4話 剣を教えて
「お疲れ様」
剣を振り終えて一息ついていたとき、急に横から話しかけられた
一瞬肩を揺らしてからその声の方に振り向くと、カナがニコニコして立っていた。その手にはタオルが握られている
初めてカナがここに来てから1週間が経った。あの日から毎日のように、カナはここを訪れてくる
こうやって声をかけてくることにもなかなか慣れない。いつも驚いてしまう
だってここには、誰も来ないのがちょっと前まで当たり前だったから。それにここ何年も、親以外の誰かと話すことなんて、ほとんどなかったから
「ああ、うん、また来たんだ」
私がそう返すと、カナは不満そうに頬を膨らませた
本当に、何のためにこんなところに来るんだろう
まあ、私に会いに来てるんだろうけど、何のためか全然わからない
「もう。そんな意地悪言うと、タオル貸してあげないよ?」
カナは頬を膨らませながらそう言うと、私の頭にタオルを乗せて、くしゃくしゃと拭き始めた
頭を左右に揺らしながら、大人しく受け入れる
別にタオルなんて必要ないのに
カナが来るまでは、何で拭くこともなく、そのまま家に帰っていた
でも口にはしない。カナの機嫌が悪くなるのはわかってるから。さっき、「また来たんだ」って言ったのも、別に意地悪で言ったわけじゃなくて、本当に何となく出ちゃっただけだった
「...いい匂いがする」
大人しく拭かれていると、花の香りがするのに気が付いた。私がそう言うと、カナは嬉しそうに笑った
「ふふ、よかった」
「何の香りなの?」
「カモミールだよ。サシェを鞄の中にタオルと一緒に入れておいたの」
「サシェ?」
「お花を乾燥させたものとか香りがするものを袋に入れたものをサシェって言うんだよ」
「へぇ」
知らなかった
私が素直に感心していると、カナは得意気に笑った
1週間と短い付き合いだけど、カナがこうやって誰かに世話を焼いたり、教えたりしてお姉さんぶるのが好きみたいなことに気が付いていた
何だか本当に姉が出来たみたいで、一人っ子の私には新鮮な感覚だった
「じゃあ、そろそろ行こっか」
一通り私のことを拭き終えると、カナが声を弾ませてそう言った
先にずんずん進んで行く
仕方なく、私もそれについて行く
剣の練習が終わると、こうやってカナについて行って、カナが山菜を取っているところを見守るのが、最近の日課になっていた
私より先に歩いているくらいだし、もう私がいなくても1人でやれそうなものだけど、カナは毎回私の元を訪れては、私を連れて山菜取りに出かける
1人で行けばいいのに。そう思うけど、口にしたことはない。何でかわからないけど、言いたくはなかった
「そういえば、来週から定期テストだね」
歩いていると、カナが話し始めた
「うん、そうだね」
「勉強進んでる?」
「まあ、そこそこ。普段から予習と復習はしてるから、今更頑張ることもあんまりないかな」
「へえ、意外、でもないね」
そう言ってカナが笑う
なんだそれ。そう思いながらも、カナにつられて私も笑ってしまう
「カナはどうなの?」
「私も余裕」
そう言って、にかっと笑うカナ
「まあ、そうだろうね」
こっちも特に意外ではなかった。勉強が出来るという評判は、こうやって会うようになる前から、違うクラスの私にまで届いていたくらいだから
そんな何気ない会話を交わしながらも、カナはどんどん山菜を取っていく。この一週間でさらに採取の技術が上がっている。気が付いたら、もう既にかごの半分くらいは埋まっていた
この時間、カナが話しかけてくれるのは正直助かる。山菜を取ったりしない私は、カナが黙々と取っていたら暇になっちゃうから
私も今度からかごを持ってこようかな。最近はそんなことを思う
もうカナは毎日ここに来てるし、私は毎日カナの山菜取りを見ている。ここでカナを眺めながらおしゃべりするだけなのは、もったいないような気がした
「ねえ、リサ、お願いがあるんだけど」
カナの言葉に耳を傾けつつそんなことを考えていると、カナが改まった様子で話し始めた
「どうしたの?」
その声には緊張が含まれているような気がした。初めてカナのそんな声を聞いたものだから、驚いてしまう。それが顔に出ていたのか、真剣な顔をしていたカナの顔が少し綻んだ
「あのね、剣を私に教えてくれない?」
少しリラックスした様子のカナが、明るい声でそう言う
剣を教える? 私がカナに?
「どうして?」
剣なんて、振れたってしょうがないのに
「だって、リサの剣が凄く綺麗だったから。リサの振る剣が凄く楽しそうだったから、私もやってみたいなって思ったの」
私はカナのその言葉に戸惑ってしまう。普通なら嬉しいと思うところなんだと思う。でも、私はずっと私の剣を否定されて生きて来た。急に褒められても、なかなか素直に受け取ることができない。カナの目を見れば、それが嘘じゃないということはわかるけど、それでも
「止めておいた方がいいよ。女の子は剣なんて振らない方がいい」
私が今まで思われてきたであろうこと。私が言われたら嫌な言葉。それをカナに言ってしまったことに勝手に落ち込んでしまう。自分で言ったくせに、苦しい。でも、カナには私のような目に会って欲しくなかった。私がカナに剣を教えることで、カナまで周りから避けられたりしたら。そう想像するだけで、胸が苦しくなる
そんな風に落ち込んで、自然に視線が下に下がる。そのままカナの反応を待つ。カナ、怒るかな。落ち込んじゃうかな。そんな心配をしていると不意に私の手がカナに握られた。温かくて、柔らかい手に包まれて、弾けたように顔を上げると、カナが悲しそうな顔をしていた
「そんなこと言わないで。リサの剣は綺麗で、力強くて、かっこよくて、私の憧れなの」
憧れ?私が、カナの?
そんなこと思ってるなんて、全然知らなかった。そんなこと思ってくれる人がいるなんて、思いもしなかった。戸惑いしかなかった私の心に、段々と別の感情が湧いて来る。嬉しい。確かに今の私の中には、そういう感情があった
「だからね、お願い」
カナにお願いされるのは、これで2回目だ。あの時は、私が断るなんて少しも思ってなさそうな、眩しいくらいの笑顔を浮かべていた。なのに今は、不安そうな表情を浮かべている。私がカナに、そんな顔をさせている
「はあ...」
ため息を吐くと、カナの瞳が不安で揺れた
あの時の笑顔でも、私はカナのお願いを断ることはできなかった
この不安な表情は、私の心をかき乱して、苦しくさせる。あの時よりももっと、カナのお願いが断れなくなる
「わかった」
「...え?」
「剣、教えるよ」
私がそう言うと、カナの顔が笑顔で輝いた。今までで一番の笑顔
大げさだな。なんて思ってそれに苦笑しながらも、カナのこの表情を見られたことに喜んでいる自分がいることに気が付いた。そして今日、私はカナのお願いに弱いことを知った。これからも、カナのお願いを断れるような気がしない
「ありがとう!」
カナが本当に嬉しそうに、そう言う
「じゃあ明日から、リサの練習が終わった後に見て貰っていい?」
「うん」
そっか、明日からも来るんだ。剣を教えるってことは、きっとこれからそれなりの期間
明日からもカナと会って、今日みたいな時間をしばらくは一緒にすごせる。そのことを思うと、嬉しくなる。はっきりとそう思って、否が応でも私の中でカナの存在が大きくなっていることを自覚する
「どれくらい頑張ったらリサくらい上手になれるかな?」
カナが山菜取りを再開しながら、声を弾ませてそう言う
「...5年くらいじゃない?」
「そんなに!? でも頑張るよ!」
「ふふっ」
握りこぶしを握って張り切るカナに、思わず笑ってしまう。そんな私を、カナが呆然とした様子で見ていた
「何?」
私がそう聞くと慌てたように首を横に振るカナ
「ううん、何でもないよ」
そう言って、また楽しそうに山菜を取り始めた。心なしかさっきまでよりも楽しそうに
その様子に首をひねりながらも、それ以上突っ込まなかった
明日からのことを考えたかったから
カナに剣を教えるなら、何から、どんなふうに教えるべきなんだろう。私はまだ誰にも教えたことはなかったから、五年前にお父さんに教わったときのことを思い出して、一から考えなければならなかった
それと...明日からはかごを私も持ってこようかな
きっと明日からもこうしてカナと山の中を歩くんだろうから