2
男子寮を出てからオリヴィアは一切足を止めることなくまっすぐに寮の自室へと向かった。一息もつかずに寮の一番身分の高い人間が使う三階の自室へと上っていき、部屋付きの侍女が扉を開けて彼女を招き入れる。
今日はもう授業に出るつもりないようでジャケットを脱いだので、テオはそれを恭しく受け取った。後で、オリヴィアの侍女であるデリアに片付けてもらおうと適当な場所にたたんでおいて置く。
寮の部屋とはいえ、公爵家令嬢であるオリヴィアの部屋だ。部屋の間取りにはゆとりがあり、平民だったら大家族で暮らしても問題ないほどの広さがある。
しかし、巨大なソファーに巨大なベッドがあるのでこの状態では暮らせないが。
そんな巨大なソファーの方へとオリヴィアはすこし乱暴に座り込んで、ふと視線を上げた。彼女は視線を辺りに配ってからテオへと視線を向けた。それに、テオは納得して、少し面倒に思いながらもデリアがいつも使っているティーケトルを使ってお湯を沸かした。
きっとオリヴィアは授業に出ているデリアがいない事を忘れていたのだと思う。だから、一息つくために紅茶を要求しようとして、そのことをおもいだしてテオを見た。
そういう事は入学してからは、ままあることだったのでテオも一通りは侍女の仕事をすることが出来るようになった。
ちなみに部屋番をしている侍女もいるが彼女は平民の下働きだ、オリヴィアのような高貴な身分の人間の前に出て粗相があると困るので基本的には貴族でありオリヴィア専属の侍女のデリアの指示のもと動くような手はずになっている。
しかしデリアもデリアで魔法学園を卒業した証を貴族として必要としているので、オリヴィアが授業を抜けてしまうと少々厄介だが、こんな生活もこの一年で終わり、王宮での自由な生活が始まるはずだった。
……でもどうなるかな、なんだか面倒なことになっているみたいだし。
そんな風に考えながら戸棚のガラス扉を開いてオリヴィアが気に入っているティーセットを出して、装飾のたくさんついたシルバーのトレーの上にのせて、紅茶を淹れる。
砂時計をひっくり返して、テオは盗み見るようにしてオリヴィアを見た。彼女はソファーに背筋を伸ばすようにして座っていて口元に手を当てて何かを思案している様子だった。
美しく均等にカールしている嫋やかな金髪、不機嫌に細められた深緑の瞳は知的で、美しい調度品と派手な飾りの多いこの部屋の中でも彼女が最も輝いて見える。こんなに美しく気高く高貴なお方なのに、婚約者のカルステンは見る目がない。
テオは自国の王子であるカルステンの事をそう評価しながらトレーをもってオリヴィアの元に向かい、ローテーブルにお茶菓子と出来立ての紅茶を置いた。
すると彼女はおもむろに手を取って、にこりともせずにこくりと飲み、トレーを置いて様子をうかがうテオにいう。
「品のない味ですこと」
そういいながらもオリヴィアはもう一口飲み、テオに視線を向ける。そして品のない味ということはつまりはまずいという事だ。その言葉を聞いてテオは苦笑し、いつも通りに返す。
「本職じゃないんだから、仕方ないと思って欲しいんだけど……」
「あら、口答えは許さなくてよ」
きらりとその瞳がイラつきの光をはらんでテオに向けられ、これはまだ相当機嫌が悪いらしいと納得してテオは「そんなつもりないんだけど」と機嫌を取りたくて媚びる様な目線を送りながら彼女に言うのだった。
そんなテオの態度にオリヴィアは満足したのかふんっと顔を逸らして、ソファーの肘掛けに頬杖を付いてまた何か物思いにふけるような顔をした。
それにテオはきっと自分にはわからない色々なことを考えて、対策を練っているのだろうと思い、邪魔をしないようにとトレーをもって元の位置に戻そうと考える。
しかし、一歩、二歩と進んだところで足元を風に救われる。
「わっと」
態勢を崩し転びそうになったところで、上半身を押し上げるように風が吹いて体が宙に浮き、オリヴィアから離れた分だけ元に戻されて彼女におろされる。
膝をついて毛足の長いカーペットの感触を手で確かめて、テオは流し目でこちらを見てるオリヴィアを見上げた。そうすると、爪の先まで美しい綺麗な指先が伸びてきてテオの汚れた白猫ような灰色の髪をなでつける。
「……オリヴィア様、急にされると驚くんだけど……」
「わたくしの所有物をわたくしが動かすのに許可がいるなんておかしな話があるはずないわ」
「それはそうだけど……」
「いいから、そうしていなさい。……はぁ、忌々しい」
テオは、完全に納得していないのに、オリヴィアはまた自分の考え事に戻ったようで小さくつぶやくのだった。
それにテオは、仕方ないかと思いつつオリヴィアを守る騎士らしく片膝をつく姿勢に変えて、彼女が少しでも自分の気持ちを落ち着けようとフワフワとしたテオの頭をなでるのをなんとも言えない気持ちで受け入れた。
本来、癒されたいのなら、貴族令嬢らしく抱き犬でも飼えばいいと思うのだが、あいにくオリヴィアは言葉の通じない生き物が嫌いだ。だからたまにこうして犬の代わりに心が落ち着かないときにひたすら撫でられることがある。
それ以外にも、テオは普通の貴族的な主従を超えてオリヴィアと関係性を持っているが、それは普通の主従ではないので仕方がない。
だからこんな風にされてもテオはまったく疑問にも思わず、ただ、魔法なんか使わずとも、手招き一つでもしてくれればいいのにといつものように思いながら、紅茶を飲む彼女を見つめる。
まずいと言ったのにも関わらず、きちんと飲み進めるオリヴィアに、言うことはきついけれども悪い人間ではないのに、どうして報われないのかと思った。
確かにオリヴィアの容姿はとても悪女然としている。ハイヒールを履きこなし、常に高く結い上げた金髪を靡かせて高飛車なことを言うオリヴィアは、誰からも恐れられ、時にはいわれのない陰口をたたかれることも多くある、しかし、彼女自身はいたって普通の女性だ。
多少勝ち気で、多少あたりの強い事をよく言うだけの人である。何か、悪い事をしたわけでもない。そうではないが、風の魔法を持っていて素晴らしい魔法使いであるのに家柄の関係で、あんな王子に嫁ぐことになり、しょっちゅう王子のしりぬぐいをしている。
それに、今日だって、このままではいくら王太子といえど出席日数が足りなくては卒業させられないからと再三言われて、それでも、きちんと出席しないカルステンをどうにかしてほしいと教師にお願いされて仕方なく男子寮へと向かったのだ。
そんな男のしりぬぐいをさせられ続け、やっと王太子妃の座が見え始めたこの時期に、今度は聖女ときた。本当にただ、オリヴィアは何もしていない、罪のない人なのだがこの状況は不幸としか言いようがないのかもしれない。
「この状況は、運命なのですって」
ふと、テオの思考に重なるようにオリヴィアがそんな風に言って、俯いていたテオの顎を掬ってグイっと自分の方を見させていた。
丁度、こんなのは不幸だとテオが考えていた時の言葉だけあってテオは変な気分になって「へ?」と気の抜けた声を返した。
「だから、運命ですのよ。テオ、良くお聞き、わたくしは天啓を受けましたの」
「天啓……」
「ええ、そうですわ。わたくしの運命はすなわち破滅。あの節操無しの言う通り、婚約者と地位を奪われ、当て馬のごとく二人の愛情の糧となる運命だと天啓を受けましたの」
「え、ええ……」
突然のオリヴィアの言葉にテオは、驚いたままそんな声を出した。天啓と言えば聞こえはいいが、そんな未来の出来事がわかるなんて到底あり得ない事であるし、理解もできない。
「言葉にしてしまえばまるでつまらないお話だけれど、その記憶とも、記録とも言える未来の出来事はわたくしの中にすべてありありと残っていますの」
「……」
「このままいけばわたくしは必ず破滅して命を失う。学園を卒業前にして聖女の運命の力によって殺される。それだけは回避しなくてはなりません」
続けて言うオリヴィアの顔は真剣そのものだった。