14
無意識の波にぼんやりと漂っていると、ふと目の前に光景が広がった。眠っているはずなのに現実世界でのありそうな光景が広がっている。テオはそれを夢なのだと理解しながらも眺めて、オリヴィアの言っていた天啓が何なのかを理解した。
次から次に流れていく光景は、すぐに理解できる情報量ではなかったはずなのに初めから知っていたように、現実ではありえなかった世界のもしもの話なのだと理解させてくれた。
そしてオリヴィアがなぜ天啓を受けて、未来を知るようになったのかもその流れてくる情報の中で予測が建てられる。
これから先、あり得る多くの未来で、オリヴィアは聖女マイと戦う事を選択し、そのさなかでテオを亡くす。怒りに狂ったオリヴィアは必ず執念をもって聖女マイを殺すのだ。
だからこそ、聖女を得るために異世界から人間を招くような人外的な力を持っている神はオリヴィアにその未来を防ぐために天啓を授けたのだろう。
唯一の運命の聖女であるマイを殺されないように。そんな事が理解ができた。そしてきっと、オリヴィアは成功した。テオはきっと無事なのだということも不思議と分かる。
それが神の力でこれを運命の女神が見せているのだとしたら少し恐ろしいような気がしてテオは目をつむった。
……俺には力もないし、知らない事は知らないままでも特に気にならない、だから、早く心配しているオリヴィア様のところへ戻らないと。
そう考えながらもテオは意識をまた手放す。そのままオリヴィアの事を考えて眠れば懐かしい夢を見たのだった。
ある日、おさないテオは魔術を持っているということで少し高い金額をつけられて売られた奴隷だった。不気味な容姿をしていたけれど、なによりも顔が可愛い、この子なら娘の教育に丁度いいと喜び勇んで公爵はテオを買って公爵家自宅に帰った。
公爵家は長男一人長女一人がいる家庭で、代々が吊りあがった目と気が強そうな顔つきをしていて顔にたがわず、性格もプライドが高く、頑固で横暴なことが多かった。
オリヴィアも例外ではなく気難しい性格をしていたけれど、それでも気を許せるお友達が欲しくて父親に相談していた。そんな風に公爵家らしくない悩みは貴族にふさわしくないので教育として、そういう時は奴隷を買って与えればいいのだと、公爵は奴隷市に言った時にテオを買って帰った。
そんなこととは露知らずに買われたテオは風呂に入れられ、さらには子供用のドレスを着せられ、驚いたのもつかの間、公爵に引きずられながらオリヴィアの前に出された。
「これはお前のものだ。オリヴィア、父からのプレゼントだありがたく受け取るといい」
偉そうに小さなオリヴィアにいう公爵は、片手でテオの首根っこを掴み持ち上げてオリヴィアに見せつけながら言った。それからテオの手枷のカギを従者からオリヴィアに渡させて、続ける。
「これは奴隷という物だお前がどうしようとお前の勝手、友達などという生ぬるいものなどお前には必要ない、ただ主従関係と社交さえあればすべてが事足りる。これを使って自分の立場をよく覚えるのだ」
「奴隷……わかりましたわ」
鍵を受け取ってオリヴィアはまだ小さいのに、全然優しげではない瞳をきらりと光らせてテオを見つめた。テオはひえ、っと小さな悲鳴を漏らしてオリヴィアの所有物となった。
なんだかものすごい恐ろしい人たちに買われてしまったとテオは思ったけれども逃げ出すこともできずに、オリヴィアの使用人として過ごす日々が始まった。
基本的には大人に混じって侍女の仕事をやるように言われ、たまにオリヴィアとのお話の時間が設けられた。しかし、テオは不器用でそのすべてが失敗するか、うまくいかないことだらけだった。
そのうち仕事を任せられなくなり周りの大人にも頼れなくなり、けれどテオは主のオリヴィアも怖くて、何も相談できずに熱を出して倒れてしまう。
こんなに使えなくてはまた売りに出されてしまう。そう怯えながらも目を覚ますとテオはオリヴィアのベットに寝かされていて、オリヴィアはベットに座ってじっとテオを見下ろしていた。
がばっと起き上がって自分の不手際を謝罪しようと考えたが、すぐに言葉が出てこない。いつもそうだった。話をしようとすると委縮してしまってどう話をしたらいいのか見当もつかなくなってしまう。
碌に子育てもされずに売り飛ばされたテオは、こんな高貴な身分の人にどう接したら罰されないのかも分からずに怯えたままオリヴィアを見上げた。
自分の物にしてからもずっとそうして怯えているテオにオリヴィアはただ観察するようにその様子を眺めて、美しい金髪をゆるりと耳にかけた。それからいつもの厳しい瞳をやさしくして、滅多にほほ笑まないその口を少しだけ緩ませてテオに触れる。
「っ、」
ひっぱたかれると思って怯えるテオが落ち着くようにオリヴィアは撫でて、しばらくそうしていてから言い聞かせるように柔らかい声音で言う。
「……お前、無理をしていたのね」
薄灰色のテオの柔らかい髪をオリヴィアは指に絡ませて頬を撫でてやる。
「わたくしの所有物になってからも一言も発さずこうして無理をして、困るわ。何も分からないんだもの」
怒っているのかそうではないのか、それ以外を考えたことがなかったテオは彼女がどんな気持ちでテオを見ていたのか全く想像もできなかった。
「何をそんなに怯えているの?」
「……」
「言わなくてはわからないわ。わたくしお前の名前すら知らないんだもの」
柔らかに頬に触れる温かな手、自分をやさしくなでるその手のぬくもりはなんだか初めての感覚でテオは聞かれたことに上手く答えられないことを申し訳なく思いながらも彼女を見つめる。
美しい緑の瞳は怖そうな顔つきをしているのに、テオの言葉を待ってただゆっくりと撫でるだけだ。
待ってくれる彼女に言われたことをテオは一生懸命に咀嚼して、それからもごもごと口を動かしてみて、どうにかやっと初めてオリヴィアに言葉を返した。
「……て、てお、っていうんだ、けど……」
「……あらそう。テオ、わたくしはオリヴィアよ。お前の主、お前の所有者」
「う、ん。……はい」
知っている。
テオはちゃんと自分で主従関係を学ぶようにと言われているのを聞いていた。だからこそ怯えていた。この子に逆らってはいけない、奴隷として今までのように酷使され、時には罰を与えられて生きていくのだと知っていた。
そういう風以外の生き方をテオは知らなかったし、ずっとそうなのだと思っていた。心の寄る辺など元々ない。テオには何もない。怖い事以外は何も覚えていない。気がついたら奴隷で売ったり買われたりして生きていた。
しかしなんだろう。よくわからない感覚がオリヴィアに撫でられると生まれて、彼女の問いかけに罰されるから以外の理由で答えたくなった。
「お前は無理をしていた。そうでしょう? だから倒れたのだわ」
言われてこくんと頷く、するとその素直な反応をほめるようにオリヴィアは手を動かす。
「これからは体調が悪いときはわたくしにきちんと言うのよ。休みを与えてあげる」
休み……。
言われた言葉を復唱して考えてテオはまたうんと頷く。それに満足したようにオリヴィアはつづけた。
「いい子ね。お前は素直ないい子だわ。わたくしそういう人間は大好きよ」
「うん」
「きちんと会話も出来るのね、いい貰い物をしたわ。ふふふ、言ってみるものね。あのような損得以外に考えが及ばないような人間でも、教育の為となれば金は惜しまない」
「……」
「お前もお父様には気をつけなさい、あれはあまり信用できる人間ではなくてよ」
父親である公爵には従順に見えたオリヴィアだったが、使用人が誰もいないのを目線を配って確認しつつテオに教えるように言う。
それがどんな意味なのか幼いテオにはよく理解できなかったが、いう事を聞くと褒められるのだと気がついてコクコクとうなずく。
「わたくしの母はあの方に手籠めにされて随分な苦労をしているから、わたくしにはそのような道を歩ませないようにといろんなことを教えてくれたのよ」
「そう、なんだ」
「ええ。お前を手に入れたのもその教えの一つよ。腹心はどんな時でも役に立ってくれる大切な物。すべてをわたくしの為に捧げて、わたくしもすべてを知っている信頼できる存在ですの」
そうオリヴィアに言われてまた頷こうとしていたテオは、信頼と聞いてハッとした。すべてを知っていてすべてを捧げている存在、だから彼女は大切にしてくれるのだと口にした。
しかし自分はオリヴィアにまだ言っていない事がある。せっかくこの人ならもしかすると何かとってもいい関係になれるような気がして、テオももう売られるようなことになりたくなくて、この主の元を去りたくないのに、こんな隠し事があったら怒られて捨てられてしまう。
そう思えばすぐに恐ろしくなりながらも口を開いた。
「っ、あの、あ、ぼ、ぼく、ごめんなさいっ、僕は……」
でも言ってしまったらその時点で捨てられるかもしれない、男ならばいらないと言われるかもしれない。そんな恐怖でそこから先を口に出せずにオリヴィアのその小さな手に縋った。
何か言ってほしくて、テオが言う前に安心させてほしくて縋りついた。しかし、言い淀むテオにオリヴィアは真剣にその瞳を見て「なにかしら」と聞く。
それにテオは体も声も震わせながらぎゅっと手を強く握って口を開く。
「ぼく、は男で、女の子じゃないんだけど、っ」
「……そう」
「っ、ごめんなさい」
そういうとオリヴィアは、すっと目を細めて手を離し、絶望的な気持ちになってテオは目の前が真っ暗になるような心地を感じた。
初めて何か得られそうで、何もない人生に何か優しい暖かな光が差したような気がしたのに、滑り落ちてなくなる手に心細くて真っ赤な瞳に涙をにじませた。
しかし、すぐにやわらかい体温に包まれる。抱きしめられたと気がついたのはそうされてから数秒立ってからで、ふわりと子供っぽい香りがして金髪がテオの頬をくすぐった。
「ふふ、きちんと言ってくれて嬉しいわ。テオ、大丈夫よ。わたくし、一度餌をやった子犬はちゃんと面倒を見るわ。それに男の子なら騎士にしてあげる」
「っ、……」
さらに強く抱き留められて、オリヴィアの声が耳元で響く。
「だからそんなに怯えないで、お前の一生をわたくしが責任をもって面倒を見るわ。だから、お前もわたくしをお前の一番大切な人間にしなさい」
彼女に伝わるようにテオは抱きしめ返して何度もうなずいた。
言われた言葉はとても傲慢な言葉であり、正しい人間関係ではなかったのかもしれない。しかし、オリヴィアはその言葉を一切違うことは無く、テオは彼女の腹心として多くの物を手に入れた。
何もなかったテオを定義して認めて与えて大切にしたのはオリヴィアだ。そんな彼女にすべてをささげたテオも同じかそれ以上の愛情をもって返した。
ずっと続くと思っていた永遠の関係、それは不思議なきっかけによって思わぬ方向へと転がりオリヴィアは天啓を受け、何度も繰り返した末に、テオとともに過ごすことを他の何よりも優先して選び取った。
その重さをテオはやっと自覚して、長く眠りについていた体を目覚めさせた。関係はきっと変わってしまうけれども、元より決めていた一番大切なものはテオの中では決して変わることは無い、そう信じられるのだった。