばされた弓兵へと駆け寄った。

 近づくと僅かに動いているのが分かった。意識はあるようだった。倒れている弓兵を抱きかかえネイアは声をかけた。

「大丈夫か!」

 大丈夫でないことは一目で分かる。しかし、それ以外かける言葉が見つからなかった。両脚は骨が無い生物のように複雑に折れ曲がり、右腕は鋭く尖った形に折れた骨が飛び出ている。顔も櫓にいた二人の内のどちらか分からないほど損傷していた。

 弓兵はネイアの呼びかけに反応しようとしているのか、砕けた櫓の木片が突き刺さった喉から、壊れた管楽器のような音をしきりに漏らしていた。医者でなくとも、もう助からないことがはっきりと分かる。

 ネイアは自分のすべきことを悟り、沈黙した。沈黙したネイアは我を忘れ、今にも途絶えそうな呼吸音と戦場の喧騒を、ただ聞いていた。魔物の唸り声。兵士の怒声。盾で魔物の牙を受け止める音。兜が叩かれた音。そして、物体が高速で飛翔し空気を切り裂く音。その音でネイアは我に返った。大型弩が発射されたのだ。まだ戦いは続いている。すぐに戻り、工兵たちに次の目標の指示を与えなければならない立場にある。

 それに、長引けば長引くほど彼は苦しむことになる。意を決したネイアは剣を抜き、急所の上に切っ先をあてがった。後は両手で思い切り突き刺せば即死させることができる。しかし、いくら力を籠めたつもりでも剣は微動だにしなかった。彼女には同じ想いを抱いた同志を、同じ敵と戦った戦友の命を自らの手で終わらすことができないからだった。だが、剣が持ち主の思いとは別に僅かに対象の方へと動いた。なぜなら、弓兵が左手で剣を掴み自らの急所に刺したからだった。だがそれは浅く、苦しみを増すだけにしかならない。ネイアにはもう迷う暇はなかった。

「……すまない」

 ネイアは浅く刺さった剣をそのまま突き刺し、彼を苦しみから解放した。弓兵の顔は個人の判別すら困難なほど損傷していたが、安らかな表情を浮かべているようにネイアには見えた。それが実際にそうなのか、それとも都合のいい解釈なのか、生者には分からなかった。

 ネイアは抱きかかえた遺体を静かに横たわせ、自分の指示を待つ工兵の元へ走り出した。

 まだ戦いは始まったばかりである。

 

「放て!」

 ネイアの号令によって、五台の大型弩は大型の魔物をまた屍に変えた。これで目ぼしい標的となる大きさの魔物は全て倒した。

「工兵隊前へ!これより壁上に登った魔物に狙いをつける!」

 ネイアの指示により工兵は大型弩を三人がかりで押し、ゆっくりと壁に近づいていく。これによって、壁の向こう側の敵を狙うことは難しくなるが、味方の兵士の背中を撃ち抜くことは無くなるだろう。

「そろそろ終わりそうだな」

 工兵の前進を支援するため、大型弩用の矢を全て抱えたディウスが、ネイアにそう言った。あれだけ戦場に満ちていた緊張感と魔物も大部分がなくなり、気怠さと血の匂いがあたりに漂っている。戦いの様相は掃討戦に移り替わろうとしていた。

「そうだな。しかし油断は禁物だぞ」

 ネイアはもう勝敗が決したこの戦いで、気の緩みから無駄な被害は出したくなかった。

「それにしても呆気なかったな」

 自分の出番が無かったからか、ディウスは拍子抜けしたように言った。ネイアは、ディウスを戦線の一角が崩れた際に投入する予備の戦力として、終始自分の手元に置いていた。しかし、終わってみれば、ディウスは最後まで大型弩の矢運びを手伝っていただけだった。

 掃討をしばらく続けていると、魔物の悲鳴が聞こえなくなった。どうやら皆逃げたか息絶えたようだった。

「隊長。魔物の掃討が完了しました」

 副官がそうネイアのもとに報告に来た。戦いの激しさを物語るように彼の兜と鎧は破損が目立っている。

「ご苦労様。被害状況は?」

「戦死者六名、戦傷者十五名です。これらの被害は殆ど地元の方々が受けておられます」

 装備は全員同じである。だが、経験の差で被害に偏りができてしまっているようだった。死傷者数二十一名。決して軽視できない損害だった。

「急いで負傷者の手当てと役所への後送を。残った者で戦死者の埋葬と魔物の死骸の処理をする」

 了解した副官は動ける者を集めて負傷者の後送を始めた。エストルが役所で救護所を開いている。そこでなら本格的な治療を受けられるはずだった。

 ネイアが後送に行く一隊を見送っていると、村の方から何か来ているのが見えた。

「ネイア!」

 ネイアの耳に聞き慣れた声が届いた。こちらに来ている何かとは馬に乗ったエストルだった。あまり馬には乗り慣れてないのであろう。エストルは不器用に馬を乗りこなして、ネイアとディウスの手前で何とか止まった。

 馬を止めたエストルは、慌てた様子で下馬して、喋り始めた。腰にはネイアのあげた短剣がぶら下がっている。

「ついさっき『中央』から伝書鳩が来たんだけど、援軍がこっちに来てるらしいんだ!だからこの戦いきっと勝……ってる?もしかして?」

 その滑稽な様子にディウスが最初に笑い出した。それに続いてネイアも。そしてそれにつられてエストルも笑いだした。日も山頂に差し掛かり、空の色が青から赤色に変わり始めていく中、三人は笑いあった。戦場に響く笑い声を聞いて眉を顰める者はいない。何故なら、誰しもが、戦いに勝った喜びと生き延びた幸せを噛み締め、同じように近くの兵士と笑いあっていたからだ。死者を悼む気持ちは全てが終わり、落ち着いた後でもきっと許してくれるであろう。ひとしきり笑った後、エストルが、役所から遺体の埋葬や戦場の処理の手伝いに何人か送るとネイアに申し出てきた。ネイアはそれを断った。

「そっちも援軍の受け入れ準備とかで大変でしょう?」

 数百の人間が一度にこちらに来るとなると、それなりに大変な宿泊場所や食料の準備が必要であることをネイアは知っている。

「いやー、それが。来るのは三人だけだからもう終わってるんだ」

「三人だけで援軍?」

 ネイアは首を傾げた。

「おい、それってもしかして」

 ディウスは心当たりがあるらしかった。エストルはディウスの心当たりが当たっていることを示すように頷き、口を開いた。

「そう。援軍っていうのは異界人なんだ――」

 エストルの言葉が言い終わるや否や、突如身を震わせる鳴き声のような音がネイアの耳を劈いた。三人は反射的に耳を塞ぐ。音に驚いてエストルの乗ってきた馬は逃げ出してしまった。

「エストルは村に戻れ!」

 ネイアはエストルに避難を促し、音の正体を確認するため、近くの櫓の梯子に急いで飛びついた。その半ばまで昇ると、壁の向こう側の様子がよく見える。何か大きなものが木々をなぎ倒しながらこちらに向かっているようだった。

「敵だ!」

 ネイアは叫んだ。その声に、戦場に残っていた兵士たちが呼応し、応戦する態勢を整え始める。しかし、その動きは疲労から緩慢になっていた。

「人手が減っている時に……」

 ネイアは言葉が通じるか分からない相手に文句を言った。部隊の半数近くは、戦傷者の後送、そして死体と死骸の埋葬のために土工具を取りに村に行っている。あの鳴き声を聞いてすぐに戻ってきたとしても敵が壁を乗り越えるのが先になりそうだった。

「ディウス!大型弩を壁から離すぞ!」

 ネイアは急いで大型弩を動かすことにした。壁のそばに置いたままだと壁上の相手を狙うのには好都合だが、壁の向こうを狙うには近すぎるためである。さっき見た木々がなぎ倒される様子から余程大きな魔物がやってきている。それを倒すには人力ではなく、機械の力を使わなければならないだろう。いち早く大型弩にたどり着いたネイアは、力一杯に押した。車輪がついているが、重量があるので僅かずつしか進まない。しかし、遅れてやってきたディウスは、二台を抱えて最初に置いてあった設置位置まで軽々運んでいった。ディウスの並外れた膂力を、これほどまでにうらやましく思ったことは無かった。今の自分の進行速度だとこのままでは魔物の到達に間に合わないとネイアが思った時、大型弩の重量が半減したような気がした。自分にもディウスのような力が宿ったかとネイアは思ったが、それは思い違いだとすぐに分かった。なぜなら、エストルが隣で一緒に押してくれていたからである。

「僕も手伝うよ」

 エストルに戦う義務はない。しかし、彼は逃げずに手伝ってくれた。大型弩は倍の速さで進み、魔物が到着する前に所定の位置に設置することが出来た。

「ありがとう」

 ネイアはエストルに礼を言った。

「気にしないで」

 エストルは答えた。そしてどちらからというわけでもなく、自然と抱きしめ合った。抱きしめ合うのはこれが最後になるかもしれない。今この瞬間に、自分の愛している者の形を、温もりを、決して忘れないように再確認していく。

「あー、すまないが全部設置し終わったぞ」

 背後からディウスが気まずそうに声をかけてきた。ネイアは慌ててエストルから離れた。もう一往復してきたのであろう、ネイアたちが運んできたものと合わせて大型弩が五台揃っていた。

「それとさっきの皆見てたぞ」

 気付けば戦場に残留していた工兵たちが集まってきていた。彼らは村の住民であり、皆、二人と顔見知りの間柄だった。そんな工兵たちが二人の様子を見て囃し立てた。

「あんなに小さかった二人が、大人の関係になっているなんて……。時の流れは速いなぁ」

「結婚式には呼んでくれよ!」

「時と場所は弁えとけよ!」

「この戦いが終わったら結婚すんのか!?」

「なんか死にそうだからそれはやめとけ」

 これから望む戦いは初戦と比べたら絶望的状況なのだが、皆の士気は高いようだった。

「なんだか負ける気がしねぇな」

 ディウスは不敵な笑みを浮かべながら言った。ネイアはその言葉に深く頷く。不意に遠くの方で木々が音を立てて倒れる音が聞こえた。魔物が林縁を超えて平野部に侵入してきたようだった。

 皆の表情に緊張が走る。ネイアは素早く指示をした。

「工兵はこれから射程に入るであろう一番大きな的から順に狙え!斉射にこだわらず装填が完了したものから順に撃て!ディウスは私と共に行くぞ!」

「おう!」

 ネイアの指示に一同が力強く返事をし、準備を始めた。

「ネイア!」

 エストルは駆けだそうとしたネイアを呼び止め、腰に提げていた短剣を鞘ごと手渡した。

「これを持って行って。僕よりやっぱり君が持つべきだよ」

 ネイアは頷いて短剣を帯に挟んだ。そして、エストルに今までずっと左手に持っていた指揮杖を預けた。これからの戦いに必要なのは指揮官ではなく、一人でも多くの兵士だとネイアは思っていた。

「それ。失くしたら私、免職になるから」

 一目で兵士と指揮官を見分ける重要な目印である指揮杖。これを手放すことは指揮官としての責務を放棄したことと同義とみなされる。

「えぇっ!?」

 驚くエストルを尻目に、ネイアは駆けだした。途中、空いている左手で落ちている盾を拾い、一般の兵士と変わらない姿になる。しかし、兵士たちは自分たちの指揮官を見失うことは無かった。なぜなら戦場で響く女性の声は指揮官のものだけであり。戦場で自分たちの前に立つ者も指揮官以外存在しなかったからである。

「私に続け!」

 ネイアに続き、兵士たちは一丸となって壁を乗り越えた。

「亀甲隊形!」

 ネイアの号令により最前列の兵士は盾を前面に、そして二列目以降は盾を上空に構えた。これは亀の甲羅のような見た目そのままの、高い防御力を有する陣形だった。兵数の少ない今、防壁のすべてを守ることは不可能だった。故に、ネイアは敢えて壁の外に出て、敵を引きつけようとしていた。時間を稼げば村に行った兵士たちや魔王を倒した実力がある異界人が到着するはずだった。

「……しかしデカいのが多いな」

 隊列から少し離れた位置で待機しているディウスが忌々しそうに言った。櫓を粉砕した魔物と同程度の大きさの魔物だけでも十匹は確認できた。

「小さいのもいるぞ。……十……二十……三十……二百ぐらいだな」

 傍らにいたネイアは指で魔物を数えながら言った。先の戦いで逃げ出した魔物が引き返してきたりしているのだろう。傷を負ったものが目立つ。一番の脅威となりそうな巨大な鳴き声の主らしき魔物はまだ森の深くにおり、未だにその姿を見せずにいた。

「来るぞ!」

 ネイアは警告した。初戦と同じく、機敏な小型の魔物が最初に接敵してきた。ネイアは、同時にとびかかってきた二匹の狼のような魔物を一息に叩き落した。短い悲鳴を上げたそれらは立ち上がることは無かった。

 ディウスは手ごろな魔物を掴み、それを振り回して別の魔物にぶつけるという、力を活かした豪快な戦い方をしていた。振り回された魔物も、ぶつけられた魔物も原型をとどめてはいなかった。

 兵士たちも盾で敵の攻撃を受け止め、隙を見て剣で刺すという手堅く堅実な戦い方を見せている。連戦によってかなり疲労しているはずだが、新兵の頃から繰り返されてきた基本の動きは疲れた状態でも自然と繰り出せるようだった。更に村に行っていた兵士たちも続々と合流してくれている。

 工兵たちも壁の外で魔物を引き付けているため、射撃に集中できているようだった。そのおかげで既に何匹か大型の魔物は息絶えている。しかし、それでもし止めきれなかった一匹の大型の魔物が、陣形を組んだ兵士たちに襲いかかろうとしていた。如何に堅固な陣形を組み、盾を構えても、大型の魔物の力はそれを容易く粉砕する。

「ディウス!」

 ネイアはその大型の魔物と同等の力を持った幼馴染の名前を呼んだ。

「おうさ!」

 ディウスは傍らに落ちていた大型弩の矢を拾い、振りかぶって、投げた。矢は大型の魔物の脇腹から脇腹へと抜け、直線状にいた別の大型の魔物に刺さった。流石に二匹同時に倒すには至らなかったが、一匹目が確実に死んでいることは離れていたネイアにも分かった。

「……あいつが人間で本当に良かった」

 ネイアはそう呟き、魔物を三匹屠った。ネイアの周りには虫のような、獣のような、そして人のような様々な種類の魔物の死骸が折り重なっている。それらを見てネイアは少し感傷的になった。

「いつかこれらにも一つ一つに名前が付けられるのだろうか……」

 しかし、そんな感傷とは裏腹にネイアは襲い掛かってくる魔物の急所を的確に攻撃していた。現在、友好的な魔物たちぐらいしか今のところはっきりとした公称は無い。人に敵対的な種類の魔物は地方ごとの俗称か、或いは軍の作戦行動を円滑に行うため便宜的に付けられた名前で呼ばれている。

 この争いが終われば魔物の研究も進み、正式な名前も与えられるだろう。ネイアは感傷的な気分につきものの物思いにそう結論付けた。

「おい!一番デカいのが来るぞ!」

 ディウスの声に、ネイアは森の方に目を向けた。

 『それ』は四本の足を鈍重に動かし、長く太い尾を引きずりながら、木々をしならせ、或いは押し倒しながら姿を表した。薄暗い森の中で目立つ赤く輝く鱗で全身を覆い、開いた口には鋭利な短剣を思わせる歯が並んでいる。そして『それ』は大きく息を吸ったかと思うと、口から炎を噴き出した。噴き出された炎は、射線上にいた魔物や草を焼き焦がした。辺りに肉の焼けるにおいと音、そして煙が充満する。焼かれた魔物はのたうち回り、その後力尽き、倒れたまま動かなくなった。燃料の命の灯が消えてもなお、炎は消えることが無かった。

「お、おい。あれって」

 ディウスがネイアに尋ねた。この村の生まれなら皆知っている。ネイアは巨大な魔物を俗称で呼んだ。

「ああ。昔話に出てきた……『火吹き大蜥蜴』だ――総員撤退!早く壁の内側へと隠れろ!」

 ネイア自身も退避しながら慌てて指示を出した。『火吹き大蜥蜴』が大きく口を開け、また炎を噴き出そうとしていたからだった。彼の標的になり得るものは現在ネイアたちしかいない。

 全員の退避が完了した直後、ネイアの頭上を炎の激流が通過していく。

「どうやって倒すよ?あいつを」

 ディウスが壁から少し顔を覗かせてネイアに訪ねた。気付けば他の魔物の気配は消えていた。壁を背にしながらネイアは答えた。

「大型弩で……」

 ネイアが答え切らない内に、硬いものに硬いものがぶつかり、跳ね返される音が聞こえた。

「はじかれたぞ」

 様子を見ていたディウスが聞きたくなかった事実をネイアに伝える。ネイアは大きくため息をついた。天を仰ぐと、既に日が沈み、月が輝き始めている。その月が一瞬翳ったように見えたが、ネイアは気のせいだと思い、思案に暮れた。

「村を捨てるしかないのか……?」

 ここまで戦ってくれた者たち、そして犠牲になった者たちに申し訳ない。だが打つ手のない今、それしか方法が無かった。

「お困りの様だな!」

 ネイアの耳に聞き慣れない声が聞こえてきた。皆にも聞こえているらしく誰もが周囲を探したが、声の主らしいものは見つからなかった。

「上だよ、上」

 よく聞くと確かに声は上から聞こえているようだった。ネイアは空を見上げた。そこには大きな翼を備えた人影とそれに掴まった二つの人影がいた。それらは地面に降り立ち、そのうちの一人、夜でもはっきりと分かる赤毛を持った人影が、自分たちが何者なのか名乗った。

「援軍の到着だぜ!」

どうやら彼らが異界人と呼ばれる者たちの様だった。

「君たちが長官の言っていた援軍なのか?」

 ネイアは空から降りてきた赤毛の人影にそう尋ねた。さっきまで炎を噴いていた大蜥蜴は腹を空かせたのか周囲に散らばっている焦げた死体を貪り食っている。少なくとも自己紹介するぐらいの時間的余裕はあるだろう。

「そうだ。……っと自己紹介がまだだったな。俺はフリート。こっちの翼の生えた女はアリサ。そしてこっちの陰気な奴はスワフ」

 アリサと紹介された女性は深々と一礼をし、スワフと紹介された男性は軽く頭を下げた。フリートの声は若々しかった。恐らくネイアよりも年下であろう。

「私はネイア。この戦いの指揮をしている者だ。そしてこっちの大きな男はディウス。そして今はこの場にいないが……」

「おーい!今何かそっちに飛んでこなかった……って人に翼が生えてる!?」

 ネイアが、この場にいない、この地方の行政官のエストルを紹介をしようすると、丁度後方に待機していた本人が駆け寄ってきた。そして翼の生えているアリサを見て魔物か何かかと警戒したエストルは、ディウスの後ろに隠れ、尋ねた。

「この人たちはどちら様なの?」

 ネイアは答えた。

「援軍よ。例の」

「……失礼しました。僕はこの村の行政官を務めているエストルと言います。……先程の無礼をお許し下さい」

 彼らがこの村にやってきた援軍だとわかるとエストルはすぐさま態度を改め、自己紹介とアリサに自分の非礼を詫びた。

「お気になさらず。慣れております」

 アリサは優雅に会釈してそう返した。その所作と声音から月明かりの下でも彼女が美しい女性だという事が伺える。もし彼女の翼が汚れ一つない純白の翼だったら、彼女が天より使われし者だと誰もが信じるであろう。しかし、実際にアリサの背に有るのは獰猛な猛禽類を思わせる焦げ茶色の翼だった。

「おい!あいつがこっちに向かってきているぞ!」

 互いの自己紹介がすんだところに、突如兵士の叫びが聞こえた。今まで魔物の焼けた肉を堪能していた大蜥蜴は、満腹になったのかそれとも人間の肉を食べたくなったのか緩慢に手足を動かしながら、こちらに向かってきていた。未だ鎮火しきっていない草火が魔物の赤い鱗を下から鈍く照らす。その姿を見て、その赤い鱗と同じ色の髪を持つフリートは楽しそうに声を上げた。

「うおっ!俺たちが前に倒した奴より少し小さいが、いい大きさじゃねぇか!」

 そう言ったフリートは喜び勇んだのか壁の上へ身軽に飛び乗り、仁王立ちした。それは折り悪く、大蜥蜴が大きく口を開けた直後だった。

「避け――」

 ネイアは急いで引きずり降ろそうとしたが間に合わなかった。フリートの全身が炎に包まれた。

「急いで消せ!」

 消火に十分な水が近くになかったため、ネイアはディウスの体をまとっていた布を使い、燃え盛る炎から空気を奪った。ほどなくして消火が完了したが、火の勢いからしてフリートは助からないだろう。

「こんな死に方があるか……」

 ネイアはまだ自分より若いのにその生涯を燃やし尽くした青年を抱きかかえた。焼死体は見るに堪えないため、フリートの体を消火に使われた布で覆う。

「いや、奴が火を噴くということを伝えなかった私の責任か……」

 ネイアは自責の念に駆られ、嘆いた。しかし、フリートの仲間であるはずアリサとスワフは嘆いたりすることは無かった。それどころかスワフが冷ややかな声で、

「また服を無駄にしたな」

 といった。

「おい!仲間に対してそりゃねぇだ――」

 余りにも冷淡な態度に憤ったディウスがスワフに詰め寄ろうとした。しかし、スワフの傍らにいたアリサに翼で制された。ディウスを制したアリサは翼を広げたまま、険のある声で言った。さっきまでの柔らかな物腰とは全く違った印象をネイアは受けた。

「いつまでそうやって甘えているつもりですか?」

 その問いに答えるように、焼けただれたはずの喉が空気を震わせ、布越しに周囲にくぐもった笑い声を聞かせ始めた。そして、焼死体が身軽に起き上がり、自分を覆う布をはがす。露になったフリートの均整の取れた引き締まった体は、焼け残った服が所々についているだけであり、彼の体自体は何も火傷を負っていなかった。

「あんたが余りにも悲しんでくれるから、起き上がるのも気まずくてな」

 フリートは顔に落ちかかってきた赤い前髪を掻き上げ、いたずらっぽく笑った。

「今度はこっちからお見舞いしてやるぜ」

そう言ってフリートは防壁の上に飛び乗り、深呼吸を繰り返し始めた。そんなフリートの行動を見てか、スワフが近くにいた弓兵に弓と矢を借りている。

 何度目かの吸気でフリートの胸部は大きく膨らみ、何度目かの呼気でフリートは口から火を吐いた。月明かりと熾火のみが光源となっている戦場が、一瞬夕日に照らされたように明るくなる。しかし火は、大蜥蜴に届くことなく、鼻先で霧散した。おそらく届いていたとしても損害は与えられなかっただろうが、大蜥蜴は意表を突かれて驚いたのか、その緩慢な歩みを止め、立ち止まった。その隙を衝くかのように、鋭い弦音がした。月明かりを反射しながら小さな金属片を持った物体が飛翔していく。その物体が標的に命中すると、大蜥蜴は大きな悲鳴を上げ、自らを倒せる存在であることを知らしめた。

「……いい弓だね」

 スワフはそう言って弓兵に返した。どうやら飛翔していく物体とはスワフが借りた弓で放った矢のようだった。ネイアとエストルは、その場を離れようとするスワフを呼び止めて尋ねた。

「大型弩でもはじかれた鱗をどうやって弓矢で貫いたんだ!?」

「……目を撃ち抜いただけ」

 遠くの方で喚き叫ぶ大蜥蜴の鳴き声に、かき消されそうな小さな声で、スワフは静かに答えた。

「目を……」

 ネイアは愕然とした。エストルはそれを聞いて何か思案を始めたのかあたりをうろつき始めた。

 ネイアはまだ日のあるうちに大蜥蜴の姿を見ていたが、目がどこについているかすら分からなかった。そんな小さな目を、しかも夜中にスワフは撃ち抜いたのだ。翼が生えた者、炎をものともせずそれどころか口から吐き出す者、暗闇でも遠くを見通し極小の的を射抜く者。彼らの持つ能力は人間が有するものではなく、寧ろ、

「……魔物」

「どうか異界人とお呼びください」

 いつの間にか背後に立っていたアリサが、ネイアの呟きをそう訂正した。口元に耳を当てないと聞こえないような声量の呟きを、アリサは聞き漏らさなかった。

 ネイアは自分の肌を冷たい汗が伝うのを感じた。魔物の群れに対しても抱かなかった恐怖を、今、はっきりと抱いた。

「分かった!」

 そんなネイアの心境を知らず、近くにいたエストルが無邪気に大きな声を上げた。

「何が分かったんだ?」

 ディウスがエストルに聞く。

「あいつの倒し方だよ!みんな聞いてくれ!」

 エストルが、皆に思いついた作戦を話し始める。片目を傷つけられた大蜥蜴は泣き叫ぶのを止めており、これから話される作戦の内容を聞き漏らすようなことは無かった。


「皆!抜かるなよ!」

 ネイアは勢いよく壁を上った。傍らにいるディウスとフリートもその後に続く。防壁を乗り越えると、昼間には何も無かったはずの平原に、小さな山があるのが見えた。しかし、それが本当の山でないことをネイアは知っている。山のような大きなそれは、白い月明かりを赤く照り返しながら、さっきまでの緩慢な歩様を忘れたように、荒々しく歩を進めていた。四本ある足のどれかが接地するたびに激しく大地を揺らす。輪郭大きくなるに伴って地響きも大きくなっていた。

「……あんた。綺麗だな」

 敵が迫ってきているのにもかかわらず、急にフリートがそう言ってきた。そのあまりにも真っ直ぐな言い方に、ネイアは思わず苦笑した。

「見えているのか?」

 地上に降り注ぐ月の光はそこまで明るくない。

「いや、ほとんど見えてねぇ。でもあんたが綺麗だってのは何となく分かる。どうだいこの戦いが――」

「――よし!行くぞ!」

 頃合いが来たのでネイアは合図をし、防壁を飛び降りた。殆ど差もなくあとの二人も続く。余りにも壁から離れすぎると、炎で薙ぎ払われたときに身を隠す物が無く、余りにも近づかせすぎると壁の内側が焼き払われてしまう可能性があるため、そのどちらも防げる丁度の距離の今、行くしかなかった。

「役割を忘れるな!我々はおとりだ!」

 三人はおとりとしての役割を全うするため、敢えて潰されていない瞳に映るように大蜥蜴の右側に走っていった。大蜥蜴はネイアの目論見通り、自ら近づいてくる獲物に狙いをつけた。獲物を正面に見据え、口を大きく開け、炎を噴く。しかし、噴き出された炎は、辺りに焼け跡を増やすだけに終わった。炎が噴出される前に獲物たちが大蜥蜴の死角である足元に飛び込んだからである。大蜥蜴は動きを止め、首をもたげ始めた。見失った獲物

を探しているのだろう。魔物の足元にもぐりこんだネイアたちは散開して攻撃し、注意を自分たちに向けることにした。

 魔物の右前足の辺りに潜り込んだネイアは、剣を構え、鱗の薄くなっている関節部に思い切り叩き込む。しかし、全力で振り下ろした剣は、鈍い音を立て弾かれた。

「うーん。エストルの言ったように、他より柔らかそうだけど、それでもまだ硬いか……。いや、待てよ」

 ネイアは自分の帯に短剣が挟まれているのを思い出した。その短剣は冶金技術に優れた魔物が製作した物であり、その造りの良さからして軍で支給されている剣よりも優れていることが分かる。ネイアは、物は試しと短剣を抜いた。その刀身は僅かな光でもしっかりと光を反射し、自ら光を放っているようだった。ネイアは期待しながら短剣を構え、思い切り魔物の関節部に突きこんだ。噴き出た大蜥蜴の体液と悲鳴が、その短剣の切れ味を証明した。

「凄いな、これは」

 鍔まで刺さった短剣を引き抜き、ネイアは感心した。血塗られた刀身はその輝きを損なっていなかった。大蜥蜴がさらに悲鳴を上げた。恐らく他の二人も同じように攻撃しているのだろう。

 一方的に繰り返される攻撃に対して大蜥蜴が、子供が駄々をこねるように地団太を踏み始めた。ネイアは急いで足元から転がり出る。そのまま留まっていたら、踏みつぶされていただろう。さっきまでネイアの立っていたところには大きな足跡ができていた。

「危なかった――」

 ネイアは何者かに見られている気配を感じた。気配のする方を振り向くと、暗闇の中でも目立つ白い何かが、立っていた。ネイアが白い何かに気をとられていると、また何者かに見られているような気がした。いや、正確には()()()()()()()()()()()気がした。その気配の主はすぐに分かった。今戦っている最中にある巨大な魔物だった。自分の視界内で急に立ち止まった獲物を不思議がるように見つめている。僅かでも自分が動けば、間違いなくその大きな口に取り込まれるとネイアは生き物としての直感で理解した。他の二人も先の反撃によって距離をとっており、ネイアの援護にはもう少し時間がかかりそうだった。

 ネイアは冷や汗をかいた。蛇に睨まれた蛙というのは、このような感じなのだろうと思った。そんな危機的状況からは、数秒もない至短時間で脱せられた。ネイアの耳に聞こえたのは、今日ですっかり聞き慣れた射撃音、そして、飛翔する物体が空を切る音だった。

 それは、大型弩の射撃音とその矢が飛ぶ音だった。射られた矢は標的の目元まで飛び、硬い鱗に当たり、音を立てて弾かれた。効果は無かったが、それでもネイアが危機を脱するのに十分な隙を作ってくれた。

「失敗したか!でも助かった!」

 ネイアは遠い壁の向こうにいるスワフに向けて礼を言った。スワフには届いてはいないだろう。

 射撃は外れたが、弓よりも大型弩は精度が悪い上に、スワフは初めて大型弩を扱う。何発か外れる前提の作戦であるため、ネイアに気落ちはなかった。また目元を狙われた大蜥蜴が、今度は吠えた。村にも届いているであろうその咆哮を、ネイアは両耳を塞いで耐えることしかできなかった。

 大蜥蜴は吠えるのをやめると、立て続けに矢が飛んできている方へと歩みだした。野生の勘でネイアたちの狙いを看過したのかもしれない。足元の獲物に構わず、変則的な動きを加えながら、大型弩を狙った。

「動きを変えたぞ!?」

 ディウスが戸惑いの声を上げる。彼の手にはどこからか拾ってきたつるはしがあった。岩をも砕くことも可能なそれをディウスの力によって振り回せば、大蜥蜴の硬い鱗も砕けるのであろう。彼もまた返り血を浴びていた。

「こうなった直接狙うぞ!」

 ネイアは()()に指示した。予め決めておいた次の段階に移行する。ディウスとフリートが急いで大蜥蜴の眼前に躍り出た。しかし、大蜥蜴は目の前にいる獲物を気にかけることなく、自分の脅威となるものがいるであろう方向へと向かって行く。

「こっちは無視かよ……!」

 無視をされて苛立ったのかフリートが大蜥蜴の顔に向けて火を吐いた。火は大蜥蜴の顔を数舜覆ったが、それで足が止まったりはしなかった。さっきは意表を突かれたから驚いたのであって、火そのものは大蜥蜴の身に何の影響も与えないのだろう。

「おい!いつでもいいぜ!」

 ディウスが腰をかがめ、両手を重ねて人を跳ね上げられる体勢をとる。

「よしっ!行くぞ!」

 フリートがその両手に片足を乗せ、二人の呼吸を合わせ思いっきり跳んだ。フリートの体は一気に魔物の頭上にまで放り投げられた。高々と窮屈な放物線を描き、フリートが大蜥蜴の顔に着地した。

「ディウスもどちらかといえば彼ら寄りだったな……」

 幼い頃から一緒にいるため感覚がマヒしていたが、ディウスも常人の域をはるかに超える力を有していた。単純に膂力だけなら彼らよりも上だろう。

 大蜥蜴の顔に落下したフリートは、視力を失っていない方の目に急いで近づこうとしていた。しかし、大蜥蜴の方も頭を揺らし抵抗する。必死にしがみつくフリートだったが、鱗で覆われた顔は滑りやすいようで、ほどなくして頭から振り落とされた。

 先程跳んだ距離と殆ど変わらない距離をフリートが落下していく。流石に異界人でも無傷では済まないであろう高さだ。しかし、フリートは無事なようだった。なぜなら地面と接触する寸前に、ディウスが受け止めたからだった。

 普通の人間なら二人とも砕け散っていたであろう。そんな高さから落ちた自分を受け止めたディウスに対し、フリートは感謝の言葉よりも先に疑問が口を出たようだった。

「あんたほんとに人間かよ!?」

「――逃げろ!」

 ネイアは二人に警告した。大蜥蜴が、彼らを凝視しているように見えたからである。目の前の小さな二匹の獲物に狙いを変えたのだろう。大蜥蜴は、本能がそうさせたのか、大型弩の射撃位置に背を向けるように旋回しつつ回り込み、二人を正面に捉えた。

「まずい!」

 危険を察知したネイアは、先ほどと同じように足の関節部に短剣を差し込んだ。しかし、痛みにも慣れたのか、怒りのためか、大蜥蜴はそれにも構うことなく大きく口を開ける。その口の中に生えた牙の先端から、唾液が滴っていた。

 勢いをつけるためか、大蜥蜴が僅かに頭部を引いた。次の瞬間、フリートとディウスは付近の大地ごと口の中で咀嚼されるであろう。

「そこ」

 ネイアの耳に聞こえたのは、今日ですっかり聞き慣れた射撃音、そして飛翔した物体が空を切る音だった。それは大型弩の射撃音とその矢が飛ぶ音だった。甲高い、鱗に弾かれた音はせず、肉に刺さった音が微かにした。大蜥蜴は大きく体を揺さぶり、倒れた。もうもうと舞う土埃と灰。その上に飛翔するアリサと、大型弩の発射機構を携えたスワフの人影が月明かりによってくっきりと映し出されていた。


「周囲に敵影無しと……。これで本当に終わりの様だな」

 放った斥候や、スワフの超人的な視力による索敵により、辺りに怪しいものの姿は無いと確認できた。戦いの途中に見かけた白い何かが気にはなるが、スワフも他の兵士たちもその姿を見てはいないようだった。これ以上気にしても仕方がないため、未発見の魔物か何かだろうとネイアは自分の中で結論付け、思考をこれから行う戦後処理へと向けた。

「まずはあちこちで燻っている野火の消火をして……それから人の遺体の収容とこの大きな奴とその他の魔物の死骸の処理……」

 ネイアは一兵士として戦い自体は何度も経験しているが、指揮官としてはこの戦いが初陣である。よって、この手の作業も初めてではあるが、自分が兵士だった時の指揮官たちがどのような指示をしていたか思い出し、事後の行動を決定した。

「よし、これでいいか。皆!集まってくれ!」

 ネイアの呼びかけにより。戦場にいる兵士、異界人、ディウスやエストルが集まってきた。ネイアは先まで頭の中で考えていた指示を兵士たちに下した。ネイアの指示に対して、兵士たちの反応は普段よりも鈍かった。昼間から夜まで戦い続けた彼らの体力は限界に近付いており、戦いに勝利したという高揚感だけで動いているようだった。最終的に戦死者十三名、戦傷者三十名、合わせて死傷者四十三名というかなりの犠牲者を出した激戦である。無理もなかった。

 指示を下し終えたネイアに、頃合いを見計らっていたのかアリサが話しかけた。

「魔物もいなくなったことですし、私たちの方はこれで失礼したいと思っているのですが……」

 申し訳なさそうにそう言った。皆が仕事をしている中、自分たちだけ退散するのが後ろめたく感じるのだろう。ネイアは快くそれを承諾した。

「ああ、お疲れ様。……っといっても君たちは長官の指揮下にあるようだから、別に私に伺いを立てる必要はない。ありがとう。君たちが来てくれたおかげで村が守れた」

 ネイアはそう言い、片手を差し出した。アリサがそれをしっかりと握った。手袋を通して感じる体温は、お互いに同じ温かさだった。

 ネイアはふと、エストルが彼女らの宿の手配をしているのを思い出した。ネイアは彼らを案内してもらおうと、近くで大蜥蜴の死骸を興味深そうに眺めているエストルを呼んだ。 駆け寄ってきたエストルは了解し、アリサたち三人を宿に案内しようとした。しかし、アリサはそれを断った。

「有難いお話なのですが、今回はこのまま『中央』に帰ろうと思っております」

 そのアリサの言葉に、後ろで聞いていたフリートは不満を漏らした。

「もう帰んのかよ……。二、三日ゆっくりしたっていいだろ……クソ真面目」

 アリサはそれを聞き逃さなかった。直ぐにフリートに詰め寄り、端々にトゲを含んだ口調で、『中央』に戻らなければならない理由を説明した。

「今朝のことも覚えていられないようなので、もう一度教えて差し上げます。発つ前にロムルスから事が終わったらすぐ帰ってくるように言われているでしょう?それに、火を吐くことしかできないあなたと違い、私やスワフには他にやるべき仕事がたくさんあります。なので今から帰ることにします。何か質問はありますか?」

 アリサに詰め寄られ、たじたじとなったフリートが、顔を背けて舌打ちをした。その舌打ちを降参と受け取ったのか、アリサはネイアに向き直った。一礼し、背中にある翼を大きく広げ、一度だけ緩やかに羽ばたかせる。優雅な羽ばたきは、アリサの足元を中心に下草を揺らし、それは水面を走る波紋のようにあたりに広がった。それから、アリサはその大きな翼を目一杯振り上げた。スワフとフリートは、それが合図かのようにアリサの腰から吊り下げられている鐙のような器具に足をかけた。

「それでは、またお会いしましょう」

 アリサはネイアたちに別れの挨拶を言うと、振り上げた翼を思いきり振り下ろした。吹き荒れた突風は下草を巻き上げ、土埃を吹き飛ばし、アリサたち三人を空中へと押し上げた。三人分の重さがあるからか、それとも意識していないとこうなるのか、ネイアが見ていたのと打って変わった荒々しい飛行だった。

 ネイアはアリサたちを見送りながら、先の戦いのことを思い返していた。

――「目だ!あいつの目を狙うんだよ!」

 エストルが興奮気味にそういった。

「つまり両目を?」

「ううん!狙うのはその奥にあるはずの、そう、生き物ならそこにあるはずの弱点。脳を狙うんだ!大型弩で!彼が!」

 食い気味でそう言い、エストルはスワフを指差した。エストルに指名されても、スワフは沈黙を保っていた。

「可能かい?」

 エストルがスワフにそう尋ねた。スワフは大型弩と大蜥蜴を見比べ、そして少し考えこんでから答えた。

「……初めて撃つから難しいと思う。……だけど近づけば可能」

 スワフの言葉を聞き、ネイアは一つの作戦を思いついた。

「まず、囮を出す。そうして大蜥蜴の気を引いたところでスワフが残った目を狙う。もし外れてしまったとしても構わない。それ以降は、気を引き続けるために工兵たちが射撃を続ける。これが第一段階」

「それからどうするんだ?あのデカいのが馬鹿じゃない限りは、無事な目を何としてでも守ると思うぜ?つまり、その奥にある脳を攻撃することは無理だ」

 そうフリートが言う。

「第二段階は、アリサがスワフと大型弩を奴の死角……つまり潰された片目の方に運び、そこからスワフがなるだけ近づき、狙う。そうすれば防がれることもないだろう」

 一同、押し黙る。この作戦が上手くいくかそれぞれ自分なりに計算しているのだろう。少し間が開いてから、アリサがネイアに問題点を指摘してきた。

「……すみません。私、あの大きな兵器とスワフを抱えて飛ぶのは難しいのですが……」

 大型弩は数人がかりで扱う兵器なため、それを抱えて飛ぶのは、人を二人抱えて飛行できるアリサでもさすがに難しいようだった。アリサの指摘した問題点に対して、兵器にも精通しているエストルが、すぐに解決策を出した。

「大型弩なら台座と発射機構を分離できるから、それでだいぶ軽量化できるよ。まあ、それでも大人一人分の重さはあるけどね」

 エストルの言葉を聞き、アリサは自信を持って答えた。

「それなら可能です。というよりも、飛びながらでも狙うことができますね」

「それと、第二段階への移行は私が指示する。あなたならきっと、遠くの声でも聞こえるだろう?」

 アリサが頷いた。先ほどのネイアの呟きすら聞き逃さなかった聴力なら、例え戦いの最中であったとしても指示が届くだろう。その後、細かな調整をしてから、アリサとスワフは大型弩の方へと向かって行った。残されたフリートがネイアに聞いてきた。

「俺は囮ということか?」

「ああ、そうだ。好きに暴れるだけだ。嫌か?」

 大蜥蜴の炎を物ともしないフリートは囮として最適だった。彼とディウス、そしてネイアの三人で攻撃を繰り返せば、倒せなくとも注意は確実に引けるだろう。だが、囮という損な役回りをフリートが嫌がる可能性はあった。

「いいや。寧ろ分かりやすくて性に合う。おい、大きなおっさん。ちょっといいか?いい考えがある」

 フリートがディウスと何か打ち合わせを始めた。どうやらフリートは、自分の与えられた役割を前向きに担ってくれるようだった。明るく良い青年だ、とネイアは思った。

「……ネイア。気を付けてね」

 身軽になるため、盾をエストルに渡すと、盾と指揮杖を持ったエストルが心配そうに話しかけてきた。

「ええ。気を付けるわ」

 どれほど気を付けても命を落とす可能性はある。戦いであるから。だが、相手を安心させるためにネイアはそう言った。

「あいつ動き始めたぞ!」

 誰かがそんな叫び声を上げた。片目を失った状態に慣れたからか、大蜥蜴がまた歩みを始めたようだ。

「……行ってくる」

 ネイアの去り際に、エストルが有効そうな助言を一つくれた。『どんなに硬い鱗に覆われていても関節部分はある程度柔らかくなるはず』と。

 防壁のすぐそばに囮役の三人が集まった。

「皆!抜かるなよ!」

――「行っちゃったね。いろいろと彼らについて聞きたかったんだけどなぁ」

 空を見上げながらエストルは残念そうに言った。

「……ああ」

 エストルの声でネイアは現実に引き戻された。エストルと同じように空を見上げながらネイアは尋ねた。

「ねぇエストル、異界人って他に何人いるのかしら?」

 エストルはネイアの問いに答えた。

「噂によれば三十人ほど。さっきアリサって人の言っていたロムルスっていう人が彼らのまとめ役らしいよ。今度『中央』に行った時に会えるんじゃないかな?」

 エストルの答えにネイアは応えなかった。何故ならネイアは考え事をしていたからだった。さっき会った彼らは礼儀正しい者や寡黙な者、無邪気な者など様々な性格を有していた。それならば悪しき心を持った異界人もいるのではないかと。それだけでなく、武器を持った者や、立派な体格を有している者が、丸腰の者や虚弱な者に対して横柄な態度をとったり、威圧的な態度をとったりするように、人を凌駕する力と特異な能力を兼ね備えた異界人はネイアたち普通の人間に対して、アリサのように礼儀正しく、フリートのように素直に振る舞うのだろうかと。もしかしたら異界人は魔王よりも人々の脅威になるのではないか。うわの空で月夜を見上げるネイアの瞳には、月明かりを塞ぐ影が段々と小さくなっていくのが映っていた。

 

「それじゃあ。行ってきます」

 朝の出勤時。エストルが玄関で、最愛の妻に声を掛けた。

「いってらっしゃい」

 ネイアも最愛の夫を見送る。

 魔王が倒れてから三年。二人が夫婦となって一年が経過していた。

 家を出る間際、エストルがふと思い出したようにネイアに警告した。

「……そうだ。どうやらこの町に魔物が……えーっと『『緑の小魔獣人』(ゴブリン)』って名前のやつだったかな?それが入り込んでいるって噂があるんだ。まあ、ネイアなら大丈夫だろうけど気を付けてね」

 山で挟まれた村とはいえ、兵の監視をすり抜けてどこからか魔物が入り込むことは稀にある。とはいえ『緑の小魔獣人』程度ならば子供や老人が一人で接触しない限りは危ないことはないだろう。

「わかった。そっちも気を付けて」

 陽が沈むころになればまた会えるにもかかわらず、家を出たエストルを、ネイアは名残惜しそうに見送る。そんなネイアの気持ちが通じたのか、エストルは途中、一度だけ振り返った。それだけでこの結婚は間違いなかったと強く実感した。エストルが見えなくなるところまで見送り、ネイアはようやく扉を閉めた。

「『緑の小魔獣人』か……」

 ネイアは未だになれない言葉を口にした。三年前に現れた異界人、彼らは魔王を倒した。それによって各地で相次いでいた魔物の群れによる襲撃も収まり、平和になった。しかし、彼らがもたらしたのは平和だけではなかった。異界人たちはその能力と、どこから学んだのか不明な知識を活かし、民衆の生活を助け、繁栄ももたらしたのだ。新たに与えられた魔物の名称も、彼らがもたらしたものの一部であった。

「買い物ついでに兵舎に寄って、状況でも聞いて来るかな」

 そういい、ネイアは身支度を整え買い物に出かけた。本来であるならば、部隊長となっているネイアには、ゆったりと買い物と新婚生活を楽しむゆとりは無い。しかし、今のネイアにはそのゆとりはあった。なぜなら、平和になったからという理由で、ネイアの部隊は二年程前に、予備兵として改編されたからである。現在、部隊は当番で回って来る見張りと、たまの小規模な訓練しか課せられていない半ば廃業状態になっている。つまり、異界人がもたらした平和によって、ネイアは半ば主婦の様になっていた。こんな生活も悪くない。そう思いながらネイアは籠を手に提げ、市場へと向かっていった。

 市場では、見知った顔が野菜を売っていた。

「あ、隊長。お買い物ですか?」

 店頭にいたネイアの部下の一人が声を掛けてきた。改編命令が下されて以降、給与もその業務内容に見合う金額に減らされている。その代わりとしてか『中央』から送られてきた大量の農具と種、そして農業の手引書を活用して、ネイアの部隊は屯田兵の様に畑を耕し、そこで出来た野菜を売って生活費の足しにしていた。戦災からの復興で手も金も足りていない現状、一部隊とはいえ、ただ飯を食わせていく余裕すらないのだろう。

「まあそうだ。……いい大きさの野菜だな」

 ネイアは一つ野菜を手に取った。青々としてずっしりと重い。

「魔物の骨を粉々にして、畑に撒くようになってから凄く実りがいいんですよね。いったい、彼らはどこからこういう知識を仕入れているんでしょうね?」

 『彼ら』とは異界人のことであった。この大きな野菜も彼らがもたらしたもののようだった。

「そうだな。……それでいくらだ?」

「あ、いえ、そんな。隊長からお代はいただけません」

「お前の上官はそこまで薄給じゃないぞ。……それに今は旦那の稼ぎもある」

 提示された値段は適切な価格だった。野菜の出来を加味すればむしろ安いかもしれない。ネイアは二つ野菜を購入すると、別の店で、その他必要な物を購入して、市場を後にした。

「思ったよりも大きな買い物をしてしまったな……」

 二度手間にはなるが一度家に帰ってから兵舎に行こう。今の彼女にはそんな無駄な時間すら許容するゆとりがあった。

 兵舎は三年前の戦いの場となった防壁のすぐ内側に建てられている。その近くには畑もあり、兵士たちが汗を流しながら農作業に精を出しているのが見えた。

 兵舎の中に入り、事務室へ行くと、副官が一人で事務作業をしていた。

「『緑の小魔獣人』が侵入したっていうのは本当か?」

「ええ。そのようです。姿を見たという村人の報告が何件かあります。既に十組ほど巡回に出しているので、いずれ駆除できるでしょう」

 ネイアが不在であっても、きちんとした対処を副官は取ってくれているようだった。

「……それと。全くの無関係な話なのですが」

「どうした?」

「この村にまた異界人が来るらしいです。それも、三年前に一緒に戦ったあのフリートという青年が」

 異界人の中には国中を廻っている者が多くいる。フリートもその一人なのだろう。

「そうか。それは是非とも会っておかなくてはな」

 一緒に戦ってくれた礼を言いたい。だが、異界人は今やどこの村や町でも人気者であり、それはこの村でも例外ではない。果たして会えるのだろうか。

 ネイアは兵舎を出ると、兵士たちに交じり畑仕事を手伝った。農家の出身が多いためか、皆、活き活きとして働いていた。

 夕食の支度があるため、ネイアは陽が沈む前に家路についた。その途中、ネイアは微かに悲鳴が聞こえたような気がした。瞬間、『緑の小魔獣人』のことを思い出す。ネイアは急いでその悲鳴のした方へと走っていった。

 大通りから逸れ、路地を走る。また悲鳴が上がった。今度は、はっきりと聞こえた。

「間に合ってくれ……!」

 祈るように呟きながら、ネイアは路地の角を曲がった。そこは袋小路になっており、追い詰められた少年と、追い詰めた『緑の小魔獣人』がいた。

 ネイアは走ってきた勢いそのままに『緑の小魔獣人』の背後に飛び掛かった。自分の胸の辺りしかない小さな体格の敵を組み敷き、少年に逃走を促す。

「逃げろ!」

 ネイアのその言葉に突き動かされるように、少年は走り去っていった。

 とりあえずの目的を達成したネイアは、『緑の小魔獣人』を放した。このまま逃げる。そう振り返ったネイアの目線の先には、もう一匹『緑の小魔獣人』がいた。しかもその個体は、戦場跡から拾ってきたのか折れた剣を握っている。

 ネイアは舌打ちし、勝手に一匹しかいないと思い込んでいた自分の浅はかさを呪った。

「……時間を稼いで、あの子が助けを呼ぶのを待つか……?」

 あまりにも自分に都合の良すぎる作戦だが、その方法しかなさそうだった。

「っく……!」

 さっきまで抑え付けていた個体が背後から飛びかかってきた。すんでのところでかわし、膝蹴りを叩きこむ。人間であれば、悶絶してしばらく動けなくなるような攻撃である。だが、『緑の小魔獣人』は平気で起き上がり威嚇を行ってきた。基本的に魔物は体が頑強であり、生半可な打撃は通用しない。鋭い爪や牙を持たない人は、武器がないと致命的な攻撃を加えられないのだ。

 立ち位置が変わったため、ネイアの逃走経路は二匹の『緑の小魔獣人』で遮られる形となった。

「……流石に厳しいか」

 相手が素手であるならば、急所を守りながら強行突破も出来たであろう。だが、折れているとはいえ、剣を持っている個体がいる。一瞬の隙でも見せれば、それだけで幸せな結婚生活に終止符が打たれるであろう。

 獲物を袋小路に追い詰めた緑肌の狩人たちが、じわじわと前進してネイアを更に追い込んでくる。あの少年は囮だったのではないか。そう思ってしまうほど、彼らの動きは狡猾だった。一歩、一歩とネイアは壁に追い詰められていった。

 ネイアの背中に壁が当たり、もう安全な距離を保つことが出来なくなった瞬間、ネイアの視界は炎で覆われた。肉の焼け焦げる音が辺りに充満する。

「危なかったな!」

 懐かしさを感じる声が袋小路に響く。揺らめく炎の隙間から、赤い髪を持った男性の姿が見える。三年ぶりの再会だった。

 二匹の燃料が動かなくなるまで、数秒といったところであろう。そんな至短時間で『緑の小魔獣人』の死骸は焼け焦げ、二足歩行の生き物の焼死体としか形容できない状態になっていた。見方によっては、人のそれともいえるであろう。

 フリートはそんな死骸を跨ぐこともせず、踏み崩して、ネイアの目の前にやってきた。異界人特有の、この世界の住人と全く違う意匠の衣服を身に纏っている。再開の挨拶をするというわけでも無く、品定めをするように、ネイアを凝視する。一目見てネイアのことを思い出すには、三年前の夜は暗すぎたのだろう。しかし、フリートの視線は顔だけにとどまらなかった。顔から胸、腹、足。そして逆順で再度見ていく。その視線はいやらしく、流石のネイアも不快感を覚えてしまうようなものであった。三年の月日は人を変えてしまうには十分な長さなのだろう。そう落胆したネイアに、フリートが三年ぶりに話しかけてきた。

「……あんた。綺麗だな」

 三年前に言われた台詞と同じこと言われて、ネイアは思い直した。芯は変わっていなさそうだった。続けてフリートは言った。

「……俺はあんたの命の恩人だよな?」

 それは事実であったためネイアは肯定した。

「ああ」

「じゃあ、俺の女になれよ」

「……何を言ってるんだ?」

 言っている意味は分かるが、意図が分からない。

「何で分からねーんだよ!?馬鹿なのか!?俺はあんたの命を助けた!つまりこれからのあんたの人生は俺のもんだろ!?」

 怒気を露にしながらフリートが詰め寄ってきた。三年前の彼であるならばこのようなことは言わない。少しの間の関係ではあったが、そう言い切れるほど当時の彼はまっすぐで無邪気な存在だった。だが、目のまえにいる彼は、姿形は同じとはいえ、全く別の存在のようであった。

「何が駄目なんだ……?死にそうなところを助けたら、それだけで惚れられるんじゃないのか……?俺の考え方が間違っているのか……?クソっ……!レーナがここにいりゃ一発で分かるのによ……」

 フリートが頭を掻きむしった。自分の思い通りにならないことに苛立っているのだろう。まるで、欲しいものが手に入ら、むずがる子供のようだった。隙を見て、ネイアはフリートを刺激しないように、壁伝いに徐々に移動していく。このままでは危ない。そう本能が告げている。しかし、その動きはすぐにばれた。

「何逃げようとしてんだ?」

 ネイアは腕を掴まれた。フリートはあまり力を入れてはいないようだったが、それでも掴まれた腕は握りつぶされそうだった。痛みによってネイアの顔が歪む。異界人は特異な能力の他に、常人離れした身体機能も有しているといわれている。ネイアは身をもってそれを実感した。

「逃げようとしたってことは、何かやましいことがあるってことだな!?」

 より強く腕が圧迫され、痛みのあまり反射的に悲鳴の様に否定してしまっう。

「違う!」 

「ムキになって否定するということは図星だな!?」

 言葉は通じるが意思の疎通が不可能なようだった。ネイアは、もはやこれまでと自己の安全を確保するためフリートに攻撃を加えた。頭部を狙って蹴る。唸りを上げてネイアの足が標的に向かって飛んでいく。しかし、その足はあっさりと掴まれてしまった。

「ほら!やっぱりな!これからあんたを連行することにする!……とりあえずこの足でも折るか」

 ネイアは悲鳴を上げた。フリートの力をもってすれば一瞬にして折れるにもかかわらず、足はまだ折られていない。いたぶるつもりなのだろう。

 ネイアは心の中で助けを求めた。しかし、すぐにそんな自分を嘲る。何故なら、求めた相手はネイアの危機を知っているはずが無いからであり、助けに来てくれるというのはあまりにも都合が良すぎる話だったからである。

「その手を放せ!」

 だが、そんな都合の良いことが実際に起きた。逃がした少年が助けを求めたのか、はたまた、ネイアの悲鳴を聞いて駆けつけて来たのか。或いは別の要因か。しかし、ネイアには彼がこの場に現れた理由など、どうでも良かった。ただ、助けに来てくれたという事実があればよかった。

「エストルっ……!」

「なんだぁ!?お前は!?まるで俺が悪人みたいじゃねぇか!?」

 ネイアの足を放し、フリートがエストルに歩み寄っていく。解放されたネイアの足は手の形に鬱血しており、血が再び正常に巡るまで、痺れてまともに動きそうになかった。

「実際に悪人じゃないか!女性に乱暴して!」

 エストルがフリートに言い返す。相手を選ばず正義を貫こうとするのは、間違いなく美徳の一つであり、彼の持ち得る長所の内の一つである。だが、そのせいで自身が損をするということも多々あった。

「駄目!エストル!逃げて!」

 ネイアが警告してもエストルは逃げなかった。彼は愛する者が襲われている時に逃げ出すような男でなかった。だからネイアも惚れたのだが、この時ばかりは逃げて欲しかった。壁に手をつきながら、ネイアはエストルの方へと歩いていった。胸騒ぎがする。嫌な予感がする。取り返しのつかないようなことが起きてしまうのではないか。そんな考えが頭の中で渦巻く。

 エストルとフリートの口論が徐々に激しさを増していく。口論はやがてつかみ合いへと発展し、ネイアの恐れていたことが起きた。

 夕暮れ時。

 まだ熱を持った死体の一部が、踏み砕かれ燃えカスになり、それが風によって無情にも散らされていく。ネイアはそれを茫然と見送ることしかできなかった。なぜなら彼女の目の前で起きた出来事は頭では理解できても、心の許容量をはるかに超えていたからである。


 ネイアは自宅に戻っていた。恐怖のあまり逃げ出したわけではない。あの時は素手であり、有効な攻撃手段を持ち合わせていなかったからである。普段仕事で使っている装備は兵舎の方に置いてあり、現場からは遠い。往復している間に見失ってしまう可能性がある。そのため近所にある自宅で武器を調達する必要があった。

 ネイアは台所のまな板に置かれた短剣を手に取った。この短剣は三年前にネイアがあげた物だ。平和になってからは主に包丁として使われていたが手入れはきちんとされているらしく、刀身が武器庫で発見した時の様に澄んでいる。その刀身に自分の顔が映し出された。険しい。戦場に立った時でさえ、ここまでではなかっただろう。

 早く戻ろう。あいつが何も事情を知らない観衆たちに足止めされている間に。その場で首を刎ね、路地に転がっている三つの焼死体の内の一つは人間であると伝えなくては。そうして仇を討ち、真実を伝えたうえで私も彼と同じところに行こう。そう心に決め、大切に保管されていた鞘に短剣を収める。

「――へぇー。結構いいとこに住んでんだな」

 ネイアは短剣を抜いて鞘を捨てた。鞘などもはや必要ないからである。

 振り返り、床を強く蹴る。怒りのままに繰り出された攻撃はネイアの生涯で最も速く、強い攻撃だった。短剣が標的の腹に刺さる。確かな手ごたえ。殺せる。そう思った直後、ネイアは壁に叩きつけられた。相手の反射的に繰り出したであろう振り払うような動き。それだけでネイアは吹き飛んだのだ。

「痛ぇ……!いってぇ!」

 相手が痛みにひるんでいる。今のうちにとどめを。そう思ってネイアは動こうとしたが、痛みのあまり体がいうことを聞かない。落とした短剣すら、拾うことさえままならない。自分の体がここまで脆弱だったのかとネイアは歯噛みした。

 やっとの思いでネイアが短剣を拾った時には、既に隙は無くなっていた。

「クソ(あま)が!」

 大振りで繰り出される拳。万全の状態であれば避けられたかもしれないが、今はそうではない。瞬時に打たれるところを見切り、そこを腕で防ごうとした。防御姿勢が整った瞬間、体を庇った左腕に激痛が走る。

「ぐっ……!」

 ネイアは吹き飛ばされ、今度は床に倒された。左腕が動かない。折れたのだろう。それでも、右手は短剣を握っていた。このまま倒れ続けて、油断して近づいてくれば、刺す。動きを封じるために足を狙う。だが、目当ての足は左右どちらとも近づいてこなかった。

 ネイアは自分の服がはだけていることに気づいた。そして、そこに不快な視線が注がれていることにも。それに気づくと、女性としての本能か、怒りが恐怖で塗り替えられた。

 ネイアの狙い通りに、悠然と両の足が交互に近づいてきた。その動きに攻撃を警戒したようなそぶりはない。後少しで間合いに入る。

「くっ、来るなっ……!」

 しかし、ネイアは牽制するように短剣を振ってしまった。当然、短剣は空を切るだけである。

「がぁっ……!」

 短剣を手にした右腕が踏まれた。痛みと衝撃で、唯一の対抗手段を思わず手放してしまう。完全に折る気なのだろう。立て続けにもう一度踏まれる。右腕の赤黒く変色した箇所を見て、ネイアは痛みと悔しさのあまり、涙を流し始めた。

「……こんくらいで充分だろ……。……床でするのもな」

 荒い呼吸交じりのそんな声が聞こえて来た。これから自分の危惧したことが起きる。そう察したネイアは、相手が部屋の中を見回し始めた隙を衝いて、床を這い始める。無事な足を動かし、少しでも離れなければならない。だが、食卓の下に潜り込んだ時、足を掴まれた。振り払う間もなく、引きずり出される。

「やけに大きなベッドだな。もしかして誰かと同棲中だったか?」

 その言葉によって、どす黒い怒りで再び胸の中が満たされる。だがその怒りは、抱くにはあまりにも手遅れであり、ネイアの胸を苛むことにしかならなかった。

 ネイアは片手でベッドの上に放り投げられ、そして、覆いかぶさられた。

 一度。二度。三度。それ以降は数えていない。最初は汚された怒りと悔しさ、それと嫌悪感で一杯だったが、次第に、早く終わらせてくれ、とだけ思うようになった。ネイアは放心状態でただ、天井を見上げていた。折れた腕の痛みも感じていない。

「……最後に聞くが、俺の女になれば今までのことは許してやるぞ」

 そんな言葉に、応じるどころか何の感情も湧いてこなかった。舌打ちが聞こえてきた。

「……壊れたか……」

 薄暗かった室内が急に明るくなった。それと同時に気温も上がる。

「あばよ」

 焦げ臭い香りと煙が立ち込める中、ネイアの仇は去っていった。ネイアはただ涙を流し続けた。愛する人であり自分を愛してくれる人と、帰る場所。この二つを同日に失った彼女の生存本能は、形骸化したのか、まだ動く足を使って、燃え盛る二人の家から逃げることすらさせなかった。火の手が周り、炎が彼女の体にまとわりついてくる。ネイアはそれを温かいとさえ思った。

 空気が燃焼して無くなっていっているからか、それとも精神的な防衛機構が働いたのか、ネイアの意識は徐々に薄れていった。聴覚も視覚も閉じられる寸前。燃え盛る壁を突き破り、巨躯を有した男が入ってくるのが確認できた。その男に抱きかかえられ、ゆりかごの様に揺れる乗り物に乗せられたところで、ネイアの意識は途絶えた。

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