9
天啓を受けたオリヴィアは当然自分の立場を失うことを前提に動いている。だからこそアマーリエに仕事の引継ぎを提案したし、アマーリエもこの事態に何も思わないほど子供でもない。
だからこうして最後の時間を惜しむように過ごしているように見えるのかもしれない。
しかしその話は今まで一度も出なかった。しかし、一頻り撫でられてアマーリエは寂しそうな笑顔をした後に、ふと真剣な顔に切り替えた。
「……オリヴィア、一つ真剣な話をしてもいい?」
そう切り出した。それにオリヴィアはただ頷くだけで返す。けれども了承を得てもアマーリエはいいづらそうに少しそわそわとして、紅茶で口を潤したりして気を紛らわせた後にやっとオリヴィアを見た。
アマーリエの薄桃色の髪は夕日に照らされて赤にも見える様な色味になっている。横から差し込んだ光が重たく深い影をつくりだし、アマーリエの暗く陰った心を表しているようだった。
「…………本当は、今日、オリヴィアに私はカルステンお兄さまと運命の女神の加護をもつ聖女マイの事についてお話をするつもりだったの」
落ち着いた声だったが、その声には悲しみがにじんでいた。
「私はカルステンお兄さまの結婚相手も将来の王妃様もオリヴィア以外には考えられない」
「……」
「だからずっと夏になってオリヴィアが戻って来たら、カルステンお兄さまが婚約を破棄できないように手を打とうと相談するつもりだった。あんな急にやってきた異世界の女性に国母である王妃が務まるわけがない……私は絶対そう思う。……それにオリヴィアもそう言ってくれると思っていた」
アマーリエは言葉を続けていくとどんどんと、悲しみがこみあげてくるようで少し声が震えて途中で止まってしまいそうだった。しかし、言葉を切って彼女は一度瞳を瞑ってから貴族らしく切り替えてオリヴィアを見据える。
「けれども違った。帰ってきてからのオリヴィアの行動を見ていればわかる。オリヴィアはもう王妃になるつもりはない。そうなんでしょう?」
テーブルの上でぎゅうっと拳が握られる。強く握った拳は思いの強さを表しているようで、肌が白くなるほど力が込められていた。
沈黙するオリヴィアにアマーリエはつづけた。
「オリヴィアがその立場を譲るほどに、運命の女神の力は強大だという事?もうまったく、私たちは同じ立場でともに過ごすことは出来ないの?」
オリヴィアに縋るようにいうアマーリエは真剣そのもので問いかけた。その問いにオリヴィアは小さく息をついて重たい口を開いた。
「……ええ、アマーリエ。わたくしはあの節操無しと争えば多くの者を失うことになる。そうなってまでわたくしは王妃の座を求めてはいない」
「でもっ、きっとオリヴィアが王妃にならなかったらカルステンお兄さまはオリヴィアを……」
「……少なくとも貴族ではいられなくなるでしょうね」
テオも心苦しく思いながらも、それでも命だけは守って好きなように生きられる、だからそれほど悲観しなくても大丈夫なのだと自分に言い聞かせる。
こうして、重たい話をしているとどうにも自分まで不安になってしまうのが良くないところだ。
「それでもわたくしは、命だけは守るつもりよ。命も、立場もとなればわたくしは自分らしさを見失って、きっと酷い手段を取らざる終えなくなるそれはわたくしの矜持に反します。だから、わたくしは身を引く予定よ」
優しく言い聞かせるようにそういうオリヴィアは、アマーリエのきつく握られた手に手を重ねて、少し摩った。それに少しだけアマーリエは嬉しそうにしたけれども、何か違和感に気がついたように少しだけ表情を動かした。
それから、その違和感を確かめるようにオリヴィアに問う。
「……待ってオリヴィア、身を引いて、地位も名誉もすべて横取りされて、そのうえで逃げるの?」
「……」
「彼らには何もしないという事? すでにあんなにないがしろにされて、学園であった事も聞いている、乱暴をされて侮辱もされて、オリヴィア、貴方が、逃亡を選ぶの?」
「……そうよ」
わざわざ、言葉にして聞いてくるアマーリエにオリヴィアは平坦な声で答えた。それをテオはなんでそんなに聞いてくるのだと不思議に思う。
そうするとアマーリエは少し怒ったような顔をして眉間に皺を寄せてぽつりと言った。
「らしくない。らしくないよ、オリヴィア」
「……」
「私はてっきり王妃の座をあきらめてカルステンお兄さまごとあの横取り女に罰を下すんだと思ってた」
「……それも悪くない案ね」
「でも違うのでしょう?……どうして? カルステンお兄さまはオリヴィアをずっと振り回していたし、あの女は言わずもがな、それなのにオリヴィアはどうして彼女たちを許すの?」
不可解とばかりにアマーリエは言葉を紡ぎながらオリヴィアの真意を見抜こうと彼女をじっと見た。しかしオリヴィアは相変わらず厳しく見える表情をしているだけだった。
そんな二人の話にテオは、言われてみれば確かにと思う。しかし、とにかく天啓を受けたからそうなのだと言われたテオはまったく指摘することもできずに漠然とあきらめるのだなと思うだけだった。
「そんなに聖女の力は厄介なの?……少し調べてみたけれど運命の聖女の力は運命を信じるものを突き動かす力なのだというわ。でもそんな他人を操るような力、きっと多くの者に使えるはずがない」
「……」
「私と協力すれば、あの二人を追いやることが出来る。私は王になる覚悟がある、オリヴィアにもそれをするだけの材料と力がある、後は私たち二人が協力するだけ」
いつの間にかアマーリエは撫でられていた手を取ってオリヴィアを説得するようにそう言い募る。しかしオリヴィアは平然とした態度のまま頭を振ってアマーリエの言葉を否定する。
「……わたくしは、ただ失うのが怖いだけなのよ。お前が思うほどに完璧にすべてを成し遂げられるわけじゃない」
「そんなっ……それでも」
「アマーリエ、お願いよ。わたくしはもう決めているの」
「……っ」
さらに説得しようとするアマーリエに、オリヴィアは先手を打つように言葉をさえぎってそう言うのだった。テオはそのやり取りにたしかにアマーリエの言うことだって一理あると思ってしまった。
オリヴィアは用意周到で王族の派閥以外の貴族からの信頼も厚い。正直、聖女を押している教会の派閥と敵対したとしても自分の派閥だけで国を導ける。
実際問題、対抗するすべはあるようにおもう。それにだ、気高くプライドが高いオリヴィアがやられたことに対する正当な仕返しもしないで逃げ出すのは確かに違和感だ。
「それでも、納得できないっ。オリヴィアはあの二人に一矢報いてもいいはずだよっ…………でも、今日はこの辺で失礼することにする」
「……そうね、それがいいわ」
「うん。……覚えておいてね、オリヴィア。私は王になるつもりがある。後はオリヴィア次第だから」
「……」
そう言い残して、アマーリエは立ち上がりゆっくりと歩いて気落ちしたまま部屋を出ていく。後に残されたオリヴィアは特にテオにも何も言わずにいつもの通りに「夕食にしましょうか」と振り返って言うだけだった。
テオはそれに頷いて、特に何も聞くことは無く、下がっていた侍女を呼んで食事の支度をしてもらうのだった。