5話 私のお父さんとお母さん
山から下りて家に向かって歩き出す。静かな山から賑やかな街中に入る
白い壁の建物がたくさん目に入って、草木の優しい色との差で眩しく見える
たくさんの露店が並ぶ通りでは、元気に声掛けをしている人がたくさんいる
その人込みをすり抜けて住宅街に入ると、少しだけ静かになる。目に映る人の数が目に見えて減って一息つく
さっきより人は少ないけど、ここでは子どもの笑い声とか、主婦の人が立ち話をしている声が聞こえる。数が少ない分、はっきりと
そんな声の中に、同級生の声も混ざっていることに気が付いた。あの私に喧嘩を売ってきて、返り討ちにあったガキ大将の声。うるさいからよくわかる
「はあ...」
私は少し早足で歩いて、その声から遠ざかるように進む
こっちだと、家に向かうには遠回りだけどしょうがない
何で私がこんなことしないといけないんだとは思うけど、余計なトラブルを起こすのも面倒だ
この街は近くの他の街と比べればそれなりに大きな街だけど、それでもクラスの人とはそこら辺で良くすれ違うくらいには小さな街で、それが私には少し煩わしかった
「ただいま」
そんなこんなで、やっとのことで家に着くと、キッチンからいい匂いがすることに気が付いた。香辛料の匂いがお腹を刺激する
いつもよりご飯の準備するの早いな
いつも私が帰ってから一緒に作るのに、こんな時間から作ってるのは珍しいことだった
「おかえり」
「おう!おかえり」
だけどその疑問はすぐに解けた。お母さんのおっとりした声の後にお父さんの元気な声が聞こえたから
こんな時間にお父さんがいる。珍しい
お父さんは街の自衛団でそれなりに偉いらしく、そのせいで忙しいらしくて、いつも帰りは遅かった
たぶん、ご飯を作るのがいつもより早いのはこれが理由だろう
リビングを覗くと、お父さんが防具を磨いていた。そこを通り過ぎてキッチンに向かう
「おかえり、リサ」
「うん、ただいま。ごめん、遅くなって。手伝うよ」
「ありがとう。じゃあ、この鍋かき混ぜておいてくれる?」
「うん」
お母さんからお玉を受け取って鍋の前に立つ。鍋の中には、スープが入っていた。鶏肉と野菜がたくさん入った具だくさんのスープ。香辛料の良い匂いはこの鍋からしていた。お母さんはもう一品作るらしく、野菜を切り始める
「今日作り始めるの早かったね」
「ああ、そうね。お父さんがお腹空いたんですって」
そう言うお母さんの声は少し嬉しそうだった。別に忙しいと言っても、週に二回くらいは休みがあるし、毎日一応帰ってきてはいるのに、それでもお母さんがこんなに嬉しそうにしているのを見ると、家の両親は仲良いなと思う。他の人の親がどんなものなのかいまいち知らないけど、少なくとも外で見る他の家の人たちとか、本の中で出てくる夫婦よりは仲がいいと思う
しばらく無言で鍋をかき混ぜる。暇になって、自然とカナにどうやって剣を教えようかということを考え始めていた。やっぱり最初は基本的な素振りからだよね。それから次のステップに進むのに、どれくらいかかったっけな。あんまり覚えてない。今日せっかくお父さんが早く帰ってきてるんだから、お父さんに相談してみようかな。お父さんは自衛団の部下の人にも教えたりすることもあるだろうし。でも、少し気恥ずかしい
「リサ、今日何かいいことあった?」
そんなことを考えていると、お母さんが急にそう言った。驚いてお母さんの方を向くと、何だか、いつもよりも優しい目で私のことを見ているような気がした
「何で?」
恥ずかしくて、少しぶっきらぼうにそう聞き返すと、お母さんは楽しそうに笑った
「何となく。リサが楽しそうに見えたから」
楽しそう。私が?
全然自覚はなかったけど、心当たりはあった
カナのことを考えていたからかな
どうやら、私はカナに剣を教えて欲しいと言われて浮かれているみたいだ。お母さんが見ただけでわかるくらいには
「まあ、いいことはあったかな」
あんまり詳しく話すのも恥ずかしくて、ただそう返した
「そう。よかったね」
お母さんも特に詳しく聞き返すことはなく、そのまま静かに時間は流れた
「ねえ、お父さん」
「ん、どうした?」
「剣を人に教えることになったんだけど、どうやればいいのかな」
夕食の最中、私は思い切ってお父さんに相談してみた
私の言葉に、お父さんとお母さんが目を丸くする
私は2人の珍しい表情に恥ずかしさを感じながら、苦笑いを浮かべる
私は学校であったこととか、2人に話したことはなかったけど、突然庭で練習することがなくなったりとかして、何か察していたのかもしれない
いや、そんなに広い街でもないし、もしかしたら誰かから私の話を聞いていたのかもしれない
しばらくお父さんたちと剣の話をしていなかったから、驚くのも無理ない
「リサが剣を教えるのか?]
「うん。学校の別のクラスの女の子に頼まれたんだ。まずは素振りから教えようかと思ってるんだけど、私がどうやって教わったのかあんまり覚えてなくて」
私の言葉に、お父さんが嬉しそうな表情を浮かべて、それから真剣に考え始めた
お父さんは私に結構甘いから、私に頼られるのが嬉しかったんだろう。お父さんにこんな風に頼るのも久しぶりだ
「そうだな、自衛団では最初は素振りと足運びの練習をさせることが多いな。それになれたら、型だったり、打ち込みとか、打ち合いの練習をさせる。リサの時は、型に興味があったみたいだったから、打ち込みとか打ち合いはかなり後になってからやったけどな」
あ、そっか。足運びのやり方も教えないといけないのか
型の練習の中に素振りも足運びも組み込まれているから、すっかり忘れてた。最初は腕と足の動きを両方意識するのは難しいだろうし、初心者には必要な練習だよね
リサも私と同じように、型に興味があるみたいだし、打ち込みとか打ち合いとかは後回しで良さそう。でも、いつかはそういうことも教えないといけないんだろうな
「ねえ、お父さん。私に稽古、またつけてくれない?」
私がそう言うと、お父さんはさっきよりも驚いたような顔をして、それから凄く嬉しそうに笑った
カナに教えて欲しいと言われてから、ずっと考えていたこと。私はもう何年もお父さんに教わらずにやっていたから、これを機にお父さんに一から教えてもらおうと思った
「ああ、いいぞ」
お父さんは私のお願いを大体聞いてくれる。それが何となく嫌で、あんまりお願いしないようにしてるんだけど、今回は仕方ない。お父さんにしか頼めないことだから
「どこでやる?」
私のことを気遣ってか、お父さんがそう聞いて来る
「昔みたいに庭でやろう」
少し考えた後、私はそう言った。昔みたいに何か起こるかもしれないってことは、少し頭の中をよぎったけど、よく考えたら、今更誰かに見られたって、きっと何も変わらない
「よし、じゃあ、さっそくやるか」
夕飯が食べ終わってすぐ、お父さんがそう言った
私と稽古をすることが相当嬉しいらしい
今?とは正直思ったけど、私から頼んだんだから文句は言わない
お母さんは呆れたような目でお父さんを見た後に、「ほどほどにしてね」とやんわりと釘を刺していた
久しぶりに木剣を持って庭に出る。振り返ってお父さんと向き合うと、懐かしい感覚が蘇る
昔はお父さんと毎日ここで練習してたんだってことを思い出す
「懐かしいな」
「うん、そうだね」
お父さんも同じ気持ちだったのか、優しい目をして、私にそう言った
「よし、じゃあまずは型を見せてくれ」
「うん、わかった」
お父さんの前でやるのは、正直緊張する。体がいつもより硬い
体の力を抜くために、大きく深呼吸を一回だけする
少しはマシになったような気がする体で剣を構えて、私は剣を振り始めた
振り始めると、体が段々いつもの私に戻って来る
緊張がなくなって、お父さんのことも意識の外に消える
息を吸うように自然に体が動き出す
そしていつの間にか、私は型を終えていた
少しだけ上がっている息を整えながらお父さんの方を見ると、少し驚いたような顔をしていた
「どうだった?」
また少し緊張を感じながらお父さんにそう聞く
「ああ。凄いな、リサ。型に関しては、俺に教えられることはもう何もなさそうだ」
「え?」
聞き間違いかと思って、思わず聞き返す
「たぶん、リサの方が型に関しては俺よりも上手いよ。自信を持って教えなさい」
そう言って微笑むお父さんを見て、さっきの言葉が聞き間違えじゃないことを知る
ただそれを、素直に受けとっていいのかよくわからない
嘘を吐いたり、お世辞を言ったりしてるって疑っているわけじゃない
教えることがないというところに関しても、たぶん本当のことなんだろうけど、お父さんより上手いというところだけは、疑問だった
まだ私は、昔見たお父さんの姿に追いつけている気がしていない
それにお父さんは私に甘いところがあるから、こういう時に困る
「頑張ったんだな。リサ」
そうやって悩んでいると、いつの間にかお父さんが近づいてきていて、私の頭を撫で始めた
久しぶりのことで、嬉しいけど、少し恥ずかしい
「子ども扱いしないで」
少し緩んだ頬を誤魔化すために、そう言って横を向く
視界の端に映るお父さんは、そんな私を微笑まし気に見ていた
「どうする?打ち合いなら、まだ俺でも教えられると思うが」
打ち合いか...
それは当分カナに教えることはなさそうだけど、いつか教える日が来るのかな
だとしたら、その日のために今から教えてもらうのもいいかもしれない。型と違って、ここ何年も打ち合いはしてないし
それに、カナのことがなかったとしても、私はお父さんと打ち合いをしたかった
人目が気になってやらなくなっただけで、お父さんと打ち合うのは楽しいと思っていたから
「打ち合い、教えて」
私がそう言うと、お父さんの顔が嬉しそうに綻んだ
「ああ、いいぞ」
そう言ってから、お父さんは駆け足で防具を取りに行った
そんなお父さんに苦笑してから、私は久しぶりの打ち合いに向けて、意識を集中させていった