1話 私たちの日常
静かな森の中
そこにある少し拓けた場所で、私はいつものように剣を振っていた
素早く、出来るだけ滑らかに。最初の頃は、動きの一つ一つの繋りを意識したりしていたけど、今はそんなこと気にしなくても自然に出来る。剣を使ってどうなろうという目標もない。ただこの剣を振る行為が、私の心を落ち着けてくれるから、楽しいと思えるから、思うままに剣を振っていた
私の息の音と、土を踏みしめる音、剣が空気を切る音だけが鳴っている
ここでこうしているときが、私が一番私らしくいられる時間だった
そうしていると、誰かが近くの葉をかき分けながら、こっちに来るのが分かった
剣を振りながらそっちに視線を向けると、予想通りカナがどこからともなく現れた
一応道はあるのに、どうしていつもそんなところから出てくるんだろう
そう思うけど、それは胸の内にしまっておく
少し前まで、もう少しおしとやかな人かと思っていたけど、意外とやんちゃだ
今も体のあちこちに小さな葉っぱをたくさんつけている
「こんにちは!」
「...こんにちは」
元気なカナの挨拶とは対照的に、私の挨拶は素気ない。いつからだっただろう。自分の感情を上手く表に出すことが出来なくなったのは
怒ってるとか、機嫌が悪いとか、誤解を与えてしまうことが多いけど、カナにそれを気にした様子はない
簡単な挨拶を交わすと、カナはそこら辺の木陰に座り始める
私も特に剣を振るのを止めることなく、そのまま剣を振り続けた
いつもの事。私はただ剣を振って、カナはそれを眺めている
最初の頃は、カナがそこにいてもいなくても、どうでもよかった。なのにいつの間にか、カナがそこにいることも、この時間の大切な要素の一つになっていた
それから、カナが来るまでの時間も合わせると、2時間くらい剣を振っていた
流石に息が上がって、たくさんの汗が流れ落ちる。疲れてるけど、それと同時に充足感が私の中に満ちていくのを感じる
終わったと思った直後、カナがこっちに近づいて来た
「お疲れ様」
そう言ってタオルを渡してくれる
毎日のように見ているから、いつ終わるのかが何となくわかるようになったらしい。終わる少し前から、体操をやり始めるのが見えていた
「うん、ありがとう」
それを受け取って顔を拭う
タオルからは花の香りがした
「やっぱり、リサの剣は凄いね」
目を輝かせて、いつものようにカナが言う
この言葉は何回も聞いたし、毎日見に来てるくらいだから、カナが本当にそう思ってくれてるのはわかる
「そうかな」
でもやっぱり、私はカナの言葉を素直に受け取ることができない
ただ私が素直じゃないというのもあるけど、自信がなかった
お父さんはもっと早く、力強く、なめらかに剣を振る
そして何よりも、女の私が剣を上手く振れるとして、それに何の意味があるのか
「それじゃあ、今日もよろしくね」
そんなことを考えていた私に、カナがそう言う
「あ、うん」
それに少し遅れて返事をすると、カナに剣を手渡した
カナは剣を手にすると、それを軽く2,3回振った
それだけで、最初の頃に比べると、カナの技術が上がっているのがわかる
「それじゃあ、始めようか」
いつものように、カナに剣の型を教える
丁寧に1つ1つ。お父さんが私に教えてくれた通りに
少しでも体勢がおかしいと、ケガしちゃったり、上手く力が伝わらなかったりするから、細かい腕の位置とかを私の手で調整していく
もう何回も教えているけど、それでもこの時間は何回経験しても不思議に思う
最初にカナが剣を教えて欲しいと言ってきたとき、凄く驚いたことを思い出す
女の子が剣をするなんて、しかも男の子に勝っちゃうなんて変な子。そんな目で見続けられてきた私に、剣を教えて欲しいと思う子が、しかも女の子がいるなんて
ちょっと前までの私だったら、そんな子が現れるなんて信じられなかったと思う
私は2時間剣を振り続けていたけど、カナはまだそんなに振ることができない
30分くらい振っていると、体力の限界が来て、土の上に寝っ転がってしまった
「あー、もう無理ー」
空を仰いで、いつものように大げさにカナが言う
胸を大きく膨らませて、苦しそうに息を吸い込んでいる
私に比べたら体力がないカナだけど、普通に考えたら、カナも結構体力がある方だ。たぶん私は学校で一番体力があるけど、私と毎日これをやってるカナだって、私に次いで体力があると思う
最初の頃は10分もできなかったのに、もう30分もできるようになったことに、私は感心していた
「今日も練習見てくれてありがとう」
「うん」
「今日はサンドイッチ作って来たんだ。一緒に食べよう?」
カナにそう言われると、自然とお腹がすいてくる
気が付いたら太陽は、私たちの真上を少し通り過ぎていた
「うん、ありがとう」
木陰に移動して、カナが作ってきてくれたサンドイッチを広げる
色鮮やかなサンドイッチは、見ただけで美味しいことが分かった
実際、カナの家が食堂をやっているからか、カナが作ってきてくれる料理は全部おいしい
レタス、トマト、たまご、ハム。そんなありふれた食材を使っているのに、私が作るのとは何かが違う。不思議だ
「...おいしい」
「ふふ、ありがとう」
私が呟くように言うと、カナが嬉しそうに笑った
「昨日ね、マリ達と一緒にお買いものをしたんだ。可愛い洋服屋さんを見つけたんだけど、お小遣いが足りなくて買えなくて...」
カナの話を聞きながら黙々と食べる
時々相槌は打つけど、基本的にはカナがずっと喋っている。学校とか、家族とか兄弟の話が多い
前は少し困りながら聞いていた。カナばかりに話させてしまうことが、少し気まずく感じていた
でも最近は、カナの話を聞くのが楽しくなっていた。気まずさもだんだんと感じなくなっていた。きっとカナはそんなこと気にしないと、長い時間をかけてわかるようになったから
お昼ご飯を食べ終わると、2人で並んで歩き出す
山の中を散策しながら、山菜を探す
家族へのお土産にするためだ
カナと会うようになってからこれを始めると、お母さんとお父さんが凄く喜んでくれた。今日も家を出るときに、よろしくって言われてしまったから、頑張らないといけない
「あ、これ、ナコの葉っぱだ。天ぷらにするとおいしいんだよ」
「へえ、そうなんだ」
この時間は、さっきまでとは反対に、私がカナに教えて貰うことが多くなる
私もそれなりに山菜の知識はあるけど、カナには及ばない
いつも料理方法まで教えてくれるから助かっている
天ぷら、お浸し、香つけ、色々なおすすめの調理方法をカナは楽しそうに話す
食材だけじゃなくて、薬草とかまで知っているから、ちょっとしたお小遣いも稼げていた
一時間も歩くと、持っていたかごがいっぱいになって来る。一枚一枚は軽い葉っぱでも、ここまで集まると少し重い
暗くなった山は危ないから、少し早めに下山することにする
さっきまで青々とした空に照らされていた山は、気が付いたらオレンジ色に色づいていた
「じゃあカナ、またね」
山の中、もう少し歩けば街に出られるところまで一緒に降りてからそう言う
いつも私がこう言うと、カナは寂しそうな顔をする
歪んでいるかもしれないけど、そのことが最近少し嬉しい
私だってカナと一緒に街まで帰りたい。でも嫌われ者の私と、人気者のカナが一緒にいるのを誰かに見られたら目立つに決まってる。私に向けられるような目を、カナも向けられることになるかもしれない
そう思うと怖くて、私は山の中でしかカナと話さないと決めていた
「...うん、またね」
カナもそれをわかっていて、何も言わずに先に帰ってくれる
カナの背中が見えなくなるまで見送ってから、私は少し戻って、そこにある高い木の上に登る
そうすると、遠くの方でカナの背中を見つけることが出来た
最初からこんなことしていたわけじゃないけど、いつからか、ちゃんとカナが山を下りることが出来ているのか不安になるようになった
危険な魔物が出るような山じゃないし、近所の子どもたちもたまには登るような安全な山だけど、それでも万が一があったら嫌だったから
そうやってずっと見ていると、カナがやっと山を下り終えた。それを見てほっとしていると、山のふもとで友達に会ったみたいだった。楽しそうにその子たちとおしゃべりをしている
ほっとしていた心が少し暗くなる
それが何でかはわからない
でも段々と、それが歪な感情だということには気づいていて、その気持ちは日に日に大きくなっていた