12
夏季休暇が終わり、学園で過ごす日常が返ってきた。しかし日常といってもここ一年で終わる生活ではあるのだが、それでも慣れ親しんだ場所で毎日を魔法の勉強の為に使う日々は充実している。
少なくとも王宮でらしくもない贅沢な休暇を過ごしているよりも、ずっといい。
いろいろなことがあった休暇だったがテオは、まったく以前と変わらないオリヴィアに少しだけ安心して、いつもの通り後ろをついて回っている。
本当に色々あった。アマーリエの事や、カルステンの事、それから……。
キスの事を思いだしてしまいそうになって、テオはよこしまな考えを振り払うようにふるふると頭を振って、今日も美しいオリヴィアを見た。彼女を見れば、仕事以外に考え事をするなど怒られてもおかしくないので、湧き上がってくる感情を消し去ることが出来る。
そんなことよりも、夏季休暇が終わって平穏だった生活が今また脅かされそうとしているのだ。
すでに婚約は破棄され、後はどうとでもカルステンと聖女マイは自由に出来るというのに連日、カルステンから呼び出され続けていた。
しばらくは無視していたが、カルステンが卒業できそうにない件について学園に圧力をかけているという苦情を受けて、オリヴィアは仕方なく男子寮に向かったのだった。
学園に戻ってきたので、テオのそばにはデリアもおり不安そうに顔を曇らせている。
颯爽と歩くオリヴィアの早歩きに二人は駆け足でついていって、男子寮のエントランスホールから直結している一番大きな談話室を見た。
扉は開け放たれており、その中には厳しい顔をした数名の男女と給仕係りの侍女がいるのだった。
彼らはソファーに腰かけており、真ん中にはカルステンとマイが寄り添うように座っている。それらの人間は彼らの取り巻きであり、貴族ではあるがそれほど権力のある人間たちではない。
しかし、彼らと同じようにソファーに優雅に腰かけていて、軽蔑の目線をオリヴィアに向けている。そういう風にオリヴィアを格下のように扱うためにだけこうして集まっているのだろうと思う。
実際に談話室に入っても不自然に向かい側にソファーは無く、オリヴィアは立ったまま彼らの事を見据えた。
「……」
こんなあからさまで陳腐な嫌がらせは、今までのオリヴィアであれば一蹴することなど簡単だったが今は状況が異なる。
すでに婚約を破棄され、王族や聖女よりも一応は格下の存在であり、それも一度婚約を破棄されている。バツイチほど対面は悪くないが、慰謝料ももらっていないし、状況だけ見ればオリヴィアに不手際があって婚約を破棄されたと取られても不思議ではない状況だ。
公爵家の血筋ではあっても、爵位継承権を持っているわけではない。将来的に貴族としては所帯を持たず仕事に生きる女性になるか、さらに格下の男と婚姻する以外の生きる道はない。
そしてそれもすべて、国王と王妃になったカルステンとマイの一切の横やりがなかった場合の順調な状況での話である。
彼らが一言オリヴィアについて悪評を口にするだけで、オリヴィアに仕事先はなくなり、婚姻を望む男などいなくなる。だからこそ本来であれば婚約の破棄などさせるようなことになってはいけなかった。
しかし、この事態はオリヴィア自身が受け入れたことであり、オリヴィアは自ら道を選び取った。
そのおかげで様々な争いごとに発展しなかったというのもあるけど結果的にオリヴィアは立場を失った。
「……やっと私の元へと来たな。側室になる心積もりは決まったか」
カルステンは勝ち誇ったような顔をして言う。オリヴィアはただ静かにマイとカルステンを睨みつけていた。
「随分待ってやったかいがあったな。早速だがマイに貴族間の常識の授業をしてやれ、それから学園側が卒業を譲らないのをどうにか頷かせてこい。私からの要望はこんなところだ。まったく手間をかけさせて、しばらくは私を待たせた分、散々使ってやる」
変わらずカルステンは、オリヴィアに対してそんな風に言う。それに周りの貴族たちはくすくすと笑みを浮かべて今まで目障りだった真面目なオリヴィアを笑う。
オリヴィアがカルステンの元に側室に入ると思ってまったく疑っていないのは、先ほどのように貴族社会で生きるためには、王族に嫌われては生きていけないと誰もが知っているからだ。
だからまったく疑問にも思わない。何度も、呼び出しを無視しても、それも駆け引きの一つだと考えて、こうしてやってきたのだから、オリヴィアは負けを認めて賢く生きるのだと考えている。
「よろしく、オリヴィア。私ぃ貴方の事、怖い人だと思ってたけどカルステンに話を聞いて考えを改めたのぉ」
「……」
「素直になれないだけで、カルステンを愛しているんだって。だから一緒ね。私たち、きっと仲良くなれると思うの」
マイまでそんな風に言ってにっこりと笑みを見せた。愛しのカルステンは自分のものだと主張するように胸部をカルステンの腕に当てながら、上目遣いでオリヴィアを見る。
勝ち誇ったような愉悦に浸ったマイの顔は、それなりに腹が立つもので、テオはイラっとしたが、顔には出さずにオリヴィアの様子を伺った。
オリヴィアはプライドがとんでもなく高い貴族だが、しかしこんな風に格の違いを見せつけられて、あざけられても表情一つも動かさずに相手の望む言葉を言うことは一応できる。
出来るが王妃として育てられているので滅多にやらない。そしてそれをやらない事をオリヴィアはアイデンティティーにもしている。
……それに、俺に天啓の説明をするときに、自分らしくへりくだったり媚びたりはしないで、命だけは守るって言っていたから……。
一応見当をつけてオリヴィアを見ていれば、彼らを見下ろしていたオリヴィアはカッとヒールの音を高らかにならして足を肩幅に開く。それから腰に手を当てて髪をさらりとなびかせた。
「本当に……頭の悪い愚か者どもですわ」
それから鼻で笑うようにそう口にした。その声にテオはドキッとして、かっこいいと思いながら後姿を見る。
しゃんとしていて、ぴしっと伸ばされた背筋は美しく、靡く金髪はよく手入れされていて光をはらんでいるようだった。
「わたくし、お前たちに協力する気は一切ありませんのよ」
いつも通りの平坦な声でいう彼女に、目の前にいるカルステンとマイはすぐに不機嫌そうな顔になって、それからカルステンの方がほんの少しの優しさを与えてやるみたいな顔をしながらオリヴィアに返す。
「何だまだ拗ねているのか? もう終わりにしてくれ、其方は私にとって必要だ、これで満足か?」
「そうよぉ、オリヴィア仲良くしよ。私が突然やってきて状況についていけないのもわかるけど、いくらなんでも強がりすぎっていうかねぇ」
まったく真剣に取り合わない二人に、周りの貴族たちも同じようにしてオリヴィアが一人で意地を張っているのだと信じてやまない顔をしていた。
しかしテオは、そんな状況でも決めたことは絶対に覆さないオリヴィアをかっこ悪いとは思わないし、そんな姿が美しいと思う。
「わたくしの言葉を聞く気がないようだから、いうべきことだけ言うわ。良くお聞き」
嫌悪の視線を向けられる中でもオリヴィアは毅然として話をする。その声音には一切の感情のブレはなく、聞いていて安心できる。
「わたくしは側室にはなりませんわ。理由は一つ、聖女マイよりわたくしが劣っている部分など一つもないからですわ。次に、カルステン殿下は卒業できない。これは決定事項ですのよ。覆そうとすれば魔法教会が直属の施設である学園が、我が国から撤退する可能性がある。そうなれば我が国は魔術師不足に陥るはずです、それがどんな弊害を生むかよく考えなさいませ」
オリヴィアが言っていることは最もだ。あまり頭の良くないテオにだって理解ができる。それでも目の前にいる彼らがどのように受け取っているかはその表情を見れば明らかだった。
「そして最後に、わたくしは聖女マイの為に何かをすることはあり得ませんわ。運命の女神の加護がどれほど素晴らしくともわたくしは、節操無しで下品な異世界人など好きません。頼るならわたくし以外を頼って生きてくださいませ」
言い終わると、カルステンがすぐに切り返してくる。
「頼るなだと? そもそも其方がしていた仕事なのに、引継ぎもせずに後進も育てず勝手を言って不義理にもほどがあるだろう。其方だって初めから何もかもができたわけではない、母や家族から教わったはずだ」
「……」
「それなのに、どうして其方はそれを他人にできない? 冷たい女だと常々思っていたが、これほどまでに親不孝で自分勝手人間だったとは呆れるな」
偉そうに言うカルステンにオリヴィアは当たり前の事を返した。
「ご自分のわがままで婚約者を捨て置いて何を今更。冷たい女だなんて言えるわね、自分勝手は誰の事かよく考えなさい」
その切り替えしにカルステンは少しばつが悪そうに黙り込む。そしてオリヴィアは続けた。
「いいこと? わたくしは何も望んでいません。すべてを奪われてもそれでも何もお前たちに害をなさない。だから、お前たちはお前たちの望むようになさい。いい加減に自分たちの都合ですべてを奪った相手を頼るのはおよしになって」
「……」
「もう二度と呼び出さないでくださいませ。わたくしももう二度とお前たちの前に姿を見せません」
言いながら、オリヴィアは振り返った。そのままカツカツと歩いていく彼女の後ろにデリアとテオは続く。
しかし、その三人の後姿にマイの被害者ぶった声が響く。
「どうしてっ、どうしてそんな、酷い事ばかり言うのぉ?!」
声にオリヴィアは少し立ち止まる。
「私たちは、仲よくしようっていってるじゃない! 使用人にしてしまおうっていうカルステンを説得してまで側室にしてもらうことにしたのに、何がそんなに不満なのよぉ!」
非難するような声にテオはため息をつきたくなった。
「下品だとか節操無しだとか、そんな風に何もしてない私を罵ってっ」
感情を高ぶらせた涙声だった。
「冷たい事ばかり言って、私も、カルステンも困らせてぇ!」
なにも見えていない愚か者の声。
「そんな、そんな、オリヴィアなんて……!」
しかし、力を持った聖女の一声。
「天罰が当たって大変なことになる”運命”なんだから!!!!」
最後まで聞いてオリヴィアは速足でまた歩き出した。彼女は珍しく拳を握りこんでいて、テオは不思議に思った。あんな適当な言葉で何が起こるとも思えない。
それに天罰なんて曖昧なもの、何がどうなっても人為的に与えられるとは思えない。だからまったく気にすることもない言葉のはずだがオリヴィアの顔を盗み見るとどうにも深刻そうな顔をしている。
男子寮を出て外廊下を進むと、重たく分厚い雲の広がった空から、ぽつぽつと小さな雨粒が落ちてきた。
朝から降りだしそうな雰囲気はあったけれど、ついに振りだしてしまったらしい。
しかし、これからの予定も特にない。授業も終わっているし、寮に戻ってゆっくりするでも、今後の対策を考えるでもいくらでも有意義に過ごせる。
オリヴィアもそう考えているのか、まっすぐに女子寮へと向かって、長い階段を一息で上っていく。
ずんずんといつもより焦った様子でのぼるオリヴィアを不思議に思いながら、テオは、やはり先程の言葉をそれほど気にしているのかと思う。